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基礎から学ぶ社会保障制度改革<芝田英昭> 第24回市町村議会議員研修会

2013-11-07 19:30:25 | 研修会など
 11月5日(火)&6日(水)と第24回市町村議会議員研修会がチサンホテル新大阪でありました。その研修会の内容です。


 1日目の1番目は「基礎から学ぶ社会保障制度改革」と題して立教大学教授の芝田英昭先生の記念講演でした。


 講演の前半は、社会保障制度改革国民会議の中の議論を中心に今の社会保障がどういう方向に進もうとしているのかが論じられました。


 最初に、この度の消費税増税が社会保障の充実につながるとしています。

年金・医療・介護・少子化に対する施策の経費に充てるとなっている一方で消費税法一部改正法附則18条2項には「成長戦略ならびに事前防災及び減災等に資する分野を重点的に配分する」とあり消費税で社会保障充実は、「幻想」以外なにものでもないと主張されました。


 次に、ゲートキーパー「総合診療医」でフリーアクセス規制の議論です。

「いつでも、好きなところで、お金の心配せずに、求める医療を受けることができる」医療から「必要な時に適切な医療を適切な場所で最小限の費用で受ける」医療に転換すべきとの検討が社会保障制度改革国民会議や社会保障審議会医療保険部会等でなされています。


 次に、療養(健康保険が使える)の範囲の適正化と混合診療解禁へ加速、私的保険の拡大がなされようとしていることです。

適正化とは縮小することを意味しています。また、現在日本で禁止している混合診療を無制限に導入されれば

①製薬会社・医療機器会社は、多額の費用投入で治験等の検査は必要なくなり、自由価格で使用、販売し患者の負担が不当に拡大される可能性がある。

②安全性、有効性が確認されない医療行為が保険診療とともに実施されるおそれがある。

混合診療とТPPとは密接な関連があります。

3人に1人がガンで死亡している今の現状で、混合診療が解禁されると、がん治療において治療に伴う費用が高額となるのは必至です。この点をカバーするのが「がん保険」であり、日本では米国のアフラック社が契約の8割を現在占めています。


次に、医療費削減にジェネリック医薬品の使用促進が言われています。

一方でTPP加盟交渉会議では、世界的な製薬会社を抱える米国が新薬の特許期間(※現在20年)を延長するよう要求しています。

ジェネリック医薬品の製造を遅らせることで米国製薬会社は多額の収益を長期にわたって確保することが出来ます。


次に、介護保険給付から要支援者を排除しようとしている点です。

介護保険次期改定では、要支援者約140万人(介護サービス受給者)を介護保険から外して、「ボランテア、NPOなどを活用して、介護予防サービス費4200億円の削減を狙っています。

素人による任意の自治体事業に移管することで十分な介護予防・生活支援が出来るかが問われます。

 国民会議は、「高齢者の地域活動により、医療費の削減は可能。高齢者の社会参加を通じた介護予防を増進」といっています。

確かに「高齢者の社会参加を通じた介護予防を増進」させることは大事な視点ですが、
日本の地域共同体は崩壊し、地縁、血縁、社縁からなる社会的紐帯も極度に弱体化している中で地域に何もかも丸投げしてしまうのは無責任ではないかといことです。


 次に、医療や介護において軒並み自己負担の増を打ち出しています。

高齢者医療において、現在70歳から74歳は、暫定的に自己負担は1割だが、法律どおり、2割を適用すべきというのが国民会議の議論です。

介護保険においては、「一定所得以上の所得がある者や預貯金などの資産を有するものには応分の負担」を求めるべきだと議論されています。

マスメディアはこの「一定所得以上の所得」と書いたり報道していますが「一定所得」がいくらなのか決めるのは政府で、必ずしも高額所得者だとは限らないのではないかという懸念も残ります。



