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コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

ミニカン研修会 3回目・4回目

2010-06-04 05:38:02 | ミニカウンセリング
5月末の決算書提出期限やこまごました仕事に追われ、ブログねたはありながらサボっていました。
いやいや、ぼぉーっとしてる時間もあるわけですから、その気になれば更新できたはずですね。
なんだかんだ言い訳しながら、自分を正当化しようとしちゃってる姿がありありです。

せっかく”記録”としてもこのブログを利用してますので、遅れている分をまとめて。

忙しいといいながらもミニカン研修会は参加させてもらってます。
(忙しいという言葉についてもひとねたあるんですが、それはまたの機会に)

先週の25日には3回目がありましたが、この日から蓄語録の録音がはじまるので、検討はまだなし。
そこでペアを変えながら短い目の実践が2回行われました。

私はお二人の方相手に仕事がらみの話題と子どもを通じての話題を。
この日に関心のあった二つの出来事を別々の方に話したんですが、話しているうちに話題は同じような部分に収束していきます。
私の中の「あまり向き合いたくない部分」にどうしても近づいていってしまう。
意識しないようにすればするほど、その部分は「こっちを見て」と存在感をちらつかせます。

ある意味、ミニカンを通じて、カウンセラーさんがしっかり聞いてくださっていることで私の中に「安心感」が生まれるがゆえに、開いていけることで心の奥底にダイブしていけるんでしょう。
普段の生活では押し殺されている…あるいは生活に追われてかまっていられない部分。
そんな部分がちらちらと見えてきます。

この日もちらと見えはしても、やはり「あまり向き合いたくない」という気持ちも同時にはっきりしてますから、困っている私がいました。
が、「ミニカン実践は時間が限られている」という打算的な感覚から、残り時間数分だけ「相手してみよう」と踏み込んでみました。
こわごわ話題に触れてみますが、「向き合いたくない」ということは言語化できても、その扉の奥にあるものが黒い霧に包まれたままはっきりしてきません。
暗闇ではなく、黒い霧の中で手探るしてる感じです。
なにか端っこに触れたような気もしましたが、いまはそれが何だったか思い出せません。
ただ、予想通り「時間です」の声にその作業を中断できたことで「ホッとした」という感覚は残ってます。

と、これは私個人の中で起こったことですが、ミニカン実践として感じた部分は、やはり「聞いてもらえる」という関係が成り立ったことで「安心」が生まれます。
その「安心」は、「どんな私が現れても大丈夫」という感じにつながります。
さらにその「どんな私」というのは「今、ここの、ありのままのわたし」で居られることになります。
今回の打算的・限定的なアプローチは本来の「ありのまま」とは少し違ったものですが、「ちょっと触れてみようかな」と動けたのは、その動きたいという気持ちに対しては「ありのまま」でいられた結果でしょう。
この感じを体験できるのは素敵な時間だと思います。


このミニカンの後、月末に決算書提出を終えるのですが、それまでの数日は追われていたのでゆっくり振り返っていることはありませんでしたね。
しかし、最後の書類を提出する役所の前に立ったとき、急に気分が落ち込んできました。
「これでひと段落」ということに気が緩んだんでしょう。
その「触れたくない」の黒い霧から手が出てきてつかまってしまう感覚です。
言葉にすると「いらない子なんだ」という感覚。
役割や立場から離れたり、関わっていたことが終わったりなくなったりすることが「その役割を望まれていない?」という意識に固まってしまいます。
今はそういう言葉にして書き込んでますが、この時点から数日はぼんやりとした「黒い霧」でしかありません。

その辺を今週のミニカンでクライエント役のときに話してみるかも…と思っていましたが。

で、今週のミニカンは4回目でした。
いよいよ蓄語録検討が始まります。
世話役をのぞく参加者の中ではベテランになるIさんがカウンセラーで、Mさんの話を聞かれています。
Mさんの話題は、不思議なことに私の中の「不安」な部分にシンクロします。
まぁ、そういう私個人のことは置いといて蓄語録をみながら聞いていました。
カウンセラーさんの「力まない関わり」で、クライエントさんがなんども同じところをなぞりながらひとつの気づきに深まっていかれる様がつかみ取れます。
実践で経験をつむのも大事ですが、他の方の事例をみなで検討しながら学ぶのもとても大事ですね。
人の姿を通してわが身が知らされます。

