「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

冬の思い

2008年12月13日 | 絵とやきもの
 年賀状が気になりながらも、まだ取り掛かる気にならずにいます。
 年々、このしきたりが疎ましくなってゆくのは、身軽になってゆこうとする年齢からの自然の傾きかもしれません。次第に浮世に”義理“を欠くことが苦にならなくなっています。

 友人達からも、今年で終わりにします。という挨拶が添えられた年賀状を貰うことが増えています。そして、薄墨で、年賀の挨拶を遠慮する旨が記された連れ合いの訃報が送られてくることもしばしばです。
 まだ今年は年賀状を出せそうですが、いつまで続けられることでしょう。

 例年の石蕗の花を描いてみました。来週は今年最後の合評会ですから、何か書き溜めておかねばと、先日散歩の折、池の畔で拾った蓮の実も描いてみました。これは皆さんに先月、宿題といって2個ずつお分けしているので、どんな枯蓮の実が並ぶか今から楽しみにしています。






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4 コメント

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楽しむべし・賀状書き (香hill)
2008-12-14 22:20:05
そう言えば、年賀状の中に”賀状は今年限り・・”と記載あるのが数枚はありますね。
お歳も御歳で賀状の作業も大変なのか?興味も薄れてきたのか?なんて思いますが、
通常このようなお方の賀状は儀礼的なモノが殆ど、近況や添え書き全くなし。
昨年はお世話になりました。本年もよろしく・・。って決まり文句があるが、
昨年一度も会わず・電話もない・・のに可笑しな事。
お義理で書いておられる事が貰った方でも分かります。

現役時代、仕事で知り合いになった方とはoff work後は疎遠へ・・。
学生時代の仲間とはその点、卒後40年近く会っていなくても友誼をキープできる
不思議な代物ですね、賀状の交換は。

いずれにせよ、賀状書きが面倒で面白くなくなってきたらヤンペにした方がベターかな?

先年、お正月に賀状の代わりに年賀電話をトライ、元職場の先輩連中に。
ご隠居さんは三が日の夜はお家にいたはるし。生の声を聞くと懐かしかった。葉書より割安。

因みに当方は年賀状の添え書きを考えるのが一番面白い。2008年は
”返らぬ昨日、知らぬ明日、2008年今日を大事に”
”小生の辞書になかった"お世辞”を言えるようになりましたが、too late”
宛先の顔を思い浮かべながら使い分け。

思い巡らす事はありません、go-go。

未知なる明日 (boa !)
2008-12-15 14:08:45
添え書きだけでいいですね。
年賀電話なるものがあるのですか。知りませんでした。
サークルの仲間内では、グリーティングカードが持て囃されていますが・・・・

賀状は、添え書きに人柄と温もりを感じてにっこりします。
今年も是非、ぴりりと締まった添え書きをお考えください。多分みなさん期待して心待ちにされていると思います。

私はかの白洲正子さんの敬愛した早川幾忠氏の短歌

八十になるを待ちてゐる如く待たざる如く師走終わりぬ

にこめられた心境を書き送ることになりそうです。少し寂しいですね。
冬点描 ()
2008-12-16 10:25:43
boa!さん 遅くなりました。
 風邪をひき高熱も出て今日からようやく元気です。
 忠実に写してもほんものがでないことは実践から会得していますが。作品は上手くデフォルメされて真に迫る、俯瞰するような石蕗の葉と黄花ですね。個性に溢れています。落款が無くても迷わずboa!さんと、わかります。
 蓮は私も描いたのですが、ランダムな実の穴、その<あはれ>を生かしきれませんでした。面白い動きのある構図、乾いた渋い色、深みがあって造形の妙を伝えています。
 私も油彩をと思いますが、その前に年賀状です。年も明けぬ内から「おめでとうございます」が聞こえ一足早く春が来ます。良い絵でさらに元気がでました。

 今朝も枯蓮の水が凍る冷たさです。boa!さんもお風邪に気をつけて下さい。
お大事に (boa !)
2008-12-16 17:47:05
お疲れと一安心からの気の緩みから風邪をひきこまれたのでしょうね。
風邪と侮るなかれ。くれぐれもお大事になさってください。
手術以来すっかり用心深くなって、寒い日は外出をしません。自然私も冬ごもりです。冬眠状態が3,4日も続くとうずうずしてきますが、虫が騒ぐのを押さえて同調しています。早朝の散歩も寒い日は用心して止めにしてエアロバイクを漕いでいます。お気遣いありがとうございます。

同じ画題でも、年々、薄暗く力が弱くなってきましたね。ただ、肩の力が自分では抜けてきたように思うのですが、まだまだ結果として表出されたものは、生臭く、気負っています。いつになったら,年相応の枯れた絵になるのでしょう。蕪村のような境地の絵は到底 無理としても、もっと素直に気持ちを定着させたいものです。

蛙さん、くれぐれもお大事に。