久慈川の365日「シガと鮎」

久慈川が流れる大子の四季

 ★2000万年前久慈川上流域は、海だった(大子・塙・棚倉)

2014-10-30 18:21:35 | インポート

 久慈川は、何故砂が多いのだろう散歩がてら七曲り・内川(矢祭)・山本不動尊の紅葉を、眺めに大子から30k・そして棚倉118号十文字から東へ西久保田へ★久慈川水系川上川に合流して流れる渡良瀬川に注ぐ赤坂川・西川流域が海であった証を残している。Dscf9091Dscf9071Dscf9086 貝の化石と砂岩礫が露出・阿武隈山系からの砂と混じって久慈川に流れ込んでいた。大子には地学博士の笠井先生に尋ねれば、地学について詳細なことが理解できるでしょう。Dscf9095 Dscf9099Dscf9096 江竜田の滝も紅葉が早く、眺めるのには今でしょうという感じです。奥久慈の京都と感じる。Dscf9070 山本不動尊季節の流れが早々である。田に水を引かない久慈川の本流と川上川の水量の差、八溝山系より阿武隈山系の川上川が水量が多めに見える。東北電力の発電所が存在することで明らかである。最近縄張りで、卵を持たないアユが多いと嘆き話す方がいるようですが、自然界は複雑で御嶽山噴火のような泥流が沢から川へ流れ込んで行くのだから全滅と言うこともあり得るので天災での陸上の種保存が安全と言う保障がない限り、海は生命の誕生の種の源なので卵を抱えなければ海(河口)に逃げることで1~3年と生き延び環境ホルモンで♂♀が再生して種を維持出来るのです。自然界は、何十億の環境変化の時間で生存するために変化し来たものであるから、人間様が考えるほど単純ではなく自然界は複雑にできているのである。大昔から地名というものが残っていたが現代人は、古代の呼び名をおろそかにし、新たな根拠もない地名で満足しているが、地名は古代人のメッセ―ジで未来の人に残した過去の暗号であることを理解すべきです。水に関しては、津・枝・平は洪水で水の乗る処と研究された学者がいる古代からの地名・・馬鹿にはできないぞ。

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