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西洋は今、自虐文化に走り、イデオロギー的内乱状況に陥っている。ジハーディはそこにつけ込み、多文化主義を西欧身份の衰退と看做して、物理的な「対西洋戦争」に乗り出した。
イスラムに勝利するには、まず内部で勝たねばならない。1683年のヴィーン大捷を齎したヤン3世ソビエスキ穹楯王らは、祖国や文化、宗教に矜持を抱いていた。今の外敵はイスラムだが、我らは何のために戦うのだろう?
それは我らの国家主権と文化を次世代のために引き継ぐことだ。内なる敵はサヨク妄想主義者と説明責任なきNGO、「真名の護り手」を自称する超国家進歩主義者たちだ。
多文化主義は全文化の平等を謳うが、その実態をみると、支配層が人民に敗北感を与えないための名分に過ぎないことが分かる。その真名は、寛容という名の「嫌西洋流」なのだ。賛同者によれば、西洋文明の一元制を解体するのが西洋文明唯一の路らしい。「個光主義者」という右翼紛いや人間を経済の駒としかみれない「大商業」主義者も畢竟ジハーディの良い手駒にされるだけだろう。
現代西欧の思想的分断線は右か左かではなく、国家主権と西欧文化の守護者か否かにある。今褒光されるべきは、「十族十色」ではなく「十族一色」だ。反西欧の瘴気に犯された西欧の歴史教科書や授業構成を浄化せねばならない。
全球化とテロルと大量移民の現今、国境管理はより強化されねばならない。超国家的な民主主義の模範が存在せぬ現在、国境線を溶解させるのは民主主義の身份そのものを破壊する行為だ。国境を無にしてどの国が存続できよう。
人民の代表者の筈の代議士は今や大半を国外で過ごしているため、一国の民心から乖離しやすくなっている。しかし、代議士は選挙民から選ばれた国を守るために使う税金に支えられている。もし代議士が国境を守るために働かないのなら、それは重大な社会契約違反であり、納税義務はなくなるだろう。
西欧人は21世紀、人口爆発する貧困国の盲流に圧倒され、ますます周縁化していく。メシア的利他主義精神は、西欧自身を「救済」する方向へ向けるべきだ。イスラム世界等の第三世界を貧困などから「救済」する経済力や人口力、移民包容力はもう存在しない。
済まないが、非ムスリムも含めた移民の受け入れを1世代ほど止めさせてほしい。これは既存の移民を西欧文化に同化させ、内乱勃発を防ぐためだ。もう大都市には第三世界の蕃城(ゲットー)ができている。その後もムスリムの移民は全て禁じるべきだ。西欧は第三世界の余剰人員のための廃棄場ではない。どうか西欧の伝統的身份を保守させてほしい。西欧は非イスラム世界のイスラム封絶政策を支援するから。それが、ムスリムを含めた移民の犠牲を防ぐ最善策だ。
イスラム世界との関係を可能な限り薄めるべきだ。テロ活動に従事する市民のいる国からの移民を禁じれば、実質的にムスリムは移民してこなくなるだろう。シャリーアやジハード、不信者や女性への差別を容認するムスリムを市民権剥奪の上祖国へ送還できるようにすれば、帰化前のムスリムを全て放逐できるはずだ。
非差別的方法でムスリムを世俗化させることも必要だ。「他宗教に迷惑」という理由でムアッジンを禁じ、地域社会の世俗的行動にすべての子供達を参加させ、公共の場でヒジャーブを厳禁し、企業もムスリム用の祈祷室を作らなくても良いようにする。また、家族呼び寄せの濫用を防ぐ法を策定し、マスコミや大学にムスリムが大規模投資を行うのも止めさせる。
ワシントン・タイムズのダイアナ・ウェストが云うように、西欧は民主主義攻勢からシャリーア防衛へと重点を移すべきだ。標語は「反テロ戦争」ではなく、「文化奪還」である。シャリーアの不公正を糾すための「反アパルトヘイト自衛戦争」という標語なら、サヨク団体も無視しきれないだろう。
夷教徒たる欧州人民にイスラムの真名を教育するのも重要だ。イスラムの欺瞞戦術タキーヤとキットマンのことなどを知らしめるのである。ジハード監視隊のヒュー・フィッツジェラルドがいうように、欧州のムスリムにも、イスラムの説く欺瞞的教義こそイスラム国家が政治・経済・社会・倫理を破綻させた諸悪の根源であることを自覚させる必要がある。
