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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2011年 1月 7日
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HTML(カラー・写真版)を用意しました。
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【言語能力】Thinking Ability
●能力論
++++++++++++++++
カモノハシという動物がいる。
何からなにまで、常識をはずれている。
不思議な動物である。
そのカモノハシ。
ほかの動物にはない能力をもっている。
たとえばあのクチバシ(?)。
一説によると、あのクチバシの周囲(縁)
には、電磁波を感知するセンサーがついて
いるという。
(微弱電波、あるいは微弱電流という説も
ある。)
水中の微弱な電流の変化を感知し、それで
もって水中の生物を捕らえたり、水流の
動きを感知することができるという。
(水流は微弱な電磁波を発することが
知られている。)
人間の私たちにすれば、「すごい!」の
一言に尽きるが、カモノハシにしてみれば、
何でもない能力ということになる。
私たちが臭いをかいだり、暑さや寒さを
感じたりする能力と同じ。
当のカモノハシは、自分のそういった能力を、
何も特別な能力とは意識していないだろう。
+++++++++++++++++
●言語能力
それぞれの動物には、それぞれ特殊な能力がある。
イルカにしても、レーダーに似た能力をもっているという。
自ら超音波を発信し、そのエコー音で、周囲の様子をとらえているという。
人間だって、負けていない。
最大、かつ最高の能力といえば、当然、「言葉を話す能力」ということになる。
人間は言葉によって、たがいに複雑な情報を共有することができる。
つまり人間がなぜ人間であるかといえば、この能力、つまり言語能力があるから
にほかならない。
「なんだ、そんなことか!」と思う人もいるかもしれない。
が、そう思うのは、ちょっと待ってほしい。
言語能力といっても、簡単な会話をする能力だけが、その能力ではない。
その程度のコミュニケーションなら、ほかの動物たちも、みなしている。
音声という言葉によるものとはかぎらない。
たとえばミツバチの8の字ダンスなどは、よく知られている。
ミツバチは、8の字ダンスをすることで、ミツのある場所を、ほかの仲間たちに
知らせているという。
ここでいう言語能力というのは、論理と分析力をともなった、知的能力をいう。
またそれがあるから、人間は前頭前野を、知性、理性の府として発達させることが
できた。
●コメント
このところ私のHP、BLOG、YOUTUBE、マガジンへのアクセスがふえて
いる。
毎月、総計で、30~50万回ほどアクセスがある(2010年11月)。
つまりその分だけ、書き込みやコメントが、多くなった。
多くは好意的なものだが、中には、辛らつなものもある。
昨日は、私のYOUTUBE動画に対して、「NHKの教育番組じゃあ、ネーダロ」
というのがあった。
私はこの一文を読んで、しばらく考え込んでしまった。
意味がよくわからない。
しかし何か、強烈な反感というか、敵意を感じた。
つまり「YOUTUBEは、NHKの教育番組とはちがう。説教ぽくて、おもしろくない。
そんな動画はアップするな」という意味か。
どうであるにせよ、今、こうした日本語がふえている。
直感的で直情的。
感情を短い文章で叩きつけてくる。
七田氏が生きていたら、「これこそまさに右脳教育の成果!」と喜びそうな文章である。
が、残念ながら、こうした文章は、人間が何十万年もかけて発達させてきた言語能力
とは異質のものである。
あえて言うなら、ケダモノの叫び声と同じ。
●論理と分析力
言語能力を発達させるためには、作文しかない。
作文に始まって作文に終わる。
言い替えると、言語能力は、文字の発達と密接にからんでいる。
文字の発明によって、人間の言語能力は飛躍的に発達した。
もし文字の発明がなかったら、人間は簡単な会話程度の情報伝達能力しかもたなかった
だろう。
その言語能力は、論理力と分析力で決まる。
脳の中では、左脳がそれを司っているという。
その能力が不足が不足してくると、それこそ、「テメー、コノヤロー、ぶっ殺すぞ!」