いよいよ後半は実践でしたが、今回はフルメンバー参加なので人数が奇数。
ということで、私がペアから外れてタイムキーパーということになりました。
例の「向き合いたくない」ものを考える機会が失われ、正直ホッとしてました。
本当は「向き合いたくない」ということがますますはっきりしてきたんで、わだかまりは残るのですが。
今は「ホッとした」の方が強いんですね。

消えてなくなることはないんで、次のクライエント役のときに「どうしたいか」にしたがって見ましょう。

ミニカン研修会 2回目

2010-05-20 23:51:57 | ミニカウンセリング
まずは前回に引き続き、ミニカンの進め方、逐語録の取りかた・作成の仕方などを学習。
当たり前のように行っているミニカウンセリングの、その意義や大事にしているところをもう一度資料を基に教えてもらうことで、来談者中心の考え方をももう一度再確認させてもらえた。

その後、今回の逐語録発表の担当者と担当日を決めて休憩。
今回は参加者が偶数なので、世話役は逐語録への絡みはなし。
その分、毎回の検討をしっかりさせてもらおうと思う。

後半はペアを組んで実践。
初参加のうちお一人が欠席だったので、残りの二人の初参加者にはM先生とSさんがペアを組んで、私は昨年から継続参加して居られるMさんと。

何度も実践を経験してこられたと言うことはとても大きなことで、”旧知”という安心感だけではなく、安心して聞いてもらえるということを感じさせてもらえるだけの力量が備わっている。

話の内容は触れないが、ふっと浮かんだ話題から話をしていくことで、勝手に「今話したいこと」につながっていく感じがある。
すごく自由でいさせてもらえる…
この感覚はカウンセラーの聞き方で与えられるものだと思う。
もう一方では、この時間だけではなく、ここにいたるまでの様々なお育てによる「経験」が、私の中から余分なもの・構えを省いてくれている感じを味わう。

ただ、ひとつだけ余分なものが常に片隅で存在を主張している。
それは「いつかは触れなければ」という思いと「触れたくない」という両方の思いに結びつく。
自由に話したいことに乗っかりながらも、そのちょっとした不自由が現れは消える。
今回は時間が短いと言うことが分かっていたので、深くその「触れたくないもの」に関わらないだろうという計算の上で、少しだけその話題に近づいてみる。

遠巻きに言葉にしてみる。
その話題に触れることに痛みを感じる。
怖さも感じる。
結局、「そいつが存在している」ことを感じたところで時間になった。
ちょうど良かった気がする。

ミニカンの心地よさは、油断を誘う。
ついつい、自由の雰囲気に乗って、無防備になっていく。
今は、その無防備になっていくことにも自由でいられるし、それをとどめようとする動きにも自由でいられる。

最後の分かち合いで、少し心の動きを言葉にしてみたら、最後に先生から「無理しないでいいですよ」と一言いただいた。
自分では自由と思いながら、どこかに無理があったのか…
その言葉が温かく感じられたし、同時に素直に「無理」という言葉も受け入れられた。

毎週、定期的に自分と向き合う時間があるということは、とてもうれしいことだ。

ミニカン研修会 1回目

2010-05-15 21:48:46 | ミニカウンセリング
火曜日に今年度のミニカン研修会が始まりました。
参加者6名と世話役3名の9名で、これから10週に渡って深めていけそうです。

今回は「ミニカウセリングとは」という基本的な学びと、ミニカンのデモンストレーション。
私がクライエント役、もう一人の世話役Sさんがカウンセラー役となって10分間のミニカウンセリングを皆さんの前で行います。

