ますぶちStyle/宝石箱の片隅

ジュエリーや宝石、真珠を中心に、ジュエリー・ビジネス、歴史まで幅広く書いていきます。是非ご一読下さい。

“ジュエリーの事は風に訊け” vol.48 『アンドリュー・グリマについて』

2022年04月29日 | 日記

ますぶちStyle/宝石箱の片隅

“ジュエリーの事は風に訊け” vol.48

『アンドリュー・グリマについて』

 

 

 

 

 ◎

私が宝飾品業界に入って、

衝撃を受けたジュエリー作家の一人に、

アンドリュー・グリマがいます。

1970年代の日本のジュエリー作家たちも

少なからず影響を受けていると思いますが、田宮千穂や石川伸子などのジュエリー作家も 

その中の一人かも知れません。

グリマについては、

そのうちセミナーでも取り上げたいと思っていますが、

彼の作り出すジュエリーは

私がミキモトで学んだジュエリーとは、

基本の発想が異なっていると感じました。

勿論ミキモトのジュエリーデザイナーたちも

私と同じような刺激を受けたことは明らかです。

しかし現在の日本のジュエリー作家の中で

世界に通じる作家がいないと思うのは

私一人ではないのでしょうか。

そういうとお偉い人たちから

お叱りを受けるかもわかりませんが・・・。


増渕邦治全仕事 ART DIRECTION vol-01 『1975年が私の仕事元年(3)』

2022年04月28日 | 日記

増渕邦治全仕事

ART DIRECTION vol-01

『1975年が私の仕事元年(3)』

 

◎ 

プレゼン用のアイデア出しには3日間徹夜をしました。

このような経験は

ムサ美の卒業制作で経験した時以来のことです。

結局私が出したアイデアが採用され、

と同時に、

今後は全てのクリエイティブワークは

社内制作に切り替えることになったのですから、

喜びもひとしおでした。

なにしろこの当時、

銀座の企業で宣伝部内に制作部門を持ち

クリエイティブワークをしているのは

資生堂とカネボウくらいしかなく、

ミキモトがその末席に連なる事ができたのは

ラッキー以外の

なにものでもなかったのです。

1970年頃から

日本のジュエリー市場は拡大していきます。

甲府のメーカーが東京に進出し

小売の真似事を始めました。

また一握りのジュエリー作家が

自分のブランドを立ち上げ

(私にすれば単なるネーミング)、

先生、センセイともてはやされていきます。

この当時ジュエリーのヌーべルバーグ

とも言える作家が登場します

(敢えて名前は出しませんが)。

*この画像は1975年の雑誌ミセスに掲載した広告で、宝石の写真は飯塚康弘、コピーライターは浅倉勇、バックの写真はエルンスト・ハース。ハースについては以前のブログでも紹介していますが、世界的に有名なアメリカのカメラマンです。


宝石箱の片隅の呟き−1941『私にとっての贅沢の極み』

2022年04月26日 | 日記

 

『私にとっての贅沢の極み』

自分の好きな事をして過ごしている。

気が向けば趣味の延長で、

ジュエリーの歴史のことを考えSNSに投稿をする。

年に複数回セミナーを行い

ジュエリーについて情報交換をする。

時々街に出て宝石店をウォッチングする。

週3〜5回テニス仲間と2時間あまり時間を過ごす。

孫と宝石やバレエなどについておしゃべりをする。

ギランバレー症候群という難病をしてから

酒がほとんど飲めないので

日中うつらうつらしないで済んでいる。

そして肺がんの手術以来パイプはピタリと辞めた。

深夜になれば読書か映画鑑賞。

誰の束縛も受けず気儘に毎日を過ごせる幸せを実感している。

これ以上何を望むことがあるだろうか。

 

宝石箱の片隅の呟き−1941


『世界から取り残されてしまった日本の宝飾品』

2022年04月25日 | 日記

ますぶちStyle/宝石箱の片隅

“ジュエリーの事は風に訊け” vol.47

 

『世界から取り残されてしまった日本の宝飾品』

 

久しぶりに新宿に出たので、

伊勢丹1階のアクセサリーコーナーと

4階のブランドコーナーへ。

 

 

