最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

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2010-10-31 11:44:38 | 日記

●2005年12月

 今週は午後フライト。乗るはずだったJA4215が突然スタンバイに。原因は一本のボールペン。午前にこの機体で訓練していた学生が、ボールペンを機内に落として紛失した。そのペンが見つかるまで、僕たちはこの機体を使うことはできない。JAMCO(整備)さんがいくら探しても見つからないので、結局飛行機の床を剥がすことに。最終的に見つかったのかどうかはさだかではないが、とりあえず4216が空いていたので、訓練はそっちで行った。

 なぜたかがボールペン一本にここまで執着するのだろうか。それにはちゃんと理由がある。
もしそのボールペンがラダーペダルの隙間にはまり込んでいたらどうなるか。ラダーが利かなくなる。それ以外にも、思わぬところに入り込んで安全運航に支障をきたしかねない。ボールペン一本くらいいいや、という甘えが、命取りになりかねないのだ。ちなみに、何かがはまりこんでラダーが利かなくなった事件は、実際航大の訓練機で過去に起こっている。

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●2006年2月

 Y教官が班会を開いてくれた。Y教官は帯広分校の中で、1,2を争う厳しい教官だ。でもその厳しさの裏側には、愛がある。当たり前のことかもしれないが、そのことを強く再確認できた、すばらしい班会であった。

Y教官は防衛庁出身で、当時の訓練の話などをたくさん聞くことができた。教官の時代から航空界は大きく変わってきたが、その中でも変わらないものを教官の中に見つけることができた。パイロットの世界を言葉で表現するにはまだ経験が浅く難しいが、独特の世界感が確かに存在する。職人の世界であり、それでいてチームワークの世界でもあり・・・。教官は3人の娘さんがいるが息子さんはいない。だから僕たちのことを息子のようだ、と言ってくれた。僕もこのパイロットの世界の一員なんだなぁと実感し、嬉しくなった。

 町のK居酒屋はパイロットがよく集まるお店だ。航大の教官もよく訪れると言う。実はこの店の主人も飛行機好きで、仕事の傍ら、近くの飛行場で免許のいらないウルトラライトプレーンという種類の飛行機を飛ばしているんだそうだ。Y教官もよく乗りに行って、その主人に「フレアが足りない」などと指導されてしまうんだそうだ(Y教官の飛行時間は1万時間を超えている)。

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●2006年2月

 空を飛ばない人にとって、飛行機は「ただの騒音」以外何物でもない。周辺の人が一人も不満を持っていない空港なんて、世の中にはない。飛行機が大好きな僕たちでさえ、ときどき五月蝿く感じることがあるのだから、地上で静かな生活を送りたいと思っている人たちにとっては、大変な被害となっているに違いない。ハエのように、手で払いのけたり、殺虫剤を使うわけにもいかない。ストレスも溜まるだろう。

 地上の人が知っているかどうか知らないが(気づかれないようにする配慮なので、知らないはずか)、僕たちはできるだけ地上の人に迷惑がかからないような飛び方に心がけている。プロペラ機は回転数を落とすと音が静かになるので、対地1500ft以下ではプロップをしぼる。その分、当然出力は落ちる。また、低空飛行訓練は人家のほとんどないエリアを選んで、そこから出ないようにしながら行っているし、もっとも、町の上は飛ばないようにしている。十勝管内には既に騒音注意地域が数箇所あり、その上空は通過しないようにしている。機長は、乗っている人のことだけを考えればいいというわけではないのだ。

 それでも、苦情は届けられる。航法を行うためのスタート地点によく指定される町があって、そこの上空でぶんぶん発動(スタート)しまくっていたら、付近の牧場から牛に悪影響が出たと苦情が入った。急遽、その町上空の低高度通過などが禁止された。

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●2006年4月

 何にもない帯広にいた頃のほうが、毎週末何か見つけて出かけていたような気がする。帯広に比べたら何でもあるこっち(宮崎)では、金曜の夜はそれなりにでかけるものの、土日は部屋でだらだらして、夕方くらいに後悔が始まって、焦ってイオンに行ったりする。何かないかなぁ。暇・・・。

 宮崎はほんと天気が悪くって、先週は5日間あるうちの1日しか飛べなかった。海に近いせいか、風の強い日が多い。おとといは45kt(時速83km以上)の風が吹き荒れていた。風に向かって対気速度一定で飛んでいくと、対地速度は風の分だけ遅くなる(飛行機は対気速度が重要)。だから、風の強い日のライン機の離陸はおもしろい。でっかい鉄の塊が、びっくりするくらいゆっくりゆっくり上昇していく。