最初は「見本」となりやすいように具体的な話題のほうがいいだろうなという意識が働き、今私の中で問題となっている仕事(収入面)の話題を話し始めました。
みなの前で話すということと、具体的なという意識は、私から自然なものを取り除き、意図的な口調になっているのが自分でも分かります。
しかし「そういうところから話し出そう」というのもまた私自身なのですから、ここは「意図的に話したい」という私に任せてみました。
聞いてくださるSさんへの信頼は問題ないですし、会場の部屋もなんどもなんどもここで話し・聞きしている場所ですから違和感はありません。
いつしか、私の中から「意図的」というものが消え去り、浮かんでくるままに話をしています。

仕事の話題から、それを問題にする元になる家庭での問題。
さらにはそういう問題と絡んでいくことで、「私がしたいこと」と折り合いをつけているということが浮き彫りにされていきます。
そんな話をするつもりじゃなかったのですが…

話をすることで、ばらばらに置いていたトピックが、その位置関係を表してきて、私の中でつながって行きます。

初めて真宗カウンセリングのミニカウンセリングに触れた方がどのようなイメージを持ったかは分かりませんが、作られたデモンストレーションじゃなく、(言いか悪いかは別として)生のやり取りに触れてもらえた気はします。

次の火曜日に逐語録の担当や発表順を決めたら、逐語録検討やミニカン実践も始まっていきます。

とても楽しみになってきました。

ミニカン継続学習会 1月

2010-01-22 00:13:11 | ミニカウンセリング
日曜日には日曜礼拝
火曜日に伝道研究会の新年会
水曜日に真宗カウンセリング研究会の世話人会
そして今日、1月のミニカン継続学習会がありました。

ブログを「日記」として意味つけるなら、格好のネタがつづいているのですが…
しかし、これらのプラス方向に心を動かしてくれる出来事と同時に、仕事がらみの折衝や出張、足の怪我(自転車でこけちゃいました)や体調不良(風邪のようです)などマイナス方向の動きも進行しています。

仕事や役割的にも少し身体に負担を掛ける必要もあったので、コメントへのお返事やブログ更新を後回し。
ちょっと早めに寝たりしてました。
(まだ体調不良は引きずってますが)

過ぎていった出来事に対して、その時点の「書きたい」モチベーションはいろいろなあとの出来事の出現で変化していますので、何かの機会に書きたくなったらそのことも交えて書くことにしたいと思います。

で、今日はホカホカのミニカンの話題。

月一回開催されてはいますが、いろいろな出来事をはさむととても久しぶりな気がします。
私にとっては、普段の生活とは違った「ゆったりと時間に任せられる」稀有なひと時です。

今回はM先生も参加されたので、久しぶりに世話役3人がそろい、4名の参加者とで7人。
最初のチェックインで、足の怪我や風邪のことを話しました。
すると、なんか話したことでその問題が軽くなった感じがします。
しんどさや痛みは相変わらずあるのですが、そのことに集中していた気持ち(そのことを話題にしたかった気持ち)が報われて昇華していく感じです。

ちょっと声を出し辛いこともあったので、前半はペアを離れてタイムキーパー。
皆さんが話し・聴きしているよこで、のんびりと昨日の世話人会で固まった来年度の予定をスケジュールに打ち込んでいきます。
そんなことをしながらも、回りで作られる空気感に浸ることが出来ます。
安心できる時間・空間なんですね。

休憩を挟んでペアを交代。
最初は後半も外れようかと思ってたんですが、流れに任せて。

最初休んでいた分、先に話し手を選び、自分に今の気分を尋ねてみます。
するとやはり身体のことが浮かんできたので、怪我のことと、年齢的に身体の反応が鈍ってきて怪我をしたという原因、そしてそのことに対する悲しい気持ち。
今度は怪我を引きずったまま仕事相手と会う必要があったときに、怪我を悟られないように無理をしている自分のこっけいな姿…
そんな風に、気持ちの動くままに話をさせてもらってます。

そうすると、聴いてもらっていること(自由にさせてもらっていること)にふと気づき、そのことへの感謝の気持ちが出てきます。

ほんとうにこれは楽なことですね。

自分のほうからは出てこなかったんですが、カウンセラーさんの振り返りのときに「安定してる感じ」という言葉をいただきました。
言われてみて「そう見えるんだ」という感じと、「言われてそう気づく」感じを味わっていました。

