ますぶちStyle/宝石箱の片隅

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宝石たちの1000物語・シリーズー4 (9)第69話 《アメシスト/amethyst》『アメシストの涙』

2023年07月30日 | 日記

宝石たちの1000物語

人に歴史があるように、宝石にもそれぞれの物語がある。1000文字に収められた最も短いショートショート。1000の宝石たちの煌めき。それは宝石の小宇宙。男と女の物語は星の数ほどあります。そしてそれぞれの物語は切なく哀しく、時には可笑しく愚かしく。

 

 

シリーズー4

(9)第69話

《アメシスト/amethyst》

 

『アメシストの涙』

 

私が初めてボーナスを貰って、一番最初にやったこと、

それは母親への贈り物でございました。

私の母はごく普通の日本の母親でした。

戦後の混乱期を病弱な夫と三人の子供を抱えて、死に物狂いで働いてきたのです。

私は長男だったけれど、戦後の食糧難もあり、もともと父に似て身体が弱かった。

小学校も3ヶ月遅れの入学。医者が手放す病気も2度ほど経験しました。

でも現在のような一人前に育ててくれたのは、全て母のお陰なのです。

私が大学を卒業して、銀座の宝石店に就職が決まったときは

誰よりも喜んでくれました。

実家に報告がてら帰省すると、お赤飯を炊いてくれたのでした。

初めての給料は母親への贈り物にしようと決めていたのは、

誰よりも母親を愛していたからです。

幸いに宝石関連の会社に就職していたこともあり、出入りの業者に頼んだのでした。

私がボーナスで払える金額で飛び切りの宝石を調達して貰いました。

母のリングサイズは仕事にかこつけて聞き出していたのです。

久しぶりに母の元に帰り、そっとリボンのかかった箱を差し出しました。

母は一瞬驚いた表情を見せました。

そして何も言葉が出てきませんでした。

箱を開けもしないうちから、母の目にはたちまち涙が溢れだしたのです。

それ以来母がその指輪をつけたのを見たことがありませんでした。

ある時何かの拍子にその理由を聞いてみました。

母は恥ずかしそうに笑って

「勿体無くてつけられない。時々箱から出して眺めて、拭いて仕舞うの」

と答えたのです。

母は古いタイプの田舎者です。

そりゃあ女だからオシャレもするし、地味な化粧も欠かしません。

でも「これは私の宝物だから特別なのよ」が口癖でした。

「ジュエリーは付けてこそ輝くんだよ、だから誰に遠慮なく着けてオシャレを楽しんで」

「そうかい、おまえがそういうなら着けるようにするよ」

しかし母が亡くなるまでその指輪を着けたのを見る事はありませんでした。

葬儀が済んで母の身の廻りを整理しているとき、

箪笥の奥深くから懐かしい宝石箱が出てきました。

そしてあのアメシストの指輪が白い布に何重にも包まれて

ひっそりと息づいていたのです。

アメシストの指輪は私と母とを繋ぐ唯一の思い出として、

誰にも話さず今日まできました。

病弱な私を必死の看護で生き返らせてくれた母親でした。

そして今日私があるのも母親の愛情の賜物、と言ったら少し大袈裟でしょうか。

アメシストの指輪は今でも母のお墓の奥深くにひっそりとあるのです。