「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.53 欧州のイスラム化を示す各種統計(p577~)

2012-12-30 21:34:08 | 現代欧州
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 総合編
 ・欧州内の改宗者の3分の2強は女性
 ・9・11の犠牲者数は北アイルランドの36年間の宗派紛争の犠牲者を超す
 ・イスラム主義の犠牲者数は、1年間だけでスペイン異端審問350年の総犠牲者数を超す
 ・イスラムのテロリストによる日単位の殺傷数は米国KKK団の50年間の総殺害数を超す
 ・嫌セム流の事件の半数は急進イスラム関係
 
 世界的統計
 ・65%のムスリムがイスラムの単一カリフ国家を望み、シャリーアの厳格なる解釈に依拠している

 これは各1000人強のモロッコ人、エジプト人、パキスタン人、インドネシア人を2007年初め、メリーランド大学とセカイ輿論会の対面調査に基づく数値だ。穏健とされるインドネシア人でも約半数がカリフ国家の設立に肯定的だった。「和諧公正」なるシャリーアの施行を要求する英国ムスリム協会の声は、民心に基づくものなのだ。

 ・79%の米国人はムスリム放逐に肯定的
 ・35%の米国人はムスリムの笑裡蔵刀に否定的
 ・62%のロシア青年は同塵せぬ移民つまりムスリムの放逐に肯定的
 ・フランスでは2006年3~5万人がイスラムに改宗

 改宗した男児はイスラム先軍組織の隠れ蓑となり、外地のテロリストに鈴房を提供する。ジハーディ化する改宗者は、ムスリムの急増する監獄内で募集される。英国の「靴爆弾」リチャード・レイドはその一例だ。女性の改宗者の方が多いのも事態を複雑化している。

 ・2002年から4年でアイルランドのムスリム人口が6割増加
 ・63%のオランダ人は「現代の価値観とイスラムは共存不能」と回答。スウェーデンでも同等の数値
 ・2006年、ロッテルダム青年の3割が「オランダの身份守護のために戦う」と回答。この比率は7年前の3倍。
 ・オランダのモロッコ系青年は6割がシャリーアを遵守。1999年時点では4割。
 ・ドイツのムスリムの9割はイスラムに敬虔である。シリア系のアラウィ―派は77%だが。
 ・56%のドイツ人が「文明の衝突」を信じ、モスク新設に否定的。7割は「イスラムは不寛容」、9割はイスラム=女性抑圧と回答。4割がイスラムを特定宗教として規制することに肯定的
 ・3分の2のドイツ人が移民過剰と思考
 
 ・4分の1の英国ムスリムが倫敦7・7テロを正当化
 ・3分の1の英国ムスリムがシャリーアの下の自由制限と将来の英国イスラム化に期待
 ・4割の英国人が子弟の奔放教育に否定的で、マクタブの方に子供を通わせたがる
 ・86%の英国ムスリムが「イスラムの信仰が第一」と回答
 ・74%の英国ムスリム青年は「俺のムスリム娘はヒジャーブを被るべき」と回答
 ・8割の英国人は政府の移民政策が不誠実かつ隠密的と回答
 ・ブラッドフォードの英国ムスリム子弟は放課後コーラン塾へ
 ・5割のブラッドフォードは親族呼び寄せ制度を活用
 ・移民政策の緩和を訴える英国人は7%
 ・76%の英国人が移民数の減少に肯定的
 ・8割弱の英国人がアラン・ジョンソン内相の移民政策に否定的

 2010年の調査によると、7割の英国人が多文化主義とイスラム化に不満を表明し、6割が英国の破綻国家化を嘆いた。タイムズの調査も類似したものだ。8割の英国人が保守なる移民政策の変革を望んでいる。
 
 パキスタン
 パキスタン軍がアルカイダ捕獲のために部族地域に入ることを支持しますか?・・・はい 44%、 いいえ 36%
 米軍などの外勢がアルカイダ捕獲のためにパキスタンに入ることを支持しますか?・・・はい 5%、 いいえ 80%

 上の数値をみればパキスタン民心の在り処は明白だろう。6割もの国民が今以上のシャリーア施行を望んでいるのだ。2008年1月時点での民心を探る10段階評価をみてみよう。

 9 イスラムの原理が顕現した国をつくることはどれほど重要ですか?
 4.6 今のパキスタンはどれだけイスラム的ですか?

