コメ欄への読者さん投稿で知った動画です。
私達が、金科玉条的に信奉している皇室のありよう、皇統が思い込んでいるほど強固なものではないことが歴史を辿って淡々と述べられています。
【ch北海道】新元号発表!皇室の正しい歴史を知っていますか?[H31/4/1]
天皇の系譜の一種の曖昧さについて語られているのは、9:30辺りからです。
歴史的知識を欠き天皇無謬説を基礎とした天皇絶対視、盲目崇拝を小野寺まさる氏は「カルト教」と喝破しています。まさに。他分野の言論においてしっかりしている人たちの中に、こと皇室問題に関しては無知蒙昧、無条件に崇める人たちがいて、ましてそれほど突き詰めて知ろうとしたり考えたりすることのない一般国民はなおさら、無知です。
天皇陛下が同時期に二人いた時代があることなど、日本人が心得ていなければならない基礎知識なのに、教えられず知らされないことの一つです。国内向けと海外用に発表された情報に異なる部分があることも。
在位がお二人、ダブっている。
以下は英文Wikiにおける記述。日本版のWikiと一部、異なる。
左が日本語版。右が海外。
中央の権力争いの結果、天皇側により死に追いやられた天皇がいる史実を私達は知らねばなりません。現代ではないことですが、しかし皇統を力づくで変えてしまおうとする動きがあることには、直面せねばなりません。厳密に言えば天皇の資格のない存在が在位した御代があることと共に。
ただ皇統が男系で繋がれて来たその事自体にゆらぎはありません。
皇位継承者の激減に対して、まことしやかに女性宮家の擁立とその敷衍上に女系天皇容認説が力説されていますが、皇太子殿下よりも天皇の血筋の濃い男子が旧宮家に複数名いて、その復活さえなされればあっけなく解消するものです。旧宮家は未だ皇室と交流があり、ついこの間の東宮御所での両陛下の結婚記念食事会に、旧宮家の何人かが出席しています。
動画では三種の神器を持たぬ本来は天皇の資格がない天皇がいたことを、安徳天皇の御代を例に引いて説明しています。(滅ぼされた安徳天皇のほうが、三種の神器をお持ちだった)在位が安徳天皇とダブった後鳥羽天皇に三種の神器はありませんでした。(といって、後鳥羽天皇の存在自体を否定する立場に拙ブログ主はありません。しかし事実は事実として認識する作業を常に心がけないと、盲信の天皇カルト教信者になってしまいます)
公には第47代天皇とされている後鳥羽天皇淳仁天皇は明治以前には廃帝(はいたい)扱いになっていて淡路廃帝と呼ばれています。
ちなみに、天皇が天皇であることを保証する三種の神器への決定的な敬意を欠如されているのが現皇太子であることは、繰り返し述べて来ました。皇太子殿下による剣璽同座の無視として、複数回記事にして来ました。
20年ぶり剣璽動座 天皇、皇后両陛下が伊勢神宮参拝へ
この時、肝心の皇太子殿下は雅子様、愛子さまを引き連れてのスキー静養旅行にお出かけ。宮中で留守を守られたのは秋篠宮殿下でした。
*剣璽御動座とは、 皇位とともに継承される三種の神器のうち、 剣(つるぎと璽(たま)を陛下のお側で侍従が捧持すること。
*御所の天皇の寝室の隣に土壁に囲まれた塗り籠めの「剣璽の間」があり、そこに神剣(天叢雲剣の形代)と神璽(八尺瓊勾玉)が安置されている。神鏡(八咫鏡の形代)は宮中三殿の賢所に神体として唐櫃に納められて安置されている。
備考
▼戦後GHQの皇室弱体化の意向で皇籍離脱した旧宮家の復帰に関しては、現皇室との血の遠さを強調する意見がある。だが、皇位はこれまで直系ばかりで継承されてきたわけでは決してない。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000587-san-pol
「旧皇族から適格者に何人か皇族に復帰してもらい、その方自身には皇位継承権は付与せず、その子供から継承権を持つというのはどうか」 首相官邸内では、こんなアイデアもささやかれている」(阿比留瑠比)
「国民に馴染みがない」「旧宮家の人たちがそのような覚悟で暮らしていない」ということを理由に、旧宮家の復活に疑義を唱える人がいますが、そんな悠長なことを言っている場合ではないし、また少年期の頃からそういう存在であると国民に知らせ、御本人も自覚して暮らすなら問題はありません。
現在も、きちんとした格式を保ち、また皇室とも縁を保ちながらお暮らしの旧宮家はあり、そこに未成年の男系男子が複数名います。全部の旧宮家が復活する必要はありません。相応しい宮家が同意して、皇族として復帰する宮家が一~二家あるだけで皇統の安定性は確保されます。
