最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●損得論(2)

2009-09-12 11:16:06 | 日記


●では、どうするか

 要するに、(理性=善)と、(欲望=悪)との戦いということになる。
(ただし欲望イコール、悪ではない。念のため。)
こうした戦いは、何も子どもの世界だけの話ではない。
おとなになってからも、つづく。
老齢期になってからも、つづく。

 だから子どもの問題として考えるのではなく、あなた自身の問題として考えるのがよい。
その結果、つまり「では自分はどうすればいいか」を考えながら、それを子どもの世界
へと、延長していく。
 あるいはあなた自身の青春時代はどうであったかを、みるのもよい。

●精進(しょうじん)

 結局は、「精進(しょうじん)」ということになる。
欲望という悪と戦うためには、日々に研鑚あるのみ。
これは健康論と似ている。

 健康を維持するためには、日々に運動し、体を鍛錬するしかない。
それを怠ったとたん、健康は下り坂へと向かう。
同じように、日々の研鑚を怠ったとたん、心は欲望の虜(とりこ)となる。

 私たちが生きているかぎり、健康に完成論がないのと同じように、理性や道徳に
完成論はない。
ただ幸いなことに、こと性欲に関しては、加齢とともに、弱体化する。
まったくなくなるわけではないが、若いときのように、四六時中・・・ということはない。
また時折泉から湧いてくるメタンガスのようなもので、湧いても、すぐ消える。
あるいは長つづきしない。

 私もある時期、性欲から解放されてはじめて、性欲が何であったかを知った。
同時に、あのすがすがしい解放感を、今でも忘れることができない。

●限界

 ということで、親として、あるいはおとなとして、子どもに対してできることにも
限界があるということ。
自分という親(=おとな)ですらできないことを、どうして子どもに求めることが
できるのか。

 ・・・と書くと、何のためのエッセーかということになってしまう。
そこで重要なのが、子どもの「自我の同一性」ということになる。
これについては、もう何度も書いてきた。
要するに、(自分のしたいこと)を、(生き生きと前向きにしている)子どもは、
それだけ心の抵抗力が強いということ。
心にスキがない。
ないから、悪をはねのけてしまう。
つまりそういう方法で、子どもの心を守る。

●私たちの問題

 私たち親(おとな)も、また同じ。
理性や道徳の力に限界があるなら、それを補うためにも、(自分のしたいこと)を見つけ、
それに向かって(生き生きとする)。
もしあなたが老齢期にさしかかっているなら、(満40歳以後は老齢期だぞ!)、(自分の
すべきこと)を見つけ、それに向かって(生き生きとする)。
(自分のしたいこと)ではない。
(すべきこと)である。
しかもその(すべきこと)は、無私無欲でなければならない。
これを「統合性の確立」というが、打算や功利が混入したとたん、その統合性は霧散する。

 そういう姿を、あなたの子どもが見て、またあなたをまねる。
結局は、それがあなたの子どもを伸ばすということになる。

●柔軟性とは

 話が大きく脱線した。
柔軟性について書きたいと思っていた。
が、こんな話になってしまった。

 しかし思考の柔軟性には、こんな問題も含まれている。
いくら柔軟性があっても、欲望のおもむくまま振り回されていたのでは、
どうしようもない。
一方、人は、自らが不完全であることを恥じることはない。
その(不完全さ)が、無数のドラマを生み、人生を潤い豊かに、楽しいものにする。
要はバランスの問題ということになる。
あるいはときに応じて、カタブツになったり、反対にハメをはずして遊ぶ。
その限度をわきまえる力が、「柔軟性」ということになる。

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Hiroshi Hayashi++++++++SEP.09+++++++++はやし浩司

●山荘

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今夜は、夜中に山荘にやってきた。
日時は、9月11日。
午後11時45分。
あと少しで、9月12日。

少し前、ワイフはチューハイを一缶飲んだ。
そしてそのまま床の中へ。

私は眠いが、こうしてパソコンを相手に、
文章を書いている。
真新しいパソコンで、キーを叩いているだけで、
気持よい。
TOSHIBAのTX66という機種である。
(パソコンのことを、「機種」と言うのかどうか
知らないが・・・。あるいは「型番」というのが、正しいのか?)

画面は16インチもある。
そのため持ち運びには不便だが、ひとたびデスクに
置けば、あとは楽。
ふつうのデスクトップのようにして、使える。

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●子どものやる気

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J君(小4)という、興味深い
子どもがいる。

毎週1時間30分、その子どもの学習を
みている。
が、1時間30分、勉強するわけではない。
最初の10~20分は、コミック本を
読んで、時間をつぶす。
それから20~30分は、だらだらと
勉強らしい勉強もせず、無駄話をして
すごす。

こうしてときに1時間あまり、時間を
無駄にしたあと、何かの拍子にふと
気が向くと、突然、勉強を始める。
が、一度始めると、猛烈な勢いで、
今度は「量」をこなす。
もともと頭の切れる子どもである。
あっという間に、計算問題だと、
40~50問くらいは解いてしまう。

時間にすれば、20~30分前後だが、
それでふつうの子どもなら、1時間
30分くらいはかかるような量を、
終えてしまう。

そしてそれが終わると、またいつもの
ように、だらだらし始める。
無駄話を始めて、時間をつぶす。

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●内発的か、外発的か?

