ますぶちStyle/宝石箱の片隅

ジュエリーや宝石、真珠を中心に、ジュエリー・ビジネス、歴史まで幅広く書いていきます。是非ご一読下さい。

“ジュエリーの事は風に訊け” vol.31『本物のジュエラーとは何か』

2020年04月26日 | 日記

 

ますぶちStyle/宝石箱の片隅

“ジュエリーの事は風に訊け” vol.31

 

『本物のジュエラーとは何か』

 

 

ジュエラーの解釈は人によって色々あるだろうけれど、一流宝石店、ジュエリー作家の証明(定義)はそれほど難しい事ではない。

自分が作り販売した商品を、結果的にどれだけ買い戻せるか、という一点に尽きる。

カルティエやヴァン・クリーフ、ティファニーなどを見ればそれは歴然。

カルティエなどは買い戻したジュエリーで、世界各地で巡回展をやるほどだ。

尤も最近のカルティエもかなり危なっかしいところはありそうだが・・・。

宝石商ばかりでなくジュエリー作家でもこれを実践している方はいらっしゃる。

ドイツのあるジュエリー作家は、100年後を見据えて、自分の作ったモノの中でお気に入りは、決して売らずに自分のコレクションにして仕舞っておくという。

100年後にどう評価されるかということはそれほど問題ではなく、自分の作り出すモノに絶対の自信があるからに他ならない。

そういった発想が全くできないのが、日本の宝石商でありジュエリー作家である。

(もしそういった作家や実践している宝石商を知っていたら是非教えて欲しいものだ)。

日本にジュエリーが入ってきて以来、商売の本道を叩き込まれたにしては、一番大事なことが疎かにされているのが現実だ。

いかにして高く売ろうかというよりも、どうでも良い加減なモノを、どこよりも安くそして数多く売るかしか教えて貰わなかったからね。

それは今でも変わらない。だから日本という市場ではジュエラーが育たない。

表面的にはいくら立派な店を構えても、中身がお粗末では本末転倒になってしまう。

残念だけれど仕方がないね。

でも今回の新型コロナウイルスを切っ掛けに、ジュエリーに対する抜本的な見直しを考えることは可能だろうか。

 


“ジュエリーの事は風に訊け” vol.30『矛盾を抱えながら必死で叫んでいる』

2020年04月23日 | 日記

ますぶちStyle/宝石箱の片隅

“ジュエリーの事は風に訊け” vol.30

『矛盾を抱えながら必死で叫んでいる』

 

​​​​​​​

 

 

多くの人に共感を与えると言うのは、結果として濃度が薄まると言う事になるかもしれない(かなり逆説的だけれどね)、などという思考は持てない男の偏見と同じで、達成できなかった事に対する痩せ犬の遠吠えに近い。

こう言った自己矛盾を抱えながらも、へこたれずやっていくのだ(自分でも何を言っているのか意味不明)。

私がジュエリー業界に歴史の基礎知識が不可欠という事を、一人でも多くの経営者に伝えたいと考えるようになったのは25年前の事で、ある先輩の元でアンティークジュエリーに触れる事で、アンティークジュエリーの魅力に大いに刺激されたことがきっかけだった。

その後少しずつ自分なりにほぼ独学で研究する過程で、ジュエリーそのものについてばかりではなく、歴史の中でのジュエリーの存在についての重要さを認識するに至った訳だ。

しかしこの10年間で、ジュエリーの歴史の必要生に反応を示したのは、銀座にある大企業1社のみだった(宝石店Mではない)。

企業のトップの方達が“直ぐにやりたい”、とか“歴史認識はこれからのビジネスにとても重要だ”などと口々には言ってみるものの、実践している企業は少ない。

時たま我が社の社員にぜひ話してくださいと言われて、単発的にレクチャーをするのが関の山である。

ジュエリー業界なんて所詮はそんなモノなのかも知れないなぁ!!!


宝石箱の片隅の呟き−1671

2020年04月22日 | 日記

新型コロナウイルスが収束した後には、

 

ジュエリー業界にどのような変革をもたらすだろう。

 

歴史の大きなうねりは常に変革を伴うのだ。

 

マイナーな事も多いけれど、

 

新しい世界を夢見て、現実(いま)を頑張ろう。

 

ジュエリーや宝石は

 

多くの人に夢を与えてきたのだから!!!

 

宝石箱の片隅の呟き−1671


悠々として急げno.202『これからが人生だ・・・vol.10/ 中途半端な人生だったか』

2020年04月12日 | 日記

ますぶちStyle・パイプの煙

悠々として急げno.202

 

『これからが人生だ・・・vol.10/

中途半端な人生だったか』

 

 

精一杯頑張ってきたと、自分では思っている。

だからと言って満足したとは程遠い。

一流とは言えないが、少なくとも日本のジュエリー業界の中では、宣伝広告の分野で存在感を示すことがきたのではないだろうか。

92年のバブル崩壊により、ジュエリー市場が混沌とする中、独立してなんとか一本立ちしてやってこられた。

10年ほど前からジュエリーの歴史にフォーカスして、ジュエリー業界の底辺を活性化すべく、AZClub(エージークラブ)を立ち上げ、誰の束縛も受けず数少ない友と一緒に学ぶことはどれほど心地よい時間だったか。

ジュエリーの歴史研究はどうやら私のライフワークで、今回の新型コロナウイルスの拡大は私にとっては、やりかけ、書き殴りの原稿の整理をするには持ってこいの時間を与えてくれた。

しかし猫の額ほどの仕事部屋には、何がどこにあるかわからないくらいの資料と本の山である。

大したことができなかった自分の人生は、全てに中途半端なような気がする。

それでも精一杯頑張ってきたことは間違い無いし、満足はできないけれどそれなりに評価したいのである。


宝石箱の片隅の呟き−1670

2020年04月10日 | 日記

 

1929年に始まる世界恐慌では

アール・デコが衰退していく。

代わって登場するのが

金を主体とする「フォーティーズジュエリー」

カルティエやティファニーは

多くのジュエリーを制作するが、

総じてセンスの良いジュエリーとは言えない。

アール・デコのエッセンスが

微塵も感じられないのだ

 

宝石箱の片隅の呟き−1670