 対米感情は非常に悪い。米軍との連帯に肯定的なのは僅か27%に過ぎず、逆に72%が駐亜米軍こそパキスタン最大の脅威と考えている。

 イラン
 ・6割のイラン人はハマス、ヒズボラ、ジハード団の国家支援を支持
 ・半数がアフマディネジャドの核武装を支持

 獄中のムスリム人口比
 スウェーデン等では違法となる情報だ。以下の数値はあくまで抑え目の推計に過ぎない。実数は3~6割だろう。

 ・ベルギー 16~35%      ・デンマーク  2割
 ・英国   11%        ・ドイツ    5%?
 ・オランダ  26%       ・スペイン   70%
 ・ノルウェー 40%強      ・フランス   5~7割

 多くの街ではムハンマドという名前(含 派生)が新生児への一番人気
 事例 ミラノ、マルムー、オスロ、ブリュッセル、マルセイユ、アムステルダム、ストックホルム

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バルカン等でのイスラム人口戦争(p569~)

2012-12-29 22:06:54 | アジア
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 バルカンのムスリムはシャリーアを重視していないと、イスラム謝罪主義者は唱える。しかし、それは誤りだ。彼らはカヌーンというシャリーアの一種に従っているではないか。
 今日もコソボやギリシアのチャメリア地方に対してアルバニア人ムスリムはジハードしている。
 
 人口比
 ボスニア・ヘルツェゴビナ・・・40%
 コソボ・・・88%
 アルバニア・・・70%
 マケドニア・・・33%

 第一部にはレバノンやトルコなどでの人口攻勢の模様が記されている。

 ベツレヘム
 キリスト生誕の地ベツレヘムでは、キリスト教徒の数がイスラエル独立時の85%(または60%)から今日では2割以下にまで減少した。パレスチナ自治政府に財政援助するEUは、ムスリム民心の夷教徒への討滅行為を報道するのを「嫌イスラム流」と呼び、間接的に中東キリスト教徒への浄化活動を支援している。
 これはエルサレムにも当て嵌まる。現在中東全体にいる1200万人のキリスト教徒人民は、このままでは2020年までに半減するだろう。
 
 印パ
 パキスタンでは分離独立間もない1948年時点で17%のヒンドゥーがいたが、その数は今日1%だ。同じくバングラデシュでは25%から8%に減った。インドでは独立時点でヒンドゥー・シーク94%対ムスリム5%だったが、2008年では75%対23%になった。これが継続すると、2068年には38%対58%に逆転するだろう。
 欧州と同じく、インドの精鋭人材も媚敵策を通してムスリムのジハードを支援している。我らの同志たるヒンドゥー至上主義者が起義しなければ、2035~40年の間にムスリムがヒンドゥーを凌駕するだろう。
 ここでいう「ヒンドゥー」とは、通常のヒンドゥー教徒だけでなく、シーク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒も含まれる。大英帝国は分割統治のために、この「ダルマ四信徒」を別の宗派に分裂させた。反ダルマの世俗報道機関も大英帝国の定義に従っている。しかし、この四信徒は本来サナタナ・ダルマという久遠なる単一宗教だったであり、特にシーク教徒はその中の戦士階級だったのだ。
 それにしても、パキスタンの人口爆発は凄まじい。1951年の3300万人が2008年には1億7200万人まで増えた。パキスタンの公式の出生率は2008年3.58とされているが、恐らく実数はこれを遥かに上回る。
 
