独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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自分の日常や、四十五年来の先生や友人達の作品を写真や文で紹介します。

 私の花物語     幻の花       三浦由里好(みうらゆりこ)

2017-03-07 22:59:25 | 日記
 少しずつ色濃くなって行く若葉の緑がぬけるように青い五月の空に、ひときわ美しく映える頃、花の季節は、足早に青葉の季節へと移っていく。青葉をそよがせる心地よい風が髪にサヤサヤとあたる五月のあの感触が私はとても好きであった。
 三月から五月にかけて、梅・福寿草・椿・水仙・桃・雪ノ下・オダマキ草・桜・ツツジ・山吹草……等々、華やかに色とりどりの装いで楽しませてくれた花の妖精達は、ほのかな余韻を残して、空の青さの中に吸い込まれるように溶け去って行った。やがて淡い水色の羽根をつけた天使が季節を運んでくる。
 
  雨が降ります雨が降る
  遊びに行きたし傘はなし

  雨降りお月さん雲のかげ
  お嫁に行く時ャ誰とゆく
 
 母や叔母が雨の歌を教えてくれ、雨の戸外を眺めながら歌った。雨の季節は家にこもり、オハジキやビー玉、アヤ取り、お手玉遊び、シャボン玉遊びをした。
 ガラスの夢の様な彩りの美しいオハジキやビー玉、虹色の夢を乗せて吹き飛ぶシャボン玉遊び、美しい小布を集めて作るお手玉遊びは結構憂うつな雨を忘れさせてくれる不思議な世界を持っていた。

 生家の庭を登った所に竹林があった。五、六月頃竹の子があっちにもこっちにも頭をもたげてくるのを、よく祖母の後に付いて弟妹達と掘りに行った。皮むきは子供達の仕事の一つで、ごほうびに梅干しをもらい、内側の柔らかい皮に梅とシソの葉をはさんで皮が赤く染まるのを楽しみにしゃぶったりした。また、すかんぽ(イタドリ科の野草)をよくつんできて塩漬けにし、赤みのさしたのをしゃぶったりもした。
 梅雨にぬれた、紫色の妖しい美しさをもつ桐の花や白い袋をたくさんつけた可憐な蛍袋(雨ふり花と呼んでいた)の花が咲いた。蛍袋も又、好きな花の一つである。素朴で可憐なこの花が、何故か郷愁を感じさせるのは、子供の頃、故里の野辺に楚々と咲いていた風情がなつかしく叙情をかきたてるからなのであろうか。
 生家の辺りは、見渡す限り田畑と山野と樹林にかこまれ、目に映るものは緑一色であった。家の前には小高い山があり、そこを前山と呼び、後ろには裏山があり、竹林をはさんでそれらは連なる山だった。春夏秋冬この山は私にかけがいのない思い出を作ってくれた。
 私の歩き、遊びまわるいたる所に数知れぬ草木や、山野草が生繁り、名前も知らない無数の植物を私は感覚の中で、肌や目に感じながら覚え成長していった。彼ら彼女らとの様々な出会いと思い出は数知れず、めぐり来る季節の中で得たひとつひとつの感動は今も昨日の事のように私の中で生きている。
 この緑の季節に咲く蛍袋や山ユリや、キキョ・オミナエシ・河原ナデシコの花達も又私にとって幼い日の魂の中に刻み込まれた美しくも尊い私の心の宝でありノスタルジアなのである。