という会話だけで、その日が終わってしまうかもしれない。
「NHKの教育番組じゃあ、ネーダロ」というのも、それ。
もう少し論理的に書いてほしい。
もう少し事実を冷静に分析して書いてほしい。
またそのように書いてもらわないと、私のようなジジイには、よく理解できない。
●言語能力の低下
最近、あちこちの本や雑誌で、日本人、なかんずく若者たちの言語能力の低下が
指摘される。
それぞれの評論家が、それぞれの判断の中でそう書いている。
作文力がないとか、表現力が乏しいとか、など。
しかしそれ以上に重要なのが、会話力ということになる。
的確な言葉を使い、簡潔に自分の考えていることを、正確に相手に伝える。
そういった能力が低下しているという。
たとえば子どもの言語能力。
その基礎を作るのは、母親である。
母親の会話力である。
母親が、「ほらほら、カバン、カバン、帽子、もって!」と話していて、どうして
子どもに言語能力が身につくだろうか。
こういうときは、たとえめんどうでも、「あなたはカバンをもちます。帽子をかぶり
ましたか?」と話しかける。
そういう日常的な努力が、子どもの言語能力の基礎となる。
言い替えると、これは子どもの問題というよりは、母親の問題ということになる。
現在の(若者たち)は、その結果にすぎない。
●能力
私たち人間にも、ほかの動物たちに劣らない、すばらしい能力がある。
それが「言葉を話す能力」。
そこで重要なことは、それが「すばらしい能力」と、まず自覚すること。
つまりここがカモノハシと違う点と考えてよい。
カモノハシには、人間がもつような論理力もなければ、分析力もない。
だから自分たちがどんなすばらしい能力をもっているか、それを知ることもない。
しかし人間はちがう。
私たちは自分の能力を、分析し、それを論理的に体系化することができる。
さらにそれを磨き、発達させることもできる。
あとは、それぞれの個人の努力の問題ということになる。
せっかくその能力をもっていても、宝の持ち腐れにするか、あるいは宝石のように
光らせるかは、あくまでもその人個人の問題ということになる。
カモノハシという動物を調べながら、そんなことを考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 2010-11-24 カモノハシ 能力とは)
(参考)
●カモノハシ【以下、WWEBLIOより転載】
単孔目(カモノハシ目)は、現存する哺乳類としては唯一、爬虫類や鳥類のように卵を産
むグループとして知られている。(大部分の鳥類と同じように)母親が卵を温めて子を
孵化させ、孵化した子は(他のすべての哺乳類と同じように)母乳によって育てられる。
母親は他の哺乳類のような乳首をもたず、子は母親の乳腺から染み出した乳をなめとる。
爬虫類や鳥類と同様の総排出腔をもつ(これが単孔目 Monotremata という名の由来であ
る)。気温により保ちうる体温が変動するなど多くの哺乳類に比べれば体温調節能力が低い。
このような特徴から、単孔目(カモノハシ目)は、進化史の中で、非常に早い時期(おそ
らく三畳紀)に他の全ての哺乳類のグループと分岐したと考えられ、現生哺乳類で最も原
始的なグループとされる。そのため、このグループは、「原獣亜綱」として、亜綱のレベル
で他の哺乳類(獣亜綱)と区別されている。
(以上、Weblioより)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【息子たちへ】
●映画『レオニー(Leonie)』★★★★★
++++++++++++++++++
仕事の帰りに、深夜劇場に足を運んだ。
『レオニー』を観た。
観客は私たち夫婦を含めて、8人前後。
あの広い劇場が、ガラガラ。
「暇つぶし」と覚悟を決め、席に深く
体を沈めた。
が、それがとんでもないまちがいだった。
映画が始まると同時に、心がどんどんと
スクリーンの中に、吸い込まれていった。
レオニー役の女優が、嫁のデニーズに
瓜二つと言ってよいほど、似ていた。
加えてあのアメリカ人独特の、ジェスチャ、
目配りの仕方、反応の表し方などなど。
1カットごとに、デニーズを思い出していた。
が、そうした「ひいき目」を除いても、
星は5つの、★★★★★。
すばらしかった。
泣いた。
涙、ポロポロ。
またポロポロ。
横を見ると、めったに泣かないワイフまで、
