竹林の愚人  WAREHOUSE

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この国は誰のものか

2007-04-13 14:07:37 | BOOKS
牛島 信 「この国は誰のものか 会社の向こうで日本が震えている」 幻冬舎 2007.01.25. 

ビジネス・ローヤーの世界では、ある準大手事務所が外国のローファームと一緒になるという話題で持ち切りである。たとえばトヨタがフォードを買収するとき、日本の法律事務所は大きな役割を果たすだろうか?ドイツのダイムラーがクライスラーと一体になったとき、ドイツの法律事務所は相手にされなかった。 今になって毒が効いてきたのだ。年に500人しか司法試験に合格せず、そのなかから400人足らずしか新しい弁護士を生み出してこなかった制度の帰結だ。では、司法試験合格者を3000人に増員すればよいのか、どんな職業がこのような供給激増に耐えられるだろうか。それでも人口が日本の2倍のアメリカを標準とすれば、もっともっとかもしれない。 企業買収の増加、敵対的買収に関する訴訟の増加がある。経営権を巡っての争いだ。会社は1つ、争う者は2人またはそれ以上。負ければ経営者は会社を失う。正確には会社の経営者という地位を離れるということなのだが、心情的には会社を失うという表現のほうがふさわしいだろう。東京地裁の民事8部の裁判官には、今から体力増強を真剣にお願いしなくては。 いずれ日本の民事訴訟法が改正され、ディスカヴァリーが法律に規定されるだろう。ディスカヴアリーというのは、アメリカの訴訟において発達した事前の証拠開示制度である。弁護士同士のやり取りで、こちらの質問事項に答えさせ、相手方の懐のなかにある文書を強制的に提出させ、関係する事実を知っている人間に宣誓のうえで無理やり供述させる手続きである。裁判所の介入は最小限に抑えられている。日本の訴訟に慣れた者には想像を絶する。どんなメモの切れ端でも、相手の手に入るようにしなければならないのだ。怠れば裁判所によって、裁判に負けさせられることを含めた制裁が待っている。 取締役の責任の時効は10年だ。前記のヂィスカヴァリーに関する立法が10年以内に行われたら、日本企業の経営者は壊滅的な打撃を受けるだろう。ディスカヴァリーの新規立法は、自分の弱みがどこにあるかの情報を相手方に自ら渡すことを要求するのだ。