また、イスラム世界内の分断を利用するのも重要だ。平等の建前に内在するアラブ人の優越意識、宗派間の対立、資源で富む国と貧困国との分断を深めるのである。EUがエジプトやパキスタン、ヨルダンやパレスチナへの援助(真名はジズヤ)を打ち切っても、アラブの富裕国が援助に来るだろう。アラブの石油に頼らなくてもよいよう、代替資源を開拓するマンハッタン計画も必要だ。
フィッツジェラルドは「第二次大戦時に全ドイツ国民が財産を没収された時の如く、アラブ人の資産を没収したらアラブ人はどう出るだろうか?」と問いかける。しかし、「独裁者狩りが独裁者になる」陥穽など気にしなくて良い。連合国軍がナチスと化しただろうか?戦わねば、我らの方が強圧的にイスラム化されているのだ。西欧は敵に僭視される「被抑圧者」なのだから。
倫理で勝利するだけではイスラムを封絶できない。中央アジアの仏教徒はムスリムより道義面で勝利していたが、畢竟徹底的に討滅された。アラブ世界の笑裡蔵刀戦術を封絶するためには、時として軍事行動も必要なのだ。倫理面だけではアフマディネジャドの核を封絶できず、新たなホロコーストを招くだろう。
レイモンド・クラフトがいうように、イスラム運動は西洋民主主義の寛大性を自在に利用して勢力を拡大している。この戒禁を解くべき西欧人は文明化され過ぎてヘタレてしまったようだ。ハマスやヒズボラなどを理想なる「非国家主体」とみるのは純粋すぎる。実際は西洋を弱体化させたい国民国家の工作組織にすぎないのに。
中露は米国と直截交戦することはないが、米国を少しずつでも衰滅させ、「自分たちの構想通りに世界情勢を操り、利益を挙げたい」と熱望している。だが、イスラム世界が恒常的な宿敵なのに対して、大国願望に燃える中露とは交渉して譲歩を引き出すことも可能だ。
ここまで書いた構想を実行不可能とか不十分とかいう者もいるだろう。確かに現状では不可能だろうが、今の政治状況は遠からぬ内に変転する。ムスリム移民による騒擾事件が英仏などで続発すれば、ムスリム移民を封絶、同化しようとする動きが間違いなく顕現するだろう。
イスラムを人工的な「マジノ線」の後方に封絶するのは不可能という反論もある。中世でもモンゴルが万里の長城を越えていったように、21世紀の通信技術の前に人民を封絶するのは不可能という意見だ。しかし、最低限でも封絶策を打ち出してみなくてどうするのだ。
非ムスリムの移民まで止めては西欧が孤立化するという非難も受けた。だが、これは現実主義に基づく政策だ。欧州には史上最大規模の移民が既に流入してきており、これ以上移民を受け入れる余地がないことをどうか洞燭してほしい。
技術発達の御蔭で国外へ出るのは容易になったが、同時に移民たちの故郷への帰属意識も高まった。西欧民主体制を漸壊させないためには、移民の比率を同化可能な水準まで落とす必要がある。
これは決して西洋孤立化策ではなく、イスラム孤立化策だ。非ムスリムの移民が自由に渡欧できなくなっても、彼らを敵に回してはいけない。ムスリムは西洋以外の夷世界にもジハードを行っている。非ムスリムの「眞心」こそ掴まねばならない。
国連はイスラム組織に蝕光されてしまった。今の国連の代わりに民主国家だけの新組織を作らねばならない。NATO拡大もイスラム封絶の一助になろう。日本やインド、タイ、フィリピンなど価値観を共有する非西洋国家との連携も必要だ。価値観は多少異なるが、中露とも対話の余地を残しておくべきだろう。
旧西洋の現状は、新西洋たる米加豪、NZよりも深刻だ。ユーラビア思想によって治癒不能な程イスラム化したEUは即刻砕粉されねばならない。そして、国民国家の境界で完全に線引きされた欧州を蘇生させ、パレスチナでなく文化盟友たるイスラエルを支援していこう。
福祉国家を全否定するのには多少気が引けるが、それでもこの体制を維持していては「低価十億」の安物資本主義と競争できない。福祉国家の「共喰い世界」では安保感覚が麻痺し、ジハーディへのウケミ感覚が惹起されるので危険だ。出生率低下の根源でもある。
