タイトルの字数が収まりませんでしたので・・。
正式タイトルは
「福山☆イキナリの大感謝祭 ~エッ!してなかったの?初めてだったの?~
愛福山博in武道館!!」
です。
同じ事務所の後輩、Perfumeよりも後に武道館だったんですね・・・。私はしげしげとCDショップでその武道館のDVDを手に取ってみていたな。
私はCITIZEN DAYに参加しましたが、お土産はクリアホルダーでした。
新聞が印象に残っています。
マシャの楽屋口から荘口さんがレポートをはじめる。
暖簾がかかっていて覗き込むと
「おーっ!」
と、いう歓声が。
まるで天地人のような「愛」のふすま!?からマシャ登場。
ステージはセンターステージで作られていて、
一曲目は・・・♪GO AND ON
どこからでもマシャが近い近い!
この曲で初めて
「マシャって歌手なんだ!」
って分かったんです。
さかのぼること、マシャはオールナイトニッポンの月曜日や木曜日を担当していた時に、私は仕事で行き詰って何度も夜中に目を覚ました。そんなときにラジオを聴いていた。
最初は
「いい加減だなー、この人。」
と、思ったんだけど、 時には話を聞いて笑い、泣き、ギターを弾いているときもあり、歌手とイメージはなく、ラジオのパーソナリティーであることしか知らなかったんです。
音楽雑誌は他のアーティスト目当てだったので眼中にはなく。
ある日、ダイドーブレンドコーヒーのCMを見てものすごい衝撃を受けた。
ライブとかも興味はなく、歌手だったんだと。後から俳優であることにも気付き、カウントダウンライブをするようなだったんだと。
出席確認では、
「2階、1階、アリーナそして立ち見!」
と、8000人も来ていた。
「女子、男子。」
「初めての人、何度来ている人!」
そして・・・年齢確認。
「自分が若いんです!」
と、思う人!!(笑)
マシャの生い立ちを知るコーナーでは体重4000グラムの男の子で歩行器に乗っている写真が公開される。男兄弟で3人。
小学校、中学校はブラスバンドに所属していた。
高校生の事を話す担任、生活指導の先生などが登場。
「一度福山さんを怒ったことがある人!」
では全員挙手。
女の先生が
「夢をかなえる強さをもっているんだな。」
と、思っていたんだそうだ。
お兄さんとL.A.Rというバンドを組んでいて
「こんにちは。L.A.Rです。では、次の曲です。」
と、今のようなトークは長くなくすぐに演奏していたそうだ。
彼女にもチケットを売りさばいてもらうのを頼んでいたそうだけど、マシャの上京時にはだまっていたが、友達の計らいで長崎駅に見送りに来てくれたんだそうだ。
上京し材木屋でアルバイトをしていたのだが
「昔、演歌歌手をしていたがあきらめた。あきらめないほうがよかった。」
と、先輩の助言を受けて歌手を目指していく。
アミューズのオーディションを受けていたが、審査はクリアしていた。電話は下宿で呼び出しだったのだが、書類審査通過の連絡が来なかった。ある日、自分が運転していた車のマフラーが落っこちて下宿先に戻ると電報が届き
「今日オーディションに来るように。」
と、連絡が。
そんなドタバタの中受けたオーディション、かなりテンパっていたマシャ。
「さっき、連絡もらったばっかりで・・・」
と、逆切れする!?シーンも秘蔵映像として公開。
それで、今にいたっている。
もしも、車のマフラーが落ちていなかったらどうなっていたんだろう・・・。
♪追憶の雨の中では武道館が物をステージから投げるのを禁じられているのだが、特例で紙コップが投げ込まれた。少なめだったけど。
ニューアルバム「残響」のCDジャケットの写真が公開された。
「初回版のうちわで扇ぐとジャケットの写真になるよ。」
と、いっていた。
普段よりは短いライブであったけど、マシャのルーツを知るいいライブだったなと思います。
正式タイトルは
「福山☆イキナリの大感謝祭 ~エッ!してなかったの?初めてだったの?~
愛福山博in武道館!!」
です。
同じ事務所の後輩、Perfumeよりも後に武道館だったんですね・・・。私はしげしげとCDショップでその武道館のDVDを手に取ってみていたな。
私はCITIZEN DAYに参加しましたが、お土産はクリアホルダーでした。
新聞が印象に残っています。
マシャの楽屋口から荘口さんがレポートをはじめる。
暖簾がかかっていて覗き込むと
「おーっ!」
と、いう歓声が。
まるで天地人のような「愛」のふすま!?からマシャ登場。
ステージはセンターステージで作られていて、
一曲目は・・・♪GO AND ON
どこからでもマシャが近い近い!
