「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

3.146 中東の新国家に避難してくる中東のキリスト教徒(p1322~)

2013-03-08 23:09:28 | 中東
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 ディミテュードの軛に苦しむ中東の1200万キリスト同朋のために、中東の新キリスト国家は市民権を賦与すべきだ。我らが彼らを解放した後に、安全地帯へ逃してやるのも重要な使命である。
 ただ、ジハーディは与否なく彼らへのジェノサイド作戦を展開するだろう。その過程で多くの虐殺が起きるはずだ。だから、彼らを予め欧州やイスラエル、アルメニア等に避難させておくべきだ。
 中東光復に先立つ欧州光復で、アルバニアや西アナトリアに広大な無人地帯が生じる。そこに彼らの恒久領土をつくることもできよう。特にアルバニアは一時的留居地としては良き場所だ。

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3.109 欧州保護領 (p1249~)

2013-03-03 23:15:25 | 中東
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 アルメニア
 アルメニアの政党は基本的に民族主義であり、世界唯一の主権制あるキリスト教国家だ。大半はイスラム国トルコやアゼルバイジャンからの領土奪還に肯定的である。古来、アナトリアでは最低2割がアルメニア系だったのだが、オスマン帝国の在世に何度も討滅されてしまった。ベルリン会議で英国が背信せず、第一次大戦時にドイツが帝国に協力していなければ、セーヴル条約で大アルメニアが既に顕現していただろう。

 レバノン
 レバノンのキリスト教政党もまた民族的だ。内戦には敗北したが、レバノンでは今もジハードが進行しているからだろう。レバノンではヒズボラやイラン革命防衛隊、ファタハなどテロルの燐子が跋扈している。

 イスラエルの良心的政党
 リクード、我が家イスラエル、シャス、民族連合

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2、イスラエル等の治安墻(p1215~)

2013-03-03 00:16:26 | 中東
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 イスラエルの治安墻は「隔離壁」の蔑称を持つ。しかし、この治安墻(本格防壁は僅か5%未満)が形成されて以来、テロの件数は9割以上減った。
 治安墻は2000年以来のインティファーダで800人以上がカミカゼされたのを機にイスラエル政府によって建築された。テロとの戦いは国際社会公認の大義に適う行為だ。イスラエルにはテロから市民を護る責務がある。
 この治安墻は当初、ガザ地区との間にのみ存在した。パレスチナ自治区との全境界に設置されている訳ではない。過去3年間に117人のテロリストに477人のイスラエル市民がカミカゼされた。2003年サレムとエルカナとの間にガザ地区外で最初の治安墻が設置されて以来、その対策は実によく機能している。その有効性はパレスチナのテロ組織によっても証言されている。
 つまり、イスラエル人とムスリムの物理隔離(アパルトヘイト)は極めて有効に機能したのだ。

 インドの治安墻
 パキスタン軍の侵入を防ぐために、1989年インドはラジャスタン州の国境地帯に最初の治安墻を形成した。5年後その治安墻はカシミールまで1000km以上延長された。パキスタン政府は停戦協定と国連憲章に反するとインド政府を脅迫した。しかし、インド政府は決して屈さず、カシミールでのテロリスト数を半減させた。インドはヨルダン川西岸での治安墻建設に反対してしまい、「印パ間の治安墻は国際司法裁判所違反」という口実をパキスタンのイシャーク・ダール議員に与えてしまったが、それでもインドの治安墻の有効性は揺らがない。このアパルトヘイトも有効に機能した。

 サウジの治安墻
 ハマスを財政援助してやまないサウジもイエメンとの間に治安墻を築いている。両国の間には1934年タイーフ条約以来の領有権紛争があり、1500km以上の国境が未画定だ。領土問題は長らく棚上げされていたが、1990年国境地帯で石油が発見されると、サウジは軍都を築くために領有権を闡明にし、死者の出る軍事紛争を何度か引き起こし、2000年イエメンの管理下だったジャバル・ジャーファンを占拠した。6月のジッダ条約でも未画定領域が多く残った。
 2002年、イエメンから武器を密輸していたイスラム組織との交戦で36人のサウジ兵が死亡した。すると、サウジ政府は「これはイスラエルの隔離壁のパクりではないんだ」と言いながら、治安墻をイエメンとの国境地帯に築くことにした。国境警備隊のタラル・アンカウィ隊長いわく密輸を防ぐ「煙幕」が張られたのだ。サウジはイスラエルの治安墻を口実に国連制裁を訴えながら、イスラエルと同様の隔離壁を設けたのだ。サウジも国際司法裁判所(イスラエルには撤廃を求めた)も何と欺瞞的なことか。
 同趣旨のアパルトヘイト政策や人口交換は、トルコやキプロス、モロッコ、北アイルランドでも行われている。

