最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

(3)

2010-04-28 08:23:42 | 日記


●脳みそのクロック数

ついでに……。
宇宙には、私たちがいう「1秒」の間に、人間の世界でいう数100年、
あるいは数1000年分の人生を生きる生物がいるかもしれない。
あるいは反対に、私たちがいう「1万年」が、寿命という生物も
いるかもしれない。

そういう生物(?)は、指を1本、動かすのに、20年とか、
30年もかかる。
岩石のようなものでできた生物を想像してみればよい。
・・・という話は、どこか荒唐無稽な感じがしないでもない。
しかしこんなことは言える。

脳みそにも、コンピュータでいうところの「クロック数」の
ようなものがあるのではないか、ということ。
たとえばワイフは、8年前に買ったパソコンを使っている。
私は、昨年(07年)に買ったパソコンを使っている。
ワープロとして使っている間は、それほどの(差)を
感じない。

が、画像を表示したり、ゲームをしたりするときには、
はっきりとした(差)となって、ちがいが出てくる。
情報を処理するための基本的な速度、つまりクロック数そのものが
ちがう。

俗な言い方をすれば、(頭の回転の速さ)ということになる。
子どもにしても、頭の回転の速い子どもは、速い。
そうでない子どもは、そうでない。
反応も鈍い。
仮に脳みそのクロック数が、2倍ちがうとすると、クロック数が
2倍速い子どもは、そうでない子どもの、2倍長く時間を使う
ことができるということになる。

全体に、クロック数が速いから、当然、計算するのも速い。
文章を書くのも、速い。
思考する力も、速い。
だからクロック数が2倍速い子どもにとっては、同じ「1秒」でも、
そうでない子どもの、「2秒分」の時間に相当する。
同じ「1年」でも、「2年分」の時間に相当する。
ただし誤解しないでほしいのは、クロック数が速いからといって、
時間を有効に使っているということにはならないということ。
(時間を長く使う)ということと、(時間を有効に使う)という
ことは、まったく別のことである。

そのことは、冒頭に書いたスズメの話を思い出してもらえば、わかる。
庭に遊ぶスズメたちは、目まぐるしく、活動している。
しかし、それだけのこと。
わかりやすく言えば、(中身のない人生)を、忙しそうに
繰りかえしているだけ。

恩師の田丸謙二先生は、いつも口癖のように、こう言っている。
「せっかく、いい頭をお持ちなのですから・・・」と。
私に対して、そう言っているのではない。

東大という大学に入ってくる学生たちに、いつもそう言っている。
先生がいう、「・・・なのですから・・・」というのは、
「もっと自分の頭で考えなさい」という意味だが、
先生の言葉をもう少し、自分なりに解釈すると、こうなる。
「せっかく速いクロック数の頭をもっているのだから、
脳みそを有効に使いなさい」と。

●最後に・・・

脳梗塞のようなダメージを受けないかぎり、実際には、
脳みそのクロック数などというものは、みな、それほどちがわない。
ちがっても、2倍とか3倍とかいうものではなく、
1・1倍とか、1・2倍とかいう範囲の、わずかなものかもしれない。
しかもそのクロック数というのは、訓練によって、速くすることができる。
このことも、子どもの世界を見れば、よくわかる。

言いかえると、同じ人生でも、それを長くして生きるか、
それとも、短くして生きるかは、その人、個人の問題ということ。
そのためにも、頭は使って使って、使いまくる。
そうでなくても、脳みそのクロック数は、加齢とともに、落ちてくる。
老人ホームにいる老人たちにしても、ある日、突然、ああなったのではない。
ある時期から、徐々に、そして少しずつ、長い時間をかけて、
ああなった。

今の私やあなたがそうかもしれない。
クロック数というのは、そういうもの。
全体に脳みその機能が低下していくため、その人自身が、それに気づくと
いうことは、まずない。

知らぬ間に、クロック数は低下し、また低下しながらも、低下したこともわからない。
だから歳をとったら、なおさら、頭は使う。
使って使って、使いまくる。

それがとりもなおさず、私たちの人生を、より長くすることになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 クロック数 クロック周波数 人間のクロック数 クロック周波数 
生きる密度)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

●時間とは

 改めて書くまでもなく、時間とは生き方の問題ということになる。
「そこに時間がある」ということではなく、「どう生きるか」。
それが時間ということになる。
もし「時間」という概念があるなら、「その時間を、どう使うか」。
それがここでいう「生き方の問題」ということになる。

 怠惰に過ごすのも1年なら、懸命に生きるのも、これまた1年。
「長さ」は、その「密度」によって決まる。
言い替えると、生き様の追求は、密度の追求ということになる。
いかに無駄を省き、密度を濃くしていくか。
それによって1年を10年にすることもできる。
1年を100年にすることもできる。

 もちろん回り道をすることも、よくない。
私たちも「生命」の一部でしかない。
その「生命」という部分には、限界がある。
ちょうど鉄がさび、やがて朽ちていくように、私たちの細胞も、さび、
やがて朽ちていく。
「急ぐ」という言い方は好きではないが、少なくとも、
無駄にする時間はない。
物理的な時間をいうなら、100年でも足りない。
1000年でも足りない。
真理の探究というのは、それほどまでに深淵で、道は遠い。

