【映画「メランコリア」】(人体の不思議展)(日本ユニセフ協会への疑問)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
宗教団体にせよ、慈善事業団体にせよ、
人の心を扱う団体は、慎重に行動したらよい。
「真」「善」を売り物にするなら、慎重に行動したらよい。
ひとつまちがえば、詐欺。
詐欺以上の詐欺。
人の心をもてあそぶ詐欺。
困っている人や貧しい人を出汁(だし)に、
自分の利益に結びつける。
自分の名声につなげる。
悪党以上の悪党。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今夜、市内の劇場で、映画『メランコリア』を観てきた。
評論は、あとで書くことにして、今、その近くの米久(よねきゅう)ホテルに泊まっている。
ビジネスホテル。
「寒いから、どこかに泊まって行こうか」とワイフに声をかけると、「うん」と。
それでそのままビジネスホテルへ。
我が家の暖房器具は、貧弱。
「家に帰り、ガタガタ震えるよりは……」ということで、今、米久ホテルに泊まった。
●今日は風邪気味
話は前後するが、今日は、朝から、風邪気味だった。
インフルエンザ?
……でもなさそう。
体温は、36・5度。
私はもともと低い。
調子のよいときは、36度以下。
低体温症?
私のばあい、36・5度でも、「熱がある」ということになる。
朝は、9時過ぎに起きた。
午後からも、昼寝。
1時間の昼寝。
頭痛が消えなかったので、「Z(偏頭痛薬)」を半分割って、のむ。
半時間ほどで、頭痛は消えた。
あわせて感冒薬をのんだ。
そのせいか、腰痛も消えた。
元気になったので、仕事が終わったあと、深夜劇場へ!
●黒いBEN
ここ数日、黒いBENが出る。
ネットで調べると……、ゾーッ!
深刻な病気らしい?
「すぐ病院で検査を受けたほうがいい」と。
どこのサイトにも、そう書いてあった。
「年貢の納め時」と、一時は、覚悟した。
が、原因は、すぐわかった。
チョコレートの食べ過ぎ。
この1週間、毎日、チョコレートばかり食べている。
生徒たちが、くれた。
加えて、養命酒の飲み過ぎ。
が、これはワイフの説。
「養命酒を飲むと、BENが、黒くなるわ」と。
本当かな~ア?
バレンタイン・デーも終わり、先ほど、黒いBENは、黄色BENに。
無事、黄色BENに戻った。
よかった!
●問題児
自分で自分の髪を、手で抜く。
抜いて食べてしまう。
5歳になるが、おむつがはずせない。
家の中では、あたりかまわず、便をもらす。
声をあげて泣くこともない。
母親の前では、一言も反抗しない。
母親が強く叱ると、かんしゃく発作を起こすことはある。
(母親にかみついたこともあるという。)
が、もっとも大きな問題は、家の外に出られないこと。
家の外に出そうとすると、「こわい」と言っておびえる。
家の中にこもり、一日中、ソファの上で、横になっている。
●重症
実は、これは犬の話。
人間の子どもの話ではない。
友人の犬の子どもの話である。
人間の子どもらしく書いたが、犬。
犬の子ども。
そこで家人が、その犬を動物病院へ連れていくと、ドクターはこう言ったという。
「原因は、ストレスです」と。
私はこの話を、ワイフから聞いた。
私「それは、神経症でも、重症だね」
ワ「そうみたい。一日中、家の中で飼われているから」
私「種類は?」
ワ「マルチーズ……かな? プードルのような犬だったわ」
私「犬でも、そうなるなんて……。知らなかった……」と。
●放し飼い
犬は放し飼い。
しつけは、最小限に。
芸など、させても意味はない。
……というのは、オーストラリアの友人の弁。
家の中で、小さな犬を飼っている。
ミニチュア・ダックス?
体長は30センチくらい。
足は短い。
その犬が、私たちに向かって、けたたましく吠えた。
小さな犬だったが、忠誠心は、大型犬並み。
頭もよい。
それが理由で、つまり私たちに向かって吠えたのが理由で、一度、外に追い出された。
以後、私たちに向かっては、吠えなくなった。
小さな犬だったが、ジャンプ力は抜群。
自分の大きさの3~4倍もあるような高さのソファでも、ヒョイと登る。
あとはそこで、そのまま。
つぎの指示をじっと待っている。
●放し飼い
子どもの指導も、これに似ている。
「放し飼い」。
それが原則。
その上で、角を削るようにして、少しずつ、おとなの世界に引き込んでいく。
またそのほうが、子どもは伸びやかな子どもになる。
見知らぬ人を見たら、けたたましく吠える。
そういう子どもになる。
だれを見ても、尻尾を振る。
愛想よくする。
従順でおとなしく、自己主張の弱い子どもがいる。
しかしそういう子どもを、「できのいい子」とは、言わない。
またそういう子どもほど、ストレスをためる。
心をゆがめる。
●人体標本
あのね、あのようなグロテスク※な標本など、子どもには見せてはいけない。
「標本」とは、名ばかり。
グロ!
