TROPICAL PARADISE BRAZIL!!!

ブラジルでの体験談等を紹介。国際結婚、永住権、不動産、自動車免許、料理、

ブラジル知らない世界(永住権、不法滞在ETC)

2007年07月29日 23時44分34秒 | ブラジルビザ
さてさて、今日は、私が、ちゃんと、体験を基に明らかにした事実を書きましょう
私は、ブラジルに来る前に、たくさん分からない事があった
とてもまか不思議は、オーバーステイ、永住権、結婚(外国人通し)の仕組み。知らない人が多いはず。だって、いろいろな情報が飛び交ってるし、“だと思う。”ってのが多いんですよね。私の体験談では、
1回目は、私は、ちょうど180日で帰国しました。彼は、3ヶ月オーバーステイをし、帰国しました。(しかも、その時も情報がままならず、彼は、180日になる前に、ベネズエラに行って、新しくビザを更新してみよう!と言って行きましたが、180日前なので、ブラジルにまた、戻っては来たものの、ビザは更新されず、お金の無駄遣いをした。)
2回目、彼は、入国で、オーバーステイの罰金を払って出国していないとの事で、“今すぐ現金(Realのみ)で払いか、カードで払うか”と言われ、Realは着いたばかりで持っておらず、クレジットは、所持していなかったので、ごねていると、“じゃ、そのまま出国して頂いて!”と、言われ、慌ててたまたま迎えに来ていた友人にRealを借りて罰金を支払い入国した。私は、オーバーステイではなかったので、OK!
この年、投資ビザを取る事を目的に来た
投資ビザは、一昨年から金額が、50,000U$になり、出来やすくなったはずなのに、仕組みが分からなかった。何も情報を得れなかった。私達は、探していろいろな、弁護士や会計士と会った。どれも高い!安くて3000US$から6,7000US$なんて金額もあった!何故かというと、外国人を相手にしていて、英語、スペイン語とが通用するから。私達は、投資はするけど、無駄金は遠慮した。粘って、考えてSebraeに相談に行った。で、ちょうど、開業したばかりのFabioに会う。彼も、Sebraeで、誰か客に出来る人はいないかと探していたのだ!彼のオフィスに行った。ちょっと、半信半疑だった。だって、彼が、提示した金額は、半額だったから!。
とりあえず、私の今の旦那さんが、永住権獲得に挑んだ!!
必要物
会社を設立。
ブラジルに銀行口座を開設。
50,000US$(これは、ブラジル以外の国になければいけない)をブラジルの銀行に送金
* 本人の名義の銀行、又は、本人名義で、送金所から送金しないと成り立ちません。これが、あいまいで、5000US$を払ってビザの申請をしていた金持ちのオランダ人の叔父さんは、3回も送金を失敗していた。
CPF(ま、これは、簡単取得ですが、彼の場合、一昨年、家を購入時に取ったCPFで更新していなかったので、ちょっと時間がかかった。)
パスポート
無犯罪証明
出生証明
ETC
ブラジル在住のビジネスパートナーになってくれる人(永住権をもってる人でも可)。なかなか、難しい選択。だって、会社の設立の名前も、銀行の口座名も、パートナーが、メインになるから。50,000U$が、目の前に来たら“ドロン”する人は多いだろうから。特にブラジルでは。。。慎重に考えたのちに、イタリア人と結婚しているブラジル人の女性にお願いすることになった。(ま、困った事に、その女性は急にパートナーを辞めてしまい、急きょFabioにお願いする。未だに、不明。。)
まあ、この国は、コピーが大好きである。何かとあると、コピーコピーコピー。。トータルでパスポートは、もう50枚くらいコピーした気がする。。。
申請までのプロセスが始まった。銀行にお金を送金した時、なんと、銀行のスト!1ヶ月送金までにかかった。とても不安だった。だって、50,000US$ですよ。その間に、私達は、婚姻の手続きに取り掛かった。というのも、先に結婚した方が、手続きが簡単だという事だったから。婚姻はなかなか田舎な街では、成立せず、1日1日と私のビザは、終わりに近づいた。(婚姻は、ビザが切れると、婚姻の申請も途中の場合無効になります。永住権の場合は、ビザが切れても申請は続くので心配はいりません。)婚姻は、結局その年は出来ず、私は、オーバーステイとなる。年末、ようやく彼のビザ申請ももう一息で、いったん、海外に出て、領事館で判子をもらうまでとなった。私は、年末に出て、罰金を払って、翌年頭で、また再入国をすることにした。友達のフランス人のアドバイス
