葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

10年経過

2006年11月15日 09時24分47秒 | 日記 ・ 雑記録
葡萄舎の竣工は96年12月28日だから、今日までに 3609日経過した。
築10年、だ。

10年経てば、電球は切れる、ガス警報機は交換、etc. etc.
何よりも外壁の汚れと傷みがひどい。
思い余って、半年前に
潮風が当たる東面と、季節風が吹きつける西面を再塗装した。
勾配45度の屋根のてっぺんは地上高9mを超えるから足場を組んだ大工事だった。
南面は手抜きした。 これが間違い。
この半年で塗装面は見る見る劣化した。
再塗装を依頼したが、理想的には足場を組む工事らしい。 が、安上がりにしたい。
目をつけたのは隣宅の空き地(駐車場)だ。
お隣さんは、ご年配のご夫婦で、日頃使わない車がシートをかけて置いてある。

滅多にお会いすることはないのだが、再塗装を決めた日に偶然お会いした。
事情を話すと快諾してくださり、
工事日も決まらないのに、自動車を移動してくださった。
ならば、一日も早く工事に取り掛かって欲しいのだが、
やいのやいのとせっつくほどの大工事ではない。
と、前触れもなく、今朝、職人さんが来てくれた。

やはり、白壁はともかく、木組み部分は限界だった。
周囲の皆さんの善意で、これで、葡萄舎のいい状態が維持できる。
ありがたいことだ。

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1年経過

2006年11月15日 07時34分18秒 | 日記 ・ 雑記録
私のことだから、このブログのタイトルも二転三転しながら、
それでも 「葡萄舎だより」 だけは変えずに、今日で丸一年を迎えた。

従前の、有料日記からの切り替えだったが、
三日坊主を克服し、三ヶ月坊主も克服し、
三年坊主の克服を視野に入れるまでになったのだからたいしたものだ。
駄文の乱発だが、我ながらよく書き続けた。

途中で、遊んでいる3つのブログにそれぞれテーマを与え、
「葡萄舎だより」 は日記・雑記録に特化して
4つのブログを使い分けながら、休む日はあっても、
年間日数分以上の記事をカキコミ続けたから自分を褒めてやろう。
(今日現在、記事数368)

これから先、ブログに目標も方向性もない。
ただ、漠然と、漫然と書き続けるだけだろう。
どんなにがんばっても、あと6000日しかない。
残り6000日の雑記録だ。

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襲名

2006年11月14日 00時39分36秒 | 日記 ・ 雑記録
毎週見ているTV番組がいくつかあって、
国民的長寿番組 「笑点」 はその一つだ。

林家木久蔵という、どうでもいいような落語家が居る。
「馬鹿」 を売り物にしているのだから、頭のいい男かも知れない。
彼の実子で落語家の 林家きくお が来年9月に真打昇進するのと同時に、
二代目林家木久蔵を襲名することが決まり、現在の木久蔵自身も改名する。
周りから 馬鹿だ、馬鹿だ と言われながら守り育ててきた高座名を
(実力も知れない、年端もいかない) 息子に譲るのだから、
二世代議士みたいなものだ。
親馬鹿が横溢していて、ある意味、無責任だ。

落語家や代議士は放っておけばいいが、
歌舞伎の世界でも、いとも簡単に襲名が行われた。
梨園の名家に生まれて、馬鹿をしながらも、相応の稽古を積んだのだろうが、
歌舞伎を代表する大看板を、若造が平然と受け継いでいる。
彼らに、まだ未熟だ、という謙虚さの微塵もない。
私が痺れを切らすほど待たせた勘九郎の勘三郎襲名など、例外中の例外で、
きっと、歌舞伎にかかわる関係者は、この10年か20年、稼げるだけ稼いで、
歌舞伎が50年先、100年先まで続くなんて思っていないのだろう。
松竹の興行政策であろうが、なんとも安直に思える。

抜擢して育成するのは実業界であって、
格式のある伝統芸能の世界では、育成して抜擢するしかない、と思うのだが。
漢字に意味が込められているなら、
実力をつけてから先代の名を襲うのが 「襲名」 だろうに。