人間の体をスライスしたような標本。
それを見せ物にし、金儲けにつなげている団体がある。
そうした標本は、研究者や医学者には、それなりの意味をもつかもしれない。
しかし子どもたちには、ちがう。
みながみな、研究者や医学者になるわけではない。
仮にその道を歩みつつあるとしても、見せてはいけない。
心の中に、それを処理する能力ができるまで、見せてはいけない。
が、年齢的な「適齢期」があるわけではない。
私は64歳だが、私は見たくない。
病院の廊下に血がポタポタ落ちているのを見ただけで、気分が悪くなる。
人体標本のポスターを見ただけで、当時も今も、ゾッとする。
私には、それを処理する能力はない。
20歳以上だから、害はない。
20歳以下だから、害がある……ということには、言えない。
この浜松市でも、公共の科学館などで展示されたと聞く。
監修者に、著名な大学教授が名を連ねていれば、公共の施設としても、開催を拒否することはできない。
そのためのお膳立てとして、監修者には、著名人を使う。
日本イチの著名人を使う。
驚いたことに、日本医学会まで、会長名で後援していたという(MSN)。
このタイプのインチキ団体がよく使う手である。
わかりやすく言えば、権威づけ。
有名人や有名団体の名で、「会」を飾る。
幼稚な手法。
つまり目的は、金儲け。
あんな展示会が、どういう意味をもつのか。
どう、日本人の心を啓蒙するのか、
●MSN・ニュースの記事
昨日(2012-02-17)、こんな記事が、MSNに載った。
記事にはポスターの写真が添えられていた。
それには「人体の不思議展」とあった。
左の縦書きの部分は、判読できなかった。
が、全体に、薄切りにされた人体が、大きくそのまま表示されていた。
それを見ただけで、ふつうの常識のある人なら、ゾッとするはず。
気の弱い人なら、気絶するかもしれない。
『(人体標本の展示に)、反対したが…頼まれたから引き受けた……養老孟司・東大名誉教授』(MSN)とのこと。
養老孟司氏と言えば、解剖学の権威。
その養老孟司氏が、監修者になっていたとは!
……「人体の不思議展」なるものを見たことがないから、私は知らなかった。
なおその標本は、中国からのもの……つまり中国人のものという(MSN)。
+++++++++++以下、MSN・NEWSより+++++++++++++++
……各地で開かれた「人体の不思議展」について、「日本とは倫理観がまったく異なる中国から標本を借りてくると聞き、自分は反対した」。
監修委員を務めた養老氏は、主催者側への憤りをあらわにした。
養老氏は平成7年に初めて日本で開催した同展の中心メンバー。
このときは同氏が自費でドイツから標本を輸入したが、このころから、親族の知人で日本アナトミー研究所(当時)のスタッフだった男性が間に入るようになったという。
同氏によれば、男性とドイツ人研究者との間で契約トラブルが起こり、同展はいったん中止に追い込まれたが、男性はその後中国から標本を輸入、14年以降は同社主催の形で再開した。
養老氏は中国からの輸入標本の展示に強く反対し、運営からも手を引いたが、18年ごろまで監修委員として名前を連ねている。
「イベントの会場確保などで助けてもらったことがあり、彼に強く頼まれたから監修委員を引き受けた。もちろん、金なんかもらっていない」と。
中国の輸入標本を使ったイベントは当初、日本赤十字社や日本医学会なども後援した。
ところが、高額の入場料や関連グッズの販売など興行的手法に対する主催者側への批判が大きくなるにつれ、後援を取り下げる団体も相次いだという。
一連の経緯について、日本医学会会長の高久氏は「同展を後援したことに対する非難の電話が頻繁にあり、情報収集したところ、標本の多くは中国の受刑者で、国際法に準拠した契約でないことが分かり、監修者及び後援を取り下げた」と文書で回答した。
+++++++++++以上、MSN・NEWSより+++++++++++++++
●感覚のズレ
養老孟司氏や、日本医学会会長の高久氏が、どこでどのように動いたかは知らない。
その裏で、どのように現金(マネー)が、動いたかも知らない。
しかしひとつ重要なことを忘れてはいけない。
つまり彼らの感覚は、一般庶民感覚とは、完全にズレている。
自分たちの職場では、日常的な「標本」かもしれない。
しかし一般社会では、そうではない。
そうでないものを、わざわざ引っ張り出し、それを私たちに見せつける。
見せつけながら、平気な顔をしている。
こういうのを意識のズレという。
ズレたまま、監修者になったり、後援者になったりする。
その感覚が、ズレている。
繰り返す、あんなグロなものを一般に公開して、何が「不思議展」か?
どういう意味をもつというのか。
それについて書いた原稿が、どこかにあるはず。
探してみる。
(注※……グロテスク、グロについて、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
『グロテスク (grotesque) とは、古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式』と。
なおウィキペディア百科事典によれば、「気味の悪さを催すもの」を、「グロ」と呼び、「グロテスク」とは、区別しているそうだ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2011年1月20日のBLOGに
つぎのような原稿を書いた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●「人体の不思議展」
私は、子どものころから、ああいうのが苦手。
道路にころがっている、動物の死骸を見ただけで、吐き気を催す。
少なくとも、あえてお金を出してまで見たい展覧会ではない。
称して「人体の不思議展」。
この浜松市でも10年ほど前から、ときどきその「不思議展」が、催されている。
で、見てきた子どもたちに「どうだった?」と聞くと、みな「おもしろかった」と。
おもしろかった?
