ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

著作権は学問のすべてでは断じてなくプライオリティーがすべてという訳でもない(その2)

2012年08月01日 | Weblog
プライオリティー(先取権)とは先発権とも言われ、俗に分かりやすくは優先権というのが元来の意味であり、ゆえによく争いごとに繋がります・・w)

古くはニュートンとライプニッツの争い、比較的に新しくは一般ゲージ場をめぐるヤン=ミルズと日本の内山龍雄の争いがあげられます。聖人君子であればそれでよさそうな学者の世界に俗世のどろどろを持ちこんでしまうのが、このプライオリティーですが、なにかと紛らわしく悲喜こもごもの元になったのが数学における老ボリアイの次のような言葉です。

「息子よ、非ユークリッド幾何学が出来たのだったらすぐに発表してしまわなければならぬ、科学上の新発見というモノは春の野に咲くスミレの如く、名乗りを上げなければ知らぬ間にそこらじゅうで咲き誇ってしまうからな」(ボリアイ・ファルカシュ)

まことに当を得た言葉とはこの事だという人も多くおりますが、根拠となった事実はその最初の話、大陸に渡ったニュートンが「誰にも教えておらないはずの微積分計算の咲き誇った姿を驚いた」というドッキリカメラばりの出来ごとに根ざしていたように思われます。つまり「独立発見したライプニッツがいた」のですよ。じつは二人は書簡をマジわしておりましてニュートンは微積分のアイデアを仄めかして全部までは書かなかった、大数学者ライプニッツとしたら(それをヒントにして)しかも「独自の形式の異なった微積分を打ち立ててしまった」という事の顛末でありました。

ニュートン流の微積分は本人の命名によれば『流率法』といい、ライプニッツ流の微積分は『無限小解析』と言われます・・w)

比べたら卑近で直接的なイメージのニュートンに対してライプニッツは数学者らしく論理的だと言えるでしょう!

じつは私の所有している『超微分』は極限の定義を1点だけずらすことによっていわゆるロビンソンやネルソンのような難解な基礎を証明することナシに使える実用的な超準解析に仕上がっている優れモノなのです。おそるべきことには「任意のn次導関数を一回の割算で求められる」というシンジラレナイ信じてくれなくて良い特徴がございます。

さて門外不出の流率法がどーして外部に漏れてしまったのか、は誰でもわかってしまうでしょう、ライプニッツだったらニュートンの発想の根源を知るだけで自分好みの別体系すら打ち立てられてしまうということです。されど怒り狂ったニュートンの悔しがるまい事か、アカデミーを使った全調査の結果として「ニュートンが先だった」という結論をライプニッツ側に突きつけてお終い、てなもんです。事柄の公正を欠くかどうかに関して私見では「公平なやり口ではないが後先だけで決まるのならばそうだろう」ぐらいの中立的な立場です。

ただサロンにおける寵児として人気を得ていたライプニッツは信用を失い葬儀の折には参列者がたった二人といったありさまだったと聞きます・・w)

大数学者らしくもない寂しさです、これがベートーベンだったら全欧州から25,000人が殺到したと聞きます、国葬じゃないんですよ?

もっともライプニッツには元から悪い癖がありまして、おっちょこちょいでして、ライプニッツの定理と自ら名付けた数学上の功績は歴史家の調べたところでは「インドの算数学者が何百年も前にやっていた物」だったらしい。ま、それだって「ちょっとしたご愛嬌だった」で済む話ではありますが、あれやこれやでニュートンが憎たらっしくもなってくるのです。ウィルソンの定理として有名だった素数判別法は計算機では使い物にならないものの“例外が存在しない一般解”として重宝だったものですけど、高校生ウィルソンが予想して師が証明した麗しい定理は、ライプニッツの定理と同じくインド人の手によって同じく数百年前に為されておりました。

なにもかもを歴史研究に委ねなければ仕方ございませんよ?

そこでプライオリティーというのは非常に現世主義的な意味合いを帯びてまいります、内山龍雄はアメリカに通じる場で発表できなかったゆえにヤンとミルズに後れを取ること一年にて無視されたのですし、ヤンとミルズにしてからが二〇年間もその論文が参照されませんでした。ただ使われ方が違いまして、ヤン=ミルズ場がSU(3)の色量子力学に用いられたのに対して、内山の一般ゲージ場はすべての総括もしくは一般ゲージ重力場に用いられます。

UFTとすれば、そこに【超対称性原理(SUSY)】を適用して《超対称性一般ゲージ重力理論》にまで高めたいという所存におりまして、だから目先の利害打算に通じるだけのプライオリティーは学術のすべてではございません、断じて!




と は 言 っ て も ユ ニ バ ー サ ル フ ロ ン テ ィ ア 理 論 の プ ラ イ オ リ テ ィ ー を 他 に や る 訳 に も イ カ ン の だ わ な ・ ・




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