 「時間とは何か?」。
それを考えていくと、その先に、どう生きるべきかが見えてくる。
そういう意味で、物理学でいう(時間)と、哲学でいう(時間)には、
相互性がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 時間とは何か)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●The Howie Brothers(ホウイ兄弟)

今朝起きてすぐ、「The Howie Brothers」のことを書いた。
オーストラリアの音楽家である。
大学の同窓生でもある。
1970年のときの写真と、2010年の写真を並べて、BLOGに掲載した。
その2つの写真を見比べなら、こう思った。

 たいていの人は、(私のワイフもそうだが)、現在の写真を見て、「こんな人たちにも、若
いときがあった」と思う。
この見方は、まちがってはいない。
しかし空白の40年を縮めてみると、見方が逆になる。
「こんな青年にも、やがてくる老年期があった」と。

 もちろん青年期には、それはわからない。
老齢期という未来は、まだ存在しない未知の世界。
しかし実際には、どんな青年にも、すでに老齢期はある。
あって、どこかに潜んでいる。

 このことは、幼児たちを見ているとわかる。
年中児(4歳児)から、高校3年生まで。
そういった子どもを毎年繰り返し見ていると、やがて幼児を見ただけで、その子どもがそ
のあとどうなっていくか、おおかたの輪郭がわかるようになる。
幼児の中に、中学生になったときの様子、高校生になったときの様子がわかるようになる。
同じように・・・というわけでもないが、1970年のホウイ兄弟の写真を見ていると、
見た目には青年かもしれないが、その中に、現在のホウイ兄弟を見てしまう。

 どちらが先で、どちらが後ということではない。
その人たちの中で、人生がひとかたまりになっている。
だから私は、1970年の写真を見ながら、こう思う。

「この人たちにも、今のような老齢期があったのだ」と。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●春休み

 私にも春休みがある。
10日間ほどある。
いろいろ計画している。
が、こうした計画というのは、浅瀬にわく、泡のようなもの。
ポッポッと現れては、その一方で、ポッポッと消えていく。
若いころなら、「本を1冊、書いてやる」などと思ったもの。
しかし今の私は、「本を書くこと」には、まったく興味がない。
書いたものを本にしたいという意欲さえ、わいてこない。
今は、インターネットの時代。
これからはインターネットの時代。

 ひとつの例だが、10年ほど前までは、パソコン関連のソフトが、たくさん店に並んで
いた。
ゲームソフトはもちろん、画像編集ソフト、ビデオ編集ソフト、宛名書きソフト、家計簿
ソフトなどなど。
20年前には、もっとたくさんあった。
しかし今は、そのほとんどが、無料ソフトに置き換わった。
画像加工ソフトにしても、無料加工ソフトのほうが、内容が濃い。
使い勝手もよい。

 同じように、(情報)にしても、少し前までは、「安かろう、悪かろう」という思いが、
まだ残っていた。
ニュースにしてもそうだ。
今ではインターネットで配信される(情報)のほうが、はるかに質が高い。
(もちろん低いものもあるが・・・。しかしこれは選択の問題。)
何よりも瞬時、瞬時・・・というところがすごい。
朝に記事を配信すれば、昼を待たずして、反応が入ってくる。
(実際には、BLOGに書き込むと同時に、検索されるようになる。)

 どうしてこういう時代に、「本」なのか?
収入にはならないかもしれないが、私には、そのほうが楽しい。
つまりインターネットを利用して、好き勝手なことを書いているほうが、楽しい。
ということで、新年度からの新しい企画に挑戦したい。
(2009-2010年度は、「BW公開教室」に力を入れた。)


●同性愛

++++++++++++++++++

数日前、浜松市の男性教師が、児童買春で
逮捕された。
東京で、逮捕された。
相手は女の子かと思ったが、男の子だった。
つまりその教師は、同性愛者であった。
別の同性愛者に段取りをつけてもらい、
東京まで出かけていって、売春行為を
していたらしい。

+++++++++++++++++++

●「濃い男」

 「濃い男」「薄い男」という言葉は、私が最初に考えた。
今では広く、あちこちで使われている。
「肉食系」「草食系」と同じような意味で使われているが、私が使い
はじめたときには、すこし違った。
まったく女性にしか興味を示さない男を、「濃い男」という。
同性でもか構わないという男を、「薄い男」という。
私は、その中でも、「たいへん濃い男」。
同性の男に、肌をさわれただけで、ゾッとする。
一方、女性なら、だれでも構わない。
歯医者などに行って、女性の看護士に肌をさわられただけで、うっとりする。

 だから、こういうニュースを聞くたびに、「ヘエ~~?」と思ってしまう。
そんなに同性に興味があるなら、温泉か、大浴場へ行けばよい、と。
(あるいはそういうところは、飽きてしまったのか?)