 飛行機の操縦を何かにたとえるとすると、何になるのだろうか。車で高速道路を一定の速さで走りながら、誰かと重要な話を電話でしつつ、クロスワードパズルを順番に解いていくようなものだろうか。僕たちが上空でしていることを列挙していくと、まず諸元の維持(スピード、高度、進路、姿勢を変わらないように止めておくこと;上昇や降下、増速・減速のときは別)、ATC(管制機関との交信)、機位(現在地)の確認、見張り・周りの状況把握(他の飛行機はどこを
飛んでいるのかとか、空港は今どんな状況なのかとか)、運航(経済性、効率性、安全性、快適性、定時性)、乗客への配慮、あとは教官に怒られること、など。もちろん、これらを同時にこなすことなんて不可能だから、優先順位をつけて、一つずつ消化していく。何か、パズルみたいでしょ。

 こんなことを考えている間に、外はもう日が傾き始めてる。やばい、イオンにでも行かなくちゃ!写真はFTD(シミュレーター:通称ゲーセン)。前方のスクリーンに景色が映し出され、様々な状況(エンジンが止まったとか、ギアが出ないとか)を模擬的に作り出して体験することができる。

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●2006年7月

 6月が終わる。今月の飛行回数、わずか5回。時間にすると6時間ジャスト。梅雨だけのせいではない。

 6月最後の今日の天気は曇り。梅雨前線は北上し、九州の北半分は朝から絶望的。午後には南側にも前線の影響が出始めるという予報だったが、今日は何が何でも飛ぶ!とSぺーと固く誓い合い、種子島へのログ(飛行計画)を組む。午前10時。

 午前11時30分。ブリーフィングの準備開始。種子島空港に電話して、スポット(駐機場)の予約を入れる。何でも、自衛隊が14時20分までスポットを占有しているらしく、それ以降でないと駐機できないとのこと。しかたなく14時40分からスポットを予約。出発を遅らせるしかない。こっちが到着するころに、自衛隊機が一斉に飛び立っていくのが見られるかもしれない。

 正午過ぎ、整備のJAMCOさんがシップの尾翼のあたりを脚立を使ってなにやら調べているのが気になる。ブリーフィングの準備は整い、教官が来るまでのわずかな間に、もう一度イメージトレーニング。ランウェイは09。高度は8500ft。あの雲を超えられるかな・・・観天望気のため外に出て、空を見上げる。行けそうだ。行こう。飛ぼう。

 午後12時半、帯広で尾翼のVORアンテナが脱落したという報告が入る。宮崎のシップもチェックしてみたら、アンテナにひびが入っていたものが3機ほど見つかる。他のシップにもチェックが入るため、僕らのシップは試験を目前に控えた先輩に回されてしまう。

 完璧に準備されたブリーフィング卓の前で呆然とする3人。教官が入ってきて、「何かシップないみたいよ~」と。拍子抜け。5~6分、立ちブリーフィング。あまり飛びたくないときに飛ばされて、ほんとうに飛びたいときに飛べない。その気持ちの切り替えが、パイロットに課せられた課題の一つなのだ。こういうこともある・・・。

 先週は別の故障でシップが2~3機足りず、キャンセルになっていたこともあった。シリンダーにクラックが見つかったとか、バードストライク(鳥と衝突)したとか。どうなるんだろう、この学校・・・。でも、もうすぐ死ぬほど飛べる日々がやって来るんだろな。地上気温、30度。8500ft上空、気温13度。とりあえずプール行こう。

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●2006年9月

前段。それは飛行機を、最初に空へ上げる人。誰よりも早く飛行機に乗り込む人。

 透き通った青い空のもとに置かれたピカピカの飛行機へ足早に向かう。目に映るのはボナンザと、その向こうに広がる誘導路と滑走路、そしてそこを疾走してゆく大型旅客機だけ。心地よい向かい風を肩で感じながら、次第に時間がゆっくりになっていくのを確かめる。一瞬一瞬が輝き始める。集中力が僕に呼びかける。そうだ、今日も飛ぶんだよ、と。

 どこから見ても本当に美しい機体。その表面を撫でて何かを確かめる。包み込まれるように優しく乗り込んで操縦桿を握ると、僕が飛行機の一部なのか、飛行機が僕の一部なのかわからなくなる。そこから見える景色は、いつもと同じ景色でもあり、まったく違う景色でもある。これは現実なのか、夢なのか。考えている間に手がひとりでに動き出す。流れるようなプロシージャー。それはまさに音楽。飛行機が生まれ変わってゆく。