人間(もちろん死体)を、盾に薄く切った現物を、パネルに挟んで展示してある。
それがおもしろかった?
学生時代、医学部へ遊びに行くと、そこにホルマリン漬けの標本が並べられていた。
臭いも不快だったが、それを見るたびに、私はゾッとした。
私は、「おもしろい」と思ったことは、ない。
一度もない。
それが今では、「展覧会」として、堂々と市中で公開されている。
どんなものかは、直接は見たことがないので、ここではコメントできない。
しかし率直に言えば、ああいうものは、子どもには見せない方がよい。
10人のうち8人までは大丈夫であるとしても、残りの2人の子どもが心配。
大きなショックを受ける。
そのショックが、トラウマ(傷)になることもあれば、ひょっとしたら残忍性の
引き金を引くことにもなりかねない。
また見せたところで、それがどういう意味があるのか。
どういう教育的効果があるのか。
みながみな、ドクター(医師)になるというわけでもあるまい。
「腹の中には腸がある」と教えて、イラストで見せれば、それですむ。
それを現物まで見せて、「これが腸です」と。
(「人体の不思議展」に、そういうものがあるかどうかは、知らないが……。)
むしろ映画『ミクロの決死圏』のような提示の仕方のほうが、好ましい。
どこかの大学付属の科学館に、そういうところがあった。
大きな口(これが入り口)を入っていくと、食道や胃を通り、最後は肛門から出てくる。
肛門が出口になっていた。
全体が、大きなお化け屋敷のようになっていた。
そういうものなら、楽しめる。
「科学展示会」というのは、口実。
実際には、興業屋の金儲け。
私も若いころ、そういう仕事を手伝ったことがあるので、内情をよく知っている。
「人体の不思議展」は、どうか?
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●補記
この中で、私はこう書いた。
「そういう仕事を手伝ったことがあるので」と。
もちろん今回、問題となっているような、「人体の不思議展」のようなものではない。
市内のデパートで催された、フォークコンサートのようなものをいう。
どうか、誤解のないように!
なおこのBLOGは、日付は2011年になっているが、実際に書いたのは、2000年ごろではないかと思う。
2011年に、古い原稿を探し、それをそのとき、このBLOGに書いた。
●映画『メランコリア』
さて、本題。
映画、『メランコリア』について。
当初、同じく昨日、公開された『タイム』と、どちらを観ようか、迷った。
迷った結果、今夜は、『メランコリア』にした。
内容はともかく、私はあの映画を見ているとき、船酔いに似た気分の悪さを覚えた。
理由は、すぐわかった。
カメラが、スーッと流れたあと、小刻みにフワフワと揺れる。
画面がフワフワと揺れる。
それが最初の、スティール写真のような部分をのぞき、全体に繰り返される。
これでもか、これでもか……と、繰り返される。
手持ちカメラで撮影したような雰囲気を出したかったのだろう。
観客を不安にさせるため、ある種の催眠効果をねらったのかもしれない。
しかし私には、ダメ。
後半2分の1以上は、片目を閉じ、一方の目をときどき開いて見た。
……というか、ときどき吐き気すら覚えた。
映画としてはすばらしい映画かもしれない。
が、私のような観客も少なくないはず。
そういう観客への配慮に欠ける。
で、ワイフに聞くと、「私はだいじょうぶ」と。
日ごろ、車に酔いやすい人は、あの映画は、見ないほうがよい。
とくに劇場では、見ないほうがよい。
気持ちが悪くなる。
そんなわけで、きびしく採点し、星は2つの、★★。
二度と見たくない!
●最期
映画『メランコリア』とは別に……。
もし地球が消滅する日がやってきたら……?
今、米久ホテルの一室で、そんなことを考えている。
最後のシーンで、姉と姉の子、それに主役のジャステイン(キルステン・ダンスト)が、その時を迎える。
恐怖におののく姉。
眠ったように目を閉じている、姉の子。
そしてどこか投げやり的に穏やかな、ジャスティン。
「私なら、どうするか?」と。
が、つぎのように考えると、結論が出てくる。
(1) 個人の死は、宇宙全体の死でもある。
(2) 死の直前は、脳の中の臨終メカニズムが機能し始めるため、穏やかになる。
(3)「死の宣告」は、時間の問題ではない。
あなたという(個体)が死ねば、あなたは、この宇宙もろとも、消えてなくなる。
あなたが生まれる前には、この宇宙は、存在しなかった。
あなたはこの宇宙に生まれ、その結果として、この宇宙の存在を知った。
その(生まれる前の状態)になる。
……というのが、今のところ、私の死生観。
その結論。
2つ目に、脳は、そのときどきにおいて、別の働きをする。
よく臨死体験をした人が、美しい川や花畑を見るという。
この現象は、東洋人でも、西洋人でも一致している。
一説によると、前頭部と後頭部の境目あたりに、そういう働きをする部分があるらしい。
電気的な刺激を加えると、健康な人でも、ここに書いたような美しい川や花畑を見るそうだ。
つまり脳は、最期の最期の段階で、人間を死の恐怖から自ら解放してくれる。
そういう機能(メカニズム)をもっているらしい。
……というより、「もっている」。
私もこの数年、臨死体験ならぬ、模擬死体験をしている。
3度している。
(うち一度は、それほど明確なものではなかった。)
そのつど、私は、私の心が、不思議なくらい穏やかだった。
一度は、「ああ、これでやっと死ねる」と。
そんなふうにさえ思った。
(だからといって、自殺願望があるわけではない。誤解のないように!)
