最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●子育てポイント(3)

2009-07-23 07:14:49 | 日記
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(537)

●子どもの発達

 幼児教育と一口でいうが、同じ幼児でも、乳幼児と幼児、就学前の幼児は、まったく違う。違うから、私はたとえば乳幼児について聞かれても、ほとんどわからない。(常識程度にはわかっても、人に話せるほど、わからない。)

 そこで私なりに、この時期の子どもの発達段階を考えてみた。

【乳幼児期】乳児から満四歳前後の子どもをいう。満四歳くらいから、子どもは、少年少女期への移行期に入る。満四・〇歳ごろから、知的好奇心がきわめて活発になり、満四・五歳くらいから、ほうっておいても文字数に大きな興味を示すようになる。まだ乳幼児期の延長期とみる。

【移行期】満四・五歳くらいから、子どもは少年少女期への移行期に入る。何かにつけて生意気になり、自己主張が強くなる。子ども扱いをされたくないという思いと、まだ親の庇護下にいたいという、ふたつの矛盾した願望が混在し、子どもの情緒は不安定になる。怒りっぽくなったり、ぐずりやすくなる。

【少年少女期】満五・五歳児くらいになると、少年少女期へ移行する。この時期になると、子どもの人格の「核」形成がすすみ、「この子はこういう子だ」という形がしっかりと見えてくる。過干渉、溺愛が日常化すると、この核形成が遅れ、いわゆる幼児性がそのまま持続することが多い。

 この中でとくに大切なのは、【移行期】である。この時期に、いかに教育するかが、その子どもの一生を左右する。フロイトのいう自我(SELF)もこの時期に形成されるが、知的能力の急激な発達にあわせて、論理性、分析能力などもこの時期に養われる。

この時期はとくに、静かで穏やかな生活を大切にし、心豊かで温かい愛情を子どもに注ぐことを忘れてはならない。人格の核形成のみならず、子どもの性格、方向性もこの時期に決まる。言い換えると、

(1)この時期までにそうでなくても、この時期をうまく利用すると、子どもを作り変えることができる。

(2)この時期を通りすぎたら、反対にその子どもはそういう子どもと認めたうえで、子どもの性質や性格をいじってはいけない。無理をすればするほど、たとえば子どもは自信をなくし、親が望むのとは別の方向へ進む。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(538)

●私の過去(高町時代)

 浜松市へきたころの私は、お金になることは何でもした。翻訳に通訳、家庭教師に代筆、進学塾で講師をしたり、楽器メーカーの貿易部の顧問もしたりした。午前中は幼稚園に勤め、午後からは、そういう意味では好き勝手なことをした。そんなとき、小さな塾を開いた。

 浜松市内の中心部に、中央図書館がある。その図書館の近くに、高町公民館という公民館があった。今もある。畳敷きの、全体でも二〇畳前後の公民館だった。私は週二回、この公民館を借りて、塾を開いた。生徒は、四人。みんな女子高校生だった。今から思い出しても、あのときの高校生たちよりまじめな(?)高校生は、それ以後、出会ったことがない。みんな時間通りきて、ただひたすら黙々と勉強してくれた。私も、懸命というより、必死だった。何よりも生徒がふえることを願ったが、結局、そのあと一年半の間、生徒は四人のままだった。

 塾を開くのに、私はほとんど抵抗がなかった。「教えるころでお金を受け取る」ということに抵抗を感ずる人も多いが、私はそういう意味では平気だった。学生時代、一番尊敬した人物が、正木猛氏(現在八八歳、岐阜県美濃市で健在)という人だったということもある。塾の教師だった。それにむしろ「自由な教育」ということを考えるなら、塾のほうが自由だった。

当時、よく言われたことに、こんなことがあった。「塾の教師は、生徒を殴(なぐ)ってもよい。しかし学校の教師はいけない」と。殴れば殴ったで、その生徒は、そのつぎからは塾へ来なくなる。そういう逃げ場がある。しかし学校では、その逃げ場がない。「逃げ場がない状態で、生徒を殴るのは、卑怯」と。しかし塾には、もっと大きな違いがある。

