いきなりi Messageって書いているけれど、
なんだそれ?って思う人も多いんじゃないかな?
なんて不親切なタイトルをつけて踏ん反り返っているsachiakiです。
尻を蹴飛ばしてやりたくなりますね。
やらないでくれると助かります。
さて、なんて「i Message」なんて話をしようとしているかといえば
田代まさしさんが再逮捕されたということで
依存症を持っている人への落胆と非難が集まりそうだなって思ったからです。
依存症というものはちょっと前だと「〜中毒」なんて呼ばれていて
意思が弱い人間が陥るものだと思われることが多いと思います。
だけどそれは全然違っていて、
鬱に煩わされる人が心が弱いと勘違いされているのと同じで
誰もが当たり前に陥る穴の一つだと言いたいわけですYO。
とくに真面目で人に対して親切な人なんかは
コロッと陥ってしまうものだと思っています。
私みたいにチャランポランなぐらいな方が
辛い時には「イヤだ!」って逃げられたり
モラル的に間違っていようと「したい」と思ったら行動するような
そういう本能的な人間の方が鬱や依存症とは無縁でいられると思います。
まぁ本能的にお酒が好きだったりしたら依存症と見分けがつかないこともあるだろうけれど……。
そこが外側から見ると難しいのかな。
それはさておいて、i Messageの話と依存症に関わりがあるのか?
というと、大いに関係あるから書こうと思っているわけ。
依存症の人と付き合っていると、
つい「あたなのことを思って」
「あなたはいつもこうだ」
「あなたはどうしてこんな簡単なことができないの?」
なんてyou Messageで語っていることが多いんですよね。
これは依存症の人に対してだけじゃなくて、人に対して期待を持って接してしまう人もそうで
とくに親子関係や夫婦関係なんかに顕著に出てきます。
親子や夫婦は生活が近すぎて自分と相手の距離感がなくなり、
自分の身体の延長上として意識してしまうため、
自分が思った通りに動かないことにイライラしてしまい
「あなたはどうして(私の思う通りに)できないの!」って癇癪を起こしてしまうわけです。
だから一度距離感が密着してしまって「あなたは〜」という言葉ばかりになってしまっている時は
意識して「私は〜」っていう言葉に置き換えていかないと
相手には「大きなお世話だ!」って
余計に心の壁を厚くされて声が届かなくなってしまうので気をつけようって話なのです。
けっこうやってみると難しいですよ。
なにせ日本人は主語抜けの文化で発信をしているので
いざ「誰が」を意識すると相手軸にばかり合わせて話をしていて
自分がスカスカだったなんていう痛いことにも気づいたりしますし。
試しに「あなたはどうして泥だらけになると分かっているのに雨の日にそんな靴を履いていくの!」って言葉を
i Messageに置き換えてみてください。
きっと難しいと思います。
あなたのためを思って、なんていう恩着せがましいことは抜きにして
自分の意思をダイレクトにぶつけてみてください。
その方がよっぽど相手に届きます。
例えば「その靴泥だらけになったら洗うのは私なんだけど、それを分かって雨なのにその靴を履いていくの?」とかね。
他にも「私は雨の日にその靴を履いていくのは汚されるから嫌だなぁ」とか、
色々と言い方はあると思います。
大切なのは相手軸ではなくて自分軸でものを見ることです。
もちろん相手軸でものを見ることはとても大切で
相手軸で見られるからこそ気を使えるし優しくしてあげられることも確かで美徳です。
だけど相手軸ばかりで自分を見失っている時、
相手に自分のことを引き受けさせるのは全くの見当違いです。
とくに鬱や依存症に陥るまで自分のことを責めきって疲れ切っている人にはなおさら。
そんなことを先日の田代まさしさんの再逮捕のニュースを見た時に思いました。
昨日は「つげ義春大全」刊行記念トークショーでつげファンだという押井守さんの話をたくさん聞いてきたので
頭が比較的フル回転中のあてくしでした。
人に優しく。
意識は誰のものか、そんなことを考えるおやつタイム。
みなさんも怒りを抱えた時などに、一度その怒りは誰に対して誰が抱いているものなのか
など考えてみてくださいね〜。
ではそろそろお仕事に戻ります。モイモイ
なんだそれ?って思う人も多いんじゃないかな?