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芸のない芸人 ・ 惨

2006年11月13日 05時14分00秒 | 日記 ・ 雑記録
先日、とてもお粗末な番組を見た。
お粗末なら見るのをやめればいいのだが最後まで見たのは
哀しいまでに馬鹿馬鹿しくて面白かったから。

くりぃむしちゅー や勝俣など男性芸人が5人いて、
出される問題は5人の序列を問うもので、1位から順に並ぶ。
並び方が正しい芸人は首にレイをかけられ、
間違って並んだ芸人は外国人女性からビンタを食らう、という趣向。

当然、演技しているのだろうが、
大柄の女性のビンタは相当に痛そうに見える。
ほとんどが誤答で、4回続けてビンタを食らうのはザラ。
叩かれる度に頬を押さえて転げまわる。
そこがウリなのだろうが、なんとも哀しい。

昨今、芸人主体のバラエティが幅を利かせている。
ギャグの一つ、フレーズの一つが受けたからといっただけで、
安直に造られたエセ芸人が
掛け持ちであちこちの番組に出ずっぱりになっている。
もともと、芸の基本と、幅と、奥行きがないエセ芸人だろうから、
あとは己の肉体を痛めつけて、
恥ずかしげもなくカメラの前に無芸を晒すしかない。

芸人と呼ばれ、タレントと呼ばれる連中の、
浅薄で、なんと哀しい姿よ。
彼らを使うことで、安っぽい笑いを振りまく番組作り。
それを観て笑う私も情けないけど。

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ご当地映画

2006年11月12日 08時01分26秒 | 日記 ・ 雑記録
「寅さん」 や 「釣りバカ」 を待つまでもなく、ご当地映画は昔からあった。
その最たるものは、北は北海道の納沙布岬灯台から南は五島列島の女島灯台まで
全国の灯台15ヵ所でロケをした 「喜びも悲しみも幾歳月」 だろう。
( 女島灯台を最後に灯台守がいなくなるということは昨日の当ブログに書いたのでご参照を )

山口県、とりわけ下関は、ご当地映画の先進地、らしい。
下関出身の佐々部清監督が 「チルソクの夏(02年)」 や 「四日間の奇蹟(05年)」を下関を舞台に連発した。
「四日間の奇蹟」 は、角島がロケ地だ。
佐々部監督は今秋、人間魚雷・回天をテーマに 「出口のない海」 を公開した。
五十嵐匠監督の 「長州ファイブ」 は
幕末にイギリスに密航した伊藤博文など5人の若き長州藩士を扱った映画で、
山口 ・ 福岡で先行公開している。
つい最近、奥田瑛二監督が 「風の外側」 を撮り終えたばかりだ。

これらの映画に共通しているのは、
在日の問題や、戦争問題をテーマにしていることと、
下関の影の部分を隠さずシーンの中に取り込んでいることだ。
従来のご当地映画はといえば、観光スポットを取り入れ、
その土地を美しく描き、地元は観光客の誘致に結び付けようとする。
ご当地映画製作の、立脚点の違いが、
山口を、下関を 「ご当地映画の先進地」 と呼ぶゆえんであろう。

下関フィルムコミッションの活動など、
民間と、下関市が一体となってロケを支援しているのも好ましい。
下関市民として、誇りに思っていい、かも。

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最後の灯台守

2006年11月11日 00時08分52秒 | 日記 ・ 雑記録
私が灯台めぐりを始めて間もない今春、
津軽海峡冬景色の 龍飛埼灯台から灯台守 (灯台職員) がいなくなり、
灯台が無人化された。
そのときの記事はこちら
http://blog.goo.ne.jp/budousha/e/ed83bb06925f4ed5031b9ee24d6da0b7

それ以後、灯台守が残るのは、五島列島の南南西 ・ 女島の灯台だけとなり、
女島から灯台守が引き上げるのも時間の問題だったのだが、
今日を最後に、日本の灯台から灯台守がいなくなる。