“あそこは、行くところじゃない!高いのに最悪だからさ。しいといえば、ワインとチーズ位のもんさ。進めないぞ、僕は。”
を真剣に聞かずに、二人で、2006年12月24日に家を出て、フランス領ギニアに向かった。カッコ良く飛行機と言いたいが、Natal-Belem(バス30時間)Belem(1泊)-macapa(飛行機!船より安かったのだ。40分)、Macapa-oyapoque(4輪トラック8時間)で、ここから、船でフランス領ギニアに渡る。(これも、なかなか情報がなかったため苦労した。でも、楽しかった貧乏旅行!)。Oapoqueは国境の町なので、Policia Federalも街中にあった。とりあえず出国の手続きだけ済ませた。(そうしないと、翌年に新しくビザを手に入れられないから。)
ナタールに一番近いし、1週間もすれば、帰ってこれるだろうっていう安易な考えだった。
大きな間違いだった。フランス領のギニアの首都カイエンヌは、見た目は、ブラジルの田舎町と変わらぬ粗末な街、でも、物価は、びっくり!フランスよりも高いのだ!(70%がフランスからの輸入に頼っているからだ。ま、ワインとチーズはおいしく安かった!)その頃、ブラジル政府の機関がストを起こした。もちろん、領事館に、彼のビザの受理が届くわけもなく。。私は、新しく観光ビザの申請をした。何と、“ブラジルをいつ出国します”という証明のために、飛行機のチケットが必要との事。ラッキーな事に、私は、日本からの往復のチケットが、期限を切れていなかった。早速、E-ticketの詳細をネットでコピーした、すると、領事は、“オリジナルのチケットがないと認めません”と!!!ちょっと!!!E-Tichetなんだけど!!これも同じなのに。。“じゃ、ブラジルの飛行機のチケットは、何だよあれは!黄色のスーパーのレシートじゃないか!!”って言いたかった。けど、辛抱して、何度も同じ事を繰り返して粘って、OKにしてもらった(領事は私のオーバーステイの判子が気に入らなかったらしい。)。でなければ、わたしは、フランスギニアで、高いチケットを買わされるところだった(ほっ)。1週間待つ羽目になる。まだ、彼の受理は届いていない。ま、とりあえず1週間、フランスギニア貧乏を二人で開催した。まああ、びっくり。ほったて小屋にハンモックを釣って、寝泊りするところがあって、蚊帳(しかも穴が開いてるから、必ず刺される!)をつけて寝る。なんと、一人確か、4000円位したんじゃないかな。。。しかも朝食は別。パンとジャムとコーヒーで、800円くらいした。それは、通貨がユーロだからだ。最悪で、高い宿泊だった。ま、そんなこんなして、私のビザが出来、彼の受理書も届いた。私は、一足先にこのフランス領ギニアをおさらばした。彼は、あと、3日、いなければいけない。。。2007年1月24日にジェニパブの家に帰ってきた!私は、ちゃんと、また、観光のビザを手にし、彼は、永住権獲得に成功した。会計士のFobioもやった!!!って感じでガッツポーズ。銀行と政府のストがなければ、もっと、早く手に入っただろうビザは、合計8ヶ月かかった。
ちなみに、オーバーステイを日本でやると大変な事になります。ここブラジルは、お金が欲しいだけなんです。最高でも罰金は1000R$と決まっていて、長年オーバーステイをしている人をよく見かけます。彼らが言うには、恩赦を待ってるとの事。でも、今は、ルーラだから、期待は出来ません。。1年間に居れる日数は、どの外国人も同じで180日。それ以上はオーバーステイです。もっと、ブラジルにいたい人は、年始から年末迄いて、年末に海外に出て、年始にまた、ブラジルに入るのがいいかも。(でも、日本人は、必ず、ブラジルを離れるチケットがいるので要注意!ベネズエラ行きのバスのチケットとかだと安いね!)
役にたちましたでしょうか??