都内の百貨店の中では伊勢丹の集客力は秀でていますが、

ひと頃のパワーは無くなっているのではないでしょうか。

土曜日の午後なのに心なしか客が少ないように感じました。

1階のアクセサリーコーナーの出店数は

かなりの数にのぼると思いますが、

客数を見ただけでも

とても全部の出店社が潤うとは思いません。

その上、ブラブラと店員を冷やかしながら一周しましたが、

皆同じようなテイストの商品ばかりで

殆ど差別化が図れていないのです。

デパートにとっては

売れればどこの出店社でも良い訳ですが、

昔の伊勢丹は出店社に対して

もっとリーダーシップが取れていたはずです。

4階は海外ブランド一色で

国内ブランドは唯一MIKIMOTOのコーナーが。

私の記憶にある他のブランドについて

売り場マネージャーに聞いてみたのですが、

お客さまの問い合わせに対しては対応できるという、

私の質問の答えになっていない対応です。

KASHIKEYがかろうじて小さなショーケースが一台(専従の販売員なし)。

諏訪貿易やTASAKIに至っては影も形も見えません。

これが日本の宝飾業界の現実なのでしょう。

いくら良いモノを作る力があっても、

資本力とインターナショナルな展開ができなければ、

結局、世界からはブランドとして認めて貰えない

ということなのでしょうか。

以前に香港のトレードショーに行った時も、

屋台の夜店のような日本のメーカーのブースは

見るに耐えられませんでした。

日本の宝飾業は川上から川下まで

何故このように世界から取り残されてしまったのでしょうか。

世界に通じるブランドという業界の歯車が

狂ってしまったのでしょうか。

日本の宝飾品のビジネス戦略に、

全くパワーを感じられないのが今の日本の宝飾品の現状なのだ、

と改めて思い知らされました。


宝石たちの1000物語◎シリーズー2・第36話《翡翠/jade》◎ 『昼下がり』

2022年04月24日 | 日記

宝石たちの1000物語

人に歴史があるように、宝石にもそれぞれの物語がある。1000文字に収められた最も短いショートショート。1000の宝石たちの煌めき。それは宝石の小宇宙。男と女の物語は星の数ほどあります。そしてそれぞれの物語は切なく哀しく、時には可笑しく愚かしく。

シリーズー2

第36話

《翡翠/jade》

 

昼下がり

 

どちらともなく誘った格好で、日比谷公園のベンチで昼飯を食う事にした。

そうしなければとても格好がつかない。

僕は最近何かと彼女にリードされるのに戸惑いを覚えている。

他人の話は羨ましがったが、いざ自分が当事者になると、昼下がりのデートは決して気持ちの良いもではない。

現に僕たちが手を繋いで歩いていると、周りの人たちは興味津々という目で見ながら、僕たちを面白がっているに違いないからだ。

彼女は170センチの長身で、スタイルもそして顔立ちも良い。

いわゆる美人タイプだ。

それに引き換え私は身長163センチで少し太り気味。

どう見たって蚤のカップルで、釣り合いが取れない。

そもそもアプローチしてきたのは彼女の方である。

会社の創立記念日の二次会で、知り合ったのだが、彼女が僕を気に入ったのは、二次会で話していたジョークが洗練されていた、と訳の分からない理由らしいが、それは同僚の女性から聞いた事だ。

或る日、社内電話でいきなり彼女から「今日お昼ご一緒しませんか。

下の受付で待っています」ときたものだ。

ビックリしながらも、兎に角1階のフロアーに降りていくと、いきなり腕を組んできたから二度ビックリだ。

「さあ行きましょう」

「どこへ行くのですか」

「この先の公園でお昼を食べましょう」

「あの、他には誰か仲間は?」

「私と二人ではご不満?」

「嫌、そんな事はないですが」

「だったらいいじゃないですか」

「でも僕何も用意していません」

「あらっ、私があなたの分まで作ってきたから安心して」

なんて強引な女なんだろうと思った。

僕は渋々ついて行くしかなかった。

今時このような女性がいるのだろうか。

嫌、今時だからこんな不思議な女性がいるのかも知れない。

でも彼女くらい美人なら、云いよって来る男は沢山いると思うのだ。

「私はね、貴方が大好きなんです!!」

「いや・・」

「先日の夜、貴方はオバアさんを助けましたよね。あの一部始終をみていたんです。あの時の貴方は素晴らしかった。男は外見ではないと気がついたの」

そう云われて思いだした。

先日新宿の花園神社で、酔っぱらいに囲まれて往生していた老夫人を私が助けたのだ。

あの時は夢中だったがそれをみていたなんて。

「私はいつも祖母から、男は外見で判断してはいけない、と云われていたんです」

僕はと云えば、彼女の颯爽とした凛々しい雰囲気に完全にのまれていた。

そのうえ彼女から翡翠のカフスまで贈られてしまった。

もし結婚したら一生尻の下にしかれる、と思った。