映画 「喜びも悲しみも幾歳月」 に描かれたように、
灯台守の生活と勤務は過酷を極める。
私はそれを、
離島の頂や、人里離れた岬の先端に立つ灯台を訪ねて、実感した。
私は灯台の麓まで、行ける所まで灯台巡回車を乗りつける。
灯台への石段や坂道を登るとき、手に持つのはカメラ一つだ。
それなのに、喘ぎながら、噴き出す汗を拭いながら、登る。
ヤワな私には、灯台に行くこと、それ自体が苦労なのだ。
それだけではない。 台風など自然の脅威に真っ先にさらされるのは灯台だ。
場所によっては飲料水の確保もある。
常駐して灯台を守る苦労は、想像を絶するものだったろう。

遠隔管理や、太陽光発電で灯台の無人化が推進されたのは当然だ。
一生に一度、訪ねるかどうかも知れない私のような灯台ファンの
ロマンや郷愁に付き合っていられないのは至極当然だ。

しかし、
灯台ファンになって1年未満の私は、ついに、
「灯台守に会ったことのない灯台ファン」 になってしまった。
もう3年か4年早ければ、
どこかの灯台で、灯台守の方々に 「ご苦労様」 と言えたろうに。

とまれ、明治からこの方、全国の灯台で勤務され、
船の安全と、船人の生命と財産を守ってこられた数多くの灯台守の方々、
お疲れ様でした。 ご苦労様でした。

今日は、日本の灯台史に残る日だ。


私が灯台ファンになるのが3年遅かった、と地団駄踏んだことがもう一つ。
関門海峡で廃止になった5灯台のうち、
3年前なら巌流島灯台を含めて3灯台が現存していたのだ。
私が灯台ファンとして訪ねたときには、もう、影も形もなかった。
かつて灯台が立っていた場所を波が洗うのを見たとき、
一抹の寂しさを感じた。 
無常、だ。

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葡萄舎の東西南北

2006年11月10日 00時22分57秒 | 日記 ・ 雑記録
私の仕事場から葡萄舎までは60mばかりの距離だが、
夜、仕事を終えてその道すがら、北の方角を見やると、
北の山並みに続く空がやたら明るく、オレンジ色に輝く。
低い雲に稲光が反映しているのはすぐにわかったが、
雷鳴は聞こえないから相当遠いのだろう。
空が輝く間隔がやたらと短いから、
その場所ではひっきりなしに稲妻が走っている、ということか。

しばらく立ち止まって眺めていたら、その方角が角島だ、と気付いた。
私のイメージでは、下関長府の真北に角島はあった。
瞬間、稲光に青白く照らされた角島灯台の灯塔を思い描いた。
カメラの操作に自信があれば、すぐさま駆けつけるのに。

地図を見たら、角島は長府の北北西で、真北ではなかった。
真北は東径131°の線だから、その近くの灯台といえば長門川尻岬灯台。
郷里の灯台だ。

ついでに真南を見たら、部埼燈台の西を通って、その先に灯台はない。
都井岬と佐多岬の中間を東径131°は通っている。

中学・高校で使う日本地図の地方図は、大体、円錐図法で描かれているから、
真東と真西は定かでない。 それを知るには正距方位図法しかない。
メルカトル図法には功罪があって、その罪の部分に馴染んだ日本人は
日本の真東に北米のカリフォルニアがあると思っている。
日本の真東は、南米アルゼンチンの、ブエノスアイレスの方角だ。
となると、頭の中に構築していた地図はガラガラと崩れてくる。
だから、長府の真東に、どんな灯台があるか私は知らない。
北緯34°の線は、熊野灘の三木埼灯台の近くと、三宅島の南を通るが、
それは真東ではない。

