TROPICAL PARADISE BRAZIL!!!

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私の人生あれこれ エピソード2

2007年07月13日 01時56分24秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
ま、それから私も、バンドのメンバーで彼氏がいた。付き合っていくうちに、他のメンバーの彼女たちと知り合い、いろいろと浮気事情などを探る“団地妻の会”なんてのが密かに出来上がった。でも、その中には、やはり、自分が本命の彼女だと信じてしまっている子もいたし、割り切ってる子もいた。私の彼はだいぶ年上だった。まだ、“年下の彼”が流行る前だったので、“いいねえ!年上とか。優しかろぉ。うらやましかあ!”てな感じだった。
ま、そうこうしてるうちに、彼は横浜、東京に行くことになった。遠距離だ。毎日電話した。まあ、月に携帯の請求額がナント4、5万の時もあった。(その頃、私は、身体を壊し、たち仕事を禁止され、博多に戻って、初めてOLをしてみていた。)長い休暇が取れると、彼に会いに飛んで行ってた。ある日、彼が一旦、アメリカに帰ることになった。帰ってからも、毎日電話をしあった。彼がアメリカにいる頃、私は、今の旦那(マイク)に出会う
家の近所のジャマイカ人バーに私は、たまたま、ダチのガーナ人と日本人と来ていた、マイクは、一人ぽつんと端っこで飲んでいた。私は、白人がその頃あまり好きではなかった。(差別問題等で、とても冷たいイメージがあったから。。。)もちろん、そっちの白人音楽も興味がなかった。。店を出るときに彼は既に泥酔する直前で、“ちょっとおおお、どこに行くのらああ?ぼぉくも行く。”と、てくてくと、私たちの後ろからついて来た。“まあいいじゃないか、帰るついでに、家まで連れてってあげよう”というガーナ人の優しい計らいに、マイクは救われたのだ。帰りに海岸により、海の匂いを嗅いで帰った。私には、“まあ、だらしのない白人!もっちょと、酒強くなって出直して来いっつーの!”ていう、ま、あまり初対面の印象にはヨロシクなかった。ま、ゼロだった
何日か後、マイクにばったり本屋で、でくわす。(ま、今思うとこれが運命だったのかな。。)。“あっ!”っと目が合い、ちょっと立ち話をする。イギリス人だったり、先生だったり、ETC。とても、楽しい立ち話だった。それに本屋に来て、新聞買ったり本を探してるくらいなので、“ま、まともなんだ”とちょっと0から上昇。それから、家が目と鼻の先だった事より、友達としてご近所さん付き合いを始めた
そうこうしてる時、アメリカの彼から来週帰ってくるからね!と吉報!“あー、やっと会えるんだ!!”っとウキウキ日付を追う。1週間が経った。連絡なし。8,9,10日無し。ちょっと、不安になる。妙な不安。心臓がドキドキした。これが、“女の第6感”だった。彼は、アメリカの実家で心臓発作を起こし、亡くなっていたのだ。ドキドキした1週間後に彼の仲間のライブに呼ばれ、“実は。。”と聞かされた。“やっぱり。”って思った。
彼は、糖尿病を持っていて、よくカロリー計算(私は料理人だったので、お安い御用だったの。)をしたり、たまには、インシュリンの注射の手伝いもした。だから、いつ合併症が起きても不思議ではなかったから。。。
そのライブにはマイクも一緒に来ていて、その日は、マイクの胸を借りていっぱい泣いた。。。
それから、1ヵ月後、考えて考えて、アメリカに行くことを決心した。“さよなら”を言わなきゃ。と思った。でも、なんと、私にとっては、アメリカなんか初の海外旅行で、しかも一人旅。。もちろん親も“何で?アメリカ?何で一人?何で???”と、質問、反対の嵐。でも、何とか、お姉ちゃんが味方に付いてくれて、1ヶ月間、叔母さんの家(アメリカ人と結婚してサンフランシスコに住んでいたので。)に行く!っていう事でごりごりOKをもらった。(親には彼氏は外国人、それも年上の黒人でミュージシャンで、亡くなったの。なんか、とても言えなかった。お姉ちゃんだけには、言っていた。)
1999年12月末、初めての海外+一人旅行にサンフランシスコへと飛んだ。その頃、マイクはイギリスに冬休みで帰っていて、ちゃんと着いたか心配して、叔母さんの家に電話をくれた。初の海外+一人旅で、“Millennium2000”をアメリカで過ごす。(これは忘れられない)。年明け、アトランタの彼の友達のもとへ行き、彼のお墓があるアラバマまで、車で行った。彼の兄弟等、家族に会い、お墓に行き、ちゃんと、お別れを言った
彼は、黒人にはめずらしく、いい育ちだったようで、ベンツとか、キャデラックのアンティークが並んでいた
彼の若い頃、ピアノの腕がよかった為、ワシントンにある有名な音楽大学に黒人でしかも特待で入学したらしい。その頃は、まだ、差別問題は、あまり緩和されていなかったはずだから、とても稀なケースだったらしい。その学歴もあって、誰だっけ、ディズニーの映画の曲で有名になった黒人のSOULシンガー(Ho....忘れた。。)が、同朋で、(ブルーノートに来日で来た時は、彼のアパートに遊びに来たりもした。)あと、JBやいろいろな、大物R&B等のバックとしてツアーにも同行した経験を持つ。とても頭のいいひとだった。でも、糖尿を患うようになって、ピアノが思う様に弾けなくなったらしい。私が知り合った時は、もう、シンセサイザーばかりだった(鍵盤が軽いので)。いろんな国に行き、いろんな人に出会い(女性も含めて!)、とても素敵な人生を送ったんだろうなぁって、感じた。私も、彼のおかげで、アメリカに来ることが出来て、いい経験をさせてもらった。それから、私の、海外に対しての目が、広がっていった。ありがとう、LESTER JORDAN!!!