ハンカチで顔を何度もぬぐっていた。
よかった。
映画が終わったとき、別の人生を駆け足で
走り抜けたような実感を、ズシリと覚えた。
実話をもとにしているだけに、フィクション
映画にありがちなスキがなかった。
人間の心が複雑にからみあいながらも、
ストーリーが矛盾なく流れていった。
劇場を出るとき、「よかったね」とワイフに
言うと、ワイフも「よかったね」と。
会話はそれだけ。
久々によい映画を観た。
++++++++++++++++++++
●二男
数日前、二男と電話で話した。
その中で、二男がこう言った。
「ぼくはパパから学んだことが、ひとつある」と。
「何だ?」と聞くと、「パパは、借金はするなと言った。ぼくはそれを守っている。
だからみな周りの人たちは、借金漬けで困っているが、ぼくは借金がない。
だから、ぼくは楽だ」と。
で、あれこれ私は説明した。
この資本主義社会の中では、借金は避けて通れない。
またどんな事業を興すにも、個人の力には限界がある。
そこで借金、つまり株式制度というのが生まれた。
アメリカで、それが発展した。
だから借金をしないのが、よいというのではない。
私も、土地を買ったり、家を建てたりするときには、借金をした。
が、その場合でも、「預金担保」といって、同額のお金を、まず定期預金にする。
その定期預金を担保に、お金を借りるという方法を使った。
が、個人の立場でいうなら、借金はしないほうがよい。
若いころ、ある経営者が、こう教えてくれた。
その人は当時、浜松市市内で、1、2を争う電気通信企業の社長をしていた。
●生活の安定
名前をYS氏と言った。
そのYS氏、こう教えてくれた。
「どんなにころんでも、家庭だけは守れ。最低限の収入は確保する。
それができたら、あまったお金と時間を使って暴れろ!」と。
つまり家庭を維持するための最低限の収入は確保する。
またそれを守る。
冒険するのは、その外でしろ!」と。
で、私はYS氏の教えを、かなり忠実に守った。
当時私は塾経営を、生活の基盤にしていた。
この仕事のよい点は、生活が安定すること。
単位時間当たりの収入は少ないが、急激な変化というのは、ない。
それはそれとして、私は別の世界で、別の仕事をした。
翻訳に通訳、代筆に本の編集など。
貿易の手伝いもしたし、もちろん家庭教師や予備校の講師もした。
こうした仕事は、単位時間当たりの収入は多いが、不安定。
仕事が重なれば、徹夜。
なければ、ヒマ。
【アメリカの宗へ】
誤解しないでほしいのは、「借金が悪」とぼくが言ったのではないということ。
必要なときは、借金もする。
ぼくも一度だけ、10円を借りたことがある。
どうしても電話をかけなければならなくなったときのこと。
10円硬貨をもっていなかった。
それで10円を借りた。
その10円が、ぼくにとっては生涯で、最初で最後の借金。
翌日、その貸してくれた人に、菓子箱をつけて10円、返しに行った。
相手の人は、驚いていたが……。
ただ「借金をする」イコール、「他人にものを借りる」というのは、
最小限にしたいね。
どこかで人生観につながっている。
自分の時間は、自分のもの。
一瞬一秒、すべて自分のもの。
借金をするということは、その時間を、他人に譲り渡すようなもの。
ひどいばあいには、借金に追われるようになる。
そうなると、自分の時間など、どこかへ吹き飛んでしまう。
ばあいによっては、「家庭」そのものが、危機的な状態に追い込まれる。
つまり生活の基盤がゆらぐ。
それだけは、避けようね。
どんなに貧しくても、またみずぼらしくても、「家庭(HOME)」だけは、大切に。
他人に譲り渡してはいけない。
家族を路頭に迷わせてはいけない。
つまりそれが「借金をするな」という言葉の意味と考えてほしい。
ともかく、借金をすると、(たぶん?)、生き様が卑屈になる。
その相手に頭があがらなくなるからね。
自由と独立、プラス、尊厳を守るためにも、借金は避けたほうがいいよ。
もしどうしてもお金が必要になったときは、ぼくに言いなさい。
無利子で、期限を付けないで、貸すよ。
ただしできるだけぼくと晃子が、元気なうちに、少しずつでもいいから、
返す……という条件は付くけどね。
で、もう一言。
支払いは、どんな支払いでも、ぼくは1週間以内にすますようにしている。
いくら相手が「来月でもいい」と言っても、そうしている。
相手を不安にさせないこと。
これはたがいの人間関係を、すがすがしくするためのコツではないかな?