●同性愛

 同性愛がどうこう言うのではない。
好ましくないとか、そういうことを言っているのでもない。
そういうことを言うと、今では「偏見」と考えられ、評論すること自体、許されない。
(今まで、一度もしたことはないが・・・。)
しかし「東京まで行って・・・」というところに、私は別の何かを感じてしまう。
当人も何かしらの(うしろめたさ)を感じていたのだろう。

 それについてワイフは、「地元じゃあ、バレるからじゃない」と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
年齢は53歳というから、あちこちの学校で教壇に立っていたはず。
現在の学校に移る前は、市内のN中学校で、教壇に立っていたという。
顔も広く知られている。
「だから東京で・・・」ということになった(?)。

 しかし考えてみれば、不思議な世界と思う。
人間の世界にも、(男)と(女)がいて、さまざまな人間模様を繰り広げている。
ときにそれが(男)と(男)になり、(女)と(女)になったりする。
どうでもよい世界だが、そこに子どもを巻き込む。
それはいけない。

この浜松市でも、毎年教師によるハレンチ事件が、1~2件はある。
親レベル、学校レベルでもみ消される事件まで入れたら、もっと多い。
当人どうしだけの秘密のままですまされるケースを含めると、さらに多い。
つまりこうした事件は、氷山の、そのまた氷山の一角。

 バレたら、教師生命どころか、世俗的な名誉、地位すべてを失う。
それほどまでの危険を感じたら、ふつうの良識のある人は手を引く。
「教職」という立場にあるなら、なおさらである。
そう言えば、どこかの小学校の校長が、校長室で、児童の母親と密会を重ねていたという
事件もあった。
これもつい先日のできごとである。
が、人間のもつ欲望のパワーは、それをはるかにしのふほど、強い。
逮捕された教師も、こう言ったという。
「自分を抑えきれませんでした」と。

 ・・・こういう事件は、モグラ叩きのモグラのようなもの。
人間がそこにいるかぎり、なくなることはない。
これからも頻繁に起こるだろう。
止めようとして、止められるものではない。
が、一言。

 私には、同性愛者の気持ちが、どうしても理解できない。
頭の中を、180度ひっくり返してみるのだが、それでも理解できない。
「どうして男が、男に、性的な関心をもつのだろう」と考えたところで、思考が停止して
しまう。
だからこそ、不思議な世界と思う。
同じ人間であり、同じ男なのに、これだけは、私の理解の範囲を超えている。


Hiroshi Hayashi++++++MARCH.2010++++++はやし浩司

●今日、あれこれ(3月27日)

●経済問題

 ひとつだけはっきりしていること。
このまま進めば、日本経済は、やがてにっちもさっちもいかなくなるということ。
国の借金は、雪だるま式にふえつづける。
その一方で、大量の円を市中にばらまきつづける。
へたをすれば、デフレ状態のまま、ハイパーインフレを迎える。
そうなれば円の大暴落。
札も国債も、紙くずと化す。
(もともと「紙」だから、私は驚かないが・・・。)

●中国の干ばつ
 
 中国南部と、ベトナム北部が、大干ばつに見舞われている。
原因は、地球の温暖化。
が、本当の問題は、これから。
この先、世界各地で、「水戦争」が起きるようになる。
1960年代に始まった、インド・パキスタン紛争(印パ紛争)も、
もとはと言えば、水の奪い合いだった。
そうした「火種」ならぬ、「水種」は、世界各地に散らばっている。
すでに中国とベトナムの関係が、ぎくしゃくし始めている。

農耕地が被害を受ければ、そのまま食料不足につながる。
そうなれば影響は、この日本にも及ぶ。
遠い海の向こうの話では、すまされなくなる。

●民主党政権

 「日本は左傾化し、中国に接近しつつある」と。
私はそうは思っていないが、アメリカ人も、オーストラリア人も、
そう思っている。
今の民主党政権になって、日本は、かなり誤解されているようだ。
前回の衆議院議員選挙では、多くの日本人は、反麻生、反自民に
傾いた。
しかしだれも民主党が、左派政権とは、思っていなかった。
左派政権を求めて、民主党に一票を入れたわけではない。
社民党などと連携がわかってはじめて、「?」と思い始めた。
(これはあとの祭り!)

 が、何よりも失望したのは、小沢一郎幹事長。
小沢一郎幹事長が臭わす醜悪さは、麻生前総理大臣の比ではない。
そればかりか、やがてマスコミ各誌は、民主党をさして、「小沢独裁政権」
と揶揄(やゆ)するようになった。
まさに独裁政権。
派閥政治にもいろいろと問題はあるが、自民党の派閥政治のほうが、民主的(?)。
そんな印象をもってしまった。

 が、小沢一郎幹事長は、この場に及んでも、まだ強気。
夏の参議院議員選挙では、民主党の選挙参謀を務めるとか。
その姿勢は、麻生前総理と、同じ。
まるで自分の姿が見えていない。
「どうぞ、ご勝手に!」。


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2010-04-28 20:05:25
【哲】0的確定論

『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』

 【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』

◇不可分性
『分けられない,』

◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,』

◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する。』

【0特性】が真理であるならば, 時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根拠が【0∞1】, 有限的無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類似事的な確定であること, である。

【零的確定論】では, 一つの時間平面が, 拡がり無き【時(とき)の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を捉え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。

△無は有を含む。


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