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ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

著作権は学問のすべてでは断じてなくプライオリティーがすべてという訳でもない(その1)

2012年07月31日 | Weblog
そもそも、著作権というのは思想や感情に対して与えられる物だから、数学の解法や証明そのものには与えられず事実に関する貴重な情報にも与えられることがナイ!

実利的に考えても、例えば受験問題の解き方に著作権が与えられたりしたら他の人は同じ解き方を解答用紙に無料では書けなくなるし、抜け駆けのスクープというのは可能でもニュースソースの独占なんかを許したら一社だけしかTVや新聞を観られなくなる。そんなことが起こったら大変だという判断があってかあらずか知らないが、とにかく良く出来ている。そこを「この問題はこのように解けば最良の解答になる、その理由は~」「福島第一原発爆発は天災ではなくて人災であるように思う、その理由は~」とやれば著作権が生じる。べつに理由づけていく論法ばかりじゃなくても「作者の思想や感情を表した著作物」であれば著作権だという話だ。

この事を「理不尽だ」と思う数学者や物理学者が存在した、として話を進めようかと思う・・w)

著作権がナイということは「料金が取られない」ということで「無料で他の人が使える」という意味であり、このことは政治家の風貌には肖像権がナイという話にもっとも近く、顔を無断で使用された上に相手は金儲けなのに理不尽だという感情の元にもなる。しかし、それは仕方がナイ、昔からそーキマットル、講談社刊ブルーバックスシリーズにタキオンを扱った物があって「政治家は科学をわかっていない」というおどろおどろしいフレーズと共に、その背景に田中角栄の似顔絵がうっすらと浮かび上がるように印刷されていたが、そのよーな諧謔は、まー、される方が悪いのである。その場合にストーリとしては再解釈原理の話の途中だから、科学者だの科学だのいったところでオカルトに近いぐらいの偽科学的な話題なんだが、あちらの、とくにアメリカ社会においては堅い事は言わないように出来ている。

その場合に「タキオンなんか存在しない」としたら「真理ではナイ、から彼らには著作権がある」ということか、という反論が考えられるよね?

ある意味ではそうであるがべつの意味ではそうでなくて“真理ではナイ”という理由だったら、彼らに存在するのは“SF小説としての著作権”だということだろう。真理ではナイと決まったわけでもない、という場合には彼らの学説だということになるが、いずれにせよ学問としての評価問題と著作権とは無関係である。それで『レフェリー制度』ということになるワケだが、レフェリーの仕事は掲載可能かどうかに関する論文の査読であって、けっして正しいかどうかの評価そのものじゃない。さらに一世を風靡して悪名と化してしまったが、あの超光速ニュートリノの一件なんかを思うにつれて「レフェリーのレフェリー」あるいは「審判による決定を審議する制度」まで必要になってくるという気がする。実験が「99.9999%の確率もしくは5σ」という基準が設けられているのだったら理論だって同じだという頭もある。

そうしたらきっと『リサの余剰次元理論』なんかも実験で何も出なかったらはねられるだろうな・・w)

やはり「正しい可能性があると思う」だと「正しくない可能性はもっとあるのではないか」だったりするわけだから、よーするにそんな話になってきたら学問の評価問題において著作権を持ち出すのは邪道だという話になってくる、ほれ、説明できただろ?




本 日 は こ こ ま で 、 プ ラ イ オ リ テ ィ ー 問 題 は ま た 明 日 ・ ・ 、 あ ー 、 お も く そ 暑 い 、 や な 夏 だ !

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