 塾は生徒に、一度、頭をさげる。「さげる」という言い方はおかしいが、少なくとも月謝を受け取るときは、頭をさげる。「教えさせていただきます」という姿勢から、教育がスタートする。「生徒は向こうからやってくるものだ」と考える(多分?)学校教育とは、ここが違う。

つまり熱心か熱心でないかということになると、塾教育は、熱心にやらなければ、経営そのものが成りたたない。あるいはそのまま閉鎖。きびしさが違う。が、結果的にみると、それが私のばあいにはよい方向に作用した。学校で言えば、毎日が参観授業のようなものだった。幼稚園での仕事にしても、毎日、教材を用意しないと、授業そのものができなかった。

 今でも、あの高町の公民館のあたりを通り過ぎると、ふとそちらのほうを見る。なつかしいというよりも、そのつど、どっと、重苦しい暗雲のようなものが心をふさぐ。そのときの生徒は四人とも、東京でも一、二を争う女子大学へと進学していった。が、どこかすっきりしない。理由はよくわからないが、そのころの私は、経済的にも、社会的にも、どん底だったことによるのではないか。多分……?





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(539)

●私の過去(ゴーストライター時代)

 私は、当時、いろいろな人のゴーストライターをしていた。その中には、全国的に有名なドクターや、美容研究家がいた。彼らのために月刊誌や週刊誌の記事、単行本などの原稿を書いていた。研究論文まで書いていた。単行本だけでも、五~七冊は書いただろうか。月刊誌や週刊誌ともなると、数知れない。当時一人のドクターは、テレビの全国放送で、いつも二~三本のレギュラー番組をもっていたから、その企画の原稿も書いていた。しかしそれは、お金にはなったが、むなしい稼業だった。

 「娼婦」と呼ばれる女性がいる。体を売って、お金を稼ぐ。しかしゴーストライターは、魂を売って、お金を稼ぐ。そのとき私は、そう感じた。いや、ゴーストライターといっても、いろいろある。本人にまずしゃべってもらい、それをテープレコーダに録音し、それから原稿に起こすというゴーストライタ~がいる。

よくテレビタレントが暴露本などを出すことがあるが、そういう本は、たいていこうしてできた本とみてよい。そういう本であれば、魂を売るということはない。しかしその一線を超えて、よい本を書こうとすると、そうはいかない。自分で取材し、それをまとめ、さらに思想でつつむ。そこまですると、どうしても自分の「心」が入ってしまう。問題はその「心」だ。

 ゴーストライタ~を平気で使う人というのは、もともとそのレベルの人とみてよい。少なくとも文士ではない。そういうレベルの人のために、自分の心を売るというのは、まさに屈辱(くつじょく)でしかない。何という敗北感。何という無力感。何という虚しさ。そういうものが、一文書くたびに、どっと胸をしめつける。

私のばあいも、毎日がそれらとの戦いだった。が、それだけではない。ゴーストライターとして自分の心をその中に織り込むということは、その心は二度と使えないことを意味する。あとで自分の名前で、同じようなことを書けば、そのまま盗作ということになってしまう。言いかえると、もの書きとしての自分の命を、そこで断つことを意味する。

 だから二七歳ぐらいのとき、私はゴーストライターの仕事はやめた。しかし、だ。この世の中、どこがどうおかしいのかわからないが、私がゴーストライターで書いた本は、本当によく売れた。著者(?)の知名度もあって、本当によく売れた。

しかし、だ。一方、私が自分の名前で出した本は、売れなかった。どれもパッとしないまま、たいていは初版で絶版。よくワイフは、「あなたは世間を逆恨みしているのよ」と言うが、本当のところ、逆恨みもしたくなる。中には、出版社へ原稿を売り渡し、その本に、著名なタレントの名前を載せて出した本がある。私が手にしたのは、その原稿料のみ。しかしその本は一〇万部以上も売れた! 結果、そのタレントは、一〇〇〇万円近い印税を手にした。こういうことはこの世界では、珍しくない。

