独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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炎のように常にあるもの

2017-03-08 15:11:14 | 日記
   
                      公園小父さん
 K氏の事業活動が政治をも巻き込んで大変な騒ぎになっている。しかし私なりに我が身を振り返った時に、おなじようなエレメントが私の内にもたえずあったことを知るのである。そして、結果としてたくさんの周囲のひとに奇異な感情を抱かたこともあるのだが、ぐずぐずとマグマの様に底にくすぶっていて思うように状況が進まない青年期において吸収したイデーが、岩盤を突きうごかすほどのエネルギーを爆発させることがあるのである。
 イデーでとしてとどまって居る分には、つまりマグマとして堅い岩盤の内でどんなに暴れようが外に顔を覗かす事はありえず社会を騒がすことはない。外に顔を覗かせて良い場合は又別の要件がひつようなのである。ともかく、岩盤を破らないかぎりは顔や姿が見えないのであるから、いずれも同じなのである。
 岩盤は、社会常識の場合もあれば、政治体制の場合や、何かの理由で岩盤が極度に軟弱になっている時、岩盤崩壊は起きる。一番分りやすい例は、自然現象である。地震も火山噴火も、氷河期も旱魃期も、安寧無事を願うものにとって、社会常識や安定した政治体制のもとで平和に毎日を送りたい私たちにとって起きては欲しくない現象である。
 アスリートが新記録をめざすのも堅い岩盤を粉砕する程の努力の結果のエネルギーがなければ敵わないことであり、生前,冷笑や、無視にさらされて死後何十年、何百年後に賛辞と共に度外れの高値で取引されたりする。ゴッホの絵画がそのいい例であるが、文学作品にも数え切れない。現在陽が当たっている、また当たっていない芸術家や彼や彼女の作品も時が経てば、いったいあの現象は何だったと思ったりするのだろう。
 今世界のリーダ達は、そっちでもこっちでも、その堅い岩盤を突き破ろう、突き崩そうとして目立った動きをしている様子は、誰の目にも、見たくないと思っても飛び込んで来る。氷河期などの天変地異にくらべれば小さな現象だが地球に生息するものにとっていずれも深憂の種である。
 目を転ずればきょうも清らかな霊峰富士が遠望できる。この山の醜い姿、恐ろしい姿をして周辺の生息するもの達を脅かし続けていた時期があったことをあらためて思う。しかし、眼前の優美で麗しい姿を見るかぎり、これが変わってしまうなどありえないと信じて生きつづけるしかない。私にはなんの魂胆も野心も無い。いつまでも、ただ愚かでしかない人間の願いである。