どうか参考にしてほしい。
【浜松の周へ】
幼児教育のすばらしい点は、楽しいこと。
それに幼児には、「汚れ」がない。
プラス、パワーに満ちあふれている。
今、YOUTUBEで、教室の様子を公開しているが、そうした様子を
ビデオを通して感じてもらえれば、うれしい。
ぼくもよく気分が落ち込むが、幼児に接したとたん、気分がパッと晴れる。
だから最近は、こう思うようになった。
「ぼくのほうが、助けられている」と。
幼児教育というと、多くの人は「幼稚教育」と考えている。
が、これはとんでもない誤解。
その奥は深い!
本当に深い!
ぼくは20代のはじめは、法律を学んだ。
一応法学院にまで進んだ。
また20代から30代にかけては、東洋医学の勉強に没頭した。
同時に40歳前後まで、教材作りを「仕事」としてきた。
ぼくが制作、指導した市販教材は、無数にある。
で、貴君も知っているように、その間に、カルト教団を相手に、本を5冊
書いた。
これは貴君も知っているように、命がけの闘いだった。
おかげで宗教とは何か。
それを自分なりにつかむことができた。
そういう過去の経歴の上で、あえて断言する。
「幼児教育は奥が深い」と。
つまりそこに「私」の原点があると考えてほしい。
なぜ「私がここにいて、ここで生きているか」。
その原点がある。
言うなれば白い箱の上に、さまざまな絵や模様をつけていく。
それが幼児教育ということになる。
もちろん、もとから箱の中にはいっているものもある。
が、それはそれ。
その絵や模様が、「私」ということになる。
奥が深いというのは、そういう意味。
一生の仕事として、何ら恥じることはない。
ほとんどの人は、その価値にすら、気づいていない。
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【言語能力】Thinking Ability
●能力論
++++++++++++++++
カモノハシという動物がいる。
何からなにまで、常識をはずれている。
不思議な動物である。
そのカモノハシ。
ほかの動物にはない能力をもっている。
たとえばあのクチバシ(?)。
一説によると、あのクチバシの周囲(縁)
には、電磁波を感知するセンサーがついて
いるという。
(微弱電波、あるいは微弱電流という説も
ある。)
水中の微弱な電流の変化を感知し、それで
もって水中の生物を捕らえたり、水流の
動きを感知することができるという。
(水流は微弱な電磁波を発することが
知られている。)
人間の私たちにすれば、「すごい!」の
一言に尽きるが、カモノハシにしてみれば、
何でもない能力ということになる。
私たちが臭いをかいだり、暑さや寒さを
感じたりする能力と同じ。
当のカモノハシは、自分のそういった能力を、
何も特別な能力とは意識していないだろう。
+++++++++++++++++
●言語能力
それぞれの動物には、それぞれ特殊な能力がある。
イルカにしても、レーダーに似た能力をもっているという。
自ら超音波を発信し、そのエコー音で、周囲の様子をとらえているという。
人間だって、負けていない。
最大、かつ最高の能力といえば、当然、「言葉を話す能力」ということになる。
人間は言葉によって、たがいに複雑な情報を共有することができる。
つまり人間がなぜ人間であるかといえば、この能力、つまり言語能力があるから
にほかならない。
「なんだ、そんなことか!」と思う人もいるかもしれない。
が、そう思うのは、ちょっと待ってほしい。
言語能力といっても、簡単な会話をする能力だけが、その能力ではない。
その程度のコミュニケーションなら、ほかの動物たちも、みなしている。
音声という言葉によるものとはかぎらない。
たとえばミツバチの8の字ダンスなどは、よく知られている。
ミツバチは、8の字ダンスをすることで、ミツのある場所を、ほかの仲間たちに
知らせているという。
ここでいう言語能力というのは、論理と分析力をともなった、知的能力をいう。
またそれがあるから、人間は前頭前野を、知性、理性の府として発達させることが
