「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.1 EUのユーラビア計画(ユーラビア・コード)――実録・EUの欧州イスラム化戦略(p280~)

2012-11-05 21:32:22 | 現代欧州
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 ユーラビア・コードとはバット・イェオル女史の画期的名著『ユーラビア――欧喰(アラブ)枢軸』で暴露されたEUの欧州イスラム化戦略である。

 
フョードマン同志


 出典

 
 この長文を書き下ろすことにしたのは、ある非サヨクの記者がユーラビアという紅世なる概念を「シオン賢者の議定書」と同水準の陰謀論と嘲笑したからだ。僕は陰謀論が存在せぬとも危険でないともいわない。ドイツ帝国は第一次大戦で負けてない、ただ紅世なる社会主義者や知識人、ユダヤ人に背信されただけという「刀刺在背」論は、ヒトラーのナチが隆昌する上で重要な役割を果たした。
 9・11テロは米国政府の自作自演で、責任がムスリムになすりつけられたという陰謀論もある。これは無論嘲笑の対象だが、それでも紹介はされている。
 対照的に、「欧州のイスラム化が政治領導者の積極的な協力の下進んでいる」というユーラビア理論は滅多に紹介されない。反米感情に合わないからか、EUの自由市場に批判的なサヨク達もユーラビアについては全く言及しない。
 なので、ここからこのユーラビア理論が妥当なのかどうかを検証していく。僕はこれをダン・ブラウンの『ダヴィンチ・コード』を捩って「ユーラビア・コード」と命名した。本理論は欧州の真名に迫っていると思う。ブラウンは次作で欧州の大陰謀について執筆するらしいが、舞台をローマでなくブリュッセルにしてみれば、ずっと面白いモノが書けるだろう。
 主な参考文献はバット・イェオル女史の『ユーラビア――欧喰枢軸』(喰=アラブ)だ。この長文はイェオル女史の公認も受けている。しかし、要約自体は僕の手で用意した。
 ハーレツ紙とのインタビューでイェオル女史はフランスのドゴール大統領が、大フランス帝国の植民地喪失に直面し、いかにしてアラブのイスラム世界と協調して米ソに対抗しようとしたかを解説している。いわく、

 欧州の全変態が始まった。今後更に変態工程が進めば、欧州はどんどんイスラム化され、イスラム諸国の衛星国家のごとき様相を示すだろう。反米、反イスラエル化していくのだ。これは外政だけでなく、移民などの内政問題にも適用され、「欧州はイスラムの一部」になっていく。そして、親パレスチナのアラブ領導者たちの要求を受け入れるようテロル的圧力が常に加えられる。

 ドゴールの反米政策は畢竟、欧喰反米連合として結実した。旧植民地への影響力を欧州諸国は維持したが、反面で地中海は「ユーラビア内海」となり、ムスリム移民が多文化主義の名の下で推奨され、欧州でイスラムの存在の力が強まった。
 ユーラビアという語の初出は1970年代中頃だ。大統領府の仏喰連帯協会のルシアン・ビテルレインが記した档案の題名だ。そこではあらゆるレベルでの欧州とアラブの連帯が具体的事柄と共に謳われた。
 ドゴールは1967年仏喰連帯が「外交の基幹」と公言した。1969年にはカイロの親アラブ国際会議で、議会に特別集団をつくって議会を通してアラブやパレスチナと連帯する」ことが決議された。1974年には、欧州・アラブ対話の名の下で、欧喰協力議員協会が発足した。この時、ユーラビア共通の政治課題が設定され、フランスが中心になって外交政策の統一が進められた。
 アラブ側は欧州に対し、科学技術の利用権、米国からの独立、移民やイスラム文化の受容などを求めた。そして、イスラエルを「セカイ平和を脅かす大悪魔」と呼ぶよう求め、パレスチナ人とアラファト議長の主導権を認めるよう求めた。パレスチナの存在がアラブとは別個に認められたのは、この前年のことだった。
 前年の1973年、第4次中東戦争(神無月戦争)が起きると、OPECは親イスラエルの国へ石油禁輸を断行し、原油価格を暴騰させた。これにより、サウジなどの産油国は巨万の油貨を手に入れ、世界中でワッハーブ・クールを広めるための資金を手に入れた。禁輸措置は技術的理由故にやがて解除されたが、これにより欧州・アラブ対話の素地が大きく固められた。また、戦争によりアラブに大フランス帝国を打ち立てるという植民地的な壮大なる野望もなくなった。
 その後ヴェネチアやハンブルクで開かれた欧州・アラブ対話でアラブ移民を推進する勧告が出され、欧州のアラブ的文化変態が更に進んだ。しかし、これらはその政治性と非民主性ゆえに、双方から領導者級の有力者が出席しているにも関わらず、密室の中の対話(ダイアローグ)に留まっていた。
 しかしながら、イェオル女史はフロントページ誌とのインタビューで、この対話により、「内政において、マスゴミ、記者、出版社、学術界、文化施設、教科書、青年機関、観光において緊密な協調関係ができた。教会もイスラムと交流した。ユーラビア計画により、包括的な相乗効果が生まれたのだ」
 
