闘え!文庫魂

空手を愛する熱い仲間たち
金沢文庫木元道場生におくるメッセージ

昨年の昨日

2006年10月01日 | 雑記

 今年の3月文庫道場を退会し、御殿場に引っ越していったマミーズのあけみちゃんのお母様の告別式に伺っていました。たまたま子供達の忘れ物の件でよしみちゃんが電話をしたとき話してくれたそうで、遠方だからといって、センセーの大会が近いこともあって私の耳にもいれないつもりでいたようです。いつもだったらセンセーは、きっと駆けつけていたでしょうが、あけみちゃんの心遣いが痛いほどわかって、最後のトレーニングに出かけていきました。そのとき手も上がらない状態だったので、試合に出れるかどうか内心不安でそばで見ていましたが、その行動をみて、これは絶対にどんな状況でも出場するつもりでいるんだなと確信しました。

 彼女には知らせず告別式に向かう道々、あけみちゃんがお母様の臨終に会えなかったときいて、ずっと考えていました。あけみちゃんはいずれ御殿場に帰ると何年か前から話してくれていましたが、「横浜が良くって」と笑顔でいつも言ってくれていたので、その中に文庫道場からも離れたくないとの意味が入ってくれているといいなということと私自身、同じ仲間として一緒にいたい!と願っていた気持ちが、少なからず彼女達を引き止めていたのではないかと。「いつまでも先延ばしにはできないので」と家を新築され、その打ち合わせに御殿場と文庫を何度も行ったり、来たり、例の「大丈夫で~す」で何事もないように稽古に通っていたのも簡単ではない距離だということも知りました。
そこには、今まで一度も見たことのないあけみちゃんがいました。闘病生活が長かったそうですが、「親孝行したかった」と一年前の私と全く同じ気持ちでいる涙でボロボロの彼女がご主人に支えられ立っていました。棺の中には、かい君の空手の写真が入っていました。

 私達は、葬儀の1週間後の全日本には当然来られないものと勝手に思っていましたが、彼女は何事もなかったかのように道場に稽古にきて、横断幕のとりまとめの少年部担当を誰に引き継ぐことなく続けてくれたのです。その影には、ご主人の理解と協力が絶対あったはずです。そのご主人も一緒に全日本でも声援を送ってくださいました。あけみちゃんたち家族がどれほど道場やセンセーを思ってくれていたのか、私達が想像していた以上かもしれないですね。

 そして、彼女には、その先まだまだ驚かされ続けました。緑帯の審査を11月の6日に受けることになっていましたが、お母様のことがあって審査を受ける為の稽古をこなせるはずがないと思っていましたが、合宿にも参加し、御殿場と文庫を往復しながら、ほとんど稽古を休むことはありませんでした。組手の時、気合が大きすぎたり、審査が終わったときに号泣してしまったマミーズは、奇異にみられてしまったかもしれませんが、あけみちゃんが審査を受けれるまでのことを思うと我慢することができなかったのです。
 そしてもう一つ、彼女は今看護学校に通っていますが、空手とともにずっと勉強をしていました。お母様のことがあって初めて彼女がなぜ看護士さんになりたかったのかの理由のひとつがわかったので、お母様が亡くなって、きっと受験しないと思い込んでいました。たずねるでもなく、またもや勝手にそう決め付けていましたが、寝る間も惜しんで勉強を続け、歯医者さんで仕事をしながら、見事合格し、今ずーっと年下の少年・少女達と一緒になって学校に通っています。

 相変わらず、元気に「大丈夫で~す!」を連発しながら、周りのみんなを明るくしていることでしょう。彼女のような素晴らしい人に出会えて本当に感謝しています。
文庫で道場を出さなかったら、私が空手を習っていなかったらと考えるとこの出会いに本当に感謝です。今年の初め、あけみちゃんは本部で年間表彰をされましたが、そのとき彼女が言っていました。「これからも頑張って太陽のように明るく、元気なおかあさんでいたいです」と。

 


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