「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.24 スルー主義と多文化主義を砕粉せよ(p400~)

2012-11-27 22:27:34 | 左翼思想批判
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D.L.アダムズ


 出典不明

 対イスラム政策を妨げる二つの桎梏がある。スルー主義と多文化主義(半合法の倫理相対主義)だ。この2つは解体、違法化されねばならない。
 イスラム政治主義の目的と教条を無視してきたのは多文化主義の代表的病理だ。道徳的に壊れた多文化主義の反知性幻想郷ではイスラム政治主義に対処できない。民族の文化を文化的討滅作戦から守護することは決して「不寛容」ではなく、愛郷と理性の発露だ。
 多文化主義の掲げる「寛容」と「包容」の美名の下、非難されるべき異文化の行為さえ「受容」されることになった。文化が腐邪しうるという思想は、この反知性幻想郷では否定される。多文化主義の下でイスラムが発芽しても。
 イスラム政治主義の真名を公共の場で論じる者は「偏見主義者」と一蹴される。コーランやハディースなど、イスラムの真名は明白に反寛容なのだが、無知なる多文化主義者たちは一人優越感に耽ってそれを無視し、「俺ってイケてる」と思いあがる。邪世の徒はこれを観て「西洋文化って阿呆だな」と嘲笑し、彼らをジンミー扱いする。彼らにとって多文化主義者は無知なる義体人形に過ぎない。
 米国では「こっちが善意を示しておけば、移民もやがて米国人化するさ」と寛容に振る舞っていた。この政策は南米やアジア、欧州からの移民にはうまく機能した。しかし、イスラムは同化を拒んだ。「服従」を真名とする「平和の宗教」イスラムにとって、夷世界の政治体制はあくまで唯一のウンマの下で討滅されるべきセカイでしかなかったのだ。イスラム主義者は多文化主義のテーゼが文化の防壁になりえないことを実によく理解している。
 コーランにはジハードという単語が150回以上用いられている。夷教徒とは永劫の有事状態にあるのだ。多文化主義者はこの教義を知らないのだろうか。実態に目を向けぬ多文化主義とスルー主義が西洋文化の存在力を弱める最大のミステスとなっている。
 同化は失敗した。イスラムとジハーディは決して同化不能の存在だ。異文化の中には決して相容れない価値観を真名として持つ教えが存在するのである。皆自由を求めるという思想は誤謬なる観念だ。イスラムにおける自由とは、「人間がアッラーに完全に帰依している状態」にすぎない。
 我々は寛容と包摂を全拒絶するイスラムに門戸を開け、彼らの脅威の前に立ち尽くしている。これが破綻と自壊を真名とする多文化主義の愚昧なる恐怖だ。
 それでもイスラムの真の教義を学ぶことは必須だ。敵対陣営の脚本を知らずして、どうして対処できよう。これは遊戯ではなく、夷教文明の存在力をかけた戦いだ。イスラムに無知なままでは、彼らが戦争を仕掛けていることさえ理解できないだろうから。自由と故郷を愛するのなら、敵への無知は排除されねばならない。
 我らは多文化主義を砕粉し、自壊幻想郷の思想として違法化し、「トンデモの屑籠」に入れなければならない。文化は平等ではない。優れた文化もあれば敵対する文化もあり、同胞となる文化もある。これが実態だ。無知なる多文化主義はやがて、その文明そのものを滅光させるだろう。
 ジハードの征服活動を行うことはイスラム的行為であり、[西欧マスゴミの表象通りに]ジハードを否定するムスリムは棄教者なのだ。正統なるムスリムに利用されるだけの思想と化した多文化主義は「脱構築」、解体されねばならない。多文化主義こそがイスラム批判を封絶する道具として、イスラム主義者に利用されているのだ。

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あまりに不均衡なる平等観(p395~)