 中東――600年以降の人口変遷
 キリスト教徒の比率はイスラム到来以前の600年が恐らく最高だったのだろう。ジハーディのイスラム帝国主義が何度も夷教徒ジェノサイドを繰り返した結果、中東では時と共にディミテュードが進行した訳だが、残念なことに600年以降の人口比率の低下を人口曲線で示す統合的な資料を発見することはできなかった。
 しかし、ディミテュードの様相を示す「大写真」を示せば、欧州民心もパレスチナの被害者ごっこから覚醒し、イスラムとジハードの真名に感ずくことだろう。大写真をつくることこそ、「ムスリム放逐の他に道無し」と民心を納得させる上で優先せねばならない。
 
 600年時点での中東での宗教別推定人口比率
 マグレブ・・・キリスト教5割、ユダヤ1割
 エジプト・・・キリスト教6割、ユダヤ2割
 シリア・・・キリスト教7割、ユダヤ2割、拝火教1割
 ペルシア・・・拝火教8割、キリスト教1割
 イラク・・・キリスト教5割、ユダヤ2割、拝火教3割
 サウジ・・・ユダヤ3割、キリスト教1割、アラブ多神教6割
 オマーン・・・ユダヤ1割、キリスト教2割、アラブ多神教7割
 アナトリア、アルメニア・・・キリスト教95%、ユダヤ5分
 
 アフリカの人口爆発
 アフリカの人口は2009年で10億と1982年から倍増し、2050年には20億になる勢いだ。欧米の援助も手伝って爆発するアフリカ人は祖国に希望を持てず、欧州へ盲流しようとする。
 
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2.52 人口学と欧州のイスラム化(p563~)

2012-12-29 21:47:13 | 現代欧州
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 スルーさるとも真名は止まず――アルダス・ハクスリー

 人口研究の重要性
 
 附属画像・・・腹が爆弾化した黒のブルカ妊婦
 欧州は人口攻勢をかけるイスラム潮に包囲されている。東欧をみれば、全球イスラムウンマが意図的な人口攻勢をかけているのは明白だ。文化マルクス主義の欧米はロシアの汎スラブ連合を恐れてビザンツ帝国滅亡以来のイスラム潮をスルーしてきた。それが今日の事態を招いた。
 しかし、2070年以降西欧の文化マルクス体制が欧州インパクトにより放逐されると、西欧もバルカンもイスラムから光復されることだろう。

 イスラム人口戦争
 将来、数百万の南半球人民が北半球へ向かうだろう。チングとしてでなく、征服しに行くために。御子を通して。勝利の証は南半球子女の子宮なり。――ブーメディエン

 脱植民地化後、欧州政府は旧植民地からの大量移民を許可してきた。この形式の移民が禁じられると、移民たちは亡命や家族呼び寄せの名目で人口増を行った。2世移民の多くの婚姻相手は、その母国で生まれた者だ。
 多文化主義者はムスリム移民の実数を隠蔽している。調査を禁じる国もあるほどだ。実数が判明すると、移民に対する規制を求める右翼の運動が活発化し、多文化主義を正当化しにくくなるからだ。ここに実数に近い2009年の推定人口比率と2070年の比率を掲げよう。(主要国のみ)

国        2009年    2070年  参考2008年(PC主義)
アイスランド    1%     24% 0%
ポルトガル     3%     32%
 ギリシア      3%     32% 1%
 ノルウェー     5%     38% 1%
 英国        5%     38%      2%
 フランス      13%     70%      7%
 ドイツ  8% 50%      3%
 イタリア  6% 40% 1%
 ロシア 18% 72%      15%
 オランダ 10% 55%      7%
 ベルギー 8% 50%      4%

 西欧内のムスリム総数
 1990  1100万人
 2005  2300万人
 2009  3000万人
 2030  5000万人
 2050  7000万人
 2070  1億人

