最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●サンヒルズ三河湾にてbyはやし浩司&晃子

2012-02-02 22:33:56 | 日記
【サンヒルズ三河湾に一泊】(はやし浩司 2012-02-01)

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http://youtu.be/ogBqrcLcVt8

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今日は、サンヒルズ三河湾に一泊。
今まで、数々の旅館やホテルに泊まってきた。
どこかに講演に招かれるたびに、その土地の旅館やホテルに泊まってきた。
私たちの趣味にもなっている。

が、その中でも、最高。
最高級旅館。
特別室。
202号室。
室内に露天風呂があり、三河湾を眼下に、右手には三谷町が一望できる。

沖縄では、ロワジールホテルに泊まった。
そのホテルが、今までに泊まった中では、最高と思っていた。
が、そのホテルを超えた。
(ロワジールホテルは、超近代的なホテル。
ここ、サンヒルズ三河湾は、設備などは、ロワジールホテルよりは、やや古いという感じ。)

ワイフは、何度も、「すごいわね」と、ため息を漏らした。
本当にすごい。
私の言葉を疑う人は、一度、宿泊してみたらよい。

場所は、三谷温泉・サンヒルズ三河湾。
とにかく、本気度、120%。
「ここまでやるか!」と思わせるようなホテル。
トイレのトイレットペーパーを覆う金属板まで、ピカピカに磨かれていた。

今度、オーストラリアの友人の娘さんが、結婚する。
ハネムーンに、日本へ来るという。
宿泊先として、私は、このホテルを推薦する。
とにかく、すばらしい!
お世辞抜きに、すばらしい!

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●本気度

 部屋は入る前から、暖房されていた。
風呂(露天風呂)も、適温に調整されていた。
一事が万事。

 先ほど、地下一階の大浴場をのぞいてみた。
場違いなほど、大きく、すばらしかった。
満足を通り越して、大感激。
こうした接客業は、本気度で決まる。
その本気度を肌で感じたとき、客は満足する。

●雪景色

 先ほどからワイフが、窓ガラスの前に立ち、眼下の三河湾を見下ろしている。
外はすっかり冬景色。
近くの大木が、風で大きく揺れている。
それを見ながら、「あら、雪が降ってきたわ」と。

 声につられ、私も、外を見た。
細かい雪が、風にのって、フワフワと横に流れていた。

●三谷町

 三谷町に入る手前で、ワイフとこんな会話をした。
「いろいろあったね」と、私。
「そうね」と、ワイフ。

私「ぼくはね、とにかくピンコロで逝(い)きたい」
ワ「私も、病気になってから、長生きしたくないわ」
私「そうだな。ぼくは限界の、そのまた限界まで働き、その翌朝、コロリと死にたい。仕事中でもいい」
ワ「私も、そうだわ」と。

 そんな会話をしていると、ふと、目頭が熱くなった。

●模擬死体験

 「臨死体験」という言葉がある。
その臨死体験とは、ちがう。
「死」そのものを、模擬的に体験する。
「ああ、このまま死ぬのか」と。

 私もここ数年で、2回、それを経験した。
そのときのこと。
どのばあいも、私は、いつも穏やかで、安らいだ気分になった。
あれほど死を恐れていたはずなのに、その場になると、そうでない。
恐怖心はまったく、ない。
静かだった。
本当に静かだった。
一度は、こう思った。
「やっと死ねる」と。

 だから今はもう、死ぬことは怖くない。
今すぐ……とは考えていないが、そのときになったら、素直にそれを受け入れる。
その自信は、できた。

私は、ラッキーだった。
この年齢になるまで、無事、仕事ができた。
大きな病気も経験しなかった。
病院のベッドで寝たことは、一度もない。
お金に困ったこともない。
それだけでも、感謝。
感謝、感謝、感謝。

 たいしたことはできなかったが、今は、毎日が楽しい。
朝起きたときから、やりたいことが、どっと襲ってくる。
それができる。
思う存分、できる。
それを「幸福」と言わず、何と言う。
これ以上のぜいたくが、あるだろうか。

