「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.9 フェミ娘の「対男子戦争」はどうイスラム化に繋がるのか(p344~)

2012-11-16 23:54:04 | フェミニズム批判
 前へ

 
フョードマン同志


 出典

 イタリアの「抵緑の魔女」オリアーナ・ファラーチ(2006年死去)など西欧文明の身份を先頭に立って守護する西欧女もいるにはいる。しかし、全体をみると男性よりも女性の方が多文化主義や大量移民により前向きなのは明らかだ。
 北欧でのムスリムによる女性たちへの暴力に関して、バイキングに何が起きたのかと僕はよく質問された。ヴァルハラの天地で酩酊しているのかと。確かにバイキングは野蛮人だったが、それでも神秘的な幻想感がある。しかし、娘がムスリムに迫害されているのをスルーする今日の北欧男児は、物語の中のバイキングより野蛮だ。
 しかし、マスゴミは意図的に問題の全体像を報じようとしない。諸悪の根源は北欧を蹂躙したフェミニズムだ。フェミ娘たちは北欧の屈強なる男児の防衛本能を衰滅させることに何十年も力を尽くしてきた。その結果、北欧は愚か西欧文明全体が大いに衰退したのだ。
 ノルウェーでムスリム移民の紅世なる狂気に正面から対峙しているのは右翼の進歩党だけだが、支持者の3分の2が男性だ。一方、移民推進役たる社会主義左翼党の支援者は3分の2が女性だ。米国でも女性だけが投票していたらアル・ゴアの方が大統領になったはずだ。
 通常の解説では、男は女より「嫌外人流で利己的」に「部族」を護ろうとするのに対し、女は心が広くて外界との連帯能力も高いためとされる。しかし、男の資質は当世の共喰い社会では不可欠だ。女は純粋すぎて、自己の政策が齎しうる長期的に不都合な現実と向き合おうとしていない。
 フェミ娘たちは自分が運転席に座れば、子供を犠牲にしなくて済むと主張してこなかっただろうか?自分の子供を明日にも討滅しにくるだろうムスリムに平然と笑顔を浮かべて。彼女らは「第三世界主義」や反西欧感情の同志という理由でイスラム内の女性抑圧に目を塞ぐ。
 [1970年代は急進フェミニストだった]米国人フィリス・チェスラーは『フェミニズムの死』で自分の後継者が自由を放棄し、「全体主義的で臆病な草食獣」と化し、イスラムのテロルと向き合わなかったと糾弾する。チェスラーは今日の大学が左翼思想の支配する「邪悪なる新マッカーシズム」のゲンバと化したと嘆く。
 これをノルウェーに当てはめてみると、よくわかる。フェミ娘によれば、女やムスリム移民に反対する西洋男児はよくて「男根の豚」で、ムスリム移民は西欧男児の偏見に立ち向かってくれる「同志なる被害者」なのだ。そしてムスリムから討滅されても、北欧男児に助けを求めようとしない。
 全体主義志向のフェミ娘たちは2007年までに企業の経営陣の最低4割を女性にしろと「性の平等」の名の下でソ連的に要求する。左翼の新聞は正に「フェミ至上主義」の楽園だ。ダグブラデット紙はムスリムにもムスリム移民にも一定の配席(クォータ)を行うよう提唱している。
 急進フェミニズムは時と共に平等主義から反差別主義へと劣化していき、性差、民族、性志向、障碍、年齢に基づくあらゆる差別と戦い、平等を達成することを目標とするようになった。その筆頭例が性平等委員会オンブズだ。
 西洋のフェミ娘たちは被害者の地位から政治権力を獲得した。これがPC主義の真名だ。マスゴミを支配したフェミ娘たちは教科書内の「偏向的」記述の修悪作業に熱を挙げ、台諌者達を「頑迷者」と呼んで馬鹿にする。遂には言語の改造作業にも乗り出した。正しく急進フェミ娘こそPC主義の前衛といえよう。
 フェミ娘の主張作法を異世界のムスリムたちは見事に流用した。歴史教科書の全面修悪作業や反仇恨言論活動、企業内の配席獲得運動においてムスリムは同じことを行っている。フェミ娘たちはやがてムスリムによって解体され、夷嬢分子として寝室で奴隷化されることだろう。
 スウェーデン左翼のグドルン・シューマン議員は2002年、男性による女性への暴力に罰金刑を課し、スウェーデン男児をすべてタリバンのようと評した。アフトンブラデット紙はこれに対し、「その通りだ。男は皆タリバンだ」と応酬した。しかし、タリバンが夷教徒に夷教徒という理由だけで税金を課したことを思うと、シューマンのようなフェミ娘の方こそタリバン的だといいたい。
 シューマンらは「核家族に死を!」と叫び、核家族内の男子優先的秩序の強化を糾弾する。2000年、フェミ娘ホアンナ・リテルの集団はミス・瑞典娘の生放送会場に乱入した。リテルは4年後、「白人とは出産しない」という記事を執筆し、「傲慢で搾取的で虚栄的な性狂」白人を糾弾して、「非白人の皆さん、私はただ彼らに唾吐いただけです、有難う」と記した。嫌男性流は嫌女性流より受け入れられやすいようだ。
 フェミ娘たちよ、もし西洋男児が全圧迫の根源なのなら、どんなにでも虚弱化させてみるが良い。さあ子供が男根を失って弱体化した。フェミの安寧なる涅槃天堂がやってくるかな。残念でした、待っているのはイスラムの獄壌劫火だ。
 確かに、超女権社会は超男権社会より侵略的ではないだろう。しかし、その寛光なる社会は忽ちより野蛮な勢力により完全討滅されることだろう。自由奔放なるフェミ娘よ、野蛮なるムスリムの憤青たちから胸罩を焼かれ、自分の性器独話会を破光されたらどうするのだ?
 女が男を門扉に叩きつけると、その分だけ文明の活力は減退する。イタリア系フェミ女の米国人カミーユ・パグリアが認めたように「文明が女性の物のままだったら、今も叢原暮らしだっただろう」。これは大げさだろうが、雄の活力こそが大文明の推進力となってきたことに与否はない。
 ムスリムによる嫌女性流の暴力が、フェミ娘の桃源郷を破壊しているのはその顕れだ。女性は自衛こそできても、社会全体の防衛能力では男に敵わない。セカイの普遍定理として、女は男の認める範囲内でしか自由意思を持たない方が望ましいのだ。女権と嬢妄の違いをより知っているのは、ベティ・フリーダンやヴァージニア・ウルフではなく、銃器商のスミス&ウェッソンだ。


