岩手県陸前高田市、白砂青松の高田松原には、石川啄木の歌碑がありました。
いのちなき砂のかなしさよ。
さらさらと握ればゆびのあひだより落つ
1896年に起きた明治三陸津波の数年後に石川啄木や金田一京助らが盛岡旧制中学の徒歩遠足の終点地として高田松原を訪れていて、そのときの啄木の歌です。
ブログをご覧になっている皆様は、もちろんご存じのとおり、ここ白砂青松の高田松原では、奇跡の一本松の復元作業が行われています。
今日こちらイタリアでもAP通信経由ではありますが、各報道機関がこの様子を伝えていました。
APからの引用では、奇跡の一本松は、1896年および 1933年の津波だけでなく、今回も海水により深刻なダメージを受け、数ヶ月前に枯死が確認されました。
風雪に耐えた173年でもありました。
全世界の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくためにモニュメントとして復元し、保存整備が計られています。
まあ、大まかに翻訳するとこんな記事ですが、先般の大地震、大津波に関することを述べていないということは、もう世界の共通認識でもあるからなのでしょう。
啄木の歌にあるようにさらさらとした砂地に根を張り風雪や津波に耐えるのは、正にミラクル。
わたくし達人間は、大自然の前には、一粒の砂のような儚い存在なのかも知れませんが、砂粒は、結集し英知を集めれば、かくのように1本の松を残すこともできましょうし、絆を持って復興という偉業を達成することもできましょう。
このイタリア語で伝えられたニュースを読みながら、都市計画、建築、土木、不動産の専門家として、一本松のように揺るぎない決意で、復興を支援していこうと、心に松の種を植えました。
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