▼11宮家を皇籍離脱に追い込んだ “GHQの決定” とは? 官邸資料
昭和22年10月の皇籍離脱について 皇籍離脱の理由等 官邸会議資料 https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai8/8siryou2.pdf
・・・・ここまで
米国の占領政策
1日本が米国の脅威にならざることを確実にすること
2米国の目的を支持すべき政府を樹立すること
3占領及管理の実施のための政策は米国の政策に従うこと
4天皇および日本国政府の権限は最高司令官に従属すること
5日本国における現存の政治形態を利用するものであるが、これを支持するものではない
・・・・・
小野寺まさる氏の動画をアップしたコメ欄に、小野寺氏が引いたWikiの表に関して「Wikiは誰でも編集可能であり、信用に値しない」意味のコメントが寄せられていますが、浅慮です。まず表自体がWikiのオリジナルではありません。
更に、編集が可能なのは事実ですが、誤った情報が書き込まれた場合には即訂正が入り、それでも対立論がある時はその旨、表示され、更に内容に宣伝臭が強い場合には警告文が掲げられ常に公平正確であることが心がけられています。
Wikiレベルの情報源を否定するなら、週ごとにかわる週刊誌、瞬時に消え果てるテレビ情報などもっと信憑性を欠くわけですが、Wikiもまたそれらに対してと同じく、しょせんその人の知能に基づくリテラシーが要求される、ということでWikiの全否定は賢明ではありません。
以上、時間が十分ではなく急ぎ打ちしたので過不足ある箇所はこれ以降、随時手をいれて行きます。現皇室を論じるにあたって、必須の知識だと思われます。
*コメ欄は承認制です。承認しない場合があります。 以上でよろしければ内容要約のタイトルを入れ、他とかぶる可能性のない固定HNでご投稿ください。
安定のスキー静養の東宮家。あと一月もせず、令和が始まり、彼らを天皇皇后とする時代が始まるのかと思うと暗い気持ちです。
令和について、何かの隠喩だとか、○○を示している、とか変な反応はしたくないのですが、ついつい零和?ゼロサム?などと思ってしまいます。
ハワイ王朝の末期の話を読む機会がありました。
カメハメハ一世の妻は夫亡き後、男性しか出来なかった祭祀や行政に手腕を発揮したかったため、宗教的禁忌を破ったそうです。
彼女が禁を破った1819年11月7日、ハワイ島に居たスペイン人は『ついに女性が豚肉を食べた』と書いたそうです。各地に植民地を作ったスペイン人には、伝統の破壊が意味する事が解っていたのかもしれません。
豚肉を食べる、そんな小さく見える事から始まった彼女の改革で、瞬く間に伝統的宗教は破壊され、神殿が焼き払われたそうです。ハワイ王朝は混沌とし、1800年代末には滅んでしまったのでした。
この話を知り、伝統なんて蟻の一穴で本当に簡単に瓦解してしまうのだと改めて感じました。女性宮家を許してはいけない、と強く思います。
プーチン露大統領から安倍首相に贈られた日本刀を17日から初公開 大刀剣市で - 産経ニュース
https://www.sankei.com/life/amp/171116/lif1711160051-a.html
《ご参考に》
トプカプ宮殿 | Dosuko Wiki
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E3%83%88%E3%83%97%E3%82%AB%E3%83%97%E5%AE%AE%E6%AE%BF
実物が唯一、皇居内にある
神璽(尺瓊勾玉 やさかにのまがたま)ですが、
天皇陛下でさえ、その箱を開けてはならないとされています。
つまり、箱を揺すって尺瓊勾玉が動く音で
その存在を確認するしかないようです。
そのような事はないと思いたいですが、
誰も確認出来ないのを良いことに、もしすり替えがなされて流出していても永遠に分からない事になります。
出雲大社本殿裏の真名井遺跡から出土した勾玉(重要文化財)が、
今現在、最高峰(素材・風格など)と言われています。
格で考えると尺瓊勾玉は、それより上のものの可能性があります。
美術品(美術品ではないですが)として見た場合も、相当な価値にナルと思いますので、
最近の皇室の宝物流出をみると、その危険性も無きにしもあらずかと。
「継承順位は法典(皇室典範)により、疑義ができる限り生じないようにする」、
という体制を作った伊藤博文はよくわかってたのでしょう。
BB様、皆様
救国のブログ、何時も有り難う御座います。
GHQ の目論見。
サイバー空間とフィジカル空間。
