ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

せっかくだから宗教論理も面倒見るとしよう

2006年10月31日 | Weblog
歳をくったニュートン卿が最も力を入れたのは『神学大全』だったと聞きます・・。 . . . 本文を読む
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量子インフレーションは恐るべき自然現象

2006年10月24日 | Weblog
あっと驚くことに数学の基礎を根底から変えることができました! . . . 本文を読む
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反応と反応との間には素粒子は実在していない?

2006年10月23日 | Weblog
ボーアともアインシュタインとも異なる認識で勝負します! . . . 本文を読む
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素朴だ素朴だと馬鹿にしなさんなよ

2006年10月20日 | Weblog
アナタ達だって素朴に公理主義を信奉してるだけではないですか? . . . 本文を読む
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いずれも無矛盾だがUFTではこちらを採りたい

2006年10月19日 | Weblog
すったもんだの挙句にこうなりました! . . . 本文を読む
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号外に次ぐ号外!ラッセルがパラドクスである体系は間違い

2006年10月19日 | Weblog
設定とか規則とかで解消するんですよ! . . . 本文を読む
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とおりすがりさんの意見に対して反論というか弁解というか

2006年10月17日 | Weblog
まあ、集合論で正統と思われているぐらいならこんなとこで管を巻かないですよ! . . . 本文を読む
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号外!ラッセルの逆理に解決法が見つかった

2006年10月12日 | Weblog
これだってプライオリティーだぞ、って言いたいですよ・・。 . . . 本文を読む
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ユニバースは宇宙開闢粒子なのだ!

2006年10月12日 | Weblog
「それでいいのだ・・」と続けたら、まるでバカボンのパパみたいですが・・。   . . . 本文を読む
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補足!このアトムだか素領域だかは転がっています

2006年10月08日 | Weblog
(最新の研究結果をドウゾ・・)  アイソスピンI3の値から電荷を証明するのは素粒子論者の夢の一つでもあります!小さそうな夢ですが小さくはゴザイマセン・・。UFTではそのために幾つかの仮定を用意しました。一つには現状の物理学で言われているアイソスピンを荷電二重項、具体的には±1/2のものだけを本質として採用するという省略です。どうしてそんなことをするのかといえば、ここで問題となる素粒子(単一の粒子 . . . 本文を読む
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量子インフレーションは先入観を超えて進行します

2006年10月07日 | Weblog
+φ状態(H軌道)に在った素領域{φ}が-φ状態(L軌道)に落ちたらエネルギー収支の帳尻を合わせるために+φ状態に新たな素領域{φ}が二つ生まれる。  ±φを位置エネルギーのように考えると、+φと比べて-φは低下していますから、落下によって2φの余剰エネルギーが放出されます。するとH状態のエネルギーは+φですから、そこに二つの{φ}が生まれて帳尻を合わせる以外になくなります。こうして生まれたH軌 . . . 本文を読む
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補足!これはアトムから始まったプランが進展したのです

2006年10月05日 | Weblog
 当初のプランと致しましては・・、というところですが、2004年は鉄腕アトムの誕生日の有る年だというので「語呂を合わせて間に合わせようとした」ことがあります。結局、誕生日までには満足いく結果が得られなかったので日伸びになっていたのですが、図らずもアインシュタインというか相対論100年祭の2005年に完成されることができました!全体の構想はもう少し前から持っていたのですが、実を申しますと「宇宙の起源 . . . 本文を読む
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UFTによる宇宙の起源は素領域です

2006年10月03日 | Weblog
 なにやら耳慣れない言葉だと思う人のために説明しておくと、元はといえば宇宙原子アトムだと言ってたものです。それが素粒子とは性質が違うことが分かってきたので(かつて湯川がこだわりを持っていた)『素領域』と言い出したわけでした。かつての素領域とは概念としては同じでも活用の仕方が趣きが異なるのは致し方ゴザイマセン・・。ノーベル湯川の発想だと「場の無限大の根本的解消の為には非局所場か、素領域か、しかない! . . . 本文を読む
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宇宙という集合は己自身を含んでいるか・改

2006年10月01日 | Weblog
(文章の不備を発見したので再投稿します・・、より優れた解決になっていると思います)  世に『ラッセルのパラドクス』というものがあります。それだけでカントル以来の数学史が無に帰するんではないか、という次第で“数学の危機”を叫ばれる事態にまで陥りました。私はこのたび自分でそれを解決したと自覚しております。これってどういうことなんでしょうか? やっぱり「俺って天才」であって他になりたくてもなれないの . . . 本文を読む
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