あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

図々しさみたいなものを持てる期間

2023-07-10 | from:sachiaki
根拠のない自信を持っていられるのって
もはや才能だと思っているsachiakiです。

知人が
「クリエイターは交流会が苦手な人が多いけれど
 私は人と会うのが好きです!」
って言っていて、人が多いところにいるからこそ
色々な話にアクセスできて
お仕事につなげていってるんですよね。
そういうのを見て、すごいな〜って思ってたんだけど、
さらに言えば
「私はずっと必ずうまくいくという根拠のない自信がある」
っていうのも言っていて、
もうその根拠のない自信があるのがすごいわと
感心しちゃうんですよね……。

私は「人から嫌われない」みたいなことに関しては
ほぼ根拠のない自信があるけれど、
自分の才能があるかどうかについては
平均よりちょっとあるかなー?
って程度のものしかないんですよね……。
ぶっちゃけいうと大概のものに対しては
え?そんな程度でそんなに強く言える?って思ってるし
なんで??って思うものに賞賛の言葉が連なっているのを見ると
どうして??とも思ってしまう。
けれど例えどういうものであれ
「これが私の作品です」って言い切ると
そこに応援してくれる人がいるんですよね。
そして実績が積まれるとより良い回転をしていくんですよね。

さらに言うとそういう根拠のない自信について
許されるような年齢みたいなものもあって
それがいわゆる25歳までとか
30歳までっていうやつなんだけど、
それ以降になると実績がともなっていないと
「何言ってるの?」というガヤの声に押しつぶされるので
その声を跳ね除けられる
魂の強さが必要になってくるんですよね。
そういう意味では発達障害と呼ばれるものの中でも
アスペルガーに類する人たちは
それまでのさまざまな失敗によって
鬱を患ったりしていない限り
割と人の感情に疎い分、
まっすぐに好きなものなどに突進していけるので
それぞれの特質にあった強さを身につけているのって
大切なことだよねって思ったりします。

私は幼少期から若年代までは
ほとんどの苦労をすることなく
なんでもできちゃう方だったのと
人とぶつかることがなかった環境にあったので
年を取ってから挫けやすくなったのかもな〜
なんてことを思ったりしています。

スタートダッシュ型だったのだから
もっと上り詰めればよかったのか?
とも思うものの、
上るってどこに?っていう気持ちもあったりして。

まぁそんな私のしみったれた話は置いておいて。
図々しさのようなものを身につける方法があるそうなので
ある程度の年齢になったら図々しさを
”敢えて”身につけるのもありかもしれません。
まぁぶっちゃけ疎まれる人になるかもですけれど、
それは長短というものは裏表で
どうにもできるものではない、
と割り切るしかないのかもですね。

とりあえず少しでも成果を残すべく
依頼されているイラストをアップしてきまーす。
そんじゃまた。モイモイ
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ミッドサマーを見終えました

2023-07-10 | from:sachiaki
噂通りに怖かったーーーーーー!!!
「二度と見たくない」「不快」「トラウマ」
ってタグが付いてたけれど
私はそんなに不快にもならなかったし
トラウマ級に怖いってこともなかったかな。
人間の集団心理ってこういうところあるじゃない?
そういった意味ではホアキン・フェニックスが演じた
「ジョーカー」も相当なホラーだったと思うよ。
グロ部分は薄目で見ていたsachiakiです。

グロ部分も直視してこそのトラウマだろ?
って思ったりもするんだけど、
わざわざ苦手なものをガチで見る必要はないし
薄目でも意味は分かるし
内容は十分に怖かったので楽しめましたよ。



ネタバレ含む感想↓
そういや、主人公のいつも不安を抱えている彼女に
同情する人も多いのかなぁ?
私はお前のそういうところやぞ?
って思いながら見てました。
不安を抱えている癖にパリピと馴染もうとすんな
って感じ?
面倒臭い奴だな〜って思ったけれど、
でもあの繊細さって大事なものでもあるし。
とりあえず「嫌なものは嫌っ」て言え
って思って見てました。
それはまぁ私が性格的に
主人公の彼氏側だってこともあるんだろうけれど。
彼氏は彼氏で八方美人タイプで優柔不断、
同情心はあるけれど楽しいことを優先したい
だから不安を持つタイプの彼女とは
絶対に相性が悪いはずなのに
中途半端に優しいので引き離すこともできないという
バカか君は……と思って見てました。
人の研究を途中から合流して「共著でも良い」とかいう
図太い性格も、そりゃ邪悪の象徴になるよね。
って思ってしまったりです。

あとは生贄を欲する儀式って
なんだかんだでその土地の健康な働き手を
殺すわけにはいかないので
主に子供、次いで年寄りが犠牲になることが多いけれど
外部から招いたものも犠牲にするってのも
たしかにあるなぁってなっていました。
その土地の豊穣を願うのと同時に
穢れを取り払うのに
穢れの象徴全てを押し付けるには
同じ土地の人を犠牲にするには忍びないものね。
まぁもっともっと昔だったら
その土地のしきたりとかで
一番罪のある人だったりが
その役を押し付けられたんだろうけれど。

それにしても9人もの犠牲を求める儀式って
けっこうヤバイよねって思った。
90年に一度だそうだから、
その期間で9人しか求めないという考え方もあるかな?
でも現代人巻き込んで儀式という名の殺人をするんだから
早晩その国警察が動いて儀式そのもの以上に
失うものも大きい気がするけれど、
自分達が虐げられていると自覚するきっかけにもなって
より強固に結びついて儀式も違うやり方で
通すようになるのかなぁ。

三国志の時代に饅頭が生まれたみたいに
頭の代わりに餅を〜とか
そういう入れ替えていくのなら
慣習は大事なことだと思うけどね。
慣習が生まれるには背景があったはずだから。
「立ち入り禁止」の海は離岸流が発生しやすいとか
冬至の日に柚子湯に入るのは
冬に備えて体を冷やさないようにする
とかね。
なんだかんだで理由があるもんだと思ってるの。
人を生贄にするのも権力者に取って都合が良いから、
などなど色々な理由があったとは思うけれど
生贄にされたくないと願う人間が
それ集団なりの「よく生きよう」になったはずだし
それ相応の便利システムであったと思う。

そんなことを考えながら「ミッドサマー」の2周目をして、
ついでに「キャッチミー・イフ・ユーキャン」を見てから
「TRICK」のシーズン1を見始めてました。
人間の心理って単純であればあるほど
けっこう騙される(ハマる)よねぇ
なんてことを思うものばかり立て続けに見ちゃいましたね。

この休日、久しぶりに家をまったく出ない日を過ごしたので
少しはお絵描きとか進めないとな〜って改めて思いましたよ。
そんな感じ。

さて、日付も跨いでしまったのでこの辺にて。モイモイ
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