ますぶちStyle/宝石箱の片隅

ジュエリーや宝石、真珠を中心に、ジュエリー・ビジネス、歴史まで幅広く書いていきます。是非ご一読下さい。

AZClubジュエリーの歴史研究 定例ゼミ『古代の金(gold)とジュエリー技法』(20)

2023年07月26日 | 日記

AZClubジュエリーの歴史研究

定例ゼミ『古代の金(gold)とジュエリー技法』(20)

 

『何故ヨーロッパの人は

美術の原点を古代ギリシアに求めるのでしょうか』

 

 

 

美術分野において古典主義というのは

紀元前8世紀頃の古代ギリシアの時代を指します。

コンスタンティヌス帝が313年にミラノの勅令を発し、

キリスト教を公認した事により、キリスト教がヨーロッパを席巻すると

ヨーロッパはキリスト教美術一辺倒になってきます。

その後ロマネスク美術、ゴシック美術を経て

ルネサンスの時代になると、古代ギリシアの古典主義が見直されます。

それがルネサンス運動です。

ミケランジェロは古典主義の彫刻に果敢に挑戦し、

ダヴィデ像を作ったとも言われます。

ルネサンス以降マニエリスム、バロック、ロココと進みますが

それと並行して古典主義美術がイタリア、フランスで流行していくのです。

まさに「古典に還れ」がヨーロッパ美術の合言葉でありました。

しかしこの美術の流れとは必ずしも一致しないのがジュエリーの分野で、

常に手本となったのがエトルリアや古代ギリシアの宝飾加工技法だったのです。

それが、

19世紀中頃にカステラーニやジュリアーノを中心として流行した

リバイバルブームです。

ZoomによるOnlineゼミになります

2023年8月21日(月)18:00〜20:00

定員7名(定員残りあと僅か)

参加料2500円

**AZClubジュエリーの歴史研究ゼミはJewellerystory_0512@yahoo.jo.jp までお申込み下さい。またジュエリーについてご意見、ご質問を承っております。お気軽にお寄せください。


AZCジュエリーの歴史研究note013『何故ルネサンスがフィレンツェで興ったのか』

2023年07月26日 | 日記

AZCジュエリーの歴史研究note013

 

 

『何故ルネサンスがフィレンツェで興ったのか』

 

 

 

ルネサンスについての本・参考図書は無数にありますが、

フィレンツェで興った事については、意外と書かれていないように感じます。

私はエトルリア文明が大きな影響を持ったのだと考えています。

フィレンツェ一帯はトスカーナ州で、

エトルリア文明の発祥の地でもあります。

この文明は紀元前5世紀頃に、

共和政ローマと一緒にイタリア半島を統一、その勢力は地中海に及びますが

やがてローマ帝国に吸収されて滅亡します。

その後長い間歴史に埋もれてしまい、

15世紀になってフィレンツェにあったメディチ家を筆頭に

金融と織物産業で巨万の富を得たフィレンツェが歴史の表舞台に登場してきます。

特にメディチ家は権力だけではなく

芸術に対する理解が極めて明快であったことが

パトロンとしての実力を発揮できたのではないでしょうか。

そしてフィレンツェの土地にエトルリア文明の下地があったから

そのDNAをメディチ家が受け継いだとも言えそうです。

**このコラムについてご意見・ご質問・ご批判はJewellerystory_0512@yahoo.jo.jp までお気軽にお寄せください。


New JAMの本棚-069 『薬丸岳著・天使のナイフ』再々読

2023年07月25日 | 日記

New JAMの本棚-069

 

『薬丸岳著・天使のナイフ』再々読

 

 

 

全部ではないのですが

直木賞とか乱歩賞とかを受賞した小説には

何か物足りなさを感じることがあります。

作者や審査員に対して、これはちょっと生意気な発言でしょうね。

そんな中でこの小説は、私の期待を裏切らなかった一冊です。

薬丸岳の本はほとんど読んでいますが

彼の小説のテーマは一貫しており、

どれも一味違った作品に仕上げているところが凄い。

そして私の期待を裏切らないのです。

読み終わった後に、もう一度読みたいという気分にさせてくれます。

そういうストーリーのプロットは

誰にも構築できるというものではないでしょう。

薬丸岳の小説、まだまだ目が離せません。


ジュエリー小辞典[初級講座] 知っているようで知らないジュエリーや宝石の事・Vol.008『ひと汗かいたらさっぱり拭いて』

2023年07月24日 | 日記

ジュエリー小辞典[初級講座]

知っているようで知らないジュエリーや宝石の事・Vol.008

 

 

 

『ひと汗かいたらさっぱり拭いて』

 

しかし暑いですね!!!