2012-11-27 22:12:15 | 左翼思想批判
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 こうした現状の下、多文化主義は西洋への一方通行のみとなって顕現しつつある。唯一の適用対象とされているのは西洋の白人だけだ。
 族份政治(アイデンティティー・ポリティクス)はこの好例だ。黒人やユダヤ人、シーク教徒、ヒンドゥー教徒、中国人、ムスリムらは西洋内部で既に、自文化の身份を護る権益集団となっている。
 英国国民党やベルギーのヴラーム・ブロックなど西洋先住民の利益を体現する政党はすぐさま火病的なまでに「人種主義者」や「ファッショ」などの烙刻を受ける。一方、黒人警官協会(マシな方か)や「邪世のカリフ」たる英国ムスリム協会などの団体が同種の烙刻を張られたことは一度もない。
 よく考えたら、「黒人発祥音楽」賞というのは人種的ではないだろうか?しかし、多文化主義に執心するサヨクがこれを「人種主義的」と非難した例は寡聞にして知らない。それでも、サヨク団体はあらゆる口実を設けて「人種主義者」の烙刻を張りつける。辛いモノを嫌がる幼児の親に対し、多文化主義の清教徒たちは、「他人種や異文化への偏見を植え付けた」とでも審問するのだろうか?
 黒人の暴徒やジハーディが白人娘を強姦したり、交通機関を爆破した場合、多文化主義者たちは現実を無視して人種的側面を封絶し、「貧困のせいだ」とか「彼らは制度的人種主義の世上の犠牲者なのだ」とか謝罪主義的な言説を繰り出す。これが白人の場合だったらどうなるかは、ここまで読んだ者なら記すまでもないだろう。
 答えて欲しい。白人だけに自由多文化主義のテーゼを適用して、どうして理想の幻想郷が創れるというのか?妄想に浸る多文化主義者よ、どうして白人は常に屈強なる人種主義者で非白人は被害者なのか?つまり、自由多文化主義者たちは非白人の人種主義的行動を虚腐する背信者なのだ。白人を貶め、非白人の文化のみを称賛する「全文化は平等」とは名ばかりの多文化主義が横行している。
 国際政治の場では更に深刻だ。どうして西側の指導者たちは第三世界の領導者たちの前で自国の罪業ばかりを謝罪するのだろう?国是たる多文化主義のテーゼをどうして他国に発信しないのか?例えばこのように。

 我らは多文化主義の全球社会のなかにある。アラブ人よ聞け、人種も信仰もこれからは平等なるものであるぞ。然るに現今のムスリムは女性や夷教徒を人種主義的にあしらっている。この不義なるアパルトヘイトを根絶させることが当代社会の進む道なのだ。

 これは現在の南アフリカに当てはまる。紅世なる左翼団体はかつて国連制裁や世界競技会への参加拒否を通してアパルトヘイト体制を制裁することに前向きだった。真の多文化主義者なら、中東などの一元文化体制にも同様の措置を採るべきではないのか?寧ろ今の南アフリカ共和国にもこの措置を適用すべきだ。表向きは「虹の国」と謳っているが、実際にはボーア人がジェノサイド的討滅作戦の標的にされ、黒人さえアパルトヘイト時以下の治安状況に置かれているのだから。
 多文化主義と平等幻想郷の思想が西洋を覆倫する狂気の思想であることは地球の反対側の盲人でさえ理解できることだ。
 
