闘え!文庫魂

空手を愛する熱い仲間たち
金沢文庫木元道場生におくるメッセージ

息子が緑帯に・・・

2007年02月25日 | 雑記

 今夜は、特別にごく個人的なことを書かせていただくことお許しください。今回息子が緑帯をいただくことができました。入門したのが、3歳。右も左もわからず、言葉もおぼつかず、道場と家と保育園を言ったり来たり。文庫駅から道場までの道をなだめながら雨の日も雪の日も歩きました。夕方お迎えに行ってから、毎晩12時過ぎまで道場にいて、朝は9時から保育園。罪滅ぼしとばかりに登園は、必ず父親であるセンセーが担当。歩いて10分足らずの道を虫をみたり、草花をみたり、つかのまの親子水入らずの時間だったようで・・・余裕を持って出たはずなのに遅刻したりしていたようです。(笑)保育園では帰りに私とすれ違わないお母さん達から我が家は父子家庭と思われていたようです。
 入門当初は、泣きながらスクワットを大きいお兄ちゃん達に混じって必死にやっていました。その姿を見て、おっ!これはと思ったのもつかの間、幼児ならではの停滞期。稽古中眠ってしまうは、力は入らないはの毎日。「もう辞めてしまいなさい!」何度言ったかしれません。今思い返せば、アトピーや喘息もひどかったので、よくあのハードな生活に耐えていたものだと思えるのですが。飲み会も合宿もほとんど参加。4歳ではじめて試合に出たときは、文庫の稽古生の皆さんに名前をコールされ、大声援の中初勝利。試合前の稽古ではいつも大泣きしていました。はじめて帯をいただいたのが、入門して2年3ヵ月後、6歳の誕生日を迎えていました。かつては各道場で審査をしていたので、入門から毎回ずっとその様子を見ていた息子は、審査を受けたいとなかなか首をたてには振りませんでした。審査以外にもおっそろしい組手を目撃していましたしね。なめてはいけない!それだけは誰よりもわかっていたでしょうから。でも親としてはそんな姿が歯がゆく、悩んだことも当然ありました。ただ気の弱いのも親譲り。誰よりも彼のことをわかっているのは親である自分たちです。そこにいなければならないことが、必然であるがゆえにそれ以上に強制することはできませんでした。
 「自分でえらびなさい」そう息子に言い続けてきましたが、まだ守られなければ生きていけない子供です。本当に選べるはずなどないのです。ちびの頃、「やめてしまえ!」と詰め寄ったら「ぼくが空手を嫌いになったら、みんなが空手を嫌いになっちゃうからやだ」と泣きながら言い返してきました。小学生にもならないのにちびなりに責任感のようなものをもっているのに驚かされて、それ以降「やめてしまえ!」だけは言うのをやめました。
 入門から5年8ヶ月。今回は受審も稽古も筆記もすべて促すことすらなく、自分ですべてやり遂げました。彼の意思であったことが、親としては何よりの喜びです。
彼が将来どんな選択をしていくかはわかりません。空手を辞める日も来るかもしれません。空手をやっていることが自分の自信となり、自分と向き合って少しずつでも強い人間になっていってくれたらいいなと思っています。彼なりのスピードで。
 長きに渡りいつも辛抱強く指導をいただいいる先生方、一緒に稽古をしてくれている少年部の仲間達、ちびが道場をちょろちょろするのを(私も同じようなものですが)許して見守ってくださった稽古生の皆様に心より感謝いたします。本当にありがとうございました。

 