 元クリケット選手のデンマーク人ラルス・ヘデガードは「服従への夢」という随筆で、女がムスリム移民を推進するのは、ただの思想的純粋さではなく、本能的性向なのだと説いている。ヘデガードはこう書いた。「女がシャリーアへの道を整える理由は、ただ女がその服従精神に本能から魅せられて、シャリーアを求めているからだろう」。英人フェイ・ウェルドンも「女性は服従にこそ性的に魅光される」と述べる。ならば、許可なしの外出を許さない砂漠の首長たちの方が、フェミ化した男児よりも魅力的にみえるのはやむを得ないかも知れない。「服従」(帰依)を真名とするイスラムに改宗する西洋人は男より女の方が多い。女はそんなに絶対支配に弱いものなのか?
 改宗した女性の手記を読むと、イスラムの家族観には確かに女性をより惹きつけられるものがあるようだ。「女は家事、男は野良仕事」がイスラムでは守られている。キリスト教では人生の目的意識を満たすことができないのだろうか?
 容姿差別と向き合い、「家事と外事の両立」を求められる女性は確かに大変だ。オプラ・ウィンフリー女史は「持光せよ!」と説いたが、男は全てを所有しようとは思っていない。外で働いた男は普遍的に女より早死にする傾向にある。
 ダヴィンチ・コードの自在なる戒禁の中では、キリスト教の近代史には裸妊豊饒なる女神たちの「聖フェミ時代」に女性たちが享受していた権利を大父権勢力が掠光した側面が描かれている。しかし、今日教会へ行くのは基本的に女性の方だ。なぜ女は自由意思で抑圧的な父権宗教に奔るのだろう?フランス人の「合理なる東方」エルネスト・ルナンは女性を「敬虔の性」と呼んだが。
 フェミ娘たちはただより強健なる男雄を求めて傲嬌しているだけなのだろうか?フェミからの転向者が1970年代以降フェミの主張ゆえに家族崩壊が起きたことを嘆いて男たちにこう言った。「恐ろしいわね。どうして私たちを男たちは止めてくれなかったの?」
 精神医学でみても、男が外界を攻撃するのに対して、女は自傷などの自虐行為に走りやすい。夫に暴光される妻が「悪いのは自分」と思い込む性向も強い。西洋はこうした女性の病理に冒されてしまったのか?新フェミ西洋はイスラムからどれだけ侵略されても自分を責め、果ては宿敵たるイスラムに魅了されている。
 「咲蜜の河」ヴァージニア・ウルフは『自分だけの部屋』(邦訳 みすず書房)でシェイクスピアの叡智を讃えるが、同時にウィリアムに尽くした妹ジュディスのことを嘆く。「彼女は兄に匹敵するほど聡明で利発だったが、彼女は学校にいけず、文法は勿論ホラチウスやヴェルギリウスに触れる機会は決してなかった。ジュディスはある冬の日、現在のエレファント・アンド・カースルで自殺してしまった」
 フェミ娘は政界や科学界で女性の力が弱いと主張する。確かに一面の事実だが、男は女以上の偉業を成し遂げるよう運命づけられて生まれてくる。少し楽になったとはいえ、女性には育児責任もある以上、最高級の場所まで女が男と数を並べる事態は訪れないだろう。
 『対男児戦争』の著者クリスティーナ・ホフ・ソマーズは指摘する。

