バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

3章・花嫁断食とは 03 新しい契約による断食 03 神を求めて愛に病むこと 

2024-04-18 04:00:00 | 「聖なる花嫁断食」(マイク・ピックル著)
イエス様は弟子たちに、ともにいる間は喜ぶように教えました。

弟子たちが地上にイエス様がいる間に断食をしないのは、

私たちが来る世で断食をする必要がないのと同じです。

しかしイエス様が死に、この地上から取り去られてしまってからは、

弟子たちの生活は大きく変わりました。

弟子たちはそれまで気づかなかった、イエス様がいない悲しみを覚え、

イエス様を求める心が与えられたのです。

イエス様がともにいることによって得られていた、

あふれるばかりの喜びを失った時に初めて、嘆きをもって、

断食を始めたのです。


花嫁断食とは求めること

雅歌は花婿であるイエス様と、その花嫁である教会の関係を表すもので、

教会が神を求めて、心が病んでいる様子を描いています。


雅歌
5:8 エルサレムのおとめたちよ、誓ってください/

もしわたしの恋しい人を見かけたら/わたしが恋の病にかかっていることを/

その人に伝えると。


私たちはイエス様を体験すると、それを求めて渇くようになります。

そしてその渇きは、イエス様ご自身でしか癒されないものです。

イエス様を求めない心とは、今の状況、

すなわち霊的な空虚さを受け入れて生きていくことです。

嘆く心とは、満たされていない心であり、神を必死で求める心です。

そしてこれが花嫁断食なのです。

花嫁断食は、神が私たちを求めていることを知り、

また私たち自身の内に神を求める心を呼び覚まします。

神は必ず、私たちの思いに応え、神を求めて悲しむ者には、

満たしを与えてくださいます。

それはイエス様ご自身が約束されていることです。


マタイによる福音書
5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。

 5:5 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。

 5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。


神を求めて愛に病むことは、とても大切なことです。

なぜなら私たちは神を愛し、愛されるために創造されたからです。

神が霊的な渇きを与えてくださったことによって、

私たちは何にも代えて、神の愛を経験しようとするようになります。

そして私たちは進んで自分の心や生活を変え、

愛が私たちを支配するように整えられるのです。
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