 私は以後、一度も他人のために文を書いたことがない。ときどき頼まれて、「では……」と書き始めることもあるが、どうしても筆が進まない。今もそうだ。いくらお金を積まれても、もう二度とゴーストライターはしたくない。できない。しない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(540)

●心の抵抗

弱者は自分より不幸な人をさがしだして喜び、強者は自分より幸福な人をさがしだしてねたむ。

 この格言は私が以前考えた格言だが、しかしよくよく考えてみれば、これほど日本的な格言はない。幸福観そのものが、相対的でしかない。いつも他人の目を気にして生きていると、こうした幸福観をもつようになる。問題は、なぜ私がこのような格言を考えたか、だ。

 当時、私は、世間体を気にする人を頭におきながら、この格言を考えた。世間体を気にする人は、ものの考え方が相対的で、「他人より給料が多いから、私は能力がある。リッチだ」「他人より給料が少ないから、私は劣っている。貧しい」と考える傾向がある。いつもどこかに「平均(ふつう)」というものの基準があって、それを尺度にして、自分を判断したり、他人を判断したりする。

 で、さらに今、その当時の自分を分析すると、こんなことがわかる。なぜ、私という人間が、こうまで世間体を気にするかということ。さらに世間体に代表される生き方を、こうまで気にするかということ。それにはつぎのような理由がある。

 ひとつは、私が生まれ育った岐阜の地方では、世間体という言葉が、きわめて日常的に使われていたということ。「世間が笑う」「世間が許さない」とか、など。耳にタコができるほど、その言葉を聞かされた。私は子どものときから、その言葉が嫌いで、よく母に、「世間が何だ!」「世間が何をしてくれる!」と反発したのをよく覚えている。が、それだけではない。

 当時、(今もそうだが)、学校での成績は、「順位」で評価された。「他人よりよい点数であれば優秀」「他人より悪い点数であれば劣っている」と。私は中学時代、学年、五五〇人中、成績では二番になったことがなかった、九教科の合計点でも、いつも二番との差が、三〇~八〇点はあった。まさにガリ勉そのもので、先生たちが「一科目でもいいから、林を追い抜け」とほかの生徒にハッパをかけていたのを、よく覚えている。

が、高校へ入ると、一転した。私は岐阜市内の進学高校へ入りたかったが、母がそれを許してくれなかった。そのため地元の、それほどレベルの高くない高校に入ることになった。私には不本意な高校だった。

 そういう高校だったから、一年のころは遊んでいても、成績はいつもトップだった。が、何よりも不愉快だったのは、テストごとに、毎回成績と名前と順位が、カベに張り出されることだった。私はそれを見るたびに、何かしら、いつもだれかに追われているような脅迫感を感じた。

で、ある夜、学校へ忍び込み、その張り紙を破ったことがある。そういう思いが、今でも残っている、残っていて、今でも順位で判断されることに、生理的な嫌悪感を覚える。「私は私、どこまでいっても私」という思いも、そういう経験の中で熟成された。この格言には、そういう私の、心の抵抗が織り込まれている。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(541)

●不況時代の、子育て論

 本格的な大不況が、近づいてきた。昨夜(〇二年七月四日)、書店で三冊の週刊誌を買ってきた。アメリカにいる二男に送るためである。週刊新潮、週刊文春、週刊朝日の三誌である。その三誌が、まるで呼吸を合わせたかのように、日本経済の破綻(はたん)を予告している。あの堺屋氏(経済企画庁元長官)まで、悲観的なことを書いている(文春)。大不況がやってくるのは、もう確実で、しかも秒読み段階に入ったとみてよい。

 が、経済がどうなるかを考えるのは、このコラムの目的ではない。問題は、そういう大不況になったら、子育てをどう考えたらよいか、だ。と、言っても、私たちの世代は、すでに暗くて、貧しい時代をすでに経験している。私は昭和二二年生まれ。堺屋氏がいうところの、まさに「団塊の世代」。