役割を交代して今度は聞かせてもらったんですが、最初はしんどいことを抱えておられる話題だったのが、そのしんどさをしっかり正面から受け止めている姿を見せてもらうにつけ、ここにいる”人”がとても大切に思えてきました。
法座でもご一緒している方ですから、自然と仏法との関わりの話にもなってきます。

そこに”人”が居る
そこに”法”が在る

私にとって素敵なものを見せていただいた気がして。
ありがたい時間でした。

法をベースにした、人間が中心に在る関係

あらためて体感させていただきました。

土曜日には京都支部の学習会があります。
このままいい感じでそのときを迎えられそうです。

ミニカン継続学習会 12月

2009-12-12 12:12:22 | ミニカウンセリング
木曜日はミニカンの継続学習会。
先月が定員割れで中止でしたし、毎週のエンカウンターにも不参加でしたので、久しぶりにゆっくり参加できた感じです。

参加者3名と世話役2人。
前半は私が外れてタイムキーパー役。
15分実践、2分+2分の振り返り、これが役柄交代してもう一セット。
40分強の時間、一人の時間をもらえました。
ちょうど来年度のスケジュールをいろいろ検討する時期なんで、ちょうどいい時間をもらった気がします。
(家でやってるとあれこれほかの事に気持ちが流れますしね)

後半はもうお一人の世話役さんが早退。
二組のペアで実践です。

すでにワンセッションされている方に対し、わたしは久々のカウンセラー。
最初は自分でもわかるくらい、聞き方が硬かったですね。
でもすぐにやわらかくなってくるのを感じながら、そおっと寄り添ってお話をうかがいます。

交代してクライエント役
最近の困ってる事例を話させてもらったんですが、聞いてもらう過程で「こちら側の理屈の押し付け」があるような気がしてきました。
話しながらそのことを眺めてみたとき、相手の立場になってみると完全に「押し付け」になっていることがわかります。
その出来事の渦中には見えていなかったことが、こうしてカウンセラーさんに聞いてもらうことで気づいていけるんですね。

そういう風に出来事を見つめなおすことで、自分の中の感情がひとつだけじゃなく、変化していくことがわかります。
最初の「こちらが困っている」から「そりゃぁ相手に悪かったよな」と。
その相手の前にたつと、また違ったものが出てくるかもしれませんが、とりあえず「相手に悪かった」という感情も持っていることがわかったんですから、再びその方と会ったときにそのことが言葉にできれば…また違った関係が作れていけるかもしれません。

カウンセリングを通じて、自分のストーリーを振り返り、客観視し、隠れていた感情も見つめてみて、そこにあるどんな自分も「受け止めてみる」

なかなか実践できませんが、この繰り返しから「関係作り」がはじまるのかもしれません。

ミニカン継続学習会 10月

2009-10-10 00:32:45 | ミニカウンセリング

 

木曜日はミニカン継続学習会でした。

毎週連続のエンカウンターグループが始まっているのですが、私は今回は不参加。
こちらの学習会がとても楽しみでした。

今回の参加は4名、世話人二人を加えて3組です。

お二人の方と実践をしたのですが、カウンセラー役のときは二人二様ではありますが、ともに興味のある話題。
以前はこういうときにカウンセラーに徹して、話題内容関係なしに聞くのか、あるいは興味のあるところで共感して聞いていくのか、ちょっと迷った事があります。
結果、そのときの気分はいろいろあるので、そこに捉われず自然のままでいること…がいまのところ出来ることかなと。
ということで、興味に引きずられながらも、ゆっくり聞かせていただきました。

仏法に関わる話になると、どうしても言いたい気持ちが出てきます。
特に自分の領解と違う話だったりすると、「それでいいのかな」と。
しかし、こういうカウンセリングの実習という気持ちから入っているときは、そういうときにちょっと”待つ”気持ちが生まれます。

もしかしたら、私が話したいことを伝える時があって、それは今じゃないかもしれない。
その方とのご縁が整ったときに、その機会は訪れるだろうし、なによりその方は今大きな気付きと大きな翻りの時を迎えられている。
私があれこれ話すよりも、その方の中でしっかりと動いているものがある。