できた。
●コメント
このところ私のHP、BLOG、YOUTUBE、マガジンへのアクセスがふえて
いる。
毎月、総計で、30~50万回ほどアクセスがある(2010年11月)。
つまりその分だけ、書き込みやコメントが、多くなった。
多くは好意的なものだが、中には、辛らつなものもある。
昨日は、私のYOUTUBE動画に対して、「NHKの教育番組じゃあ、ネーダロ」
というのがあった。
私はこの一文を読んで、しばらく考え込んでしまった。
意味がよくわからない。
しかし何か、強烈な反感というか、敵意を感じた。
つまり「YOUTUBEは、NHKの教育番組とはちがう。説教ぽくて、おもしろくない。
そんな動画はアップするな」という意味か。
どうであるにせよ、今、こうした日本語がふえている。
直感的で直情的。
感情を短い文章で叩きつけてくる。
七田氏が生きていたら、「これこそまさに右脳教育の成果!」と喜びそうな文章である。
が、残念ながら、こうした文章は、人間が何十万年もかけて発達させてきた言語能力
とは異質のものである。
あえて言うなら、ケダモノの叫び声と同じ。
●論理と分析力
言語能力を発達させるためには、作文しかない。
作文に始まって作文に終わる。
言い替えると、言語能力は、文字の発達と密接にからんでいる。
文字の発明によって、人間の言語能力は飛躍的に発達した。
もし文字の発明がなかったら、人間は簡単な会話程度の情報伝達能力しかもたなかった
だろう。
その言語能力は、論理力と分析力で決まる。
脳の中では、左脳がそれを司っているという。
その能力が不足が不足してくると、それこそ、「テメー、コノヤロー、ぶっ殺すぞ!」
という会話だけで、その日が終わってしまうかもしれない。
「NHKの教育番組じゃあ、ネーダロ」というのも、それ。
もう少し論理的に書いてほしい。
もう少し事実を冷静に分析して書いてほしい。
またそのように書いてもらわないと、私のようなジジイには、よく理解できない。
●言語能力の低下
最近、あちこちの本や雑誌で、日本人、なかんずく若者たちの言語能力の低下が
指摘される。
それぞれの評論家が、それぞれの判断の中でそう書いている。
作文力がないとか、表現力が乏しいとか、など。
しかしそれ以上に重要なのが、会話力ということになる。
的確な言葉を使い、簡潔に自分の考えていることを、正確に相手に伝える。
そういった能力が低下しているという。
たとえば子どもの言語能力。
その基礎を作るのは、母親である。
母親の会話力である。
母親が、「ほらほら、カバン、カバン、帽子、もって!」と話していて、どうして
子どもに言語能力が身につくだろうか。
こういうときは、たとえめんどうでも、「あなたはカバンをもちます。帽子をかぶり
ましたか?」と話しかける。
そういう日常的な努力が、子どもの言語能力の基礎となる。
言い替えると、これは子どもの問題というよりは、母親の問題ということになる。
現在の(若者たち)は、その結果にすぎない。
●能力
私たち人間にも、ほかの動物たちに劣らない、すばらしい能力がある。
それが「言葉を話す能力」。
そこで重要なことは、それが「すばらしい能力」と、まず自覚すること。
つまりここがカモノハシと違う点と考えてよい。
カモノハシには、人間がもつような論理力もなければ、分析力もない。
だから自分たちがどんなすばらしい能力をもっているか、それを知ることもない。
しかし人間はちがう。
私たちは自分の能力を、分析し、それを論理的に体系化することができる。
さらにそれを磨き、発達させることもできる。
あとは、それぞれの個人の努力の問題ということになる。
せっかくその能力をもっていても、宝の持ち腐れにするか、あるいは宝石のように
光らせるかは、あくまでもその人個人の問題ということになる。
カモノハシという動物を調べながら、そんなことを考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 2010-11-24 カモノハシ 能力とは)
(参考)
●カモノハシ【以下、WWEBLIOより転載】