この曲で初めて
「マシャって歌手なんだ!」
って分かったんです。
さかのぼること、マシャはオールナイトニッポンの月曜日や木曜日を担当していた時に、私は仕事で行き詰って何度も夜中に目を覚ました。そんなときにラジオを聴いていた。
最初は
「いい加減だなー、この人。」
と、思ったんだけど、 時には話を聞いて笑い、泣き、ギターを弾いているときもあり、歌手とイメージはなく、ラジオのパーソナリティーであることしか知らなかったんです。
音楽雑誌は他のアーティスト目当てだったので眼中にはなく。
ある日、ダイドーブレンドコーヒーのCMを見てものすごい衝撃を受けた。
ライブとかも興味はなく、歌手だったんだと。後から俳優であることにも気付き、カウントダウンライブをするようなだったんだと。
出席確認では、
「2階、1階、アリーナそして立ち見!」
と、8000人も来ていた。
「女子、男子。」
「初めての人、何度来ている人!」
そして・・・年齢確認。
「自分が若いんです!」
と、思う人!!(笑)
マシャの生い立ちを知るコーナーでは体重4000グラムの男の子で歩行器に乗っている写真が公開される。男兄弟で3人。
小学校、中学校はブラスバンドに所属していた。
高校生の事を話す担任、生活指導の先生などが登場。
「一度福山さんを怒ったことがある人!」
では全員挙手。
女の先生が
「夢をかなえる強さをもっているんだな。」
と、思っていたんだそうだ。
お兄さんとL.A.Rというバンドを組んでいて
「こんにちは。L.A.Rです。では、次の曲です。」
と、今のようなトークは長くなくすぐに演奏していたそうだ。
彼女にもチケットを売りさばいてもらうのを頼んでいたそうだけど、マシャの上京時にはだまっていたが、友達の計らいで長崎駅に見送りに来てくれたんだそうだ。
上京し材木屋でアルバイトをしていたのだが
「昔、演歌歌手をしていたがあきらめた。あきらめないほうがよかった。」
と、先輩の助言を受けて歌手を目指していく。
アミューズのオーディションを受けていたが、審査はクリアしていた。電話は下宿で呼び出しだったのだが、書類審査通過の連絡が来なかった。ある日、自分が運転していた車のマフラーが落っこちて下宿先に戻ると電報が届き
「今日オーディションに来るように。」
と、連絡が。
そんなドタバタの中受けたオーディション、かなりテンパっていたマシャ。
「さっき、連絡もらったばっかりで・・・」
と、逆切れする!?シーンも秘蔵映像として公開。
それで、今にいたっている。
もしも、車のマフラーが落ちていなかったらどうなっていたんだろう・・・。
♪追憶の雨の中では武道館が物をステージから投げるのを禁じられているのだが、特例で紙コップが投げ込まれた。少なめだったけど。
ニューアルバム「残響」のCDジャケットの写真が公開された。
「初回版のうちわで扇ぐとジャケットの写真になるよ。」
と、いっていた。
普段よりは短いライブであったけど、マシャのルーツを知るいいライブだったなと思います。