ますぶちStyle/宝石箱の片隅

ジュエリーや宝石、真珠を中心に、ジュエリー・ビジネス、歴史まで幅広く書いていきます。是非ご一読下さい。

AZClubジュエリーの歴史セミナー 『ジュエリーの歴史初級講座』のご案内 “キリスト教美術の流れを汲むジュエリー”

2022年10月31日 | 日記

ジュエリーの歴史を知れば

ジュエリーがもっと楽しくなる、面白くなる(vo.14)

ゆっくりと少しずつ一緒に学んでいきませんか!!!

 

 

AZClubジュエリーの歴史セミナー

『ジュエリーの歴史初級講座』のご案内

 

“キリスト教美術の流れを汲むジュエリー”

 

 

 

ジュエリーの歴史はキリスト教美術と繋がりがあります。

キリスト教というと、

16世紀の宗教革命でカトリックとプロテスタントに分かれますが、

もう一つ東方正教会があります。

これはローマ帝国が395年に西と東に分裂します。

そして467年には西ローマ帝国が滅亡、

残った東の帝国がビザンティンで

以降、キリスト教美術の中心になっていきます。

そして古代ギリシア文化と融合し、

イスラム帝国を経てルネサンスに戻ってくるというわけです。

この流れは美術ばかりではなくジュエリーにとっても大変重要で、

ルネサンス様式のジュエリーにはこれらの影響が見られるのです。

Webinar

11月14日(月)19:00〜21:00・定員7名・参加費2500円

*ご参加を希望される方は jewellerystory_0512@yahoo.co.jp までお申し込み下さい。

折り返し参加費の振込先をご案内します。

*『AZClub(エージークラブ)ジュエリーの歴史研究』は少人数による歴史を研究するグループです。これからジュエリーの歴史に取り組みたい方を中心に年間数度、様々なテーマを選び、対面とWebinarによるセミナーを実施しています。


New JAMの本棚-045 『40歳からは自由に生きる』 池田清彦著・講談社現代新書

2022年10月30日 | 日記

New JAMの本棚-045

『40歳からは自由に生きる』

池田清彦著・講談社現代新書

 

 

◎ 

40歳からはとても無理でしたが、

60歳になってようやく彼の言っている事の、

真似事ができるようになりました。

それまで何社か顧問契約していたのを、

順次お断りして(実際は断られた)、

好きな事だけしよう、と。

著者の池田とは何の面識もないのですが、

同い年なのでほとんどの著作を読みました。

彼の視点は本当に真っ当で、

ここまではっきり言う事に対してただただ尊敬、です。

この帯に書かれている提言も

ひとつひとつ頷ける事ばかりです。

食事以外の時間を、

この本を読むために費やしました。


宝石たちの1000物語[番外編] 深夜12時開店のBAR・第20話 [ダイヤモンド]

2022年10月30日 | 日記

宝石たちの1000物語[番外編]

深夜12時開店のBAR

 

 

フツーの何気ない日常の会話から奥深いジュエリーや宝石の世界に踏み込んでいく。男と女、女と女、そして男と男。舞台は新大久保の裏ぶれた片隅にある一軒の酒場。客が10人も入れば一杯になってしまう小さな酒場。深夜零時きっかりに開店し客がいれば何時までも付き合い、客が帰れば閉店する。そんな店にようこそ、いらっしゃい。今宵もまた・・・・。

第20話

[ダイヤモンド]

 