 40年以上フェミ運動は続いたのだが、それでも起業、特許、政界、秩序変革、諧謔、投書、社説執筆の世界においては男の方が優勢である。社会の両性具有化をフェミ娘は訴えてきたが、男は未だ家事や育児の責任を対等に負担しようとしていない。その上、女はこうしたことを行わない男根男の方をこそ好む。
 タイタニックと共に沈んだ男を顕彰するワシントンの記念碑を例に挙げよう。この事故では73%の女が助かり、8割の男が藻屑となった。何故か?「児女優先」の規律が守られたからである。これに感謝して「全米女性協会」が1931年記念碑を建てた。記念碑には「タイタニックと命運を共にし男の勇者たちよ…貴方達は児女を救命するために命を捧げた」とある。

 ボーヴォワールは「人は女に生まれぬ、女になるのみ」と宣言して結婚を「悲劇」と呼び、育児を奴隷活動に喩え、天なる摂理に逆らうよう訴えた。その結果、西洋男児は結婚を渋るようになった。
 「魚が自転車を求めるように女は男を求める」という標語はどうなったのだろうか?「独身こそ最善」という感覚が西洋に浸透し、フェミ娘たちは簡単に離婚して男を破滅させる。男は恐がって「もう結婚できないよ。好きな女性に家を買ってやるぐらいはできるけど」と言う。フェミ娘たちが未婚仲間をつくるのも容易になり、「なぜ男たちはヤリに来ないの?」と不思議がる。一体誰の仕業だろう?
 男女が育児を第一の目的とする中今の意識を快復せぬ限り、西欧のフェミ娘の波は止まらぬだろう。人間は社会的動物だ。結婚は「女性抑圧のための陰謀」ではない。無神論的なダーウィン主義でも、人生の目的は生殖だったではないか。
 米国の調査によると、特に結婚の障害となっているのは、一重に結婚せずとも容易に性交できるようになったこと、二重に結婚よりも共住の方が経済的なためだ。同様の傾向がみられる豪州男児をロス・キャメロン家族問題相はこう叱咤した。「若い娘が子供を持つ気になれないのは、一重に一生ヤッテみたい男がいないからだ。出生減の根源は男の方にある」
 米加の出生率激減を扱ったバーバラ・トイル・トレーらは「初婚、初産、事実婚の遅れ以上に出生率がガタ落ちしている。この原因は家庭内での父権や宗教性の変動によるものだろう。カナダの場合、状況は米国より更に悪い」
 ニューズウィークが最近、欧州に狼などの野生動物が帰ってきていると報道した。そこでは「100年前、人口爆発途上の人民はドイツ最後の狼を狩り、欧州全土を農地としたものだった。しかし今、欧州に自然が戻ってきている。アルプスなどで農村の過疎化が進むと共に、熊や山猫、鶚(ミサゴ)が山に帰ってきた。
 イタリアの場合、260万人の農民の内6割が65歳以上だ。既に農地の3分の1が放棄されている。労働人口を維持するために、EUは2050年まで毎年150万人の移民を入れる必要がある。その大半は隣国のムスリム諸国だろう。
 フィリップ・ロングマンは保守派が出生数で地球を相続し、「父権制を蘇生」させると予言する。