今度 キャプテンにお会いしたら、長府からの真東と真西を聞こう。
それにしても、人騒がせな稲妻だ。
あ、私が勝手に騒いだだけか。

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竜巻

2006年11月09日 09時37分06秒 | 日記 ・ 雑記録
寒波が通り過ぎて、青空と程ほどの気温が戻ってきた。
気付かなかったが、空気の乾燥は思った以上で、
水仕事をしてケアをしないと、もう、指先に亀裂が入っている。
暑くなるまでのこれからの半年、私の好きな季節だが、
指先が荒れるのと、肌のカサカサは困ったもんだ。
何もかもが思い通りにならないのがこの世。 仕方ないか。

ところで、この度の寒波、低気圧、寒冷前線は
佐呂間町で空前の竜巻被害となった。
亡くなった方とご遺族はお気の毒で、
瞬時にして人生の積み重ねを全て失った方もお気の毒だ。

あの朝、下関は突如として寒波に襲われて、日頃見ない天気図を見た。
北海道の中央東寄りに低気圧の中心があり、
知床に延びる温暖前線と、本州に沿って伸びる寒冷前線があった。
いま思い返しても不思議で仕方ないのだが、
北海道にある低気圧を見たとき、なんだか厭~な気がした。
竜巻の発生なんて思い及びもしないが、何かが脳裏に残った。

報道番組では、竜巻の発生を予知できないものか、などと間抜けなことを言っているが、
予知などできるわけがない。
竜巻発生の条件が揃ったアメリカ南東部だって、予知は至難の業だ。
また、予知できたところで、竜巻発生の地点は特定できない。
また、特定できたところで、人間に何の手立てがある?
避難壕や地下室にもぐって、竜巻が静まるのを待つだけだ。
どう抗っても地上の財産は奪われる。 人命は護れて、それが全てだけど。

竜巻をうらんでも仕方がない。 自然を前にしたら、人間が弱いだけだ。

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衣装持ち

2006年11月07日 18時34分31秒 | 日記 ・ 雑記録
立冬にタイミングを合わせるかのように、寒波が強い風を伴って襲来した。
今朝は冷え込んだが、冷え込んだといっても平年並み。
今までが暖かすぎたのだ。
小春日和を通り越して、昼間動き回れば汗ばむほどの陽気に慣れ過ぎて、
突如顔を覗かせた晩秋の素顔に驚いただけだ。

この強風で、クレーンが倒れ、寒冷前線の通過で竜巻が起きた。
被災された方々はお気の毒だ。

長く続いた好天と陽気に、冬物の衣類を用意する作業が滞っていたが、
今朝の寒さに驚いて、慌てふためいて実行に移した。
年々歳々、衣類を少しずつ購入しているが、
捨てることが出来ない性格だから、年々歳々衣類は増えていく。
捨てずに置いておけば次の年にまた着るか、といえばかなり怪しい。
それでも捨てきれないのだから情けない性分だ。

昔懐かしいセーターと、また再会して、
毛玉がいっぱいだからこの際捨てよう、と思いながら、
毛玉カッターをあてがうと、着て着れない状態ではなくなった。
着るか着ないか判らないが、また箪笥に収めた。 
着ない衣類がいくらあっても 「衣装持ち」 とは言わないのに。 嗚呼。

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21600日

2006年11月06日 18時15分44秒 | 日記 ・ 雑記録
つい2日前のことだが、私が生まれて21600日が経過していた。
還暦近くなれば、年月の計算は大雑把に年か月でするのが普通だろうが、
私はここに来て、日数計算で物事を考え始めるようになった。
深い理由は、ない。
便利な世の中で、自分の誕生日を入力すれば瞬時に今日までの日数を計算してくれる。
私が何歳まで生きるかは天のみぞ知るところだが、
私が美しく死ねる、と自信をもっていえるのは75歳だから、
日数で数えると27375日ある。
2日前で引き算をすれば、残り5775日だ。
6000日もある、と考えるか、6000日しかない、と考えるかは人それぞれだ。
私はただ、6000日という (根拠のない) 日数を自分に言い聞かせるだけだ。

これから6000日生きるとすれば、
おのずから残された日々の生き方が変わってくる。
変わってこなければいけない、と思う。
とは言いながら、前日の続きの惰性で生きているのが情けなくなるが。