 ドン・メルヴィンによると、2020年までにムスリム人口が倍増する。2005年、欧州の人口増に寄与したのは85%が移民だった。オメル・タスピナルは、2015年までに夷教徒の人口が3.5%減少するともいう。
 この議論に従った場合、現在3.7%とされる欧州ムスリムの人口比率は、2050年には2割、2075年には4割以上(悪ければ7割弱)に達するだろう。
 例えば、スウェーデンの場合、ムスリム移民の到来は第二次大戦中のトルコ系難民を端緒とするが、その数は今日50~60万に達した。
 都市の場合、モスクに公式登録されている者だけが計上されている。不法移民や蕃流にいるムスリムの数を勘案すると、その比率は更に高まるだろう。特に、マルセイユや[スウェーデンの]マルムー、ブリュッセル、アムステルダムでは2008年時点でムスリムの比率が3割に達している。ストックホルム、ロンドン、パリ、オスロでは2割だ。
 出生率を欧州でみると、夷教徒の平均出生率が1.3なのに対し、ムスリムは3.3に達している。

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イスラム式民主は外形のみ(p556~)

2012-12-28 21:45:57 | 現代イスラム批判
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 民主主義とは何か?「開放の保守」カール・ポパーは「非暴力で政府を後退させられる制度が民主主義、それなくば専制」と呼んだ。ルードヴィヒ・フォン・ミーゼスも同様のことを述べている。
 歴史的にみて、直接民主主義は小社会でのみ採用されてきた。アテネの場合、市民権は次第に拡大されていったが、それでも投票権のあったのは全住民のごく一部だった。学者ジョン・ダンは『人民解放――民主主義物語』という諧謔的な表題の著書でこう論じる。「アテネ市民は自治を信じていた。現代民主主義にその感覚は不在だ。当代の市民は修正ほぼ不能の選択肢から最も楽そうなものを選ぶのみだ」
 プラトンは民主主義を嫌悪したが、アリストテレスは多数派の政府を渋々ながら支持していた。ダンによると、使命と制度によって民主主義と区別されるこの体制は「ポリテイア」と呼ばれる。
 権利章典を起草したジェームズ・マディソンやトーマス・ジェファーソンは「選挙独裁」を警戒し、アレクサンダー・ハミルトンのいう間接型の代表民主主義を選択した。彼らはアテネの民主体制と代表型の民主体制を区別していたのだ。ダンはブッシュによるイラク等への民主主義輸出構想は「イデオロギー暴走の典型例」とみる。民主主義は意味が拡散しすぎて、ほぼ無意味の用語と化したのだ。
 ジェレミー・ラブキンは『主権問題』でユルゲン・ハーバーマスの全政府を監督する国際法構想を懐疑する。「誰がこうしたセカイ政府に対抗するのか?憲法があったとしても、抑制が効かなくなるだろう。民主的にも成り得るのか?100の小国が残りの大国を退けても、過半数を占める中印、東南アジアの民が主導するとしても、民主主義というのか?」
 国連は18世紀にはなかった。ラブキンのいうように、「もし超国家機関が米国憲法以上の力を振るうのしたら、米国建国の父たちはどこまでも落胆しただろう」
 21世紀、マスゴミと超国家機関の談合により、人民の同意なしにユーラビアが生まれようとしている。2005年のフランス・ジハード騒擾は、イスラムの支配する蕃城が既に数百フランス内にできたことを示した。欧州法の支配が瓦解しつつある。民主化への条件が整っても、制度そのものが破綻しては、内乱が始まる日も近い。
 2005年英国で成立した人種宗教仇恨法の事例は民主主義による対イスラム作戦の不全振りを顕現させた。労働党が策定したこの法案を、最も非民主的で時代錯誤のはずの貴族院がより穏健なものに修正したからだ。貴族院は結束した弱勢集団が民主体制の下で用いる不相応な存在力により敏感だったわけだ。
 米国建国の父は「暴衆支配」を恐れ、議員を民心より疎遠化させようとした。理解できることだ。民主主義を宗教的に語る必要なのはない。多数支配より重要なのは、中庸に機能する政府だ。
 しかし、常に人民が愚昧で、政治家が賢明とは限らない。ユーラビアを創作しようとするEU人材をみても、メキシコとの国境を融解させようとする今の米国政府をみてもそうだ。彼らは最早民心など構わず全球社会の波に乗って職を求める。民心の喫緊とする課題に彼らは目を向けようとしない。今日の課題は、彼らを無理にでも国境管理強化へと導向することにある。
 反イスラム系の「民主主義改造」を主宰する中国人電評師オーマイラスは政治家を「票業家」と呼び、民主主義の戒禁を語る。「富者より貧者の方が多い。なので、政治家は再分配を唱えて議席を得るが、同時に高税を齎す」トーマス・ジェファーソンは「政府に忠を尽くす者が主体でなくなると、民主主義はやがて潰える」と述べた。米国建国の父は民主主義より責由を重視していたのだ。
 オーマイラスはこうも主張する。
 
