山本さんは「破文の基準」としてハビヤンの恩の理論を焙り出しています。
恩=過分論について
恩とは、人間相互債務論だといいます。
つまり平清盛(注・01)の「人を人と思わぬ罪とは、
「恩を施したことへの権利」と同じであるといいます。
とくに清盛と白拍子(注・02)との関係について、書かれています。
この関係はカトリックのパードレには理解しがたい関係で
ハビヤンも説明が難しいかったのかかなりグノーシス現象にすり替えています。
なぜなら白拍子は遊女でしたし、この人たちこそ
「人を人と思わぬ罪を犯し続けてきたのです。
そこから「恩」ではなく「怨」(おん)に替わってしまい、
それが日本人の倫理的基準になったといいます。
ハビヤンは仏教を捨て、カトリック教徒になり、またそれをも捨てて、
今度はいずれの宗教も信じないという日本教を生み出しました。
それは今日の日本人を支配しています。
その中核が恩という考え方です。特に「恩を売る」(注・03)は
日本教そのものであるでしょう。
平清盛(注・01)
平安時代末期の日本の武将、公卿、棟梁。伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任じられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた(平氏政権)。平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、治承三年の政変で法皇を幽閉して徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握るが、平氏の独裁は公家・寺社・武士などから大きな反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、病没した。(ウィキ)
白拍子(注・02)
白拍子(しらびょうし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。主に男装の遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞ったものを指すが、男性の白拍子もいた。素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す。(ウィキ)
恩を売る(注・03)
「後々自分に利益ができることを期待して、あらかじめ相手に利益があるように恩を施しておくこと」を「恩を売る」と表現します
恩=過分論について
恩とは、人間相互債務論だといいます。
つまり平清盛(注・01)の「人を人と思わぬ罪とは、
「恩を施したことへの権利」と同じであるといいます。
とくに清盛と白拍子(注・02)との関係について、書かれています。
この関係はカトリックのパードレには理解しがたい関係で
ハビヤンも説明が難しいかったのかかなりグノーシス現象にすり替えています。
なぜなら白拍子は遊女でしたし、この人たちこそ
「人を人と思わぬ罪を犯し続けてきたのです。
そこから「恩」ではなく「怨」(おん)に替わってしまい、
それが日本人の倫理的基準になったといいます。
ハビヤンは仏教を捨て、カトリック教徒になり、またそれをも捨てて、
今度はいずれの宗教も信じないという日本教を生み出しました。
それは今日の日本人を支配しています。
その中核が恩という考え方です。特に「恩を売る」(注・03)は
日本教そのものであるでしょう。
平清盛(注・01)
平安時代末期の日本の武将、公卿、棟梁。伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任じられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた(平氏政権)。平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、治承三年の政変で法皇を幽閉して徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握るが、平氏の独裁は公家・寺社・武士などから大きな反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、病没した。(ウィキ)
白拍子(注・02)
白拍子(しらびょうし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。主に男装の遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞ったものを指すが、男性の白拍子もいた。素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す。(ウィキ)
恩を売る(注・03)
「後々自分に利益ができることを期待して、あらかじめ相手に利益があるように恩を施しておくこと」を「恩を売る」と表現します