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9 コメント

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ごとーさんありがとうございます (じむちょー)
2007-02-27 22:58:23
 センセーは、常々「親だけの影響では、底が知れている。好き嫌いを含め沢山の人からの影響を受けて生きていった方がいい。」と。私はいい人ぶりたいので自分の好きな人のみと過ごしたいと幼少期思っていましたので、身体の弱い息子を保育園に入れるのに抵抗がありましたが、センセーはポジティブに考えていたようです。結果よい先生や友達にも恵まれ、「保育園一頑固」といわれるほど、目立つ方ではないけれど、どんな場でも自分を持つことができて、私からするとうらやましい限りです。道場の皆さんからも沢山のシャワーを浴びていますしね。
 ごとーさん、強くなってない気がするなんて・・・センセーの弟子なのに言ったら恐いですよ~!心も身体も別の意味でも絶対に強くなっているはずです!空手を通じて自分と向き合っている限り。
それに・・・コメントが少なくなると相変わらず気をつかってくださるとこ。ほんと優しい人ですよね。優しい人が強くなる。これセンセーのロマンなんですよ。そして強くなってまた優しくなる。
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世の女性 (dirty gotoh)
2007-02-27 23:46:52
 ジムチョー、僕はゴトーさんではなくdirty gotohです。世の女性は僕の優しさなど全くおかまいなしですが、松山千春のようにルックスで勝負をかけようと思っています。必要ならば、シンガーソングライターになろうと思います。平安Ⅴ、コードをつけました。機会があればそのうちに。師範の好きな長渕剛のように、オフロード車で神社の階段を上ったら、神主にきつく怒られました。なんて心の狭い神主だろうと思いましたが、それが常識なんですよね。押忍。
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世の女性(其の二) (dirty gotoh)
2007-02-28 07:15:45
「神社事件」は免許とりたての若いときのことなので許してください。押忍。
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dirty gotoh氏がまだ (謎のカンフー男)
2007-02-28 10:47:41
beaty gotohだった頃,私は香港に住んでいました。ある日、ぺニンシュラホテルのブランド品店通りを歩いていると向こうから白のツナギにミラーグラスの男が。まばゆいばかりのオーラを発するその男を良く見るとなんと、ジャッキー・チェン!思わず「やあ」と声をかけそうになったものの、向こうがこちらを知るはずも無くすたすたとカルチェの店に入っていきます。あわててあとを追いかけ近くで見たミラーグラスをはずした素顔は、映画のイメージよりずっとハンサムでした。サインをねだると気持ちよく応じてくれ握手までしてくれました。ジャッキー・チェンは本当に良い人です。香港の映画館ではジャッキーの映画が終わると観客が総立ちになって割れんばかりの拍手を送ります。「よくぞ、ここまでやってくれた」とばかりに。ジャッキーは私よりひとつ年上,まだまだ現役バリバリです。私も彼を見習ってまだまだ頑張るつもりです。押忍
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ジャッキー・チェンカッコいい! (sonoyo)
2007-02-28 11:58:48
謎のカンフー男先輩が、香港に住んでいた頃、自分はニューヨークに住んでいました。一時帰国の為、空港に行くと、人だかりが・・・誰かいるのかと?思いきや、ジャッキーがニコニコ顔で皆に囲まれていました。大きな方ではありませんが、存在感がありましたね。飛行機に乗り遅れないようにと急ぎ足の彼の身のこなしは、流石にアクションスターです。謎のカンフー男先輩より少し年下の自分ですが、皆さんを見習い足を引っ張らないように努力しますので、宜しくご指導の程お願い致します。押忍
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豊富な人生経験と (じむちょー)
2007-02-28 12:16:07
 それぞれにきっと(笑)やんちゃな思い出をお持ちの皆さん!現在だってもしかしたら道場でとは違う顔をお持ちなのかもしれませんね。皆が「強くなる」ことにこだわって頑張っている。今日は第2回目の強化です。皆さんの頑張りに本当に頭がさがります。押忍
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一期一会 (dirty gotoh)
2007-02-28 21:47:10
 「2月ももう終わりですね~。深夜にテレビをつけると、え~!この番組ついこないだ観た気がするぅ。もう一週間もたったってこと?」とのジムチョーのコメント、僕はもっと先を行っています。え?もう年度末?え?もう上四半期?です。平成19年度1月1日付けで、僕は他の審査官の仕事の内容の決済をする役になってしまいました。審査官兼分類確定官といいます。他の審査官の行政処分の結果の中身をチャックして、妥当ならば決済する。でも、その他に自分の仕事もあります。年齢的に仕方が無いのだと思いますが、責任を課せられる仕事が増えてしまいます。だからといって、特別な手当てがつくわけではありません。はっきりいうとボランティアです。月末は自分の仕事ができません。他の審査官の決済で終わります。しかも安月給。耐えられません。
 謎のカンフー男先輩、ジャッキーチェンに合えたこと羨ましく思っています。その点、僕はおかしな出会いがありました。まだ大学生の頃、地元北海道から東京にくる飛行機の中で、なんだかテレビでよく見る顔の人が隣に座りました。ロッキード事件の佐藤孝行です。僕が「佐藤孝行先生ですか?」とたずねたら、そうだよと言い、僕の実家の選挙区だったので「君はどこの誰だい?」と聞かれ「後藤です」と要ったら「そうかそうか!」と言い、突然演説が始まりました。内容は「教育機会均等化」。声がでかく、とてもはずかしかったです。はやく羽田に着けばいいなあと思いました。とりあえず、物理の演習書の裏表紙にサインしてもらいました。「ロッキード、あれ真相はどうなんですかね?」と聞きたかったのですが、勇気がなくて聞けませんでした。ジムチョー、政治的なハナシなので不適当であれば掲載しないでください。
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少年部ごめんなさい (dirty gotoh)
2007-03-01 00:34:51
 じむちょー、これは実際に僕が体験したハナシです。内容は霊現象です。この時点で、大会へ向けての士気が下がると思ったら、即刻削除してください。これがかくし弾です。