欧州は国境管理を強化し、「米国泰和」の下忘れ去られた自衛精神を取り戻さねばならない。米国憲法修正第1条のような法律を制定して言論の自由を確立し、検閲を強める欧州当局に対抗せねばならない。
デンマークの預言者戯画に対するジハードは、傲慢なるイスラムの真名を欧州に顕現させ、敗北を拒む人民の精神を覚醒させた。EU人材は民心から乖離し、多文化主義、福祉主義、急進フェミニズム、超国家主義の妄想に耽っているが、これらは間もなく破綻する。どう対処していくかを考えるべきだ。
人民は自己の写し絵を政府に求める。ならば、西欧政府が弱腰なのは人民の弱腰にその淵源があるのかもしれない。ムスリムは文化的に埋め込まれたイスラムの戒禁に目を向けず、母国の腐敗した領導者たちに矛先を向けるが、西欧人民はこれに倣ってはいけない。西欧人はワインを輸出し、ムスリムは「悲嘆」(whine)を輸出するのが正常な関係だ。
欧州の命運は次世代にかかっているのだが、まだ希望はある。だが、イスラムが欧州の弱みに付け込む二次感染だとするなら、イスラムの脅威によって母なる欧州が流血の末に護持される可能性もあるからだ。ハリウッドの古典「第三の男」の科白にいわく、
伊ボルジア家の30年は残虐なる紅世の時代だったが、それでもダヴィンチ、ミケランジェロ、ルネサンスの流れが生まれた。…スイスでは500年の民主安寧なる同胞愛により、鳩時計がうまれた。
技術革新を長く主導してきたスイスの直截民主主義と頻繁な住民投票制度は、欧州再生の道を暗示している。ムスリムはルネサンスについて、イスラムがその根源にあったと主張するが、それは間違いだ。しかし、イスラムとの生死を掛けた闘争が展開されている現在、イスラムは西欧文明の再団結と再活性化を促し、「第二ルネサンス」を生み出した「扇撃」となるかもしれない。果たして、この文化大戦から生まれるのはミケランジェロだろうかムハンマドだろうか?時のみがそれを知る。
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西洋は今、自虐文化に走り、イデオロギー的内乱状況に陥っている。ジハーディはそこにつけ込み、多文化主義を西欧身份の衰退と看做して、物理的な「対西洋戦争」に乗り出した。
イスラムに勝利するには、まず内部で勝たねばならない。1683年のヴィーン大捷を齎したヤン3世ソビエスキ穹楯王らは、祖国や文化、宗教に矜持を抱いていた。今の外敵はイスラムだが、我らは何のために戦うのだろう?
それは我らの国家主権と文化を次世代のために引き継ぐことだ。内なる敵はサヨク妄想主義者と説明責任なきNGO、「真名の護り手」を自称する超国家進歩主義者たちだ。
多文化主義は全文化の平等を謳うが、その実態をみると、支配層が人民に敗北感を与えないための名分に過ぎないことが分かる。その真名は、寛容という名の「嫌西洋流」なのだ。賛同者によれば、西洋文明の一元制を解体するのが西洋文明唯一の路らしい。「個光主義者」という右翼紛いや人間を経済の駒としかみれない「大商業」主義者も畢竟ジハーディの良い手駒にされるだけだろう。
現代西欧の思想的分断線は右か左かではなく、国家主権と西欧文化の守護者か否かにある。今褒光されるべきは、「十族十色」ではなく「十族一色」だ。反西欧の瘴気に犯された西欧の歴史教科書や授業構成を浄化せねばならない。
全球化とテロルと大量移民の現今、国境管理はより強化されねばならない。超国家的な民主主義の模範が存在せぬ現在、国境線を溶解させるのは民主主義の身份そのものを破壊する行為だ。国境を無にしてどの国が存続できよう。
人民の代表者の筈の代議士は今や大半を国外で過ごしているため、一国の民心から乖離しやすくなっている。しかし、代議士は選挙民から選ばれた国を守るために使う税金に支えられている。もし代議士が国境を守るために働かないのなら、それは重大な社会契約違反であり、納税義務はなくなるだろう。