昨今の印象操作。
皇室を操ればどうなるか。
そこにイエズス会からの寄生。
あるいはウイルスの埋め込み。
皇室を盲信する世論。
思考停止は思うツボ。
米国と中国の世界戦略。
本来の日本が導くべき。
日本大事、天皇大事、万世一系の秋篠宮御一家による宮中祭祀が大事。
ただし、このままでは毒された内親王を除く。
文仁親王と悠仁親王の御代を目指して。
御多忙中、大変失礼致しました。
GHQの決定を覆し「旧宮家の皇籍離脱は無効」となった場合、男子のいない旧宮家もすべて復籍となります。
国民の理解は得られるでしょうか。
東久邇家の本家にあたる久邇家は、香淳皇后のご実家で甥子さんが現当主。
そして、現当主には男孫がいません。
本家本元の伏見家も皇太子殿下と同世代の女子三人しかおらず、いずれ男系断絶。
GHQの決定を覆すと、「一般人のままでいたい、皇族になりたくない」という方も例外なく皇籍に復帰。
改めて皇籍離脱するとしても仕事は辞めざるを得ない。
男子のいない旧宮家があるし、様々な事情から皇籍復帰を希望しない旧皇族がいるかもしれない。
一部の方々の復帰に留まるなら、GHQの決定を覆すという難問に取り組み、すべての旧宮家復帰の道筋をつける必要はないでしょう。
そういう事で安倍総理はGHQの決定を覆すことは考えてないのだと思います。
記事にして頂きありがとうございます。
さて、BB様他記事のコメント欄で拝見した…
>「デマに注意」とメルマガで配信していた倉山満氏が、
>SPAのニュースサイトに東久邇家の家系図を乗せて水間さんの主張をパクったような記事を掲載して、倉山信者からひんしゅくをかってます。
これですね。
↓
皇族に人権はない。当たり前の事実を、日本人は忘れてしまったのか?/倉山満
2019年04月01日 SPA!
3ページ目 旧宮家皇籍復帰について
https://nikkan-spa.jp/1562553/3
文頭から
https://nikkan-spa.jp/1562553
>天皇の五世孫(玄孫)は、臣籍降下する。伏見宮家は、例外とされてきたのだ。
そうですよ! 世襲親王家という特別な家系なんですよ😤
今上陛下の血筋の基はこの傍系の伏見宮家から出た後花園天皇から発しており。
さらに後花園天皇直系の後桃園天皇まで直系継承されたが血統が途絶えたので、3世遡った東山天皇の第6皇子で中御門天皇の弟の閑院宮直仁親王(世襲親王家閑院宮初代)の、さらに孫である光格天皇が傍系の閑院宮から即位しました。
光格→仁孝→孝明→明治→大正→昭和→今上と、その後は直系で継承されています。
つまり。世襲親王家による傍系継承を否定したら、今上陛下否定になってしまうんです🤐
伏見宮とは…
世襲親王家の4家の中では最も歴史が古く、持明院統の嫡流で北朝の崇光天皇の第一皇子栄仁親王が初代です。宮家を嗣ぐ王子や天皇即位を目された王子は、時の天皇の猶子となり親王宣下を受けました。血のスペアとして時代を超えて皇統の伴走者を務めてきた宮家です。
世襲親王家は、伏見宮家、桂宮、有栖川宮、閑院宮の4家。
明治旧皇室典範により永世皇族制となり、親王宣下と世襲親王家の制度は終わりました。
第3代貞成親王の第一王子彦仁王(後花園天皇)は嗣子のない称光天皇の猶子となって皇統を継ぎ、先に述べたように、この系統が今日の皇室に連なっています。一方、貞成親王の第二王子貞常親王の系統は以後代々と伏見宮を継承し、明治になり邦家親王(香淳皇后に繋がる今上天皇高祖父)の代以降、伏見宮家の連枝が数多くの新宮家を創設しました。
そして、GHQに皇籍離脱させられた11宮家は全て伏見宮系😌
>一方、元皇族と旧皇族の皇籍復帰は多くの先例がある。特に一例ずつあげる。定省親王は、当時の藤原氏の圧力により臣籍降下させられ源定省となったが、皇籍復帰して第59代宇多天皇となられた。臣籍にあった源定省の子が源維城であり、父の皇籍復帰に伴い親王宣下され維城親王となった。後の第60代醍醐天皇である。
>宇多天皇は元皇族から、醍醐天皇は旧皇族から天皇となった先例である。いずれも寛平の治、延喜の治で知られる名君である。
>今こそ皇統保守のために、どなたに皇統に復帰していただくかを具体的に議論すべき時が来た。こうした際、「人権」を持ち出す論者がいるが、目もくれる必要はない。皇統保守は、婚姻の自由に優先する。
旧宮家復帰押しとなると、堂々「人権」もクソ喰らえ!そうだ尊い皇族に人権は無いんだ‼︎
これくらい言わないと、デマと罵った水間さん論説丸なぞりで終わっちゃうもんね😆
まぁ、これから頑張ってください。
だんだん旧宮家復帰へ風が吹いて来たのかしら?