そういう意味で、私は自分の脳を信じている(?)。
その時になったら、なったとき。
臨死プログラムが働き、人は安らかな気持ちで、最期を迎えることができる。
だから、今はまだ自信はないが、その時が来たら、主人公のジャスティンのような気分になれるのでは(?)。
さらに3つ目。
「死の宣告」は時間という「数字」の問題ではない。
「余命はあと1か月」と言われるのも、「あと15年」と言われるのも同じ。
(私は今年、65歳になる。
平均余命で計算すれば、私の人生は、残り15年。)
同じように、「あと5日」(映画『メランコリア』)と言われるのも、これまた同じ。
死の待合室で、1か月待つのも、15年待つのも、また5日待つのも、同じ。
こういう感覚は、若い人には理解できないものかもしれない。
ほとんどの若い人たちは、死とは無縁の世界で生きている。
自分の老後すら、想像できないだろう。
が、50歳を過ぎると、とたん、そこに、「死」が見えるようになる。
60歳を過ぎれば、なおさら。
それまで経験したことがないような、体の不調も、頻繁に起こるようになる。
それが年ごとに多くなり、はげしくなる。
「死」というのは、健康であればあるほど、時間をかけてやってくる。
「5日だから短く、15年だから長い」という問題ではない。
そのことは、自分自身の15年という過去を振り返ってみれば、よくわかる。
あっという間の15年だった。
つまりこの先、15年など、あっという間に過ぎ去っていくだろう。
あたかも5日のように……。
ということで、ここで、「5日だから短く、15年だから長いということには、ならない」と書いた。
●SF評論
映画の主題は、ここに書いたとおり。
で、ここから先は、SF評論。
惑星『メランコリア』は、「死のダンス」を繰り返しながら、最終的には地球と衝突する。
メランコリアの大きさは、地球の直径の数倍以上はある。
それが地球を呑み込む形で、地球と衝突する。
映画で見た感じでは、メランコリアは地球と同じ、地殻固形型の惑星。
大気もあるらしく、青く、白い雲も無数に見える。
となると地球と衝突すれば、メランコリアのほうも、無事ではすまないはず。
粉々に砕け散っても、おかしくない。
そのあたりのSF的な、詰めが甘い。
それにそれほどまでの惑星と異常接近すれば、地球の重力そのものも、大きく変化を受けるはず。
衝突する前に、地殻は破れ、内部のマグマが飛び出す。
理論的には、地上のすべてのものが、メランコリアの重力圏に入る。
つまり人間がその最期を、地上で迎えるなどということは、ありえない。
人間は大地ごと宙に吹き飛ばされ、それにつづく段階で粉々になって死ぬ……。
では、人類に助かる方法はあるのか?
ひとつあるとすれば、スペースシャトルのような宇宙船に乗り、メランコリアから遠ざかること。
あれほどまでに巨大な惑星だから、月ですらも、やがて呑み込んでしまうだろう。
となると、かなり遠くまで逃げていく必要がある。
あるいは思い切って、メランコリアのほうへ、前もって移住するという方法もある。
が、その方法にしても、はかない抵抗。
1~2か月は何とか生き延びることはできても、1年は無理。
現在の科学では、生き延びる方法は、ないということになる。
●米久ホテル
で、この米久ホテル。
私が42年前に浜松へ来たときには、すでにこのホテルはあった。
よく覚えている。
その古さは、随所に感ずるが、料金も安く、ビジネスホテルとしては悪くない。
シーツも枕カバーも、そのつど洗濯してあるよう。
(確信はもてないが……。)
朝食付きで、1名、3500円。
じゃらんのクーポンがたまっていたので、今回は、2人で、約6000円。
ビジネスホテルだから、星をつけても意味はない。
ただ比較するなら、一押しがダイワロイネットホテル。
つづいて、→クレタケイン→米久、となる。
ダイワロイネットホテルは、ごく最近オープンしたばかり。
超ハイテクホテル。
料金が安いところに宿泊して、あれこれ文句を言う方がおかしい。
が、ここの朝食は、いつ食べても、悪くない。
良心的で、おいしい。
●偽善
先日、日本ユニセフ協会について、批判した。
いくつかコメントが届いた。
どれも、「現在の日本ユニセフ協会はおかしい」というもの。
「ある程度活動が軌道に乗ったら、民間の団体にすべき」という意見もあった。
その日本ユニセフ協会。
私が最初に疑問をもったのは、ある週刊誌で、何枚かの写真を見たときだった。
当時、K徹子氏というタレントが、その協会の親善大使を務めていた。
そのK徹子氏。
撮影のときだけ、難民の子どもを抱き、撮影が終わると、すかさず、手や体を消毒していたという。
その様子を、別のカメラマンが、カメラに収めた。
それがそのまま週刊誌に載った。
私たちの世界では、こういうのを「偽善」と呼ぶ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
宗教団体にせよ、慈善事業団体にせよ、
人の心を扱う団体は、慎重に行動したらよい。
「真」「善」を売り物にするなら、慎重に行動したらよい。
ひとつまちがえば、詐欺。
詐欺以上の詐欺。
人の心をもてあそぶ詐欺。
困っている人や貧しい人を出汁(だし)に、
自分の利益に結びつける。
自分の名声につなげる。
悪党以上の悪党。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今夜、市内の劇場で、映画『メランコリア』を観てきた。
評論は、あとで書くことにして、今、その近くの米久(よねきゅう)ホテルに泊まっている。
ビジネスホテル。
「寒いから、どこかに泊まって行こうか」とワイフに声をかけると、「うん」と。
それでそのままビジネスホテルへ。
我が家の暖房器具は、貧弱。
「家に帰り、ガタガタ震えるよりは……」ということで、今、米久ホテルに泊まった。
●今日は風邪気味
話は前後するが、今日は、朝から、風邪気味だった。
インフルエンザ?