 民主主義は短期志向のため、短期的利益を長期的損失(逆もまた真)より優先させてしまう。非民主的だった19世紀の欧州政府の方が20世紀の民主政府より経世的に良い業績を挙げているのは、彼ら君主や貴族が民心にも注意を払いつつ長期目標に集中できたからだ。税率も債務のGDP比率も19世紀の方がより低かった。
 今日の問題は票の起業家たる政治家でなく、体制制度の中に核心がある。改革策として、米国大統領を一期8年に延長し、他の選挙人の任期も今より延長して1期のみにすることを提唱する。

 僕は意見に全面同意している訳ではないが、シンガポールの「亜州の価父」リー・クワン・ユーは「民主主義より大事なのは人口」と唱える。体制を問わず、人口爆発と技術革新で超国境の移動が急拡大する現在、人口を統制せずして国家の長期存続はありえないことだ。しかし、理想主義的な人権法制のために、国境が純心に開放され、将来の危機を招こうとしている。
 2007年1月、8割強の英国民心が政府の移民政策を支持していないという調査結果が出た。民心との乖離が進み、正統性が危機に瀕した政府は、表現の自由を統制しようと試みる。すると、ケネディの言ったように、「平和革命を不可能たらしめる者こそ、暴力革命を不可避化する」ようになる。
 オーマイラスはこの事態を恐れる。「教訓を欧州人民は学んでいない。デンマーク預言者戯画騒擾は暴力に対価を与えた。表現の自由を擁護せず、漫画家の方に謝罪を求めたからだ。これでは反移民主義者も暴力に走り、民主体制を自壊させ、独裁者の統治を惹起するだろう。
 ここで僕の考えを纏めるが、僕は民主体制を全否定しようとは思わない。しかし、この体制には抜本的なカイゼンが必要だ。シャリーアでは達成できないこうした目標のために。