●バカ話

 こういうことを書いていると、誤解する人もいるかもしれない。

 基本的には、ワイフは、人前では別人のように静か。
しかし私とは、その別人とは別人のように、よくしゃべる。
うるさいほど、よくしゃべる。
内容は、いつも、バカ話。
いつも深刻な話をしているわけではない。
卑猥(ひわい)な話も多い。

話は前後するが、車の中で、こんな会話もした。

ワ「男は、『沈没』※というでしょ。じゃあ、女性は、何と言えばいいの?」
私「『閉幕』というのは、どうか?」
ワ「そんなもの、とっくの昔にないわよ」
私「……そうだなあ……。『落盤』というのは、どうかな? 
トンネルが、落石か何かで、詰まったとか……」
ワ「詰まることはないわよ」
私「そうだなあ……。じゃあ、やっぱり枯れススキ。枯れススキがいい」
ワ「……枯れススキ……ねえ……」と。

 ワイフの会話の特徴は、突然、いつも横ヤリが入ること。
真剣に(?)その話をしていると、突然、話題を変える。
「あら、あんなところに、ポリタンクがある!」と。

 昔、2人で、山荘を造成しているとき、そのポリタンクを探した。
が、探しているときというのは、どこにあるかわからない。
手に入れるのに、苦労した。
あちこちを探しまくった。
ワイフはそれを思い出したらしい。

私「探しているときは、なかなか見つからないのにね」
ワ「あんなところで売っているなんて……」と。

 豊橋へ入る国道1号線沿いの店で、そのポリタンクが、山のようにして売られていた。

(注※……男として、役に立たなくなることを、「チン没」という。

●三河湾

 鉛色の三河湾。
両側から半島が、左寄りに突き出ている。
薄い紺色。
それが幾重にも重なり、無数の横筋を作っている。
美しい。
気が遠くなるほど、美しい。
詩人なら、もう少しまともな表現ができるだろう。
が、私はただ一言。

 美しい!

●眼下の建物

 ワイフが眼下の建物を見ながら、こう言った。
「魚市場かなア?」と。
私は、ボートレース場ではないかと思っている。
駐車場のような幅の広い建物が見える。
その向こうは、観客席のようにも見える。
この蒲郡(がまごおり)市には、ボートレース場がある。

 何だろう?
その右手には、先にも書いた三谷町の街並みが見える。
ひとつ、ひとつ、またひとつ。
小さな明かりが灯り始めた。

 ホテルの案内には、こうあった。
「露天風呂からは、三谷町の夜景が一望できます」(記憶)と。
夜を待たなくても、その夜景が目に浮かぶ。

(注:眼下の明かりは、スーパーとパチンコ店、その向こうは、漁港だそうだ。
フロントの女性が、そう教えてくれた。)

●支えあう

 人はそれぞれ、たがいに支えあって生きている。
それを強く感じたのは、中日ショッパーという、宣伝紙で、だった。
今から、5、6年前のこと。
一度、広告を出したのがきっかけだった。
以後、ときどき無料で、私の教室を紹介してくれるようになった。

 お金の計算にはうるさい私だが、こと原稿に関しては、無私無欲。
損得を考えず、自分の原稿をすべて無料で、公開している。
それを編集部のT氏が応援してくれた。
うれしかった。

 個人の幼児教室は、すべて姿を消した。
(もう1か所、北部のK区にあると、聞いている。)
25年前には、10教室程度あった学習塾も、すべて閉鎖に追い込まれた。
そんな中で、おかげで……というか、中で、私の教室だけが、今も生き残っている。
ワイフは、「ふんばったおかげよ」と言うが、それだけにきびしい仕事だった。
中に、無神経な人がいて、こう言う。
「はやしさん(=私)は、自由でいいですね」と。

 そういうとき、私はいつもフンと鼻で笑って、こう思う。
「そう思うなら、自分でやってみれば」と。

 が、この4月からのことはわからない。
わからないが、少しずつ、動き出した。
基本的には、口コミ。
OBや現役の親たちが、案内書を配ってくれる。
生徒を呼んできてくれる。