 子どものやる気をみるとき、それが内発的(自ら進んでやろうとしている)か、
外発的(親や先生に言われてやろうとしている)かを、みる。
内発的であれば、よし。
そうでなければ、そうでない。

 たとえば子どもの学習の3悪に、(1)条件、(2)比較、(3)無理、強制がある。
条件というのは、「~~したら、~~を買ってやる」式の条件をつけること。
比較というのは、「~~さんは、もうカタカナが書けるのよ」と、子どもをほかの子ども
と比較すること。
無理、強制というのは、能力を超えた学習を子どもに押しつけたり、強制的に子どもを
勉強させることをいう。

 こうした方法は、一時的には効果があっても、長つづきしない。
しないばかりか、それが日常化すると、子どもは、やる気そのものをなくす。

 たとえば冒頭に書いたJ君の例で考えてみよう。
J君は、私の教室(BW教室)へは、小学1年生のときから来ている。
今年で、4年目になる。
当初は、そういうJ君の特性(?)に、戸惑った。
ときには条件をつけたり、あるいは無理に学習に向かわせようとした。
しかし効果はいつも、一時的。

 そこである日から、(というのも、ガミガミ言うのは私のやり方ではないので)、
本人のやりたいようにさせることにした。
その結果が、冒頭に書いたようなやり方ということになる。

●特性

 それぞれの子どもには、それぞれの特性がある。
勉強という(作業)をこなすときには、その特性が、大きくその子どもを左右する。
たとえば集中力についても、持続的に長時間保てる子どももいれば、そうでない
子どももいる。
極端なまでに集中力の欠ける子どもを、「集中力欠如型~~」とかというが、しかし
だからといって、それが問題というわけではない。

 最近の調査によれば、チャーチルもモーツアルトも、そしてあのエジソンも、
アインシュタインも、その「集中力欠如型~~」(AD・HD児)だったと言われている。
とくにエジソンなどは、ここに書いた、J君とそっくりの特性を示していた。

●天才型

 そういうJ君を指導しながら、よく「この子には、これでいいのだ」と、自分に言って
聞かせる。
あるいはときどき、もし父親が、そういうJ君を、この教室で見たら、どのような
判断をするだろうかと考えるときがある。
「怒って、やめてしまうだろうな」と。

 幸い母親が理解のある人で、また愛情豊かな人のため、J君をおおらかに見ている。
会うたびに、「迷惑ばかりかけて、すみません」と言ってくれる。
本当は、迷惑と感じたことはない。
ただ私流の指導が思うようにできないため、私流にいらいらしているだけなのかも
しれない。

 しかし考えてみれば、私自身にだって、私流の特性がある。
たった今も、この原稿を書いている途中で、ラジコンのヘリコプターの調整のため、
庭へ出て、それを飛ばしてきた。
集中力があるかないかということになれば、・・・というより、特性という点では、
私とJ君は、よく似ている。

 若いときから、そうだった。
だらだらと一定の時間を過ごしたあと、仕事をするときは、一気にする。
それが私のやり方だった。

 反対に、持続的にコツコツと勉強に取り組む子どもも、多い。
しかし期待するほど、効果はあがらない。
そこそこに勉強はできるようにはなるが、そこで止まってしまう。
「天才型」、あるいは、「才能発揮型」の子どもというのは、多くはJ君のような
特性を示す。
指導する側としては、(指導しにくいタイプ)ということになるが、長い目で見れば、
むしろこのタイプの子どものほうが、好ましいということになる。

●避けたい外発的動機づけ

 内発的に子どものやる気を引き出すことを、「内発的動機づけ」という。
(これに対して、条件、比較、無理、強制などにより、外発的に子どものやる気を
引き出すことを、「外発的動機づけ」という。)

 外発的動機づけが日常化すると、子どもは、ものごとに対して依存的になりやすい。
言われたことはするが、それ以上のことはしない。
あるいは言われないと、行動できない、など。
とくに条件が日常化すると、条件なしでは勉強しなくなる。
さらにこの条件は、年齢とともに、エスカレートしやすい。

 幼児のころは、「30分、勉強したら、お菓子一個」ですむかもしれない。
しかし中学生や、高校生ともなると、そうはいかない。
「学年順位が10番あがったら、10万円」となる。

 だから内発的動機ということになる。
子どものやる気を、子どもの内側から自然に引き出す。
そのための方法は、いくらでもある。
またそれを実践していくのが、教育、なかんずく幼児教育ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW やる気 はやし浩司 動機づけ 内発型 外発型 動機づけの3悪
4悪 達成動機)

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