子どものころ記憶にあるのは、毎日、空腹だったこと。みながみな、そうだった。だから私や私の家族が貧乏だったという思いは、どこにもない。そういう自分を思い出しながら、大不況下の子育てはどうあるべきかを考えてみる。

(1) 子どもは親が気にするほど、貧乏を気にしない…貧乏を気にするのは、親であって、子どもではない。子どもはそういう意味で、環境をあるがまま受け入れ、適応する能力をもっている。貧乏であることを、子どもに恥じることはない。恥じてはいけない。

(2) 親は卑屈にならない……いくら貧乏になっても、親は卑屈になってはいけない。親が卑屈になると、子どもの心は「貧しく」※なる。一杯のかけそばを、分けあって食べるような、そういう卑屈なことをしてはいけない。親は親で、前向きに気高く生きる。

(3) 貧乏を楽しむ……貧乏なら貧乏で過ごし方がある。見え、体裁、メンツを捨てる。世間体など、気にしてはいけない。「私は私」という生きザマを大切にする。日本がこの不況から抜け出る日はやってくる。そのとき同じスタートラインに立ったとき、あなたの生きザマは、子どもを伸ばす大きな原動力となる。

(4) 金銭的価値観とは決別する……「プレゼントは買ったものはダメ」「買う前にリサイクル」「不便であるのが当たり前」などを、ハウス・ルールにする。今までの金銭的価値観からものの考え方を転換する。家の中はスッキリ、ムダなくをモットーとする。

(5) 家族の意義をたてなおす……家族は励ましあい、助けあい、教えあい、いたわりあい、支えあう。そういう家族をものの考え方の中心におく。「家族がいちばん大切」ということを、日常的に子どもに言う。貧乏だからといって、このきずなは壊れない。むしろ貧乏であればあるほど、そしてその貧乏を楽しめば楽しむほど、家族のきずはな深まる。

(6)質素であることを誇りにする……質素であることを恥じることはない。むしろ誇るべきことである。自動車には乗らず、自転車に乗る。バリバリのブランド品で身を包むのではなく、ヨレヨレの雑貨品を使う。それこそが人間の気高さの象徴である。
※貧乏と、心の貧しさは別。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(542)

●不況時代の、子育て論(2)

 貧乏でこわいのは、見え、メンツ、世間体。この三つに毒されると、愛すべき貧乏が、憎むべき貧乏に変身する。そればかりではない。自分で自分を見失ってしまう。他人の目の中で生きる人生ほど、はたから見ても、見苦しいものはない。そのためにもできるだけ早い時期に、「私は私」という、自分の生きザマを確立する。自分が自分であるかぎり、貧乏など、何でもない。

 むしろ貧乏であるほうが、他人の心がよくわかる。そしてそのわかった分だけ、心のつながりができる。悲しみや苦しみを、互いに共有するからだ。見苦しいといえば、少し前までテレビによく出ていた、元野球監督の妻のSがいた。脱税で逮捕されるまで、まさにしたい放題、言いたい放題のことをしていた。顔中に、人間がもつあらゆる醜悪さを、塗りたくったような女性だった。

 私たちが今すべきことは、ああいう人間の醜さを、しっかりと記憶にとどめておくことだ。またああいう人間を評価しないこと。その女性は億単位のお金を右から左へ動かしていたという。超の上に超がつく金持ちだったかもしれないが、軽蔑すべき人間というのは、まさにああいう人間をいう。

 貧乏であることは、何ら恥ずべきことではない。むしろ誇るべきことかもしれない。質素につつましく生きることは、それ自体が美徳であり、すばらしいこと。ただし、貧乏と、心の貧しさは違う。いくらベンツの大型車に乗っていても、タバコの吸殻を窓から外へ捨てる人は、心の貧しい人という。いくら豪かな家に住んでいても、自分より弱い立場の人をさげすみ、罵倒する人は、心の貧しい人という。いくら貧乏になっても、その心の貧しい人になってはいけない。