 厖嘘

 多文化主義とはつまり人類史上最強の厖嘘だ。欧州ソビエト共和国の政党やマスゴミ、芸能人の大半がこの思想を肯定している。腐敗せし彼らは口先では多文化主義の平等幻想郷の物語を語るが、自分は有権者の税金を盗んで、多文化主義とは無縁の地に豪邸を構える。偉大なる英国国民党の支援者を「ファッショの人種主義者ども」と揶揄してやまないビリー・ブラッグやロス・ケンプのような偽善の徒は、グロドウィックやライチェスター、ブリクストンなどの多文化主義のゲンバには居住せず、「俺の言ったことをやれ、俺はやらないけどな」と自由多文化主義教を伝道する。彼らこそ多文化主義のネ申である。彼らの平等は口先だけだ。
 そしてこれを信じた清真なる大衆は多文化主義のEU人材から吐き出された痰を匙で掬って食べることになる。彼らにとっていうことを聞く大衆は義体人形の金ヅルに過ぎない。錯乱した多文化主義者たちはやがて自壊して退行していき、金に聡き主人の下僕と化していく。これが成就した形態だ。彼ら主人は無自覚の内に有害天翼たる多文化主義を広め、西洋文明の身份を壊光しようとしている。
 多文化主義者たちはあまりに無自覚だ。彼らは安全な郊外に住み、農村に別荘を建て、ベントレーに乗り、和食料亭で宴会し、パキスタン系の店からカレーを出前し、年に2回アフリカ救援の募金をする。これが現実から逃光した多文化主義や平等のセカイだ。
 そこには移民の泥沼の中で最低賃金をかけて争う不運な英国先住民の姿は影も形もない。英国の子供たちは不良文化に染められ、麻薬や飲酒の毒素に染まる。娘たちは嫌白人流の非白人に性的に弄ばれ、教育を受ける機会すら与えられなかった下流階級として多文化主義の夢魔に苦しむ。これが多文化主義の実態だ。
 英国先住民は文化マルクス主義の社会実験のハツカネズミにされた。貧者の声を聞くと公約した彼らは有権者を背信したのだ。彼ら偽善者は民俗浄化に耽り、嫌白人流の人種主義に染まった憎悪劫火の血涙なる移民たちを流入させている。彼らの真名は特権階級だ。
 万民は平等だって?笑わせないでくれ。泣けてくる。

 結論
 ニーチェの予言通り、マルクス無神教は自由主義と多文化主義という邪の双子を生み出した。平等を盾に、不当な被害者集団が多数捏造され、西欧が覆倫されてきた。白人は強占なる不義と不平等の根源とされ、穏やかな言葉でも「全原罪の母」とされた。
 しかし、平等への追求精神は自由多文化主義の西洋でのみ生じた。非西洋はただ西洋への移民搬出舞踏会に追われている。アフリカ切っての先進国だった南アフリカは今、白人の過去を清算した結果、第三世界への道を辿っている。
 第三世界の西洋諸国への姿勢は「お前の物は俺のモノ、俺の物は俺のモノ」に尽きる。途上国の民にとって西洋は飽く迄生命維持装置に過ぎず、西洋先住民が同様のことを言うと、途上国だけでなく西洋内の自虐的な自由多文化主義者によって「嫌悪主義者」と糾弾される。
 そんな弱腰をみこして、黒人や東方の民たちは西洋に寄生してただ食いする。「剥奪された」と称して文化財の返還を要求するが、彼らは決して人類の叡智には貢献しようとしない。
 自由多文化主義者が平等を叫べば叫ぶほど、天母の示した不平等なる天地の真名が顕現する。カヌート北海王が天母の摂理に挑もうとして断念した時の言葉「王権のなんと空虚なることよ。神は万物を永久の聖法で統べ給う」を思い出す。北海王は大地を改造する無謀さを悟った訳だが、50年間欧州を覆倫し、脳が壊れてしまった自由多文化主義の使徒たちは果たしてこの摂理を悟るだろうか?
 天母はゴーマンなる者に最大の罰を与え給う。全白人が対象となるだろう。自己チューなる自由多文化主義者のために天母が全白人への罰を予定していることは間違いない。

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2.23 多文化主義の基盤を知れ――タイタンから「自決蟻」レミングへの路(p390~)

2012-11-27 21:42:48 | 左翼思想批判
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レコンキスタ


 出典

 原文の解説
 ここに掲げるのは英国国民党の支持者が書いた7部構成の長大随筆の内の第2部「潮流を止めよ」だ。ここには多文化主義の真名たる嫌白人流、嫌欧州流の人種主義的側面が暴露されている。本宣言文を記し始めた頃は、イスラムを第一の主敵としようと思い、人種についてはより中立的表現で済まそうと計画していた。
 しかし、何らかのPC主義的な枷を気にしていては、多文化主義に含まれる人種主義的側面を看過することになってしまう。欧州では「欧州人」と自称する方が「白人」よりも好まれるが、これを「人種主義的」と敬遠しているようでは、ムスリムの人種主義的植民地主義に対抗できない。非白人への人種主義だけでなく、嫌白人流の人種主義も列記として存在しているというのに。

