竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

OSAMU GOODS STYLE

2005-07-03 15:19:34 | BOOKS
原田 治 「OSAMU GOODS STYLE」PIE BOOKS 2005.04.17. 

最初からオサムグッズは、中高生から20代女性を対象にした商品群を整えるという企画でした。そこでぼくの頭の中でなんとなく描いたデザインイメージは、60年代のアメリカの雑誌”seventeenなどで見ていた女のコや、ハリウッドの青春映画に登場する可愛い女優さん達でした。 
オサムグッズのデザインに関して、何故あんなにアメリカナイズされているのか、とよく質問されることがありました。これに答えて、いつもぼくは、戦後日本は現在に至るまでアメリカの植民地であるから、と説明する事にしています。たいがいの人は驚きます。
1946年、戦争のあくる年に東京下町に生まれたということは、東京大空襲で昔の都市の姿は灰燼に帰して、なにもない焼け跡で生を受けたという事でもあります。焼夷弾(ナパーム弾)で焼かれ10万人が死に、木造家屋のほとんどが燃えて何も無くなってしまった直後でした。そして連合国軍として米軍が支配する占領地で育ったわけです。食料も救援物資に頼る時代でした。ものだけではなく、大人達は思想も文化もまた、メイドインUSAを受け入れるしか他になかったのでしょう。そして1950年朝鮮戦争からヴェトナム戦争の頃まで、米国追従の軍需景気のお陰で、日本は廃墟から急に経済復興したのが現実でした。またその間、20世紀において世界最大の先進国はアメリカでした。悲しき植民地の子供であったぼくにとって宗主国アメリカは、丁∨や映画でのみ知る遠い憧れの国でもあったのです。

1950年代、60年代半ばまでは、アメリカ文化大好き少年でした。ところがいざ大人になってみると、70年代以降のアメリカ文化は、すでに終わってしまった感が強くて、もはや好きにはなれなくなりました。昔は良かったなと、まるで年寄りのつぶやきのように失われつつあった時代を懐かしむ側にぼく自身が変化していきました。というようなわけで、75年にオサムグッズを製作するにあたり、デザインコンセプトを、失われた古き良き時代のアメリカにすることを思いついたのでした。若い頃に夢見た、欧米文化全般へのエキゾチシズムと懐古趣味でありました。

先生の雑談 日本史の時間

2005-07-03 10:56:30 | BOOKS
雑談教育委員会 編 「先生の雑談 日本史の時間」 青春出版 2005.03.10.

『日本書紀』はなぜ捏造されてしまったのか 
720(養老3)年に作られた日本のもっとも古い正史と呼ばれるのが『日本書紀』です。その8年前に、やはり歴史書の『古事記』が作られています。両者で気づくのは、『古事記』は読みやすいように日本語の読みが入っているのに対して、『日本書紀』はすべてが漢文で書かれていることです。 
さらに、『日本書紀』は神代から7世紀までに起きたことを具体的な年紀入りで記しており、全体も30巻からなる壮大な史書なのです。ところが、『古事記』のほうとなると全9巻しかありません。
『日本書記』は、681年に天武天皇が川島皇子ら12名に日本の歴史書を作るように命令したのが始まりで、その後40年間をかけて、舎人親王らによって編集されています。漢文で書かれていることから中国で読まれることを意識しており、また出来事に具体的な年紀を入れていることで、時の権力者である天皇の正当性を神代までさかのぼって立証したいこともわかります。 
こうしてみると、『日本書紀』は日本の正史というよりも、対外的に日本の権力者が誰かということをアピールするために作られていたと考えられるのです。 このため、『日本書紀』の内容は編集された後もたびたび時の権力者に都合がよいように書き直されたものだと考えられており、これは歴史書というよりも、権力者の捏造の歴史書ということができるのかもしれません。 

日中の教科書問題もひどいものだけど、所詮歴史書に真実を求めるのは無理なこと、いろりろな解釈ができますよと言うことですね。