竹林の愚人  WAREHOUSE

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ウラ金 権力の味

2007-04-28 07:55:52 | BOOKS
古川利明「ウラ金 権力の味」 第三書館 2007.02.15. 

県立高校を卒業した1964(昭和39)年、松尾は外務省のノンキャリアの事務官として入省。74年7月本省の北米二課の庶務班長に引上られた。直属の上司は、後に外務省の事務次官、駐米大使のポストにあった斉藤邦彦だった。北米二課には川島裕がいた。川島もその後事務次官を務めている。そこで、松尾はノンキャリアとしての「汚れ役」の仕事を全うした。外務省は各課・室ごとに「プール金」と称したウラ金が存在し、その捻出・管理を担当する「庶務担」にノンキャリアの「仕事のできる人間」が充てられていた。 このプール金の「原資」に外交機密費が充てられることが多かった。松尾が頻繁に使った手口は首相外遊旅費の「水増し請求」だ。通常であれば国家公務員等の旅費に関する法律によって規定されているが、首相が外遊する場合は、警備上と体面から現地でも最高級クラスのホテルに随行職員と一緒に泊まるので、旅費法の規定額を上回る。その穴埋めに必要な額を官房機密費から持ってくる理屈だ。ホテルの宿泊費は世界主要15都市で一泊あたり、総理大臣は40,200円、最下位の3級以下の国家公務員でも16,000円が支給される。これに加えて、背広やスーツケースなどを新調する費用として「支度料」の名目で、総理大臣の海外出張では1回あたり129,000円が支給される。この「支度料」は国家公務員すべての海外出張に適用され、領収書の添付による事後精算は不要。「時代遅れの公費による事実上のウラ金支給」だ。 松尾は外遊に同行する職員らの一人あたりの宿泊費用と滞在日数を粉飾して「差額分」を官邸に請求していた。松尾が自分の複数の預金口座に入金していた機密費の総額はトータルで16億円を超える。次々とマンションや競走馬を購入し、競走馬の馬主として松尾の名前がスポーツ新聞の競馬欄に頻繁に登場するようになる。 首相の外遊は「大名旅行」と称され、首相をはじめ同行する大臣らも地元の選挙区対策として土産物を現地で購入し、政府専用機に積み込んで日本に帰ってくるわけだが、その費用についても水増しして官邸から受け取っていたのが松尾だった。 外務省の公金不正流用事件では、「松尾克俊」という存在が目くらましとなって、外務省が守り切った「聖域」があった。それが「在外公館」である。在外公館にもウラ金が存在している。在勤手当をはじめ「非課税の掴み金」が館員には支給されており、「大使」に至っては「大使公邸」という超豪華な官舎まで用意されている。在外公館にはこの他にも「渡切費」が01年度予算で総額約73億円、「諸謝金」が総額約137億円、「ODA(政府開発援助)」の予算に潜り込ませる形で支給されている。02年1月に、アフガニスタン復興支援会議へのNGO出席を巡って、填末な問題で鈴木宗男と一緒に、外相田中真紀子を葬り去ったのは、田中がこの「在外公館の膿」にメスを入れようとしていたからだ。 機密費流用事件で逮捕された「松尾克俊」という存在を、一言で説明するとするなら、それは「機密費」という、権力のウラ金の「究極のマネーロンダリング装置」であろう。 桧尾は自らの事件の公判で自分以外の個人名は一切口にせず、罪をすべて自分一人で被り、機密費流用事件の捜査は「松尾個人の犯罪」ということで幕引きがなされ、政権中枢の腐敗にメスが入るということはなかった。