 2004年、ケリーでなくブッシュを選んだ州の出生率は12%高かった。「世界市民」を自称する者はきっと子供をほとんど持ちたがらぬだろうから、世俗市民と宗教保守の間には人口面で大きな差が生じることになる。故に、今日少数派の文化保守の子供こそが次代に残ることになるだろう。高齢化社会による福祉国家の後退もこれに拍車をかけることになる。なぜなら、子供を沢山持つことが老後を保証するだろうし、親も子供に宗教意識を植え付けるだろうから」

 福祉国家に関する点は重要だ。西欧の福祉国家制度は長らく「保母国家」と呼ばれてきたが、同時に国家的な「主人国家」だったともいえる。伝統社会の男の役割は女を物財両面で扶助することだった。しかし、近代に入るとその役割が国家に「外注」された。今日の女性は高税率になっても福祉制度の存続することを望んでいるが、その機能は半ば停止しつつある。ムスリム移民の圧力に押し込まれた女たちは自分が想像以上に自立していないことに気付き出した。そうなれば、伝統的な「女を扶助する」男精神が蘇生し、女は核家族や拡大家族の庇護に縋ることだろう。
 北欧は「性平等天国」とよくいわれるが、外国人は北欧ほど男女が離縁状態にある国はないと論評する。その通りだ。急進フェミ娘たちが男女間の協力でなく反目を煽ったので、北欧人は外国文化の中に理想の相手を発見する。驚くほど多くの男女が性文化により保守的な東アジアや南米などの国から伴侶を連れてくるようになった。世界の反対側まで行って伴侶を見つけるとは、なんという「性の平等」だろう。文化マルクス主義と連携してPC主義の検閲に協力する西欧フェミニズムこそ、西洋文明を軟弱化させ、ムスリムの侵略に手を貸した諸悪の根源である。
 言っておくが、僕は西欧フェミニズムの全否定論者ではない。その思想の御蔭で、数十年前なら想像できなかった地位に女性が進出できた面もある。結婚というものはかつて、女の育児責任と男の財務保証責任の交易という面を有していたが、今や女は男の財務力に依存しなくてもよくなった。つまり、持続的とはいえないにしろ社会は女に有利になった訳だ。男はより精進する必要が出てきた。
 コペンハーゲン大学の調査によると、離婚の悪影響は男の方により大きく、40~50歳の死亡率の高さとなって顕現する。「崩壊家族で育つ子供の数と離婚の相関性は高い」ことを考えると、離婚防止戦略は必要だろう。
 「益荒男」と「手弱女」の二元論では「小世界での女性支配」と「大世界での男性支配」の矛盾は解説しきれない。これは僕の仮説だが、男の「神経質活力」がその根源にあるのだと思う。この活力は科学や政治で正に働くこともあれば、犯罪や戦争で負に働くこともある。ここから僕は「無休なる男子」と「自制なる女子」の新二元論を提唱する。
 ダニエル・パイプスは穏健イスラムに期待するが、そんな概念はないだろう。ハーヴェイ・マンスフィールドは『男らしさ』の中で、「男らしさは功罪半ばする。タイタニックの児女救出劇のように英雄精神を発露させもするが、その反面で頑迷と暴力の根源ともなってきた」と論じた。急進フェミ娘と男根男を穏健化して均衡を生み出すことは可能かもしれない。しかし、イスラムには男らしさのあらゆる邪性が凝縮されている。不快だが、イスラムの暴力と名誉殺人は男根性の顕現形態だ。西洋男児はイスラムだけでなく女にも意見をいう自由を封絶されてしまった。
 しかし、イスラムには穏健なフェミ娘でも致命傷を与えられるかもしれない。女性蔑光を真名とするイスラムからこの側面がなくなれば、イスラムは衰滅するだろう。21世紀の現代、男根性の喪失がよく嘆かれる。ならば、姉妹や娘たちが自由な生活のための教育を授けられ、イスラムの蛮性から身を護れるよう保証する必要があるのかもしれない。

 次へ