単孔目(カモノハシ目)は、現存する哺乳類としては唯一、爬虫類や鳥類のように卵を産
むグループとして知られている。(大部分の鳥類と同じように)母親が卵を温めて子を
孵化させ、孵化した子は(他のすべての哺乳類と同じように)母乳によって育てられる。
母親は他の哺乳類のような乳首をもたず、子は母親の乳腺から染み出した乳をなめとる。
爬虫類や鳥類と同様の総排出腔をもつ(これが単孔目 Monotremata という名の由来であ
る)。気温により保ちうる体温が変動するなど多くの哺乳類に比べれば体温調節能力が低い。
このような特徴から、単孔目(カモノハシ目)は、進化史の中で、非常に早い時期(おそ
らく三畳紀)に他の全ての哺乳類のグループと分岐したと考えられ、現生哺乳類で最も原
始的なグループとされる。そのため、このグループは、「原獣亜綱」として、亜綱のレベル
で他の哺乳類(獣亜綱)と区別されている。
(以上、Weblioより)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【息子たちへ】
●映画『レオニー(Leonie)』★★★★★
++++++++++++++++++
仕事の帰りに、深夜劇場に足を運んだ。
『レオニー』を観た。
観客は私たち夫婦を含めて、8人前後。
あの広い劇場が、ガラガラ。
「暇つぶし」と覚悟を決め、席に深く
体を沈めた。
が、それがとんでもないまちがいだった。
映画が始まると同時に、心がどんどんと
スクリーンの中に、吸い込まれていった。
レオニー役の女優が、嫁のデニーズに
瓜二つと言ってよいほど、似ていた。
加えてあのアメリカ人独特の、ジェスチャ、
目配りの仕方、反応の表し方などなど。
1カットごとに、デニーズを思い出していた。
が、そうした「ひいき目」を除いても、
星は5つの、★★★★★。
すばらしかった。
泣いた。
涙、ポロポロ。
またポロポロ。
横を見ると、めったに泣かないワイフまで、
ハンカチで顔を何度もぬぐっていた。
よかった。
映画が終わったとき、別の人生を駆け足で
走り抜けたような実感を、ズシリと覚えた。
実話をもとにしているだけに、フィクション
映画にありがちなスキがなかった。
人間の心が複雑にからみあいながらも、
ストーリーが矛盾なく流れていった。
劇場を出るとき、「よかったね」とワイフに
言うと、ワイフも「よかったね」と。
会話はそれだけ。
久々によい映画を観た。
++++++++++++++++++++
●二男
数日前、二男と電話で話した。
その中で、二男がこう言った。
「ぼくはパパから学んだことが、ひとつある」と。
「何だ?」と聞くと、「パパは、借金はするなと言った。ぼくはそれを守っている。
だからみな周りの人たちは、借金漬けで困っているが、ぼくは借金がない。
だから、ぼくは楽だ」と。
で、あれこれ私は説明した。
この資本主義社会の中では、借金は避けて通れない。
またどんな事業を興すにも、個人の力には限界がある。
そこで借金、つまり株式制度というのが生まれた。
アメリカで、それが発展した。
だから借金をしないのが、よいというのではない。
私も、土地を買ったり、家を建てたりするときには、借金をした。
が、その場合でも、「預金担保」といって、同額のお金を、まず定期預金にする。
その定期預金を担保に、お金を借りるという方法を使った。
が、個人の立場でいうなら、借金はしないほうがよい。
若いころ、ある経営者が、こう教えてくれた。
その人は当時、浜松市市内で、1、2を争う電気通信企業の社長をしていた。
●生活の安定
名前をYS氏と言った。
そのYS氏、こう教えてくれた。
「どんなにころんでも、家庭だけは守れ。最低限の収入は確保する。
それができたら、あまったお金と時間を使って暴れろ!」と。
つまり家庭を維持するための最低限の収入は確保する。
またそれを守る。
冒険するのは、その外でしろ!」と。
で、私はYS氏の教えを、かなり忠実に守った。
当時私は塾経営を、生活の基盤にしていた。
この仕事のよい点は、生活が安定すること。