 ハナシを続けます。実体験です。僕は法事で北海道へ行きました。兄弟全部が地元にいないので実家は誰も住んでいません。そこで実体験したハナシです。実家の家には、表玄関と裏玄関があります。配達などは裏玄関を使います。弟が父が亡くなってら49日、実家にいました。弟が言うには、いろんな音がする、というのです。「幻聴だよ」と言い、僕は法事のときに居間でねていました。すると、裏玄関の開ける音が実際にするのです。ガラガラガラガラ、ガラガラガラガラ、ドン、裏玄関の戸をあけて閉める音です。夜中ではありません。朝です。近所に親戚が住んでいるので「あ、またおじさん来たな」と思い、裏玄関に行くと誰もいません。おかしいなあと思いましたが、この一回ではないのです。僕は霊は怖くないので、絶対に正体を捕まえようと思い、また変な現象が起きるのを待っていました。夜は玄関のカギを閉めるのですが、玄関の鍵穴に鍵をいれてガチャガチャ開ける音が聞こえました。すぐに出ていって、正体を確かめようとしましたが、やはりだれもいません。僕だけが聞いているのではなく、弟、甥、母、息子が同じ音を聞いています。母は足だけが歩いていくのも見ています。しまいには、そういった音がうるさすぎ「またはじまったのかよ」と思いうざったい気持ちになりました。結局、正体を捕まえることはできませんでしたが、そういう現象が世の中にあるということはわかりました。何の確証もないので「ごとーの幻聴だよ」と言われればそれまでですが、やはり何かあると思っています。
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少年部ごめんなさい 2 (sonoyo)
2007-03-01 09:07:23
「ごとーの幻聴だよ」なんて事はありません。霊現象は実在すると信じています。小学低学年の時、夜中の12時過ぎに母が、「山梨のおじいちゃんが危ないから今から行って来るから妹達の事頼んだよ」と言い残し父と二人で車に飛び乗り出て行きました。眠くて仕方ない自分は、そのままウトウト1時間程まどろんでいましたら、枕元に人の気配が・・・妹が起きてきたのか?とソット見上げると、紛れもなくおじいちゃんが正座して私を見下ろしています。しかも白い着物を右前にして着ていました。「アッおじいちゃん死んだんだ。」時計を見ると1時半位でした。朝方に帰宅した両親に聞いてみると、「着いた時には息を引き取ったあとだったよ」そうです、私の所に座っていた時間がちょうどなくなった時間だったようです。その後、自分にはありとあらゆる、現象がおきています。最近では、オイラはドラマーの祖父(14年前に他界)が様子を見に、廊下辺りをスーッと通ります・・・・・・・・・
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