 良き墻が良き隣人をつくる
 名前は異なるが、イスラエルの治安墻も英国のベルファスト和諧線も治安を提供するという目標を共有している。
 国際司法裁判所がイスラエルの治安墻を違法と判決した時に唯一反対した米国人トーマス・ブーエルジェンタール判事はこう批判した。「翠境(グリーン・ライン)を越えて行われるイスラエルへの襲撃行為の性質が十分考慮されていない」。国連安保理決議1368号と1373号では、非国家主体によるテロとの闘争権が謳われているのに、判決はイスラエルの「正当防衛権」を否定したのだ。
 治安墻の御蔭で2004年のカミカゼ件数は前年の4分の1になった。治安墻のある他国も同趣旨の結論を出している。なのに国連や国際司法裁判所はイスラエルのものだけを非難し、中東内の他の治安墻はスルーする。正に二重基準だ。
 イスラエルの治安墻を糾弾したトルコは、シリアとの治安墻を肯定する口実を無くし、パキスタンは判決を根拠にインドの治安墻を攻撃する。治安墻によるテロ封絶が和平交渉の糸口となった例もある。国際司法裁判所こそが世界平和と治安を毀損したのだ。

 3、非西洋移民による米国欧州人の衰滅
 1980年代の米国はまだ基督欧州人の強盛国家だったが、その後大量移民と多文化主義、文化相対主義の前に急速な国家解体が進んでいる。
 この過程は欧州と殆ど同じだが、まだ記していなかった要素を挙げてみたい。

 民主・共和両党が合作で基督欧州人国家の終焉を決めた日
 かつて、国家の祝日はキリスト的で欧州的なものばかりだった。しかし今日、クリスマスだけでなくラマダンまでもが祝日になろうとしている。米国が突如としてキリスト教を国教としなくなったからだ。そこに民心は一切存在しない。

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イラクへの「民主主義」(p536~)

2012-12-24 22:40:01 | 中東
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 イスラムの俺最強症候群の脅威をスルーすると、イラク等に「民主主義」を輸出する時紅世の事態を招くことになろう。
 2005年9月、バグダッドのカルデア系キリスト教徒の司教が新憲法への懸念を表明した。2条1項の「イスラムに与否なく反する立法これを通さず」という条文が夷教徒への差別の「扉を公然と開く」と懸念したのだ。英国のグリン・フォード議員は、アッシリア人への救援を訴える。「アッシリア人は投票権を奪われ、討滅作戦の標的になっている。国際社会はアッシリア人など弱勢の権利を護るよう行動すべきでないのか?」と、
 グノーシス系のマンダ教徒の7歳児を焼殺したムスリムは「燃えろ、汚辱の不信心者よ」と叫んだ。女の医者、警官、記者もまた「雑魚なる標的」と化していると自らも討滅対象のイラク女性国民評議会のラジャー・アル・クザイ議長は語る。
 イラクのキリスト教徒は全人口の4%だが、2006年一季度(第一四半期)の間アンマンに逃れた難民はキリスト教徒が最大だった。シリアでも亡命者の44%がキリスト教徒だ。カトリックのアンドレオス・アブーナ司教らはこう語る。「学校ではキリスト教徒は不信心者と教え込まれている。英米軍には教会を救うという歴史的使命が課せられていたというのに、彼らは無作為でした。財政援助してくれれば、モスルとかを防衛できたことでしょう」
 イラク人が選挙でイスラム原理主義政権を選んだのなら、ブッシュ大統領は「愕然とはするが、民主主義は民主主義だ」と受容すると述べた。本当に同義でしょうか、大統領?
 ここで、民主主義を暴衆支配と呼んだプラトンの批判に立ち返ろう。権力の均衡と抑制がないと、民主主義はこうした形態に堕する。ベンジャミン・フランクリンらは「民主主義とは2匹の狼と1匹の羊の点心投票、責由とは武装羊の投票会」という発想から、民主原理主義ではない立憲制共和国を構想した。しかし、現在の米国は建国の父たちの診断を無視して、弱勢や個人の権利の稀薄な民主主義をイラクに押し付けようとしている。イスラムの真名を考察せずに。その結果、夷教徒や女性が討滅されているのだ。

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無敵イスラム軍(p533~)