なんて不親切なタイトルをつけて踏ん反り返っているsachiakiです。
尻を蹴飛ばしてやりたくなりますね。
やらないでくれると助かります。
さて、なんて「i Message」なんて話をしようとしているかといえば
田代まさしさんが再逮捕されたということで
依存症を持っている人への落胆と非難が集まりそうだなって思ったからです。
依存症というものはちょっと前だと「〜中毒」なんて呼ばれていて
意思が弱い人間が陥るものだと思われることが多いと思います。
だけどそれは全然違っていて、
鬱に煩わされる人が心が弱いと勘違いされているのと同じで
誰もが当たり前に陥る穴の一つだと言いたいわけですYO。
とくに真面目で人に対して親切な人なんかは
コロッと陥ってしまうものだと思っています。
私みたいにチャランポランなぐらいな方が
辛い時には「イヤだ!」って逃げられたり
モラル的に間違っていようと「したい」と思ったら行動するような
そういう本能的な人間の方が鬱や依存症とは無縁でいられると思います。
まぁ本能的にお酒が好きだったりしたら依存症と見分けがつかないこともあるだろうけれど……。
そこが外側から見ると難しいのかな。
それはさておいて、i Messageの話と依存症に関わりがあるのか?
というと、大いに関係あるから書こうと思っているわけ。
依存症の人と付き合っていると、
つい「あたなのことを思って」
「あなたはいつもこうだ」
「あなたはどうしてこんな簡単なことができないの?」
なんてyou Messageで語っていることが多いんですよね。
これは依存症の人に対してだけじゃなくて、人に対して期待を持って接してしまう人もそうで
とくに親子関係や夫婦関係なんかに顕著に出てきます。
親子や夫婦は生活が近すぎて自分と相手の距離感がなくなり、
自分の身体の延長上として意識してしまうため、
自分が思った通りに動かないことにイライラしてしまい
「あなたはどうして(私の思う通りに)できないの!」って癇癪を起こしてしまうわけです。
だから一度距離感が密着してしまって「あなたは〜」という言葉ばかりになってしまっている時は
意識して「私は〜」っていう言葉に置き換えていかないと
相手には「大きなお世話だ!」って
余計に心の壁を厚くされて声が届かなくなってしまうので気をつけようって話なのです。
けっこうやってみると難しいですよ。
なにせ日本人は主語抜けの文化で発信をしているので
いざ「誰が」を意識すると相手軸にばかり合わせて話をしていて
自分がスカスカだったなんていう痛いことにも気づいたりしますし。
試しに「あなたはどうして泥だらけになると分かっているのに雨の日にそんな靴を履いていくの!」って言葉を
i Messageに置き換えてみてください。
きっと難しいと思います。
あなたのためを思って、なんていう恩着せがましいことは抜きにして
自分の意思をダイレクトにぶつけてみてください。
その方がよっぽど相手に届きます。
例えば「その靴泥だらけになったら洗うのは私なんだけど、それを分かって雨なのにその靴を履いていくの?」とかね。
他にも「私は雨の日にその靴を履いていくのは汚されるから嫌だなぁ」とか、
色々と言い方はあると思います。
大切なのは相手軸ではなくて自分軸でものを見ることです。
もちろん相手軸でものを見ることはとても大切で
相手軸で見られるからこそ気を使えるし優しくしてあげられることも確かで美徳です。
だけど相手軸ばかりで自分を見失っている時、
相手に自分のことを引き受けさせるのは全くの見当違いです。
とくに鬱や依存症に陥るまで自分のことを責めきって疲れ切っている人にはなおさら。
そんなことを先日の田代まさしさんの再逮捕のニュースを見た時に思いました。
昨日は「つげ義春大全」刊行記念トークショーでつげファンだという押井守さんの話をたくさん聞いてきたので
頭が比較的フル回転中のあてくしでした。
人に優しく。
意識は誰のものか、そんなことを考えるおやつタイム。
みなさんも怒りを抱えた時などに、一度その怒りは誰に対して誰が抱いているものなのか
など考えてみてくださいね〜。
ではそろそろお仕事に戻ります。モイモイ
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