西欧人は21世紀、人口爆発する貧困国の盲流に圧倒され、ますます周縁化していく。メシア的利他主義精神は、西欧自身を「救済」する方向へ向けるべきだ。イスラム世界等の第三世界を貧困などから「救済」する経済力や人口力、移民包容力はもう存在しない。
済まないが、非ムスリムも含めた移民の受け入れを1世代ほど止めさせてほしい。これは既存の移民を西欧文化に同化させ、内乱勃発を防ぐためだ。もう大都市には第三世界の蕃城(ゲットー)ができている。その後もムスリムの移民は全て禁じるべきだ。西欧は第三世界の余剰人員のための廃棄場ではない。どうか西欧の伝統的身份を保守させてほしい。西欧は非イスラム世界のイスラム封絶政策を支援するから。それが、ムスリムを含めた移民の犠牲を防ぐ最善策だ。
イスラム世界との関係を可能な限り薄めるべきだ。テロ活動に従事する市民のいる国からの移民を禁じれば、実質的にムスリムは移民してこなくなるだろう。シャリーアやジハード、不信者や女性への差別を容認するムスリムを市民権剥奪の上祖国へ送還できるようにすれば、帰化前のムスリムを全て放逐できるはずだ。
非差別的方法でムスリムを世俗化させることも必要だ。「他宗教に迷惑」という理由でムアッジンを禁じ、地域社会の世俗的行動にすべての子供達を参加させ、公共の場でヒジャーブを厳禁し、企業もムスリム用の祈祷室を作らなくても良いようにする。また、家族呼び寄せの濫用を防ぐ法を策定し、マスコミや大学にムスリムが大規模投資を行うのも止めさせる。
ワシントン・タイムズのダイアナ・ウェストが云うように、西欧は民主主義攻勢からシャリーア防衛へと重点を移すべきだ。標語は「反テロ戦争」ではなく、「文化奪還」である。シャリーアの不公正を糾すための「反アパルトヘイト自衛戦争」という標語なら、サヨク団体も無視しきれないだろう。
夷教徒たる欧州人民にイスラムの真名を教育するのも重要だ。イスラムの欺瞞戦術タキーヤとキットマンのことなどを知らしめるのである。ジハード監視隊のヒュー・フィッツジェラルドがいうように、欧州のムスリムにも、イスラムの説く欺瞞的教義こそイスラム国家が政治・経済・社会・倫理を破綻させた諸悪の根源であることを自覚させる必要がある。
また、イスラム世界内の分断を利用するのも重要だ。平等の建前に内在するアラブ人の優越意識、宗派間の対立、資源で富む国と貧困国との分断を深めるのである。EUがエジプトやパキスタン、ヨルダンやパレスチナへの援助(真名はジズヤ)を打ち切っても、アラブの富裕国が援助に来るだろう。アラブの石油に頼らなくてもよいよう、代替資源を開拓するマンハッタン計画も必要だ。
フィッツジェラルドは「第二次大戦時に全ドイツ国民が財産を没収された時の如く、アラブ人の資産を没収したらアラブ人はどう出るだろうか?」と問いかける。しかし、「独裁者狩りが独裁者になる」陥穽など気にしなくて良い。連合国軍がナチスと化しただろうか?戦わねば、我らの方が強圧的にイスラム化されているのだ。西欧は敵に僭視される「被抑圧者」なのだから。
倫理で勝利するだけではイスラムを封絶できない。中央アジアの仏教徒はムスリムより道義面で勝利していたが、畢竟徹底的に討滅された。アラブ世界の笑裡蔵刀戦術を封絶するためには、時として軍事行動も必要なのだ。倫理面だけではアフマディネジャドの核を封絶できず、新たなホロコーストを招くだろう。
レイモンド・クラフトがいうように、イスラム運動は西洋民主主義の寛大性を自在に利用して勢力を拡大している。この戒禁を解くべき西欧人は文明化され過ぎてヘタレてしまったようだ。ハマスやヒズボラなどを理想なる「非国家主体」とみるのは純粋すぎる。実際は西洋を弱体化させたい国民国家の工作組織にすぎないのに。
中露は米国と直截交戦することはないが、米国を少しずつでも衰滅させ、「自分たちの構想通りに世界情勢を操り、利益を挙げたい」と熱望している。だが、イスラム世界が恒常的な宿敵なのに対して、大国願望に燃える中露とは交渉して譲歩を引き出すことも可能だ。
ここまで書いた構想を実行不可能とか不十分とかいう者もいるだろう。確かに現状では不可能だろうが、今の政治状況は遠からぬ内に変転する。ムスリム移民による騒擾事件が英仏などで続発すれば、ムスリム移民を封絶、同化しようとする動きが間違いなく顕現するだろう。