……でもなさそう。
体温は、36・5度。
私はもともと低い。
調子のよいときは、36度以下。
低体温症?
私のばあい、36・5度でも、「熱がある」ということになる。
朝は、9時過ぎに起きた。
午後からも、昼寝。
1時間の昼寝。
頭痛が消えなかったので、「Z(偏頭痛薬)」を半分割って、のむ。
半時間ほどで、頭痛は消えた。
あわせて感冒薬をのんだ。
そのせいか、腰痛も消えた。
元気になったので、仕事が終わったあと、深夜劇場へ!
●黒いBEN
ここ数日、黒いBENが出る。
ネットで調べると……、ゾーッ!
深刻な病気らしい?
「すぐ病院で検査を受けたほうがいい」と。
どこのサイトにも、そう書いてあった。
「年貢の納め時」と、一時は、覚悟した。
が、原因は、すぐわかった。
チョコレートの食べ過ぎ。
この1週間、毎日、チョコレートばかり食べている。
生徒たちが、くれた。
加えて、養命酒の飲み過ぎ。
が、これはワイフの説。
「養命酒を飲むと、BENが、黒くなるわ」と。
本当かな~ア?
バレンタイン・デーも終わり、先ほど、黒いBENは、黄色BENに。
無事、黄色BENに戻った。
よかった!
●問題児
自分で自分の髪を、手で抜く。
抜いて食べてしまう。
5歳になるが、おむつがはずせない。
家の中では、あたりかまわず、便をもらす。
声をあげて泣くこともない。
母親の前では、一言も反抗しない。
母親が強く叱ると、かんしゃく発作を起こすことはある。
(母親にかみついたこともあるという。)
が、もっとも大きな問題は、家の外に出られないこと。
家の外に出そうとすると、「こわい」と言っておびえる。
家の中にこもり、一日中、ソファの上で、横になっている。
●重症
実は、これは犬の話。
人間の子どもの話ではない。
友人の犬の子どもの話である。
人間の子どもらしく書いたが、犬。
犬の子ども。
そこで家人が、その犬を動物病院へ連れていくと、ドクターはこう言ったという。
「原因は、ストレスです」と。
私はこの話を、ワイフから聞いた。
私「それは、神経症でも、重症だね」
ワ「そうみたい。一日中、家の中で飼われているから」
私「種類は?」
ワ「マルチーズ……かな? プードルのような犬だったわ」
私「犬でも、そうなるなんて……。知らなかった……」と。
●放し飼い
犬は放し飼い。
しつけは、最小限に。
芸など、させても意味はない。
……というのは、オーストラリアの友人の弁。
家の中で、小さな犬を飼っている。
ミニチュア・ダックス?
体長は30センチくらい。
足は短い。
その犬が、私たちに向かって、けたたましく吠えた。
小さな犬だったが、忠誠心は、大型犬並み。
頭もよい。
それが理由で、つまり私たちに向かって吠えたのが理由で、一度、外に追い出された。
以後、私たちに向かっては、吠えなくなった。
小さな犬だったが、ジャンプ力は抜群。
自分の大きさの3~4倍もあるような高さのソファでも、ヒョイと登る。
あとはそこで、そのまま。
つぎの指示をじっと待っている。
●放し飼い
子どもの指導も、これに似ている。
「放し飼い」。
それが原則。
その上で、角を削るようにして、少しずつ、おとなの世界に引き込んでいく。
またそのほうが、子どもは伸びやかな子どもになる。
見知らぬ人を見たら、けたたましく吠える。
そういう子どもになる。
だれを見ても、尻尾を振る。
愛想よくする。
従順でおとなしく、自己主張の弱い子どもがいる。
しかしそういう子どもを、「できのいい子」とは、言わない。
またそういう子どもほど、ストレスをためる。
心をゆがめる。
●人体標本
あのね、あのようなグロテスク※な標本など、子どもには見せてはいけない。
「標本」とは、名ばかり。
グロ!
