BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

ついに左翼学者が秋篠宮家にも 悠仁さまに自虐史観洗脳の懸念 《拡散・要保存》

2019-06-21 | 売国奴

半藤一利

●靖国神社におけるA級戦犯の合祀を強く批判。

●護憲派としての活動を積極的に行っており、「憲法9条を守るのではなく育てる」のが持論。

上皇、上皇后陛下のご進講担当で、筋金入りの自虐史観の持ち主。

・・・・・・以下、Friday記事より

 

昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。

 

BB 天皇陛下の侍従から、というのは結局のところ上皇と上皇后陛下の推奨ではなかったでしょうか。

 

 ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。

 

BB 親王を「坊や」呼ばわり。随所に半藤氏の皇室への尊崇の念がないことが明らかになる言葉遣いあり。皇室軽視の男がなぜ、皇居や秋篠宮邸にのこのこと出向くのか。

 

そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」
 

秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の“家庭教師“になったのが「終戦記念日」だったのは、偶然ではないのだろう。平成から令和へと新時代を迎えた今、半藤氏がその日のことを本誌に明かした。
 

最初に秋篠宮父子にお会いしたときに言ったんです。私は東京下町生まれなものですから、“ひ“と“し“が上手く発音できません。だから悠仁っていう御名前はすごく言いづらい。『しさしと』になっちゃうんで、今日は殿下、と呼ばせていただきます、ってね。
持ち時間は2時間半だったんだけど、太平洋戦争についてさわりの部分で1時間話しました。

 

BB 「秋篠宮親子」という、この不遜な呼び方。

私が話したことのひとつは、私たちの国は、“内陸に乏しい“ということです。北の北海道から南の沖縄まで、長~い海岸線を持っていて、海岸線の長さだけで言えば、日本は世界で6番目に長い。ところが真ん中に山脈が通っているから、生活できる土地は少なく、国民は海岸にへばりついて生きなければなりません。
そして、こんな海岸線を守ろうとしたら何百万もの兵隊が必要になります。
要するに、この国は、戦争になったら守れっこないんですよ。

 

BB 日清、日露の戦争は無視?

さらに現在は、原発が海岸線沿いにずらっと並んでいる。ますます守れないじゃないですか。こんな日本が戦争をしていいわけがない。これが本当のリアリズムであり、地政学というんです。
う話したら、同席していた父の秋篠宮が、幼い殿下に『地政学』とはこう書くんだよ、と紙に書いて教えてあげていましたね」
 

休憩時間になり、紀子妃が淹(い)れてくれたお茶を飲みながら半藤氏が「質問がありますか?」と聞くと、

 

BB 紀子妃が「淹れてくれた」お茶。

 

悠仁さまは手を挙げて「アメリカはなぜ広島と長崎に原爆を落としたんでしょうか?」と質問した。
「質問を受けて、これはなかなか難しいぞ、と思いながらも丁寧に答えましたよ。細かいことは忘れてしまいましたが。

あの戦争は片一方だけが悪いんじゃない、向こう(アメリカ)も悪いんだという説が当節盛んです。ですが、少なくとも戦争の状況に持って行くまでは、日本の責任が大きいと私は考えています

BB ルーズベルトによる戦争誘導は無視。原爆投下はアメリカの不必要な非道であったことも告げず。

悠仁さまへの説明を終えた時、今度は父の秋篠宮が「私からも、質問をいいでしょうか?」と切り出した。
彼は私の著書を読んでいて、統帥権(とうすいけん)について、もう少し詳しく教えてください、と言われたんです。

 

BB 秋篠宮殿下を「彼」呼ばわり。しかし上皇上皇后から差し向けられたこんな輩の「教育」により結局、秋篠宮殿下も上皇上皇后のGHQ由来の自虐史観のお勉強をなさっていたということで、これはしかし改めて驚くことでもありませんが。GHQが仕掛けていった、日本悪者論は根強く皇室に伝わっています。

統帥権は非常に難しい概念です。日本国憲法施行までの大日本帝国憲法は、明治22年に公布されています。ですが、『軍人勅諭』の原形ができるのは明治11年。憲法より11年も前なんです。そこには大日本帝国陸海軍は大元帥である天皇直属の軍隊である、とあり、大元帥(=天皇)の指揮権を統帥権と言ったのです。

つまり、軍隊は後から成立した憲法の埒(らち)外にあると、少なくとも一部の軍人どもは考えた。明治から戦前の時代は、一人の中に天皇陛下と大元帥陛下という二つの役割があり、これが日本という国を非常に難しくしていたんです。
 

統帥権にまつわるややこしい話、当時のさまざまな事例を理解してもらうため、結局、後半の1時間半は、私と父宮との会話になりました。
それでも殿下は、居眠りもせずじっと傍らで聞いていましたよ」