 事実、今、来ている生徒の、6~7割が、OBの子どもたち。
9割以上の生徒は、口コミで入ってくる。

●2度目の入浴

 たった今、2度目の入浴をすまし、部屋に戻った。
大浴場。
そこも貸し切り状態だった。
入ったとき、男性が1人いたが、すぐ出て行った。

 部屋に戻ると、そこはすっかり夜景色。
無数のライトが、キラキラと宝石のように輝いていた。

●不吉な想像

 このところ悪い癖ができてしまった。
こうした海岸沿いの町を見るたびに、こう思う。
「だいじょうぶだろうか?」と。

 3・11大震災のときは、沿岸の町々が、大きな被害を受けた。
が、今度は、東南海大地震が予想される。
3・11大震災並みの津波が、襲ってくる可能性もあるという。
もしそうなら、この三谷町の町も、ひとたまりもないはず。
と、同時に、こうも考える。

 こんな町々が、東北地方にもあったのだなあ、と。
そういう町々が、津波に飲み込まれ、あとかたもなく、消えてしまった。
この非現実感。
どう心の中で、処理したらよいのか。

 そう言えば、この町も、あまり元気がない?

●シャッター通り

 私の実家は、シャッター通りにあった。
近所の商店は、つぎつぎと店をたたんだ。
私の実家にしても、1日に、1~2人、客があるかないかという状態になった。
そういう状態が、10年とか、20年もつづいた。

 晩年の実兄は、それを不安に思ったらしい。
数日ごとに電話をかけてきて、こう言った。

「お客さんが、ござらん(来ない)……」と。

 その言い方、声が、今でも、私の耳に焼きついている。
だから……。
つまりその民宿に泊まったとき、私はそのままそこに実兄と母を思い浮かべた。
実兄も、母も、同じような状況で、もがいた。

●実兄

 実兄は、私より9歳、年上だった。
が、私が30歳のころには、上下が逆転していた。
実兄が、私の弟のような存在になった。

 一方、実兄は、何かにつけ、私に甘えてきた。
「冷蔵庫が、故障して困っている(だから、新しいのを買ってほしい)」
「ステレオが壊れた(だから、新しいのを買ってほしい)」と。
私は、そのつど、実兄に、いろいろなものを買い与えた。

 実兄は、子どものころから、体が弱かった。
ちょうど戦時中に生まれた。
そのころの人は、みな、栄養失調だったという。
実兄も、その1人だった。

●口癖

 今日、食事のとき、ワイフとその話になった。
「もっとJちゃん(兄)に、いろいろしてやればよかった」と。

 兄が入院したときは、私は100万円を、届けた。
すべて1000円札にして、届けた。
「お金を見れば、元気になるだろう」と。

 ほかにも、いろいろある。
しかし私は、そうしたくて、したわけではない。
いつも追い込まれて、そうした。
それが私には、苦痛だった。
が、兄は兄。
いつも母は、口癖のように、私にこう言った。

「お前が大学へ行けたのは、Jちゃんのおかげだ」と。

 私はその言葉が、嫌いだった。
恩着せがましかった。
その言い方が、嫌いだった。
そのたびに、母と大喧嘩になったのを、覚えている。

●「何とかしてほしい」

 が、今、……つまり実兄が他界して4年になるが、その実兄が懐かしくてならない。
会いたい。
会って、思いっきり、抱きしめてやりたい。
手元にある小遣いを、すべて渡してやりたい。

 実兄は、死ぬ1、2年前まで、私に会うと、顔を見ただけで涙をポロポロとこぼした。
つらそうな涙だった。
「何とか、してほしい」と。

●兄のちょっかい

 歯がゆかった。
が、私は、卑怯にも、実兄から逃げた。
理由がなかったわけではない。
実兄は、私のワイフに、何かとちょっかいを出してきた。
私の目を盗んで、ワイフに抱きついたこともある。

 私は実兄を強く叱った。
が、晩年の実兄は、そういう道理すら理解できるような状態ではなかった。
私はともかくも、ワイフのことを考えると、いっしょに住むわけにはいかなかった。

 が、方法がなかったわけではない。
別棟の家は、すでに当時、あった。
そこへ住まわせることも、不可能ではなかった。
が、私はワイフへのちょっかいを、誇大に問題にし、それから逃げた。
今、それが私の心を重く、塞ぐ。

●慰め

 ワイフは、こう言って、私を慰めてくれた。
「あなたはじゅうぶん、したわよ」と。

 じゅうぶん?