人間の体をスライスしたような標本。
それを見せ物にし、金儲けにつなげている団体がある。
そうした標本は、研究者や医学者には、それなりの意味をもつかもしれない。
しかし子どもたちには、ちがう。
みながみな、研究者や医学者になるわけではない。
仮にその道を歩みつつあるとしても、見せてはいけない。
心の中に、それを処理する能力ができるまで、見せてはいけない。
が、年齢的な「適齢期」があるわけではない。
私は64歳だが、私は見たくない。
病院の廊下に血がポタポタ落ちているのを見ただけで、気分が悪くなる。
人体標本のポスターを見ただけで、当時も今も、ゾッとする。
私には、それを処理する能力はない。
20歳以上だから、害はない。
20歳以下だから、害がある……ということには、言えない。
この浜松市でも、公共の科学館などで展示されたと聞く。
監修者に、著名な大学教授が名を連ねていれば、公共の施設としても、開催を拒否することはできない。
そのためのお膳立てとして、監修者には、著名人を使う。
日本イチの著名人を使う。
驚いたことに、日本医学会まで、会長名で後援していたという(MSN)。
このタイプのインチキ団体がよく使う手である。
わかりやすく言えば、権威づけ。
有名人や有名団体の名で、「会」を飾る。
幼稚な手法。
つまり目的は、金儲け。
あんな展示会が、どういう意味をもつのか。
どう、日本人の心を啓蒙するのか、
●MSN・ニュースの記事
昨日(2012-02-17)、こんな記事が、MSNに載った。
記事にはポスターの写真が添えられていた。
それには「人体の不思議展」とあった。
左の縦書きの部分は、判読できなかった。
が、全体に、薄切りにされた人体が、大きくそのまま表示されていた。
それを見ただけで、ふつうの常識のある人なら、ゾッとするはず。
気の弱い人なら、気絶するかもしれない。
『(人体標本の展示に)、反対したが…頼まれたから引き受けた……養老孟司・東大名誉教授』(MSN)とのこと。
養老孟司氏と言えば、解剖学の権威。
その養老孟司氏が、監修者になっていたとは!
……「人体の不思議展」なるものを見たことがないから、私は知らなかった。
なおその標本は、中国からのもの……つまり中国人のものという(MSN)。
+++++++++++以下、MSN・NEWSより+++++++++++++++
……各地で開かれた「人体の不思議展」について、「日本とは倫理観がまったく異なる中国から標本を借りてくると聞き、自分は反対した」。
監修委員を務めた養老氏は、主催者側への憤りをあらわにした。
養老氏は平成7年に初めて日本で開催した同展の中心メンバー。
このときは同氏が自費でドイツから標本を輸入したが、このころから、親族の知人で日本アナトミー研究所(当時)のスタッフだった男性が間に入るようになったという。
同氏によれば、男性とドイツ人研究者との間で契約トラブルが起こり、同展はいったん中止に追い込まれたが、男性はその後中国から標本を輸入、14年以降は同社主催の形で再開した。
養老氏は中国からの輸入標本の展示に強く反対し、運営からも手を引いたが、18年ごろまで監修委員として名前を連ねている。
「イベントの会場確保などで助けてもらったことがあり、彼に強く頼まれたから監修委員を引き受けた。もちろん、金なんかもらっていない」と。
中国の輸入標本を使ったイベントは当初、日本赤十字社や日本医学会なども後援した。
ところが、高額の入場料や関連グッズの販売など興行的手法に対する主催者側への批判が大きくなるにつれ、後援を取り下げる団体も相次いだという。
一連の経緯について、日本医学会会長の高久氏は「同展を後援したことに対する非難の電話が頻繁にあり、情報収集したところ、標本の多くは中国の受刑者で、国際法に準拠した契約でないことが分かり、監修者及び後援を取り下げた」と文書で回答した。
+++++++++++以上、MSN・NEWSより+++++++++++++++
●感覚のズレ
養老孟司氏や、日本医学会会長の高久氏が、どこでどのように動いたかは知らない。
その裏で、どのように現金(マネー)が、動いたかも知らない。
しかしひとつ重要なことを忘れてはいけない。
つまり彼らの感覚は、一般庶民感覚とは、完全にズレている。
自分たちの職場では、日常的な「標本」かもしれない。
しかし一般社会では、そうではない。
そうでないものを、わざわざ引っ張り出し、それを私たちに見せつける。
見せつけながら、平気な顔をしている。
こういうのを意識のズレという。
ズレたまま、監修者になったり、後援者になったりする。
その感覚が、ズレている。
繰り返す、あんなグロなものを一般に公開して、何が「不思議展」か?
どういう意味をもつというのか。
それについて書いた原稿が、どこかにあるはず。
探してみる。
(注※……グロテスク、グロについて、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
『グロテスク (grotesque) とは、古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式』と。
なおウィキペディア百科事典によれば、「気味の悪さを催すもの」を、「グロ」と呼び、「グロテスク」とは、区別しているそうだ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2011年1月20日のBLOGに
つぎのような原稿を書いた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●「人体の不思議展」
私は、子どものころから、ああいうのが苦手。
道路にころがっている、動物の死骸を見ただけで、吐き気を催す。
少なくとも、あえてお金を出してまで見たい展覧会ではない。
称して「人体の不思議展」。
この浜松市でも10年ほど前から、ときどきその「不思議展」が、催されている。
で、見てきた子どもたちに「どうだった?」と聞くと、みな「おもしろかった」と。
おもしろかった?
