先回、述べましたように今日、国家としてのイスラエル(注・01)は、
国語をヘブライ語としています。
そしてイスラエルは基本的には民族性にとらわれていなかったのです。
それは律法の書である出エジプト記にも
22:20 寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。
あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。
と教えています。
またモーセの妻もエチオピア人でした。
ダビデの腹心の部下も異邦人でしたし、
ソロモンは外国の女を多く娶りましたが、
それは外国人であったからではなく、偶像崇拝のゆえでした。
イスラエル民族がユダヤ民族として民族主義になったのは
捕囚期から解放されて帰国した後のことで、
イスラエルの本来の姿ではありません。
しかし、ユダヤ教=ユダヤ民族になっても新しい入信者、加入者と
なる道は開かれていました。
つまり改宗者、神を畏れる者とか言われて、ユダヤ人のように割礼を受け、
清めの儀式に参加し、律法を守る人たちがいたのです。
一代目からはユダヤ人のような扱いはなかったけれども
二代目から差別待遇はなかったのです。
使徒言行録
6:3 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。
彼らにその仕事を任せよう。
6:4 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
6:5 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、
ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の
改宗者ニコラオを選んで、
6:6 使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
6:7 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、
祭司も大勢この信仰に入った。
またユダヤ教に同調し、集会に参加していた神を畏れる者たちも
相当な数がいて、律法の一部を守っていました。
使徒言行録
10:1 さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、
10:2 信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。
ここに登場するコルネリウス(注・02)もそうですし、
他にも婦人にも多くいたことが使徒言行録で書かれています。
パウロはこのような神を畏れ人たちに律法から解放される
キリストの福音を宣べ伝えていきました。
ユダヤ教を担ったパリサイ人も改宗者を得るために
マタイによる福音書にあるように
23:15 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。
改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、
自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。
でしたが、
パウロを筆頭に異邦人伝道に特化した初代教会とは
全く価値観が違っていたのです。
それは民族にとらわれなかったイエスやパウロの信仰は、
神殿と律法を核にしたユダヤ教を
本来のイスラエルの信仰へとリバイブしたのです。
ゆえに新約は旧約の成就となったのです。
国家としてのイスラエル(注・01)
1948年イギリスの旧委任統治領パレスチナの大部分を領域に、世界じゅうに分散(ディアスポラ)したユダヤ人の統一をめざしてイスラエル共和国として独立。 首都はエルサレム。
コルネリウス(注・02)
ローマの軍人で、百人隊長。『使徒行伝』10章1-38節によれば、ペトロから洗礼を授かった最初の異邦人[1]。コルネリウスは元来「神を畏れる人」といわれる非ユダヤ人のユダヤ教信徒であった。ユダヤ教において、神を畏れる人とは、割礼を受けない(完全に改宗していない)がユダヤ教の教えに従った信仰生活を送る信徒を指す。