 私にはその実感は、ない。
結婚前から、収入の半分は、実家へ送った。
が、送ったのは、お金だけ。
心は、送らなかった。
「お金さえ送っておけば、実兄や母や、それで喜ぶはず」と。

こんなたとえは、よくないかもしれない。
しかしこんなたとえのほうが、当時の私の気持ちを正確に表している。

当時の私は、冷酷な飼い主のようなもの。
餌だけを与え、それで満足していた。
まるで、厄介な犬や猫に、餌を与えるように……。

●実家を売る

 母のちょうど一周忌に、実家を売った。
捨て値のような値段で、売った。
私は、早く、実家から解放されたかった。
それでそうした。

 が、その当日の夜だったか、翌日の朝だったか?
私は実兄の夢を見た。
 
 私と実兄は、実家の前の坂を、下からあがってくるところだった。
実兄は、私の腕に手を回していた。
そして実家の前まで来た。
そのときのこと。
私が「やっとこの家から解放されたね※」と言うと、実兄は子どものように顔をすくめた。
すくめて笑った。

(注※……この部分は、言葉ではなかったように記憶している。
私がそう思っただけかもしれない。)
 
●午後10時30分

 一度、ベッドに入ったが、寝損ねてしまった。
エアコンの風が、気になった。
で、起きた。
時刻は、午後10時33分。

 少し前まで、今日書いた原稿を読みなおしていた。
読みなおしながら、「ここまで書いていいのかなあ」と思った。
私小説もよいところ。
が、同時に、こうも思う。
「はやし浩司」、ここにあり、と。

 やがて私も、灰となり、宙に舞う。
そのとき残るのは、こうして書いている文章だけ。
読者を意識することは、もうない。
ワイフですら、このところ、私の原稿を読まなくなった。
「飽きたのか?」と聞くと、「いつもまとめて読んでいるから」と。

ネットの世界は、そういう点では、不思議な世界だ。
相手の顔が、まったく見えない。
こうして書いていても、あたかも無の世界に向かって書いているような錯覚にとらわれる。
「書いている」というよりは、「叫んでいる」。
が、その声は、そのままどこかへ消えてしまう。

 だから、こうした文章を読み、こう思う人もいるかもしれない。
「はやし(=私)って、バカだなあ」、
「ここまで私生活を暴露することはないのに」と。

が、そう思いたければ思えばよい。
私自身も、すでに「私」を超えている。
1人の人間として、書いている。
「これも1人の人間」と。

●同窓会

 今夜は、名古屋で同窓会があった。
が、ドタキャンさせてもらった。
そしてこのホテルへ、やってきた。
講演会で知りあった、KUさんが、招待状をくれた。
「いつでもいいですから、使ってください」と。
で、急きょ、それを使わせてもらうことにした。
幸い、すぐ部屋が取れた。

 私はもともと、混雑したところが苦手。
回避性障害?
対人恐怖症?
……というより、私は若いころから、集団行動よりは、単独行動を好んだ。
人に、あれこれ指図されるのが、嫌いだった。

 が、それ以上に、今、名古屋は、インフルエンザの猛威にさらされている。
今週から、重要な講演がつづく。
健康には注意しなければならない。

●ワイフ

 静かな夜だ。
ワイフは、先ほどすでに寝息をたてていた。
すっかりバーさん顔になった。
そういう顔を見ると、申し訳なく思う。
私がワイフを、バーさんにしてしまった。
罪の意識を覚えることもある。