 連盟訳注
 「旅蟻」レミングの集団自決というのは、ディズニーの造りだした神話に過ぎない。もう一つの出典サイト「I Luv SA」の宣伝文句は「哈南アフリカ共和国――だけど僕は今の政権が嫌いだ」である。

 背景
 第1部ではジェノサイド級の欧州文化ハラキリの事例を紹介した。事実、欧州先住民の自覚的意図でそうしたハラキリが行われているのだ。執筆者はこんな疑問を発した。「人類史上最も強盛だった他者に羨望されし社会が、どのようにして存続の危機に立たされる状態に堕したのかと。
 猶督教(ユダヤ・キリスト教)の伝統は確かに全能なる西欧文明の発展に寄与してきた訳だが、その中には西欧先住民のハラキリを肯定する戒禁も含まれていた。偉大なる「虚無の王」ニーチェが看破したように、そこには「黙哀なる弱者を讃え、文武両道の富者が全能のヤハヴェ様によって討滅される」という覆倫(moral inversion)の原理があったのだ。
 ニーチェはこうした覆倫を衰滅させねばと説いたのだが、マルクス主義者と自由主義者はこの覆倫を流用して「被害者集団」をつくり出した。そして現在の西洋では弱者を強者にするのではなく、強者を弱者にする文化が蔓延している。
 この紅世を公然と非難しようものなら、忽ちこの自由多文化教の使徒たちから憎悪犯罪者という烙刻が張り付けられる。これは天母の普遍原理に反する事態だ。欧州先住民だけがこうしたハラキリを行っている。これを推進しているのは、弱者のためと称する自己チューの倫理十字軍だ。
 
 夢想の終焉
 自由多文化の使徒たちは「万物は平等」と唱える。この空虚なる玉兎的幻想郷の中では、男女は平等、全民族は平等、全性愛は平等、全児童は平等、児童と大人は平等、文化も平等も皆平等ということになり、何かへの優越感を語る者はそれだけで不平等の徒とされ、許容されぬことになる。
 正に獅子と羊が永遠に安穏としている「香里」の静寂に包まれたセカイだ。天母が要求する弱肉強食の戒律を覆倫した自壊的セカイだ。天母は常に平等と真空を埋めることを望む以上、この平等感は即座に打破されるだろう。
 男女をみよ。屈強な男もいれば軟弱な男もいる。長身の者も低身の者も中間の者もいる。獅子の如き勇者もいれば、どこまでも従順な貴婦犬もいる。先天的才能も様々だ。女だって容貌、主導力、希望は別だ。受け入れるかどうかは別だろうが、人間は先天的に不平等な存在であり、(必ずしも先天的才能に差があるという訳ではないが)、それが人間の真名なのだ。
 フェミ娘たちは女がずっと男の尻に敷かれてきたなどと、畢竟「嫌女性流」や「男根排斥豚」に繋がる主張を行う。しかし、その声に屈して西欧社会をフェミ娘化すると、西欧は間違いなく倒壊するが、これは第3部で論じることにしよう。とにかく、女性を抑圧された存在として描くのは、天母の摂理に反する主張の典型例だ。

 些細なる達成
 民族集団の平等という話になると、話はより不毛になる。例えば、「黒人は概して身体能力に秀で、多くの格闘家や速走者(アスリート)を生み出してきた」といえば皆に納得してもらえるだろうが、「世界史的にみて白人は黒人より知的であり、白人は天母より突き付けられし世界の難問をより効率的に解決してきた」といえば、皆から人種主義者と烙刻を張られるだろう。
 しかし、これは完全なる事実なのだ。
 宗教なら矛盾が更に顕現する。「猶督教はその倫理観により他の宗教より概して平和的で寛容だった」という意見に異を唱える者は少ないだろうが、「イスラムは暴力と強制を真名とし、夷教徒や女性に人権や敬意を払わない陋習的で独善的な髑髏なる邪教だ」といえば、「嫌イスラム流」とか「人種主義者」とかいわれるだろう。すべての宗教は平等だから、猶督教徒にも狂信的な暴力分子がいた、すべては「解釈」の問題だという紅由なる反論を聞くたびに戦慄したものだ。
 サヨク的な平等観念により、強盛なる西欧を貶める修悪作業が、ニーチェの指摘する「覆倫」に基づき進行している。典型的なネタが十字軍だ。十字軍は狂信的ジハーディによるビザンツ臣民への殺光行為に対する報復だったわけだが、ジハーディは「イスラムの真名とは異なる過激派」となる。
 何という事実の修悪だろう。自由多文化主義の善良なる使徒たちは史実から目を背けて歴史を歪曲し、妄想物語に邁進する。史実を追及する賢人たちの前で、嘘で塗光した歴史と共に。それに失敗すると、欧州に進出した偉大なる英国国民党の成果に嫉妬して暴力を煽動する。これはもはや自虐精神に囚われた精神病者の行状だ。以降は更に自由多文化主義者の病理を追及していく。