2012-12-24 21:09:07 | 中東
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 ムスリムの俺最強症候群は深刻だ。「原理主義の父」サイード・クトゥブの『道標』では、「信仰者の心髄では、貧富を問わず夷教徒への勝利感が眞心より存在する」とし、こう語る。「信仰者なら、無明なる先人の制度と知識に対して、イスラムの制度と叡智を上位に置くのは当然だ。信仰者は誤謬なる先人を上より見下ろし、先人オワタと無上の優越感に浸るのだ。…ムスリムは今日物理力を喪って制圧された状態だが、良心を喪わぬ限り、ムスリムこそが征服者を上回る現世の王であることに変わりはない。現況はやがて去り、逃げ道なき篤信の潮流が巻き起こるのだから」
 アラブ優越思想も最強だ。「イスラムなきアラブ人が存在しうるか?イスラムこそアラブ人に齎された唯一のイデオロギーにして、アラブ人を人類の領導者に押し上げたものなり。イスラム抜きでアラブ人がどう人類史に残れよう?」
 『道標』や『コーランの陰影』でジハーディを焚き付けすぎたために、クトゥブは1966年ナセルの手で処刑された。故に、クトゥブを「過激派」と切り捨てる向きもあるが、クトゥブのイスラム至上思想は広く世界に流布している。
 ヒュー・フィッツジェラルドはこういう。「ウンマは平等とされているが、アラブ人はなんとなく偉いという黙契が存在する。コーランの原語に選ばれたアラビア語を話すアラブ人はそれだけで偉い存在なのだ。預言者も信徒もアラブ人だった。アラビア語以外の翻案コーランは望ましくない存在とされ、非アラブの子弟たちは意味も分からぬまま7世紀の古代アラビア語のコーランを暗唱する。…サウジはアパルトヘイト国家だ。ムスリムと夷教徒の区分だけでは飽き足らず、ムスリム内にも一級のアラブ人と二級の非アラブ人という等級構造が世上に存在する。
 このアラブ人最強主義は反イスラムの武器として過小評価されている。「多くのムスリムをしてイスラムの中のアラブ至上性、優れた文明を貶めるアラブの黙契に気付かせるのが重要だ。この戦術は特にイランでよく機能するだろう」
 モロッコでは先住民族たるベルベル人の影響力が制限されている。「我らアラブにあらず、真の歴史を光復するぞ!」ある年の労働の日、ベルベルのタマジット語で数百人が示威した。モロッコの過半数はベルベル系ともいわれるが、モロッコ憲法はアラブ国家と自称している。アフリカ全体でベルベル人は2500万人ほど存在する。
 
 イスラム式不平等の思想は既に欧州へ輸出されている。2005年、デンマークで2人の移民が殺された時、後に預言者戯画騒擾で憎悪煽動を行ったイマームのアブー・ラバンは加害者に対して20万クローネを弁償するよう求めた。これは預言者の時代の駱駝100頭分に相当する額だ。血金の発想はコーランに由来する。「信徒よ、殺人への報復刑をここに定む。自由人には自由人、奴隷には奴隷、女には女への。ただし、害者の兄弟が報復軽減を申請した場合は、犯人は眞心より丁重に弁償せよ。これは信徒への我の情け深き慈悲である」
 デンマーク多文化主義の「左世の王」ポリティケン紙はこの血金の発想を検討価値ありとする。しかし、このイスラム式正義は重大な問題を抱えている。第一これは、西欧の司法体制を無視した部族的な仇討の発想法だ。西欧にも確かに同種の伝統があったが、この部族法を忘れて久しい現在、イスラムの方も血金を放棄すべきだろう。これを認めるのなら、西欧人も自衛のために部族法に回帰せねばならない。
 その上、前近代段階のイスラムの場合、血金は不平等に支払われる。性差別を伴うこれはアパルトヘイトそのものだ。サウジの法廷は女の人命は男の脚と同価に過ぎぬという判決を下した。交通事故で妻を殺し、夫の脚を負傷させたシリア人に対して、それぞれ1万3300ドルを弁償するよう命令したのだ。これが棄教者の場合、殺人無罪となることもある。夷教徒の場合は不平等だ。2002年4月9日のウォール・ストリート・ジャーナルによると、サウジで死亡事件への血金の額はシャリーアに基づき、こう定められている。

 被害者がムスリム男子なら10万リヤル、ムスリム女子なら5万リヤル、キリスト教男子なら5万リヤル、キリスト教女子なら2万5000リヤル、ヒンドゥー男子なら6666リヤル、ヒンドゥー女子なら3333リヤル

 アリー・シーナーは「ムスリム男子の価値はヒンドゥー女子の33倍もある。これがコーラン認定のイスラム式人権とするなら、どうしてイスラムの民主主義を語れよう?」と述べ、イスラム政府に存在するファッショの黙契を列挙し、「イスラムは政治であり、政治イスラムはファッショである」と総括する。

 ・偉大なる聖職者による権力集中
 ・全社会、全宗教を覆う統制主義
 ・テロルと検閲による異分子の抑圧
 ・夷教徒へのゴーマン主義
 ・宗教アパルトヘイト
 ・反理性、帝国主義

 トロントのライアソン大学におけるムスリムの俺最強症候群は深刻だ。ムスリム学生協会が「多信仰の広間」の使用権をムスリムだけで「永久予約」したのだ。広間はイスラムにとってのみ心地よい空間に改造された。カナダ学生協会が介入した時もあったが、嫌イスラム流の問題だけが告発された。
 米国議会図書館のレイモンド・イブラヒム司書はロサンゼルス・タイムズで警告する。

 法王ベネディクト16世がイスタンブールのハギア・ソフィアを訪れる前、大きな懸念がトルコ人にあった。このモスクに改装された正教徒の君府で、法王が十字架を掲げるなどキリスト教を復古するようなどんな紅世の事態が生じるだろうと。

 法王は「東方の君府」たるハギア・ソフィアでジンミーとして行動したので、問題は生じなかった。しかし、「イスラムが自己批判する前に西洋が自己批判を繰り返したことで、西洋はまた、イスラム特権を再確認することになった」

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