ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

物理学で天才とはどのような才能だったのか

2020年06月24日 | 教育問題
まず、肝に銘じてほしいのは「数学と物理学とは大きく異なる」という点ですw

 グラショウは「数学論文は詩のよう」「物理学論文は短編小説のよう」として、まあ、その違いを説明していましたが、ふむ、大きく異なることは確かですがな、そうですのや。ワシは「数学は何でも使って自由に解く」「物理学は制限制約を逆手に使って不自由に解く」というよーな言い方をしておりまして、いずれにしても「物理学は数学とはかなり異なる学問だ」と自覚しておる次第。

高校で❝似て非なる教科❞だと思った向きなら多いのでは?

 その物理学を以前より自由度を増大させて事象のこじつけを計っておられるのが標準模型サイドだから怒っておるのですがな、そうですのや。まず、小林=益川模型のペンギン過程がそうなのですが、そこは未知のプロセスなのでエマージェンシーあるいはアドホックに、んー、エネルギー非保存過程を導入してあるのですけど、個人的には❝いずれ解消してもらいたい綻び❞ですのや。ユニバーサルフロンティア理論だとエネルギーが保存しますからな、そうですがな。そこを標準模型サイドは大いに拡張なさって微小領域における素粒子質量を変化させたり、言うなればやりたい放題ですのや、そら、イカンのと違いますやろか、そうでっせ。

あ、話が脱線してしまったw

そんなワケで数学的に難解というのが物理学上の天才というワケでは無いのですがな!

 ゲルマンがそうですし、アインシュタインの光量子仮説なんかもそうですのや。後者はいかようにも難解に解釈する余地がございましたけど、アインシュタインによる天才的発見だったのは難解なトコロじゃございませんから。近代素粒子論はゲルマンに始まったみたいなトコロがございますから、ゲルマンのような天才というのが一つの基準になりますかね、そうですがな。

そら、ゲルマンだってワシなんかよりずーっと賢いですが、ワシはそんな事を言っておるのではないですのやw

 物理学を進展させるにあたって、ゲルマンがクォーク導入の際に使った才能と言ったら「電荷+2/3や-1/3を上手く使ったらクォーク三つ組から核子が造られる」と言ったよーな泥臭い手細工でしたのや、そうでっせ。物理学がそのよーな道であったならば、そこには天才棋士藤井七段みたいな存在が出現して可笑しくないワケで、ま、そうで無いのが面映いというか残念というか、ま、そんな感じですけどね。ま、ハーバード物理は情報が漏れてそんなことにならないよーに秘密主義で上手くやりおった、というよーなトコロがありまして、学者の平均年齢が下がるというよーな事は無かったらしいですのや。

素粒子ともなると素人にも手の届くところに発見があったりするのですがなw

 それを嫌がっているというトコロがありまして、ま、当理論なんかもあんまりよく思われていないなという空気を感じるのですけど、んー、思い過ごしなのかなド~なんだろ。いずれは小林=益川行列の基礎付けまで仕事にしよーとしている当理論、ユニバーサルフロンティア理論の事ですけど、を、嫌わせはしないぞと頑張ればいいのか、ま、微妙なトコですのや、そうですがな。天才だけが能じゃ無かろうと思う反面で、ギフテッド皆天才なんて情報も入ってきまして、んー、ワシだってそーかもな~んて色気に駆られたりしますがな、ははは。

でも、ね、ある意味で大学の先生と言うのは正しいですわなw

 当理論によって高校生素粒子学者みたいなモンが出現しよったとしても、将棋指しじゃあるまいし、いつまでも学者というワケには行かないでしょーな。あー、ワシなんかがやっててちょうどかあー、なあ~んてね。でも、チャンスは残してあげて欲しいという気もしますのや。

素粒子の世界に十代で歴史に名を刻むチャンスを!

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1 コメント

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. (しらさぎ)
2020-06-26 22:33:55
本当、数学と物理学は全く異なるものですよね。
それは、そもそも入口の部分、すなわち小学校入学時に出てくるそれらの学問(教科)は、似ても似つかないことでも分かる。

私も、言うまでもなく小学校低学年のときは、算数も理科もトップクラスではありましたが、その際、祖父に「タケちゃん(私)は、理数系の人なんだね」と言われました。
しかし私は実感がわかなかったんですよね・・・
少なくとも小学校段階において、算数と理科は全く異なる。
なので、算数と理科をまとめて「理数系」などと呼ぶこと自体理解不能でした。

その後、小学校高学年(私立中学受験しない場合は、中学以降)で、ようやく、理科の中でも物理で、ある程度計算が出てくるので、数学を使用しはじめる、といった程度。
そして高校物理では思いっきり数学を使用するが、これはあくまで数学を、たまたま理科の他の科目よりも多く「利用」しているだけ。

従って私も明確に、高校では、数学と理科は似て非なる教科、だと考えておりました。
数学と物理を似たものと考えるのは、これは進学校でよく見られる見解ではありますが、これは「大学受験(特に、センター試験)の都合しか考えてない」証拠であり、私の高校もその立場をとっていました。

一方、本格的に理科を考えるなら、当然のごとく「似て非なる教科」と考えますよね。
私の大学は明確にこちらの立場です。
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