今年から始めた灯台めぐりは今後も続けていくだろうが、
今の段階で一つの記念碑を建てておこうと思った。
記念碑たって、登山者が小休止した時に、そこらの小石を拾い集めて積み重ねる
小さなケルンみたいなものだ。
私のそれは、下関 ・ 長門の、愛してやまない灯台たちを世間に紹介して、
その素晴らしさを共有したいという、
サイトの1ページを作成することだから他愛もない。
どうってことはない1ページだけど、今までになく気合を入れて作った。

全国の灯台をくまなく訪問する灯台ファンの先達は多い。
私は足元にも及ばない。
太刀打ちできるのは、下関 ・ 長門の灯台に寄せる愛、だけだろう。
灯台ファンとして、後塵を拝しながら歩く私のささやかな記念碑、だ。

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文化の薫

2006年11月03日 22時40分39秒 | 日記 ・ 雑記録
私は旗を掲げるのが好きで、祝日でなくても旗を掲げる。
葡萄舎でワイン会を行う日の三色旗がそれだ。
そんな私だが、祝日だからといって、待ってましたとばかりに旗を掲げるわけでもない。
たとえば、紀元節のなれの果ての建国記念日には決して旗を掲げない。

ところで今日は文化の日。 旗日だ。 旗を掲げた。
で、玄関先で、掲げた旗を眺めていたら、
ステッキを突いた年配のオジサンが通りかかって仰るには 「今日は旗日だっけ?」
一見して85歳前後と判断したから、「そうですよ。 今日は天長節ですから」

オジサンは、私の返事には答えなかったが、
死語になっている 「天長節」 に反応したのか、あれこれと話し始めた。
挙句の果ては、屋根瓦の話になり、聞きもしないのに、
生まれは島根の江津だとか、石州瓦を焼いていたとか、
石州瓦は丈夫で踏んでも割れないとかの話が延々と続いた。
今日は文化の日だから、石州瓦の話を聞くのもまんざらではないと、
最後までお付き合いをさせていただいた。

それ以外、あまり文化の薫がしない一日だった。
この数日、HPの新ページを造るのに没頭していたからかも知れない。

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労作

2006年11月02日 09時51分23秒 | 日記 ・ 雑記録
灯台めぐりを計画しようとすれば、身の周りにはたくさんの情報がある。
大いに役立って、参考になるが、めまぐるしい変化や変動に即応しているのは、
さすがというか、やはりというか、海保のHPだ。
平成の大合併で市町村の数が減り、およそ品のない新市名が誕生したが、
海保の地図や資料の住所表示はいち早く改定されていた。

海保のHPをベースに、
近い将来、私の灯台めぐりを計画立案する上で便利なように、
という意図から 「海上保安部HPリンク集」 を作成した。
きっかけは、とも~る さんの 「灯台 秋のイベント」 の一覧表だ。
あの、すごい一覧表を作るには、
どんな基礎資料があるのだろうという素朴な関心が、初めにありき、だった。

横一列かと思っていた各海保のHPは、体裁も、コンテンツも、記述もバラバラで、
よく言えば個性的で、独自性を打ち出そうとしているのか、
それとも束ねる人が居なかったのか。

明治の薫をふんぷんとさせる灯台は、もはや航路標識の第一線にはない。
船乗りやヨットマンのロマンや郷愁の世界に入りつつあるやに聞く。
だから、各海保で灯台を扱う姿勢に大きな差がある。
明治期に建てられた保存灯台や、スター級の人気灯台を管内にもつ海保が、
それらを誇らしげに扱う、それは人情だろう。
沿岸小型の灯台が主体の、我が郷里の仙崎海保は、まったく灯台に触れていない。
むべなるかな、と思いながらも、すこし寂しい。

ところで、海保HP一覧表。
精力的に寝る間も惜しんで作ったが、大変な作業になった。
半日の予定が二日かかった。
きっと、とも~る さんも大変な作業をした労作だったのだ。

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