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●2006年9月

C'Kの1週間くらい前から、左目の目じりがずっと痙攣している。C'Kが終わった今でも、それは続いていて、秋雨前線の雲に覆われたこのところの空のように、気分はどうもすっきりしない。

 C'K当日の朝も、空ははっきりしない雲に覆われていた。C'Kを実施するにはあまり好ましくない天気だが、とにかくこの日にC'Kを終わらせたかったので、最後の最後まで悩んだ挙句、行く決断をした。試験官との相性というものがあって、自分はI教官にぜひ見てもらいたかった。この日以降、I教官は休みに入ってしまう予定だった。

 出題されたコースは、南回りで鹿児島。鹿児島は苦手意識が強く、できれば行きたくなかった空港だ。C'Kの神様は本当によく見ている。大島、枕崎、鹿児島city、鹿児島空港、坊ノ岬、都井岬、白浜。

 上がってみると、案の定コース上は雲だらけ。計画をどんどん変更し、上がっては下がり、右に避けては左に戻り、視程の悪い中、必死に目標を探す。岬だの、駅だの、石油コンビナートだの。鹿屋空港上空を通過後、エンジンフェイル(シミュレート)。『鹿屋空港に緊急着陸します!』でケースクローズ(課題終了)。枕崎変針後、雲は一段と低く、多くなってきて、鹿児島cityまでに2000ft、スパイラルで降下(螺旋降下)。鹿児島離陸後は雲の袋小路に入り込み、管制圏すれすれを迷走。帰りの鹿屋上空で大雨。もうめちゃくちゃだった。泣きそうだった。何度ももう止めたいと思った。

 でも、頑張った。

 天気の悪い日は出来る限り飛ばないほうがいい。でも、得るものが多いのも、自信がつくのも、天気の悪い日だ。最後のVFRナビゲーションで今までで1、2を争う天気の悪さの中を飛んで、無事合格して、大きな大きな自信が身についた気がする。できればもう一度、飛びたいと思った。

 学歴は高卒、これといった資格のなかった僕が、事業用操縦士になった。つまり、飛行機を操縦することによりお金を稼ぐことができるようになったということだ。総飛行時間145時間、総着陸回数324回。短いようで、長い長い1年間だった。

 今の僕は、JISマーク付きのイスみたいなものだ。一定の安全基準を上回っただけの操縦
士。ちょっと行儀の悪い子供が座ったり、ゴツゴツしたところに設置されたりすると、ボキっといってしまう、まだひ弱なイスだ。『ミニマムのプロ』。I教官の講評。そう。ここが、新しいスタートだ。

 協力してくれた同期のみんな、応援してくれたみんな、どうもありがとう。Finalも頑張ります。

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●2006年11月

 仙台課程では、取得しなければならない資格が2つあり、それに加えエアラインへの就職活動も並行して行われる。これが、仙台課程が大変だといわれる所以である。

 航大生だからといって、卒業後、自動的に各エアラインに就職できるわけではない。航大のためだけの特別なスケジュールは確保されるものの、他の一般就活者と同じように、まず4社に履歴書を送り、会社説明会に参加し、SPIや心理適性検査、そして身体検査を受け、一般面接、役員面接を経て、ようやく内定という手はずを踏まなくてはいけないのだ。第一志望の会社に受かる者もいれば、当然、どの会社にも縁をいただけない者もいる。後者は、卒業後、他の航空会社に独自にアプローチをかけていかねばならない。

 つい先日、僕らの一つ上の先輩の一次内定者の発表があった。いくらパイロットの大量退職という追い風があったとしても、やはりまだまだ思うようにいかないのが現実であるようだ。それにしても、エアラインがいったいどういう人材を欲しているのか、いまいち掴みにくいのが僕らの悩みどころである。

 航大の場合、最終内定前に就職がうまくいっていることを確認できる段階が、3つほどある。

 就職活動はまず履歴書を書くことから始まる。その後身体検査と面接が行われ、しばらくすると何人かに再検査の通知が来る。身体検査にはお金がかかるので、再検査が来るということは、面接では合格したものと見込んでいいのだそうだ。

もちろん、身体にまったく異常がなければ、来ない場合あるが。とにかく、これが第一段階。第二段階は、オブザーブだ。オブザーブというのは、会社が学生を何人か指名し、その学生のフライトを、その会社の機長が後席から観察するというもの。当然、会社が見たいと思う学生はほしいと思っている学生なので、オブザーブが来るということは期待していい証拠なのだそうだ。しかし、これはかなり緊張するらしい。