 さて、後半はそもそも社会保障とは何なのかという議論に移りました。

 資本主義社会においては国民のほとんどが労働して賃金を得て生活(労働生活)しています。また、得た賃金を基にして消費活動(消費生活)を行います。

この二つの生活(経済生活)が人間の生活基盤となります。

これらを土台として社会的生活(地縁や社縁等による人間関係)や精神的生活(学校での学習や恋愛等)や政治的生活(労働運動や住民運動)を営むことが出来ます。

これら3つの生活は経済生活が不安定になると営めなくなります。

この経済生活は生活事故(低賃金、失業、定年退職、疾病、要介護、障害、生計中心者の死亡など)により不安定になるので、これらに対応した公的制度・政策(社会保障制度)により安定させようとするのです。

社会保障は以下のように分類出来ます。

①所得保障
 ・社会手当(児童手当)
 ・失業給付
 ・労災給付
 ・年金給付
 ・生活保護(公的扶助)

②対人社会サービス
 ・福祉サービス
 ・医療サービス
 ・保健サービス

また、社会保障が対象とする生活問題は以下のように分類出来ます。

①生活障害
 社会的・精神的・政治的生活を阻害する要因を抱えてそれが生命や生活の再生産を脅かす状態。具体的には幼弱、疾病、心身障害、高齢、要介護、非行、貧困な住宅等。対人社会サービスやその他一般公共施策が対応。

②生活危険
 生活事故により一定水準を保ちながら営まれていた生活が水準を下げなければならない状態。所得の中断(失業、疾病、労働災害)、所得の喪失(退職、障がい、生計中心者の死亡)、不意の出費(結婚、出産、疾病、要介護、死亡)など。所得保障が一定くい止める役割を果たす。

③生活不能
 生活水準が健康で文化的な最低限度の生活を大きく割り込んで、放置すれば生命の維持、再生産が危ぶまれる状態。生活保護が対応。

社会保障がどう機能するかで、国民が孤立せず幸福に暮らせるのかどうかが決まります。


 それでは、2012年8月10日に可決した「社会保障と税の一体改革関連8法」は国民の幸福に寄与するのかが問われます。

中心をなす「社会保障制度改革推進法」の「基本的考え方」は国民の「自助」「自立」を中心に置き「家族相互」「国民相互」の助け合いで支援していくというものです。

憲法25条は「国民は健康で、文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、その実現に国が責任を持つことを明確にしています。

この社会保障の基本原理・原則から逸脱していると言わざるを得ない。


 次に「能力の協働性」から税負担を考えるということです。

高所得者が40%もの所得税を支払うのは努力したものが報われない社会だと言う主張に対して、「能力の協働性」からの視点が抜けていると指摘しています。

人間の能力は個人の努力だけで開花するものではなく、その能力が高まるものではない。

人間は人との関わり中で協力・協働しながら能力が開花していく。

個人の努力によってのみ儲けられたというのは間違いである。

周りの人からの支援(協力・協働)があったことを捨象している。

儲けた人はその分を国家という機構を通じて税金を払うことで協力・協働への当然の義務として周りの人へ還元(多くの所得税を支払う)すべき。


 また、企業も同様で、一企業だけで努力したから膨大な利益を上げたのではない。

下請け会社からの部品調達するために鉄道網・道路網が必要になるが、一企業がそれらを造ったわけではない。税金で造られたものである。

大企業が大きくなれたのは、多くの国民が協力・協働したことでその企業が能力を発揮することが出来たのではないか。


 最後に、社会福祉分野に営利法人参入は馴染むのかという問題です。

営利企業の第一義的な関心は「営利」であり、国民の生存権保障ではありません。

もし、営利企業の理屈が医療現場に入った場合を考えます。

医療の現場では、患者には情報がなく、治療する側には十分な情報がある状態になります。

患者に対して同じ効果があっても、高額な薬を勧めたり、高額な器具を使い、高額な治療方法を施すことになります。

人権原理を優先する社会の構築を目指すのであれば、社会保障分野への営利法人参入は制限されるべきです。

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