 がんこ。
超がんこ。
一度、自分の意見を述べたら、とことんそれにしがみつく。
若いときから、そうだった。
あだ名は、「石部金子」。
石部金吉をもじった。
私が、名づけた。
まじめ。
クソまじめ。
融通がきかない。
冗談が通じない。

だからよく喧嘩した。
衝突した。
が、今は、そんなワイフも、いとおしい。

●惜しい

 明日は午後イチバンから仕事。
「早く寝なければ……」と思う。
同時に、今の、この時間が、惜しい。
いつまでも、こうしてパソコンのキーボードを叩いていたい。

今夜あたり、何か新しいことを発見できるかもしれない。
宝探しのような感じ。
「徳川の埋蔵金探し」?
そこに何かあるかもしれないという期待感が、私をぐんぐんと引っ張っていく。

だから、自分にこう言って聞かせる。
「人間、1日や2日、寝なくても、どうということはないのです」と。

 ホテルのフロントの横で買った、せんべいをパクパクと食べる。
このあたりは、せんべいの産地。
「産地」というのもおかしいが、名物になっている。
ここへ来るとき、パーキングエリアで、休息した。
このあたりでは、どのパーキングエリアでも、そのせんべいを売っている。

 ああ、この満足感。
充実感。
これがあるから、書くのをやめられない。

●死骸

 今、海老せんべいを食べたところ。
ひからびた海老が、化石のように張りついていた。
人間も、残酷な生き物。
生き物の死骸を、平気で食べている。
骨と皮だけになった死骸を、平気で食べている。

●就寝

 あくびが連続して、出てきた。
就寝タイム。
……しかしどうして私は、こうまで貧乏性なのか。
精神医学的には、強迫観念症という(?)。
いつも何かに追い立てられている。
何かをしていないと、気がすまない。

 が、それが苦痛というのではない。
むしろ何もしないでいると、頭の中が爆発しそうになる。
だから吐き出す。
パソコンに向かって、文章を叩きだす。
今も、そうだ。
頭の中がモヤモヤしている。

●宇宙船

 やはり眠ることにする。
で、私の就眠儀式。
床に入ると、いつも巨大な宇宙船を、想像する。
直径が20~30キロは、ある。
円形の宇宙船。
毎晩、少しずつ、その宇宙船の各部を設計する。
それを考えていると、いつの間にか眠ってしまう。

今夜は、研究室を設計してみよう。
世界からやってきた科学者たちが、さまざまな研究をする。
そんな研究室。
つまり頭の中で、眠る前に、場所を決め、それを設計する。
それが私の就眠儀式。

 この1~2年、眠るときは、いつもそうしている。
「羊が1匹、羊が2匹……」と数える人もいるそうだ。
が、私には効果がない。
かえって頭が冴(さ)えてしまう。

 では、おやすみなさい。
はやし浩司 2012-02-01夜記

 ほんとうにここは、すばらしいホテルです。
招待してくれた、KUさん、ありがとうございます。

●2月2日(はやし浩司 2012-02-02)

 朝、起きる。
外を見ると、一面、うっすらと雪景色。
三谷町の家々の屋根が、白いペンキを塗ったようになっている。
すぐ下の森も、ところどころ白髪のように白くなっている。
昨夜、テレビのニュースでは、大雪の報道を繰り返していた。
多いところでは、5メートルを超える積雪になったとか。
橋が落ちたところもあるという。

 今度の大雪は、ふつうではない。

 が、その一方で、アメリカでは、暖冬とか。
アメリカに住む息子が、こう書いてきた。
「こちらは、4月上旬の気候です」と。

 窓を少し開け、外の様子をビデオに収める。

●帰り支度

 これから帰り支度。
では、今回の旅日記は、ここまで。
サンヒルズ三河湾、本当にすばらしいホテルでした。

 三河湾国定公園内
三谷町温泉
サンヒルズ三河湾

Sunhills Mikawawan
http://www.sunhills-m.com
Tel: 0533-68-4696
E-mail: miya@sunhills-m.com

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 サンヒルズ三河湾 サンヒルズにて はやし浩司 2012-02-01)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司




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