 第三段階は一次発表。これはほぼ内定と見込んでもいいらしい。その後大手2社以外の身体検査、及び役員面接を経て、最終内定の発表となる。

 先輩を見ていて、少しずつ希望が輝いていく人と、翳っていく人がいる。その表情の違いに、果たして3ヵ月後、自分はこのプレッシャーに耐えられるだろうかという緊張感を覚える。夢が現実になる瞬間が近づいている。

 僕らはというと、既に履歴書は提出済み。来週はいよいよ、一週間かけての会社訪問&身体検査に臨む。大鳥居のホテルに8連泊。航大至上初の、一人部屋である。身体検査に向け、各自様々な取り組みをしているようだが、僕も仙台に来て約2ヶ月間、ずっと運動を続け、結果減量に成功した。目標まで、あと少し!

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●2007年1月

 再検査、と聞くと、何だかあまりいい印象を受けないと思うが、ここ航大の就職活動においては、比較的縁起のいいものとして扱われている。なぜなら、見込みのない学生に、お金のかかる再検査をわざわざやらないだろう、というのが定説だからだ。身体検査→面接→再検査という順番を考えれば、再検査が来たということは、少なくとも面接ではOKだったんだなと思っても、大きな間違いではないだろう。

もちろん、身体検査が一発で受かっていれば、そもそも再検査など来ないのだけれども。幸い、と言うべきか、僕はJ社、A社の両方から再検査の通知が来た。

 J社では心エコー検査というものを受けた。心臓にエコー(音波)を照射して、反射してきたものを映像化する装置で、いろんな角度からぐりぐり見られた。自分の心臓を見たのは生まれて初めてだったので、興味津々で画面を見つめていた。どこかで勉強した通り、心室や心房、またその間の弁まではっきり見えて、僕も同じ人間なんだなぁと当たり前のことをしみじみ感じていた。

しばらく無言で作業を続けるドクター。心配したが、最後に『うん、いい心臓だ』と言ってくれたので安心した。『まぁ大丈夫でしょう』と。って、そんなこと言っていいんですか先生。身体検査は通常、結果は本人に知らされない決まりになっている。

 それ以外にも、J社では検尿、A社では腹部エコーと採血の検査があり、これらについては結果は知らされなかったので、どうなっているか不安だ。でも今は、そんなことを心配するよりもフライトに集中しなくては。2日間で両社回ったのだが、滞在時間はそれぞれ15分くらい。それ以外はほぼホテルでくねくねしていただけなので、ゆっくり休むことができた。今週末も金曜・土曜と連続ALL DAY。頑張るぞ!

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興味のある方は、どうか、息子のBLOGをつづけて読んでください。

http://xxxxx

です。

では、よろしくお願いします。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●航空大学校

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日本には、ひとつだけだが、国立の航空大学校が
ある。今は、独立行政法人になっているが……。

テレビのトレンディドラマの影響もあって、
入試倍率は、毎年、60倍前後。

これに合格すると、2年間の合宿生活を通して、
パイロットとしての訓練を受ける。衣食住を
ともにするわけである。

が、訓練のきびしさは、ふつうではない。

そのつど技能試験、ペーパーテストがあって、
それに不合格になると、そのまま退学。留年と
いうのはない。

パイロットといっても、単発機の免許、
双発機の免許、計器飛行の免許、事業用の
免許などなどほか、飛行機ごとに免許の種類が
ちがう。

ライン機ともなると、飛行機ごとに免許の
種類がちがう。もっとも、JALやANAの
ようなライン機のパイロットになれるのは、
その中でも、10~15人に、1人とか。

健康診断でも、脳みその奥の奥まで、徹底的に
チェックされる。

で、あるとき「きびしい大学だな」と私が
言うと、息子は、こう言って笑った。

「燃料費だけでも、30分あたり、
5万円もかかるから、しかたないよ」と。
10時間も飛べば、それだけで100万円!
 
チェック試験に合格できず、退学になった
仲間もいたそうだ。ほんの少し、飛行機の
中でふざけただけで、それで退学になった仲間も
いたそうだ。

無数のドラマを残して、息子が、もうすぐ
その大学を卒業する。今は、就職試験のときだ
そうだが、どうなることやら?

結果はともあれ、息子よ、よくがんばった。
空が好きで好きで、たまらないらしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 沖縄旅行記 息子の初フライト 黄色い旗 はやし浩司 黄色い旗 浜松上空 はやし浩司 2010-10ー31)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司





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