 私とて、お金は嫌いではない。いつも心のどこかで、いつかはお金持ちになりたいと願っている。本を出版するときも、「売れればいい」と、いつも願うのは、自分の考えがより多くの人に理解されることを願うというよりは、印税が少しでも多く入ることを願うからだ。しかしこんなことは守っている。月によって、いつもの月よりも多くの収入が入ることがある。そういうときでも、いつものように、最低限の生活を守るようにしている。車だって、動けばよい。服だって、着られればよい。食べものだって、食べられればよい。ときにぜいたくをすることはあるが、それはあくまでも「ときには」という話である。

 私には退職金はない。天下り先もない。年金もない。息子たちの世話にはならない。すべてが「ないないづくし」だから、いつか必ず、私は貧乏になる。長生きすればするほど、貧乏になる。それがわかっているから、今からその貧乏になるための準備をしている。が、それは同時に、やがてやってくる大不況の準備のためでもある。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(543)

●霊の存在

 霊は存在するか、それともしないか。

 この議論は、議論すること自体、無意味。「存在する」と主張する人は、「見た」とか、「感じた」とか言う。これに対して、「存在しない」と主張する人は、「存在しないこと自体」を証明しなければならない。数学の問題でも、「解く」のは簡単だ。しかしその問題が「解けないことを証明する」のは、至難のワザである。

 ただ若い人たちの中には、霊の存在を信じている人は多い。非公式の調査でも、約七〇~八〇%の人が、霊の存在を信じているという(テレビ報道など)。「信ずる」といっても、度合いがあるから、一概には論ずることはできない。

で、それはそれとして、子どもの世界でも、占いやまじないにこっている子ども(小中学生)はいくらでもいる。またこの出版不況の中でも、そういった類(たぐい)の本だけは不況知らず。たとえば携帯電話の運勢占いには、毎日一〇〇万件ものアクセスがあるという(二〇〇一年秋)。

 私は「霊は存在しない」と思っているが、冒頭に書いたように、それを証明することはできない。だから「存在しない」とは断言できない。しかしこういうことは言える。

私は生きている間は、「存在しない」という前提で生きる。「存在する」ということになると、ものの考え方を一八〇度変えなければならない。これは少しおかしなたとえかもしれないが、宝くじのようなものだ。宝くじを買っても、「当たる」という前提で、買い物をする人はいない。「当たるかもしれない」と思っても、「当たらない」という前提で生活をする。もちろん当たれば、もうけもの。そのときはそのときで考えればよい。

 同じように、私は一応霊は存在しないという前提で、生きる。見たことも、感じたこともないのだから、これはしかたない。で、死んでみて、そこに霊の世界があったとしたら、それこそもうけもの。それから霊の存在を信じても遅くはない。何と言っても、霊の世界は無限(?) 時間的にも、空間的にも、無限(?) そういう霊の世界からみれば、現世(今の世界)は、とるに足りない小さなもの(?) 

 私たちは今、とりあえずこの世界で生きている。だからこの世界を、まず大切にしたい。神様や仏様にしても、本当にいるかいないかはわからないが、「いない」という前提で生きる。ただ言えることは、野に咲く花や、木々の間を飛ぶ鳥たちのように、懸命に生きるということ。人間として懸命に生きる。そういう生き方をまちがっていると言うのなら、それを言う神様や仏様のほうこそ、まちがっている。

 ……というのは少し言いすぎだが、仮に私に霊力があっても、そういう力には頼らない。頼りたくない。私は私。どこまでいっても、私は私。

 今、世界的に「心霊ブーム」だという。それでこの文を書いてみた。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(544)

●宗教について(1)
 
 小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーのおもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、私にはそれしか思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできごとがあった。

ある英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中にある、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。そのとき以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を必要としている人がいる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの願い事をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。

 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のような人間に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジが当たりますように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキだ。


一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の運勢占いコーナーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。どうせその程度の人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても一日一〇〇万件とは!

 あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。今からたった二五年前には、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、よっぽどこちらのほうが奇跡だ。その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 

人間の理性というのは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれたが、こんな子ども(小五男児)がいた。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞くと、こう言った。「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすことができる!」と。

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