単位時間当たりの収入は少ないが、急激な変化というのは、ない。
それはそれとして、私は別の世界で、別の仕事をした。
翻訳に通訳、代筆に本の編集など。
貿易の手伝いもしたし、もちろん家庭教師や予備校の講師もした。
こうした仕事は、単位時間当たりの収入は多いが、不安定。
仕事が重なれば、徹夜。
なければ、ヒマ。
【アメリカの宗へ】
誤解しないでほしいのは、「借金が悪」とぼくが言ったのではないということ。
必要なときは、借金もする。
ぼくも一度だけ、10円を借りたことがある。
どうしても電話をかけなければならなくなったときのこと。
10円硬貨をもっていなかった。
それで10円を借りた。
その10円が、ぼくにとっては生涯で、最初で最後の借金。
翌日、その貸してくれた人に、菓子箱をつけて10円、返しに行った。
相手の人は、驚いていたが……。
ただ「借金をする」イコール、「他人にものを借りる」というのは、
最小限にしたいね。
どこかで人生観につながっている。
自分の時間は、自分のもの。
一瞬一秒、すべて自分のもの。
借金をするということは、その時間を、他人に譲り渡すようなもの。
ひどいばあいには、借金に追われるようになる。
そうなると、自分の時間など、どこかへ吹き飛んでしまう。
ばあいによっては、「家庭」そのものが、危機的な状態に追い込まれる。
つまり生活の基盤がゆらぐ。
それだけは、避けようね。
どんなに貧しくても、またみずぼらしくても、「家庭(HOME)」だけは、大切に。
他人に譲り渡してはいけない。
家族を路頭に迷わせてはいけない。
つまりそれが「借金をするな」という言葉の意味と考えてほしい。
ともかく、借金をすると、(たぶん?)、生き様が卑屈になる。
その相手に頭があがらなくなるからね。
自由と独立、プラス、尊厳を守るためにも、借金は避けたほうがいいよ。
もしどうしてもお金が必要になったときは、ぼくに言いなさい。
無利子で、期限を付けないで、貸すよ。
ただしできるだけぼくと晃子が、元気なうちに、少しずつでもいいから、
返す……という条件は付くけどね。
で、もう一言。
支払いは、どんな支払いでも、ぼくは1週間以内にすますようにしている。
いくら相手が「来月でもいい」と言っても、そうしている。
相手を不安にさせないこと。
これはたがいの人間関係を、すがすがしくするためのコツではないかな?
どうか参考にしてほしい。
【浜松の周へ】
幼児教育のすばらしい点は、楽しいこと。
それに幼児には、「汚れ」がない。
プラス、パワーに満ちあふれている。
今、YOUTUBEで、教室の様子を公開しているが、そうした様子を
ビデオを通して感じてもらえれば、うれしい。
ぼくもよく気分が落ち込むが、幼児に接したとたん、気分がパッと晴れる。
だから最近は、こう思うようになった。
「ぼくのほうが、助けられている」と。
幼児教育というと、多くの人は「幼稚教育」と考えている。
が、これはとんでもない誤解。
その奥は深い!
本当に深い!
ぼくは20代のはじめは、法律を学んだ。
一応法学院にまで進んだ。
また20代から30代にかけては、東洋医学の勉強に没頭した。
同時に40歳前後まで、教材作りを「仕事」としてきた。
ぼくが制作、指導した市販教材は、無数にある。
で、貴君も知っているように、その間に、カルト教団を相手に、本を5冊
書いた。
これは貴君も知っているように、命がけの闘いだった。
おかげで宗教とは何か。
それを自分なりにつかむことができた。
そういう過去の経歴の上で、あえて断言する。
「幼児教育は奥が深い」と。
つまりそこに「私」の原点があると考えてほしい。
なぜ「私がここにいて、ここで生きているか」。
その原点がある。
言うなれば白い箱の上に、さまざまな絵や模様をつけていく。
それが幼児教育ということになる。
もちろん、もとから箱の中にはいっているものもある。
が、それはそれ。
その絵や模様が、「私」ということになる。
奥が深いというのは、そういう意味。
一生の仕事として、何ら恥じることはない。
ほとんどの人は、その価値にすら、気づいていない。