 一方通行
 多文化主義者は「すべての人種と文化は平等」と実際に主張している。しかし、なぜ西洋だけが多文化主義の舞踏会をしなければならないのか?つまり、

 人種は平等というが、なぜ中国人、日本人、朝鮮人、アラブ人、パキスタン人、アフリカ人は自分たちの土地で大量移民を進め、異文化や異教を取り入れようとしないのか?
 
 それでも、多文化主義の平等舞踏会は始まっている。豊饒なる西洋を彼らが侵略・植民地化する形式で。そこに平等を見出すことは、歯の生えた雌鶏を探すくらい難しい。疑うなら、南アフリカやジンバブエ、中東で白人が対等に扱われているかどうかその手の陳告団(ロビイスト)に尋ねてみて欲しい。ボーア人が既に3000人以上嫌白人流の名の下で殺戮されている。それをサヨク団体が真摯に糾弾しただろうか?贖罪主義の自由主義者は西洋にしかいないではないか?[連盟注 アパルトヘイト後の治安悪化については批判が二級水準だが行われている。白人作家クッツェーはこの問題を主題として作家活動を展開する]
 もうちょっと単純な質問を続けよう。
 民族集団や文化がみな平等というのなら、なぜここまで多くの非西洋人が母国を捨て西洋へ集団移住してくるのだろうか?なぜ、彼らは白人の創造した生活様式や資本主義体制に魅了され、福利を享受し、西洋人の叡智で創造された商品を利用するのだろうか?これぞ西洋社会の強盛振りと他文明との不平等性を顕現させる格好の例だ。移住を待望している者もいる。
 ここにこそ「我々は皆平等」という妄想性が顕現している。弱肉強食の原理だ。つまり、西洋に移民が押し寄せると、西洋の国力は弱まり、やがては第三世界化していくということである。
 蹴球、ラグビー、クリケット等運動競技は概ね西洋の独壇場だ。人種が対等だというのなら、どうして非西洋の運動競技や商慣習が普及しないのだろう?これも西洋優位を象徴する不平等の証左だ。
 それに、どうして西洋から非西洋世界への移民は極めて少ないのだろう?そうすれば世界はより多元化する筈なのに。非西洋世界からの移民は、西洋で福祉体制の恩恵を受け、母国に富を齎しているが、非西洋内部で移民してもそうはならない。つまり、西洋文明は世界で最も強盛なので、第三世界の某国が西洋人の大量移民補完計画を立案してもおかしくはない。これによる移民は、サヨク団体の考える多文化主義の概念とは隔絶したところで起きている現象だ。
 どうしてアフリカの原始部族の生活を西洋人は模倣しようとしないのだろう?黒人部族は西洋人の面前で他部族への偏見を煽っている。良識ある自由多文化主義の使徒さん、アフリカの暴漢たち(おっと部族か)を平等知らずと糾弾したことがありますか?この不都合な真実に目を背けるなら、貴方は人種主義者の一味同然ですよ。
 富裕なる社会で平等と多文化主義の夢想に耽るのは容易だが、貧困と暴力の蔓延する社会では難しい。例えばイランで多文化主義的な平等観を語ってみてはどうだろう?どうなるか結果が分かっているから語らない?
 これこそ多文化主義が掲げる平等志向の妄想性を示す格好の事例だ。

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