 ・表現の自由に基づく均衡的体制
 ・真の意味での権力者の統制
 ・法の下の平等

 ムスリムは投票制には否定的ではない。ハマスも議会を通して躍進した。歴史家ナイアル・ファーガソンによると、過激なムスリムほど民主主義に肯定的とする調査もある。「富者ほど民主主義を好む。民主主義は急進思想を実現するのに有利なのだ」しかし、その中にイスラムを批判する自由は存在しない。その「民主主義」に少数派を守護する権利は存在しないので、それは「暴衆支配」と大差なく、上のような概念とは縁も所縁もない。
 ローレンス・オースターやダイアナ・ウェストが唱えるように、夷教徒はイスラムへの民主主義輸出を取りやめ、イスラムへの防衛戦に重点を移すべきだ。イスラムは人間の自由とは決して両立できないが、イスラムは民主主義内部に潜入し、真の民主体制を自壊させる。
 今こそ全セカイの不信心者よ、ムスリムの移民を禁止し、イスラム封絶戦略を採用しよう。言論の自由なきムスリムは呆気なく論破されるに違いない。ムスリム数がまだ少ない米国は絶好の前線だ。最大の武器になるのは、暴君に対する表現の自由の優越を定めた米国憲法第一次修正条項である。
 米国よ、イスラムの検閲に立ち上がれ。中露などどうでも良い。インドにもムスリム第五列がいる。ユーラビアの伽藍の中に置かれた多くの欧州人民は自由のためにロバート・スペンサーのジハード監視隊やチャールズ・ジョンソンの小緑蹴球団といった米国の電網に依存している。
 公式上の表現の自由を死守することも大事だが、非公式な世上の検閲も手強い関門だ。それでも、僕らは最後の日、多文化主義とPC主義の囚人服を脱げるようでなければならない。

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イスラムの民主主義封絶(p554~)

2012-12-28 21:40:02 | 現代欧州
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 2006年9月、フランスの高校教師ロベルト・レデケルが「イスラムは日常生活と聖典を通して暴力と憎悪を煽動している」と説いた。その結果、レデケルは失職し、家族ぐるみで隠遁に追い込まれた。しかし、知識人はこれについて、「イスラムに関しては、猶督とは異なり、一定程度の尊重がなければ」と言って、尊き言論の自由を放棄しようとするばかりだ。
 これは他国でも同じだ。トルコ系の婦人虐待を告発したセイラン・アテス弁護士は銃撃された末に廃業に追いやられ、イタリア保守のダニエラ・サンタンチェ議員はヒジャーブに反対して死の脅迫を受け、スペイン外務省のグスタボ・デ・アリステグイ議員は「イスラムの敵」という烙刻を押され、警察の保護下に置かれた。
 劍で要求が達成されない場合、ムスリムはアラブの油貨を利用して法訴訟に飛び出し、高額の賠償金で脅し、批判を封絶する。
 加オンタリオ州で1998年、マーク・ハーディングが北米イスラム協会のムハンマド・アシュラフの支持の下、憎悪罪により360時間の奉光刑に処された。公立高校の前で国外でのムスリムの残虐活動を列挙し、「こうした残虐活動を行っているのはムスリムだ。カナダにもこうした輩がいる。次の標的はトロントだ」と訴える小冊を配ったからだ。そして2006年、トロント地下鉄などでテロを企てたムスリムが逮捕され、カナダ生まれのムスリムが高確率で過激派に参与しているとの警察報告が出た。
 この事件はムスリム移民の脅威を語ることを一部西洋諸国が封絶していることを示している。仇恨言論法がPC主義と共にシャリーア法廷の活動を活性化しているのだ。仇恨言論法は黒人ムスリムへの侮教行為と夷教徒への侮教行為を既に不平等に扱っている。仇恨言論とシャリーアは表裏一体なのだ。
 イスラムは本質的に個の生命を下等視する。多文化主義の西洋も罪に仇恨的な要素を発見すると、刑を重くする。イスラムを文化的に対等と看做したことで、西洋の司法体制は退行を始めた。
 ジハーディからキリスト教徒に転向したザカリア・アタリアはオンタリオで「過激急進主義の脅威」を語ったところ、米国イスラム関係評議会(CAIR)等のイスラム団体から死の脅迫を受けた。
 CAIRで長年議長を務めたオマル・アフマドは1998年7月カリフォルニアでこう語った。「米国のイスラムは夷教と対等になるためでなく、米国を征服するためにある。コーランが米国の国是となるのだ」と。ダニエル・パイプスは、「CAIRは被害者ごっこの規則を習得した。彼らの目標は米国からあらゆるイスラム議論を、規模を問わず封絶することにある。CAIR等はサウジのタラル王子から最低でも5000万ドルの金銭支援を受け、「嫌イスラム流」の概念をマスゴミに認知させた。

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