その時点では”待つ”ということしかありませんでしたが、今はそういうことだったのかなと思っています。

クライエントとして話をさせていただいたのは、今思っていることだったのですが、話しているうちに前回書いた「徳 と 名利心」のことにつながっていきます。
このブログに書ききれていなかったことまで思いが深まっていきました。
人に話してみてこそですね。
その内容も書きたかったのですが、今日はミニカンの話題で終わらせますのでまた機会があれば。

話したあとの振り返りで、カウンセラー役の方から思わぬ言葉をいただきました。
その言葉はわたしは使っていなかったのですが、カウンセラーさんが感じられたことを言葉にしてくださったもの。
その言葉がすごくわたしにはストーンと納まり、「そういう私の状態があるんだ」と気付きます。

いろんな話題を、あちこち行きつ戻りつしながら、最後はお念仏を喜んでいるところに話がつながったのですが、「安定されているんですね」と。
私としては、あっちふらふら、こっちふらふら、揺れに揺れまくっているんですが、それは「南無阿弥陀仏」がどっしりと底にあって、その上でふらふらしてることを許してもらってるんですね。
そんな自分の状態を、この言葉で返してもらえたのはすごく嬉しいことです。

そんな気持ちを持っていたので、もうお一人の方との実践でも変化がありました。
今まで「この話題はずっと触れずにおこう」としていたものに、少し手をかけて言葉にしてみました。
「安定している」と言われたことに、ちょっと頼ってみた感があります。
そのことで問題が改善されたり、一歩踏み込んだりするというものではないのですが、そのことをめぐる様々な思いを、とりあえずは言語化して見る事が出来た…まぁ、私なりの一歩ともいえますか。

そのことがどう動くかは別問題として、そういう私がその時にいたという事実だけです。

先月の円座禅から、いろんな集いや法座を通ってきた”歴史”を抱えた今の私。

あえて言葉にすると、”そのままのわたし”でいられた時間でしたかね。

大事な時間でした。


ミニカン継続学習会 9月

2009-09-11 23:07:02 | ミニカウンセリング
月に一度のミニカン継続学習会でした。

今回は5人の参加ですので、世話人の私は半分外れます。
しかし、お一人の方が少し遅れてこられると言うことで、前半のカウンセラー役だけと、後半はカウンセラー・クライエント両方を実践します。

今回、クライエントとして前に書いた京都支部学習会のことを話したのですが、そこで気付きがありましたね。

このブログに記事を書くということで、いろいろ関わった出来事を振り返る事が出来ますし、自分自身のところでは「内省」と言う形でゆっくり振り返る事ができるようになってきています。
以前にくらべ、落ち込むことなく出来事を観察できますし、自分の中に隠れようとしている負の感情もいったん受け止めることが出来るようになって来ました。

しかし、今回同じ出来事を、ミニカンのクライエントとして振り返ったときに、「内省」だけでは捉え切れなかったものに気付いていく事ができました。

自分の心を振り返り、そこに起こっている感情を捕まえて言語化する…
そこまではブログでも同じですね。
その言語化したものをカウンセラーさんに聞いてもらい、振り返りのときに聞いてくださったことを返してもらう。
ただそれだけの行為によって、もう一度自分の耳で「言語化した自分の感情」を聞いて受け止める。
そうすることで、また違った側面から自分の感情を確かめる事が出来ます。

いや、このことは理屈ではわかっていましたし、他人にもお勧めするときに説明したりしています。
しかし、そのことが今回、体感的に「おぉ!」と味わえたんですね。


ただ聞いてもらうということでも成立するカウンセリングですが、成長・気付きというところで、深い深いものがありますね。

さて、明日からの円座談に参加してきます。
またあらたな出会いと気付きの予感を持って…

春期研修会 番外編

2009-07-23 00:12:37 | ミニカウンセリング
ミニカンの打ち上げがありました。

10週間、時間を共有して学びあった仲間との食事会、飲み会。
素敵な時間でした。

1対1で深く話を聞きあう仲でも、ふわっと世間話やいろいろの話をすると、今まで知らなかった一面が見えてきたりもします。
お互いが「尊重する」ということを経験してきたもの同士ですから、ただの飲み会とは違う空気がありますね。