人間(もちろん死体)を、盾に薄く切った現物を、パネルに挟んで展示してある。
それがおもしろかった?
学生時代、医学部へ遊びに行くと、そこにホルマリン漬けの標本が並べられていた。
臭いも不快だったが、それを見るたびに、私はゾッとした。
私は、「おもしろい」と思ったことは、ない。
一度もない。
それが今では、「展覧会」として、堂々と市中で公開されている。
どんなものかは、直接は見たことがないので、ここではコメントできない。
しかし率直に言えば、ああいうものは、子どもには見せない方がよい。
10人のうち8人までは大丈夫であるとしても、残りの2人の子どもが心配。
大きなショックを受ける。
そのショックが、トラウマ(傷)になることもあれば、ひょっとしたら残忍性の
引き金を引くことにもなりかねない。
また見せたところで、それがどういう意味があるのか。
どういう教育的効果があるのか。
みながみな、ドクター(医師)になるというわけでもあるまい。
「腹の中には腸がある」と教えて、イラストで見せれば、それですむ。
それを現物まで見せて、「これが腸です」と。
(「人体の不思議展」に、そういうものがあるかどうかは、知らないが……。)
むしろ映画『ミクロの決死圏』のような提示の仕方のほうが、好ましい。
どこかの大学付属の科学館に、そういうところがあった。
大きな口(これが入り口)を入っていくと、食道や胃を通り、最後は肛門から出てくる。
肛門が出口になっていた。
全体が、大きなお化け屋敷のようになっていた。
そういうものなら、楽しめる。
「科学展示会」というのは、口実。
実際には、興業屋の金儲け。
私も若いころ、そういう仕事を手伝ったことがあるので、内情をよく知っている。
「人体の不思議展」は、どうか?
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●補記
この中で、私はこう書いた。
「そういう仕事を手伝ったことがあるので」と。
もちろん今回、問題となっているような、「人体の不思議展」のようなものではない。
市内のデパートで催された、フォークコンサートのようなものをいう。
どうか、誤解のないように!
なおこのBLOGは、日付は2011年になっているが、実際に書いたのは、2000年ごろではないかと思う。
2011年に、古い原稿を探し、それをそのとき、このBLOGに書いた。
●映画『メランコリア』
さて、本題。
映画、『メランコリア』について。
当初、同じく昨日、公開された『タイム』と、どちらを観ようか、迷った。
迷った結果、今夜は、『メランコリア』にした。
内容はともかく、私はあの映画を見ているとき、船酔いに似た気分の悪さを覚えた。
理由は、すぐわかった。
カメラが、スーッと流れたあと、小刻みにフワフワと揺れる。
画面がフワフワと揺れる。
それが最初の、スティール写真のような部分をのぞき、全体に繰り返される。
これでもか、これでもか……と、繰り返される。
手持ちカメラで撮影したような雰囲気を出したかったのだろう。
観客を不安にさせるため、ある種の催眠効果をねらったのかもしれない。
しかし私には、ダメ。
後半2分の1以上は、片目を閉じ、一方の目をときどき開いて見た。
……というか、ときどき吐き気すら覚えた。
映画としてはすばらしい映画かもしれない。
が、私のような観客も少なくないはず。
そういう観客への配慮に欠ける。
で、ワイフに聞くと、「私はだいじょうぶ」と。
日ごろ、車に酔いやすい人は、あの映画は、見ないほうがよい。
とくに劇場では、見ないほうがよい。
気持ちが悪くなる。
そんなわけで、きびしく採点し、星は2つの、★★。
二度と見たくない!
●最期
映画『メランコリア』とは別に……。
もし地球が消滅する日がやってきたら……?
今、米久ホテルの一室で、そんなことを考えている。
最後のシーンで、姉と姉の子、それに主役のジャステイン(キルステン・ダンスト)が、その時を迎える。
恐怖におののく姉。
眠ったように目を閉じている、姉の子。
そしてどこか投げやり的に穏やかな、ジャスティン。
「私なら、どうするか?」と。
が、つぎのように考えると、結論が出てくる。
(1) 個人の死は、宇宙全体の死でもある。
(2) 死の直前は、脳の中の臨終メカニズムが機能し始めるため、穏やかになる。
(3)「死の宣告」は、時間の問題ではない。
あなたという(個体)が死ねば、あなたは、この宇宙もろとも、消えてなくなる。
あなたが生まれる前には、この宇宙は、存在しなかった。
あなたはこの宇宙に生まれ、その結果として、この宇宙の存在を知った。
その(生まれる前の状態)になる。
……というのが、今のところ、私の死生観。
その結論。
2つ目に、脳は、そのときどきにおいて、別の働きをする。
よく臨死体験をした人が、美しい川や花畑を見るという。
この現象は、東洋人でも、西洋人でも一致している。
一説によると、前頭部と後頭部の境目あたりに、そういう働きをする部分があるらしい。
電気的な刺激を加えると、健康な人でも、ここに書いたような美しい川や花畑を見るそうだ。
つまり脳は、最期の最期の段階で、人間を死の恐怖から自ら解放してくれる。
そういう機能(メカニズム)をもっているらしい。
……というより、「もっている」。
私もこの数年、臨死体験ならぬ、模擬死体験をしている。
3度している。
(うち一度は、それほど明確なものではなかった。)
そのつど、私は、私の心が、不思議なくらい穏やかだった。
一度は、「ああ、これでやっと死ねる」と。
そんなふうにさえ思った。
(だからといって、自殺願望があるわけではない。誤解のないように!)
