constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

循環史観

2006年06月17日 | hrat
先のオーストラリア代表に敗れた時点で日本代表にとって実質的に「終了」しているドイツW杯だが、メディア空間に充満する希望的星勘定に踊らされた「ぷちナショナリスト」たちの鬱積した気分を緩和するために、明日のクロアチア戦をめぐってさらなる希望的観測に満ちた状況が現出している。持ち上げるだけ持ち上げておいて、描いていたイメージに反する結果になったら、はしごを外して手のひらを返したかのように一斉に叩く、このところメディアでお馴染みの情景を繰り広げるための「下準備」と見るべきかもしれない。

さて今回のW杯と1998年のフランス大会と共通する点が多いことは各所で言及されている。組み合わせの面では、日本の観点から見れば、勝ち点を取る可能性も低いシード国(アルゼンチン/ブラジル)、勝ち点3を確実に取れる(はず)と踏んでいた国(ジャマイカ/オーストラリア)、そしてその強さを認めつつも、「キレやすい」とか「暑さに弱い」などサッカーテクニック以外に弱点を求め、あわよくば勝てるかもしれないと計算していたクロアチア。対戦順が逆である点が異なるが、決勝トーナメント進出に向けた勝ち点計算の皮算用も、そしてそれがまさに皮算用にすぎなかったことも同じである。

またグループリーグ初戦を終えた段階のスコアが1-0(アルゼンチン対日本)と3-1(クロアチア対ジャマイカ)である点も一致している。ただしスコア上の一致のみに基づいて今大会のF組を予測すれば、ブラジルは当然3連勝する一方で、98年の日本の役割を演じるクロアチアは決勝に進めない。そして対戦順との兼ね合いから、日本に98年のクロアチアの役が割り当てられるはずで、オーストラリアはブラジルに大差で敗れるシナリオの結果、決勝トーナメント進出という「日本国民」を納得させることになる。しかし、日本ではなくオーストラリアが3-1で勝利したため、この机上の推測は成立しえない。いずれにしても初戦で敗れた時点が日本の「終戦」なのである。

日本代表の戦い方に関しても、1998年当時の報道に改めて接したとき、共通点の多さが際立つ。たとえば、開幕直前の「格下」マルタ戦で1点しか奪えず欲求不満が高まった状況は、1998年6月7日に行われたフランス2部リーグ所属のチームとの試合を1-0で辛勝したフランス大会直前のそれと同じであり、決定力不足の象徴とされた城の姿は否応なく今回の柳沢を想起させる。

さらに対アルゼンチン戦を観戦したクライフに日本の「否定的側面として、攻撃に厚みがない・・・。日本は実質的にサイド攻撃を使っていない。つまりサイドから選手が攻め上がっても、中央での攻撃態勢が整っていない」(『朝日新聞』1998年6月15日)と指摘されていることは、日本の問題点が2006年時点でも解消されていないことを示している。98年のクロアチア戦後に岡田武史監督が語った「世界の壁、ゴールの壁は遠かった」と同様のコメントが、18日にジーコ監督から聞かれる可能性は低くない。
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