独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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言論の自由

2017-03-10 23:28:21 | 日記
                                                公園小父さん

 言論の自由,表現の自由、というものを私たちは憲法で保証されている。日本国憲法21条にそのことが書いてある。自分の考えや自分の気持ちを、公表する場合のことである。公園を散歩しながら、独りでつぶやいている分には検閲を受けるという事はあり得ない。
 公表する場合、プロのライターと此の種の文章とでは、プロセスや内容の違いがあるしプロフェッショナルにはランクによる対価が支払われる。ライター達は出版社の校正でまずチエックが入り、最終的には厳しい校閲の検視にさらされる。誤字だけではない,表現が適切かどうか、あらゆる角度から検討され修正される。あらゆる角度というのがミソである。
 公園の小父さんにはそんなものは無い。しかしそう云って高を括っていると、そうでもないということがあるから要注意。気を付けることだ。
 公園の小父さん達にとっては、自由に公園内の空間でイリュ―ジョンと遊びたいのである。ベンチで文庫本を閉じた後、過去の思い出とたわむれる。両親が亡くなった年齢にあと数年である。この歳になると、死がやって来るのではなく、こちらが急ぎ足になっていることに気がつく。若い頃はあんなに父に反抗していたのに、父のあの実直さは、どれほど得がたいものか、決して軍隊仕込みとばかりは云えないと此処まで来て分って来た。写真を撮っても独り暮らしなので見せ合うこともない、と思わず笑ってしまう。
 高齢者たちのBランクのホームに入っていたことがあるが、恋は盛んであった。職員さんは「子が出来るわけでなし、ほっておきなよ」と云っていた。人間恋ばかりは2歳から90歳が過ぎても、ほんのり頬を染めはにかむのである。嫉妬もするのである。むしろ若い頃より直線的で烈しいのである。