「私の家は貧乏だったから、すき焼きも肉ジャガも入っている肉はいつも豚肉だった」

「あらっ私の家なんか、すき焼きそのものが存在してなかったわ。だからすき焼きを知ったのは東京へ出て来てからよ」

相変わらずBARの片隅で、ウィスキーをチビリチビリやりながら二人がクダを巻いている。

「ねえ、マスターはどうだったの?」

「どうって何がだい」

「もう、マスターは私たちの話し聞いていなかったの!」

「聞いていたよ。私はすき焼きやステーキなんてちっとも美味いと思わなかった。あれは肉の食い方を知らない民族が考えたシロモノさ」

「あらっさすがマスター、私たちと次元が違うわね」

「よしなさいよマスターに絡むのは、今日はあんた少しピッチが早いわよ」

この店の常連の二人は、週に3回はこの店でとぐろを巻いて朝ご帰還になる。

二人とも目下のところ恋人はいない。

いたら店がはねたあとこんなところにはいやしない。

みたところ二人とも三十半ばか。

それにしては若く見えるのは、独身で生活臭がないからかも知れない。

でもそろそろ身を固めないととの思いは強い。

元来あっけらかんとした性格も手伝っているのだろう、男とも長続きしないのは共通だ。

「ところでさあ昨日のテレビのワイドショーみた。俳優のFがプレゼントしたユ・ビ・ワ」

「ああっあれね」

「あれねって、驚かないの?」

「そんなの驚いたって私と関係ないもん」

「そんなこといったら身も蓋もないじゃん」

「それならあんたはなにを驚いたって言うのよ」

「それよ、あんな大きなダイヤモンド、確か5キャラットって云ってたわよ。しかもニューヨークのティファニーで買ったんだって」

「フーン、やっぱり興味なし。他人の幸せ気にすんなら自分の頭の蠅でも追ったらどうなの」

「それはそうなんだけどさ」

現実に引き戻されてどんどんトーンダウンしてきたようである。

「でもやっぱりダイヤ欲しいな。誰か素敵な人が現れてくれないかな」

「なにをノーテンキなこと言ってんのよ」

「私ダイヤならそんなに大きくないけど持っているわよ」

突然もう一人の相棒が発した。

「えっ、何よそれ、どうしたの?」

「実はワタシ婚約したの.あなたには黙ってて悪かったけど」

といいながらセカンドバッグから小箱を取り出した。中からは確かに白く輝くダイヤのリングが。

「これっ、ホンモノ?凄いじゃない。オメデトウ。やっと春がきたね」

一気にお店が明るく花が咲いた感じがした。

もう一人にも幸あれかしだ。

 

*宝石たちの1000物語[番外編]深夜12時開店のBARは暫くお休みします。11月13日からレギュラー編51話〜60話を毎週日曜日に掲載します。


AZClubジュエリーの歴史セミナー 『ジュエリーの歴史初級講座』のご案内 “西洋美術史とジュエリー史は必ずしもリンクしない”

2022年10月30日 | 日記

ジュエリーの歴史を知れば

ジュエリーがもっと楽しくなる、面白くなる(vo.13)

ゆっくりと少しずつ一緒に学んでいきませんか!!!

AZClubジュエリーの歴史セミナー

『ジュエリーの歴史初級講座』のご案内

“西洋美術史とジュエリー史は必ずしもリンクしない”

 

 

 ◎

例えば西洋美術史には古典主義と新古典主義がありますが、

ジュエリー史にはそれに該当するジュエリーはありません。

古典主義に対比するのはロココ様式、

そして新古典主義に対比するのはルイ16世様式です。

何故このようなことが起きるのでしょうか。

そもそもジュエリーの歴史はまだまだ確立されていない部分があり、

どうしても西洋美術史を手本にするために起きる現象

だと私は考えています(もしかしたら私が根本的に間違っているかも知れませんが・・)。

だから歴史の定義を疑ってみる必要があるし、

その中から新しい発見があるかも知れないのです。

Webinar

11月14日(月)19:00〜21:00・定員7名・参加費2500円

*ご参加を希望される方は jewellerystory_0512@yahoo.co.jp までお申し込み下さい。

折り返し参加費の振込先をご案内します。

*『AZClub(エージークラブ)ジュエリーの歴史研究』は少人数による歴史を研究するグループです。これからジュエリーの歴史に取り組みたい方を中心に年間数度、様々なテーマを選び、対面とWebinarによるセミナーを実施しています。


『エーゲ文明とジュエリー』第3回 クレタ文明[ミノス文明]からミケーネ文明へ(3)

2022年10月29日 | 日記

少しずつゆっくりと

『ジュエリーの歴史6000年』を学ぼう

 

『エーゲ文明とジュエリー』第3回

 

クレタ文明[ミノス文明]からミケーネ文明へ(3)

 

クレタ島の人々は

民族的には地中海人種と小アジアの混血という説もあるが

どうもはっきりしていません。

彼らは絵文字や線文字A(BC18世紀〜BC15世紀頃まで

クレタ島で用いられたが現在未解読)と呼ばれる文字を使用し、

高度な文明を築いていたことはわかっているのです。

エーゲ海は大小様々な島で構成され、

このため海上貿易が盛んでした。

クノッソス宮殿などの遺跡から壮大な宮殿を営む為政者が、

海上貿易によって莫大な富を得ていた事は想像に難くありません。

そのクレタ文明は、BC1400年頃まで栄えますが、

数度に渡る火山の噴火や地震などや

インド・ヨーロッパ語族の侵入などがクレタ文明に影響を与え、

衰退を招いたといわれています。

また同じ頃に最初のギリシア人と云われるアカイア人が

ギリシア半島のミケーネ、ティリンスに南下して

ミケーネ文明を築きます。

やがてミケーネがクレタ島を征服して

クレタ文明は終焉を迎えるのです。

代わってミケーネがエーゲ海を中心とした文明を築き、

線文字Bを使い(現在ほとんどが解読されている)

紀元前1200年頃まで繁栄を築きます。

 

 

 

*画像はアガメムノンの仮面。

ギリシア神話でもっとも有名な一人で、ミケーネの王としてトロヤ戦争の総指揮官であった。

ただ彼が実在の人物であったか神話の人物かははっきりしない。

発見したのはシュリーマンで、埋葬穴(円形墓群A5号)にあった死体の顔の上にあった。

シュリーマンはこれをアガメムノンの墓であると信じ、それ以来アガメムノンの仮面として一般的である。

しかしながら考古学上では、この仮面はBC1550〜BC1500年頃のものとされ、アガメムノンの時代よりも早いとされている。

またこの仮面はミケーネの竪穴墓の中で発見された5つの仮面のうちのひとつであり、アガメムノンの仮面の信憑性が疑問視されている。

アテネ国立考古学博物館所蔵。