イスラムを人工的な「マジノ線」の後方に封絶するのは不可能という反論もある。中世でもモンゴルが万里の長城を越えていったように、21世紀の通信技術の前に人民を封絶するのは不可能という意見だ。しかし、最低限でも封絶策を打ち出してみなくてどうするのだ。
非ムスリムの移民まで止めては西欧が孤立化するという非難も受けた。だが、これは現実主義に基づく政策だ。欧州には史上最大規模の移民が既に流入してきており、これ以上移民を受け入れる余地がないことをどうか洞燭してほしい。
技術発達の御蔭で国外へ出るのは容易になったが、同時に移民たちの故郷への帰属意識も高まった。西欧民主体制を漸壊させないためには、移民の比率を同化可能な水準まで落とす必要がある。
これは決して西洋孤立化策ではなく、イスラム孤立化策だ。非ムスリムの移民が自由に渡欧できなくなっても、彼らを敵に回してはいけない。ムスリムは西洋以外の夷世界にもジハードを行っている。非ムスリムの「眞心」こそ掴まねばならない。
国連はイスラム組織に蝕光されてしまった。今の国連の代わりに民主国家だけの新組織を作らねばならない。NATO拡大もイスラム封絶の一助になろう。日本やインド、タイ、フィリピンなど価値観を共有する非西洋国家との連携も必要だ。価値観は多少異なるが、中露とも対話の余地を残しておくべきだろう。
旧西洋の現状は、新西洋たる米加豪、NZよりも深刻だ。ユーラビア思想によって治癒不能な程イスラム化したEUは即刻砕粉されねばならない。そして、国民国家の境界で完全に線引きされた欧州を蘇生させ、パレスチナでなく文化盟友たるイスラエルを支援していこう。
福祉国家を全否定するのには多少気が引けるが、それでもこの体制を維持していては「低価十億」の安物資本主義と競争できない。福祉国家の「共喰い世界」では安保感覚が麻痺し、ジハーディへのウケミ感覚が惹起されるので危険だ。出生率低下の根源でもある。
欧州は国境管理を強化し、「米国泰和」の下忘れ去られた自衛精神を取り戻さねばならない。米国憲法修正第1条のような法律を制定して言論の自由を確立し、検閲を強める欧州当局に対抗せねばならない。
デンマークの預言者戯画に対するジハードは、傲慢なるイスラムの真名を欧州に顕現させ、敗北を拒む人民の精神を覚醒させた。EU人材は民心から乖離し、多文化主義、福祉主義、急進フェミニズム、超国家主義の妄想に耽っているが、これらは間もなく破綻する。どう対処していくかを考えるべきだ。
人民は自己の写し絵を政府に求める。ならば、西欧政府が弱腰なのは人民の弱腰にその淵源があるのかもしれない。ムスリムは文化的に埋め込まれたイスラムの戒禁に目を向けず、母国の腐敗した領導者たちに矛先を向けるが、西欧人民はこれに倣ってはいけない。西欧人はワインを輸出し、ムスリムは「悲嘆」(whine)を輸出するのが正常な関係だ。
欧州の命運は次世代にかかっているのだが、まだ希望はある。だが、イスラムが欧州の弱みに付け込む二次感染だとするなら、イスラムの脅威によって母なる欧州が流血の末に護持される可能性もあるからだ。ハリウッドの古典「第三の男」の科白にいわく、
伊ボルジア家の30年は残虐なる紅世の時代だったが、それでもダヴィンチ、ミケランジェロ、ルネサンスの流れが生まれた。…スイスでは500年の民主安寧なる同胞愛により、鳩時計がうまれた。
技術革新を長く主導してきたスイスの直截民主主義と頻繁な住民投票制度は、欧州再生の道を暗示している。ムスリムはルネサンスについて、イスラムがその根源にあったと主張するが、それは間違いだ。しかし、イスラムとの生死を掛けた闘争が展開されている現在、イスラムは西欧文明の再団結と再活性化を促し、「第二ルネサンス」を生み出した「扇撃」となるかもしれない。果たして、この文化大戦から生まれるのはミケランジェロだろうかムハンマドだろうか?時のみがそれを知る。
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