女系派が言うように、どこの馬の骨?となり、ボーッと人知れず生きて来られた訳じゃ決してございません。
◆伏見宮家の歴代当主と天皇
(天皇猶子となり親王宣下は各代受けますが、兄弟が天皇に即位したり内親王を娶ったり天皇と特出した関係のある代のみ掲載しています。)
崇光天皇(北朝3代)→北朝4代は弟の後光厳天皇へ
初代栄仁親王 崇光天皇第一皇子
3代貞成親王 第一皇子が後花園天皇に
4代貞常親王 兄 後花園天皇より 「永世伏見御所と称すべし」と勅許下り世襲親王家となる
14代邦永親王 ←妃 福子内親王(零元天皇皇女) 15代貞建親王の母
15代貞建親王 ←妃 秋子内親王(東山天皇皇女)
17代貞行親王 =桃園天皇第二王子
18代邦頼親王 =貞建親王第二王子 貞行親王逝去により宮家継承
19代貞敬親王 今上天皇は来孫 貞敬親王-邦家親王-朝彦親王-邦彦王-香淳皇后-明仁
20代邦家親王 =今上天皇の高祖父 旧宮家11家の祖
24代博明王 皇籍離脱
◆邦家親王から発した11宮家
(内親王との婚姻、男系男子の有無、悠仁親王殿下同年代の男系男子のご存在。)
20代邦家親王
・・・・・・・→山階宮・・・×
・・・・・・・→賀陽宮・・・◉1995年頃生1人、1998年頃生1人
・・・・・・・→久邇宮・・・◉
・・・・・・・→梨本宮・・・×
・・・・・・・→朝香宮☆・・◉
・・・・・・・→東久邇宮☆★◉2004年生1人、2010年生1人、2010年頃生2人
・・・・・・・→竹田宮☆・・◉
・・・・・・・→北白川宮☆・×
・・・・・・・→伏見宮・・・×
・・・・・・・→閑院宮・・・×
・・・・・・・→東伏見宮・・×
明治天皇内親王が嫁がれた宮家☆
昭和天皇内親王が嫁がれた宮家★
現在男系男子の方がいる宮家◉
現在男系男子の方がいない又は断絶した宮家×
青山繁晴氏が悠仁殿下と同年代の若い男子が5人いらっしゃると述べていましたが。
賀陽家の御次男と、東久邇家の4人の御令息方で5人ということでしょうか?
結構旧宮家の継承も宮家間の養子があって複雑で、消えたり生じたり。
やっと仕組みが見えてきました。
今みた「旧皇族」Wikipedia が旧宮家に否定的な論調で、偏向しているような?
「門跡寺院に入寺する法親王・入道親王は天皇または上皇の養子として親王宣下を受けることになっており、明治維新前後に新設された宮家は、当時の廃仏毀釈の風潮に乗って続々と還俗した元門跡たちに、その身分にふさわしい礼遇を与えるためのものであった。」
夭折などで後継者不在になって、還俗させられて当主になった人はいたけれど。こんな憶測を呼ぶような事例は伏見宮系ではまだ見ていないのですが…
これは女系派のネタにされそうで…
旧皇室典範と準則を調べて実際のところを抑えておいた方が良いように思いました。
以下に、旧宮家11家のご家族と、宮家に嫁がれた内親王リスト、1988年週刊読売の記事「日本の名家『旧宮家は今』5回連載」を投稿しようとしたら禁止urlと禁止ワードのNGが出ましたので、また改めて投稿チャレンジします。