水分補給は十分に、呉々も熱中症にはお気をつけ下さい。

でもこんな暑さにも負けずに

外出の時はジュエリーはしっかり着けて出たいものです。

数少ない海外出張で感じた事は、

どうして日本人はジュエリーを身に付けないのだろう、という事でした。

皆さん沢山持っているのに、宝石箱の奥深く仕舞い込んでいる人が多いのです。

ジュエリーは着けてこそ生きてくるのです。

確かに大切な宝物ですから、そう簡単には・・・ということでしょうか。

私は仕事柄ジュエリー、と言ってもたかが知れていますが

男性としては着けている方でしょう。

但し、折角着けてオシャレを楽しんでも、

ジュエリーは兎に角こまめに手入れをする事でしか長持ちはしません。

特にシルバー製品や真珠は汗には弱いのです。

そして長持ちさせる秘訣は、「こまめに拭く」ことしかありません。

これを疎かにすると・・・・、もうご存知ですよね。

 

*このcolumnについてご質問などありましたら、jewellerystory_0512@yhoo.co.jp

迄お気軽にお寄せください。


宝石たちの1000物語・シリーズー4(8)第68話 《エメラルド/emerald》『フツーの人生、それが宝物』

2023年07月23日 | 日記

宝石たちの1000物語

人に歴史があるように、宝石にもそれぞれの物語がある。1000文字に収められた最も短いショートショート。1000の宝石たちの煌めき。それは宝石の小宇宙。男と女の物語は星の数ほどあります。そしてそれぞれの物語は切なく哀しく、時には可笑しく愚かしく。

 

 

シリーズー4

(8)第68話

《エメラルド/emerald》

 

『フツーの人生、それが宝物』

 

私は母親の背中を見て育った。

父は母とは折り合いが悪く外に女を作って殆ど家には帰らなかった。

辛うじて生活費は毎月入れていたようで。

でも母は将来に対する備えからか、小さな小料理屋を出した。

店は母目当ての客が付き、繁盛した。

そのうち中年の板前を雇うと、料理がこなれていると評判を呼び、

日増しに客で混雑するようになった。

私が高校受験を控えた2月にある小さな事件が起きた。

それは本当に些細な事だったのだが、母にとっては大事件だった。

私はいまでもそれがなんだったのか判らない。

でもその日を境に母は酒に溺れるようになった。

店はその板前に任せっきりになり、殆ど店に出てこなくなった。

高校に入ると私は自然に店を手伝うようになった。

板前はそんなことよりも勉強をしろと云ったが、

私は勉強よりも店にいる方が面白く、毎日が充実していた。

勿論成績は学年で10番以下に下がったことはなく、

自分でも驚くくらい勉強も頑張った。

ある日店が終わって後片付けをしていると、

板前のケータイが鳴り、そのまま店を出た彼は二度と戻らなかった。

途方に暮れた私だったが、一週間後に一人で店を再開した。

誰の力も借りずに独力で商売をやる決心をしたのだ。

店の切り盛りのノウハウは門前の小僧宜しく、

大体のことはみて知っていたから、それ程大変ではなかった。

こういう商売をしていれば、言い寄る男はいたが、私は目もくれなかった。

両親をみて育ったから、

男と女のどろどろとした関係は、忌み嫌っていたのだ。

そんな私だったが丁度25歳の時に、縁談の話が持ち上がった。

相手は宝石の商売をしている人で、

結構苦労して来ている、と話を持ってきた叔母は言っていた。

付き合ってみると、容貌は決して良くはないが、まあまあ性格は良さそうだった。

その上結婚しても私の小料理屋は続けても良いと云う。

結局その人との間に子供が2人授かり、今は孫が5人いる。

私人生は何だったのかと、時々思うけれど、

フツーの生活とフツーの人生を送ってきただけのことだ。

そういえば、結婚して10年目に夫からプレゼントされた

私の誕生石、5キャラのエメラルドは唯一の宝物なのだが、

そんな宝石よりも5人の孫に囲まれて過ごす日常の方が余程楽しいのだ。

昨年夫を亡くし、商売の方も手伝ってくれていた板前夫婦に譲ってしまった。

本当に私の人生はこれで良かったのだ、とつくづく思う。

もう今更何も思い残す事はない。

今日は天気が良く一番近くにいる長男の孫と公園に散歩に出かけた。

孫の顔がフツーの人生が一番の宝物と言っていた。