私自身は、向き合って話をしているからにはできるだけ「聞かせてもらう」方を重視していこうと努めます。
それは別に、「カウンセラーでいよう」ということではないのですが、「大事に聞かせてもらう」ことを平時でも意識しておけるようにという部分があります。
ミニカンの場で「場面設定」すればしっかり聞くことを意識できるのですから、普段でも意識できることが出来れば…
まぁ、いつでもどこでもとは行きませんが、共に学んできた間柄だと入りやすいですね。

相手の方が「あ、なんかクライエントみたいに話してる」って感じてくださったなら、多少なりとは私の聞き方が「沿えている」のかな、と嬉しくなります。
決して押し付けじゃなく、自然に…が課題ですね。

話の中身も、映画の話題や法座の話題など、いろいろ流れていくのですが、お酒がすすむと結構それぞれのカウンセリング観が顔を出してきます。
それは決して争うようなものではなく、気付きのクロストークですね。
そこから「飲み会とエンカウンターグループの違い」だとか、「今だからこそ、お寺でカウンセリングマインドが必要だ」など、カウンセリングを味わったもの同士が、それぞれの「今の興味」を話題にします。
それらが、ミニカンを通じて味わってきたそれぞれの「尊重」の元で話されますから素敵です。


また、その中で感じたことをブログの話題にするかもしれません。
いや、したいことがいっぱいあるんですけどね。

春期研修会 10回目

2009-07-15 11:26:05 | ミニカウンセリング


あっという間の10週間でした。
家族の協力(子どもたちよ、留守番ありがとう)もあり、世話役として遅刻欠席なしで参加できました。
そういう役割がないと、気を抜いて、遅れても良いやとか、気分的に休もうかなんて、自分をゆるくしてしまうのが私の根性ですから。
といっても、世話役だから「絶対に行かなければ」という強迫観念があったわけではなく、参加の糧として押さえさせてもらって、そこから発生する意欲に任せて動いてた…うーん、言葉にすると硬いですが、結局「楽しんで参加してた」ってことです。

今回は逐語録検討は無く、前半は実践、後半は分かち合いと感想文作成でした。
全員参加だったので、あまることなくペアが組め、私はご指名も受けてAさんと。
今回初めて参加された方ですが、この10週の間に、ミニカンだけでなく月例会や法座でもごいっしょしてます。

経験を積むっていうのはすごいことだな、と、Aさんを通じて感じます。
最初から上手に聞く方だと思ってましたが、今回組んでみてすごく自然な姿を感じたし、話しながら自分で気付いていく様も感じましたね。
話をするときに、しっかりとこちらの目を見て話する方です。
そういう時のエネルギッシュな感じは、時には聞き手として圧倒されて”びびる”こともあるのですが、真剣さは伝わるものの威圧感はなく、聞いていて心地よいものがあります。
話題も深いテーマで、私自身の興味にシンクロするところでしたが、クラエントさんの「話したいように話してもらう、気付きに任せる」という感じが、私の中に自然に生まれて、楽~に聞いていました。
この10週間の間に重ねられてできた「関係」があるからだと思いますね。

一元の関係として、「どんな相手だろうと同じように聞く」ということを意識する研修も意味がありますが、こうして出来上がっている関係の上で「今・ここ」のところで自然に、二人の距離感に任せて聞くことも大事な研修なのかな、と。

そう考えると、今回の10週間は自然に聞いていた気がします。
以前は「カウンセラーの聞き方は」ということを意識して研修に参加していた気がしますが、2年ほどのブランクを経て、またその間にもいろんな関わりの中で”実践”を積んできた上で、今回は「余計な意識」なしに関われていたと。
「こうあるほうがいいのかな」という風に研鑽していくのもいいんですが、そういう時はいろいろ意識して聞くことに集中してないですもんね。