そういう意味で、私は自分の脳を信じている(?)。
その時になったら、なったとき。
臨死プログラムが働き、人は安らかな気持ちで、最期を迎えることができる。
だから、今はまだ自信はないが、その時が来たら、主人公のジャスティンのような気分になれるのでは(?)。
さらに3つ目。
「死の宣告」は時間という「数字」の問題ではない。
「余命はあと1か月」と言われるのも、「あと15年」と言われるのも同じ。
(私は今年、65歳になる。
平均余命で計算すれば、私の人生は、残り15年。)
同じように、「あと5日」(映画『メランコリア』)と言われるのも、これまた同じ。
死の待合室で、1か月待つのも、15年待つのも、また5日待つのも、同じ。
こういう感覚は、若い人には理解できないものかもしれない。
ほとんどの若い人たちは、死とは無縁の世界で生きている。
自分の老後すら、想像できないだろう。
が、50歳を過ぎると、とたん、そこに、「死」が見えるようになる。
60歳を過ぎれば、なおさら。
それまで経験したことがないような、体の不調も、頻繁に起こるようになる。
それが年ごとに多くなり、はげしくなる。
「死」というのは、健康であればあるほど、時間をかけてやってくる。
「5日だから短く、15年だから長い」という問題ではない。
そのことは、自分自身の15年という過去を振り返ってみれば、よくわかる。
あっという間の15年だった。
つまりこの先、15年など、あっという間に過ぎ去っていくだろう。
あたかも5日のように……。
ということで、ここで、「5日だから短く、15年だから長いということには、ならない」と書いた。
●SF評論
映画の主題は、ここに書いたとおり。
で、ここから先は、SF評論。
惑星『メランコリア』は、「死のダンス」を繰り返しながら、最終的には地球と衝突する。
メランコリアの大きさは、地球の直径の数倍以上はある。
それが地球を呑み込む形で、地球と衝突する。
映画で見た感じでは、メランコリアは地球と同じ、地殻固形型の惑星。
大気もあるらしく、青く、白い雲も無数に見える。
となると地球と衝突すれば、メランコリアのほうも、無事ではすまないはず。
粉々に砕け散っても、おかしくない。
そのあたりのSF的な、詰めが甘い。
それにそれほどまでの惑星と異常接近すれば、地球の重力そのものも、大きく変化を受けるはず。
衝突する前に、地殻は破れ、内部のマグマが飛び出す。
理論的には、地上のすべてのものが、メランコリアの重力圏に入る。
つまり人間がその最期を、地上で迎えるなどということは、ありえない。
人間は大地ごと宙に吹き飛ばされ、それにつづく段階で粉々になって死ぬ……。
では、人類に助かる方法はあるのか?
ひとつあるとすれば、スペースシャトルのような宇宙船に乗り、メランコリアから遠ざかること。
あれほどまでに巨大な惑星だから、月ですらも、やがて呑み込んでしまうだろう。
となると、かなり遠くまで逃げていく必要がある。
あるいは思い切って、メランコリアのほうへ、前もって移住するという方法もある。
が、その方法にしても、はかない抵抗。
1~2か月は何とか生き延びることはできても、1年は無理。
現在の科学では、生き延びる方法は、ないということになる。
●米久ホテル
で、この米久ホテル。
私が42年前に浜松へ来たときには、すでにこのホテルはあった。
よく覚えている。
その古さは、随所に感ずるが、料金も安く、ビジネスホテルとしては悪くない。
シーツも枕カバーも、そのつど洗濯してあるよう。
(確信はもてないが……。)
朝食付きで、1名、3500円。
じゃらんのクーポンがたまっていたので、今回は、2人で、約6000円。
ビジネスホテルだから、星をつけても意味はない。
ただ比較するなら、一押しがダイワロイネットホテル。
つづいて、→クレタケイン→米久、となる。
ダイワロイネットホテルは、ごく最近オープンしたばかり。
超ハイテクホテル。
料金が安いところに宿泊して、あれこれ文句を言う方がおかしい。
が、ここの朝食は、いつ食べても、悪くない。
良心的で、おいしい。
●偽善
先日、日本ユニセフ協会について、批判した。
いくつかコメントが届いた。
どれも、「現在の日本ユニセフ協会はおかしい」というもの。
「ある程度活動が軌道に乗ったら、民間の団体にすべき」という意見もあった。
その日本ユニセフ協会。
私が最初に疑問をもったのは、ある週刊誌で、何枚かの写真を見たときだった。
当時、K徹子氏というタレントが、その協会の親善大使を務めていた。
そのK徹子氏。
撮影のときだけ、難民の子どもを抱き、撮影が終わると、すかさず、手や体を消毒していたという。
その様子を、別のカメラマンが、カメラに収めた。
それがそのまま週刊誌に載った。
私たちの世界では、こういうのを「偽善」と呼ぶ。