 ユーラビアの中心勢力たる欧喰協力議員協会(PAEAC)がパリで発足したのは1974年だ。今(2006年)、協会に加盟する議員の数は超党派の600名以上に上る。欧喰が協力して米国に対抗しようというこの動きは巧妙にも「欧州・アラブ対話」という中立的な名前で活動し、人やモノが自由に流通する汎地中海機構の創設を目指している。
 PAEACは歴史の完全な書き替えを求める文化戦線を張った。1991年「イスラム文明の欧州文化への貢献」という議案が欧州評議会で可決され、1996年にはジャック・シラクとロマノ・プロディ(後のイタリア首相)によって「文化・文明対話財団」というものが創られ、欧州全域でイスラムに関するすべての事項が統御されるようになった。
 1970年代以来、ECもEUも組織ぐるみでイスラム文明に関する「ぼくの考えたもうそう」を巻き散らしてきた。シャリーアによる夷教徒や女性への人権侵害の記録はすべてスルーされた。そして、イスラエルと米国が諸悪の根源とされた。ユーラビア主義者によって、以前からあった反セム主義と反米の波は大きく高まった。
 2001年1月31日、パレスチナでジハードが活発化すると、欧州外交委員長のクリス・パッテン委員長は南翼諸国(アラブ諸国)に特別の注意を払うよう声明を出し、地中海結盟(パートナーシップ)への合意形成に感謝した。
 バット・イェオルはこう述べる。

 政治家は大使館などからイスラム史に関する情報を聞いているだけなので罪はないが、汚職や縁故主義、価値の修悪などに大いに貢献してしまっている。私はその誤解を解くため、猶督(ユダヤ・キリスト)文明から発達した西欧文明が啓蒙時代以降根幹となってきた世俗的要素を保持しているにもかかわらず、今やジハード的イスラム勢力に従属するばかりとなったポスト・キリスト西欧文明の現状を描いていきたい。

 今生まれつつある新西欧文明の真名は「ディミテュード文明」だ。ディミテュードとはイスラム社会に暮らした夷教徒「ジンミー」だ。イスラム世界の中でジンミー化すると、かつて繁栄していた文明も妨害により周縁化の一途を辿り、「沈黙せし劣等なる存在」に変わる。そして、ムスリムはジンミーに嫌悪感情と優越感を抱き、法奸行為に出る。
 ユーラビアはその最新版だ。汎文化を覆うその完全式の前に、普通の欧州人は存在を認識すらできていない。ユーラビア政策は不透明な言葉で反米、反セムの言葉をサブカルを含むあらゆる場所に刷り込む。反対者たちは沈黙・スルーされるばかりか、より酷くなるとPC全体主義の標的となって職を追われる。
 イェオルによれば、政府が政策を変更するのはもう不可能だ。「この計画は移民政策、謀宣、教会の方針、マスゴミや学術界の協力を受けている。この政治枠の中で何世代も教育が行われれば、ユーラビア感覚が染みこんでいくだろう」

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