「聞く」態度や型を学んできた上で、それを意識じゃなく体感で消化しておければ、自然と振舞える…。
もちろん、まだまだ達観したり完成されたものではないと思いますが、「カウンセリング観」の部分を深めていければ、型は勝手についてくる…そんな感じです。

もちろん、ロジャースさんや西光師の言葉に何度触れても、その到達されたものに沿えていない自分を感じます。
まだまだ、学ぶべきところも、経験しなければいけないところも。
まぁ、到達できると思っている時点で間違ってますがね。

ちょうど、今日実践させていただいた話題を通じて、Aさんが課題にされていることを私も通ってきたことを味わっていました。
その課題は、まだ結論が出てはいないのですが、経験を重ねる中で少しずつ気付いてきていることがあります。
おそらく、知識的に「こう対応すべし」というものでは軽くなってしまうでしょうね。
こればかりは一足飛びに行かない。
むしろ、いろんな課題にぶち当たるたびに、葛藤を抱えながら学ばせてもらえんるんだろうなと。

経験で味わえることがあればあるなりに、未熟で足りないところがあれば足りないなりに…
それが「いま・ここ・わたし」であり、相手との「いま・ここ」の関係であるしかない。
理想は理想として持ちながら、「いま・ここ」をしっかりと踏みしめていることから始まるのかな。

良い時間を過ごさせてもらいました。

春期研修会 9回目

2009-07-09 03:59:09 | ミニカウンセリング

いよいよあと2回、早いもんです。

逐語録は今回がラスト、私がクライエントとして聞いていただいたものです。
カウンセラー役の方は、今期が初参加。
逐語を起こしながら、”型”の難しさを感じておられました。
しかし、かなりアクティブにレスをされています。
そうやって動いてみるからこそ判る難しさもありますから、いい研修になったんじゃないでしょうか。
私の場合は、うまく言葉にできずに「ぜんぜんレスできなかった」と言うところから難しさを感じましたが、「自分なりにレスしてみたが、型から外れた」というところから「型も大事」ということに気付けますから。

逆にクライエントとしての私の動きを、逐語録を通じて感じていたのですが、結構面白い動きをしていることがわかります。
カウンセラーさんのレスが、先走った言葉で返される(クライエントが使っていない言葉・内容から想像する言葉)場合、私の言いたいことに沿っていれば私も同じ言葉を繰り返し、沿っていなければスルーして自分の言いたいことを続ける…ということがはっきりと現れていました。
また、想定外の言葉が出てきたときに、その言葉を受けて(まったく違う話題ではないものの)流れとは違う話の説明に移っているという。
その後で、本来の話題に戻していますが、ひとつ間違うとクライエントの言いたいことが流されてしまう危険はあるでしょうね。

やはり、オウム返しは大事だと思います。
最初は言葉のオウム返しからだとは思いますが、その”型”がすすめば、表に現れる言葉をクライエントが自分で受け止めなおしながら、より表現したいことに収束して行きます。
カウンセラーが引っ張り出すのではなく、クライエントの中から湧き出る言葉で自ら気付いていく。
これこそが来談者中心の成長ですよね。

一方では「私はあなたの話を理解してますよ」という意味もあるでしょうし、そうすることでクライエントがよりカウンセラーに開いていけることもあると思います。
もう一方では、カウンセラーのレスを鏡にして、自分から発した言葉を自分の耳で聞きなおし、より深く自分の中に流れている「伝えたいこと」がはっきりしてくるという大事な作業ですね。

援助ということを、カウンセラーが指示的に促すことと、非指示的に受け止めること…表面のところではわずかな違いが、関係の中では大きな違いになってきますね。

まぁ、これこそ言葉で聞いても判らない部分で、体験を通じて実感していくしかないところだと思います。


ちょうど、この録音時に話した話題が、今週末に行う講習のテーマでした。
今は今での思いのところで準備してますが、このタイミングで数週間前の思いを振り返れたことで、また少し”厚み”が増してきた気がします。
土曜日は京都で「聞き方・伝え方」をできるだけ実践的に、参加者に体験してもらう集いにしたいと思っています。

どなたでもご参加いただけますので、よろしければおいでください。
「華光会 京都支部法座」