このように秋篠宮父子が近現代史の教師役として半藤氏を招いた背景には、半藤氏が戦争体験者として過酷な少年時代を過ごしたことも影響しているだろう。
 

半藤氏は昭和5年、東京の下町、向島(現・墨田区)に生まれている。その翌年には満州事変が勃発、次第に日本は軍靴の音が高く鳴り始めていった。
昭和15年頃になると、半藤少年は互助組織だった「隣組」が監視機関に変貌するのを目の当たりにした。「この戦争は負ける」という父の発言を密告され、半藤家は1年あまりの間に3度も警察に踏み込まれたのだ。
「そんな父の影響もあって、旧制中学に進学しても、私は軍人の学校には一切行かないと決めていた。周囲はやれ陸軍幼年学校だ、少年航空兵だと熱に浮かされていたので、『オマエは非国民だ』とよく罵(ののし)られたものです」
 

半藤少年の思惑をよそに戦況は悪化の一途をたどる。そして14歳だった昭和20年3月10日。東京大空襲で下町は、すさまじい火炎に包まれた。
「焼夷弾の荒れ狂う中を逃げまくり、九死に一生を得た。空襲がおさまった後、焼け野原の中で、そこら中にある死体を片付けました。
防空壕の中があんなふうに蒸し焼きになるなんて……想像を超えていました。蒸し焼きだから黒焦げじゃないんです。おびただしい死体が折り重なっていてね。それを片付けていくと、一番下の死体だけは直接地面に接触して炭化している。これは、実に軽かったですね。中学2年の私がひょいと持てちゃうくらいでした。

そうやって死体を運び出していたら、2時間ぐらいで警防団の大人たちに『お前たち、もうやめろ。これは大人の仕事だ。帰れ』と追い払われた。帰れと言われたって、一面焼け野原でしたがね。ただ、もっと死体処理を続けていたら、今でいうトラウマになったかもしれません。

だけどこんな話は、40代半ばぐらいまでは、到底口にできませんでした。
話し始めたのは、自分が仕事で旧軍人の話を聞くようになったからです。
旧軍人って、嘘をつくんですよ。もちろん誠実な人もいましたが、それ以上に、他人の話を自分のことのように話す奴、自己弁明する奴が山ほどいた。初めのうちは私も本当のことだと思って全部鵜呑(うの)みにしていたんです。ところが、だんだん取材を重ねていくうち、他の証言や記録とかから考えて、コイツがその日時にその戦線にいたはずない、ということがわかってくるようになった。それを指摘すると激高するんですよ。お前みたいな戦争を知らない若造に何がわかる! ってね。それで言い返すようになった。
 

『あんたはそう言うけど、本当は最前線に出ないで南の島の基地にいただけじゃないか。そのころ俺たちは本土空襲で焼夷弾を山ほど浴びて、死ぬ思いをしたんだ!』。そう言わざるをえなくなった。
 

戦争の話は、本当にこちらが勉強して、かなりの知識を詰め込んでから対峙しないと危ない。本人が言っているんだから間違いない、なんてことはないんですよ。誰だって自分を守りたい。それを忘れちゃいけません。
私自身、必死に東京大空襲を生き抜いたけど、だんだん語り慣れてくるというのかな。気がついたら、非常に冷静沈着な勇気ある少年が、あの火事の中を逃げて、人を助けようとして川に落ちて……なんて、格好いい体験談になってきた。

あのときの私は、実際はそこら中に散らばる死体を見ていても、哀しいなんていう気分は全然なかった。麻痺していました。そういう言いたくない部分は抜け落ちてしまうんです。ただ、書くときはさすがに自制が利きますから大言壮語にはなりにくい。最近、よく『体験を語り継げ』という声を聞きますが、じつは語り継ぐのは難しいことなんですよ」
半藤氏は自戒をこめて、こう語る。
 

戦争をしてはならない、と繰り返す半藤氏は、同時に戦争へと引きずられないためにいかに外交が必要かを説く。
「私に言わせれば昭和8年以来、日本に外交なんてものは一回もありません。
昭和8年3月。決してやってはいけなかった国際連盟脱退から、日本はどんどん突っ走って戦争になり、敗戦になった。昭和27年に独立したといっても、その日から安保条約の傘の下に入り、自分たちのことを米国に丸投げした。それが今まで続いている。昭和8年から外交がないということは、もう誰一人、日本人は外交の経験がないということです。だから北方領土の暴言を吐く議員みたいなのが出ても、どうしようもないんですよ。
 

北方領土のことで言えば、かつて幕府海軍を率い、維新後に駐露特命全権公使になっていた榎本武揚(たけあき)が、樺太千島交換条約を結びました。日本国内では、広いほう(樺太)をロシアに渡すとは、と大不平が出たんですが、実はロシア国内もこの決定には大反対が巻き起こっていた。
『あんなだだっ広くて何にもないところをもらってどうするんだ。俺たちに必要なのは太平洋に出ていくための足がかりじゃないか。千島が日本の領土になったら、ロシア艦隊が太平洋に出る海路は封鎖されてしまう!』と。
榎本は目先の大小にとらわれず、その地が将来どのような役割を果たすかまで見通して交渉した。榎本が行ったことこそが外交というものです」
 

太平洋戦争から74年。昭和から平成へと、曲がりなりにも日本は平和を保ってきた。令和の世はどうなるのだろう。
「この前、3ヵ月だけ女子大で講義をしたんです。そのとき、アンケートをとります、と4択問題を出した。
『太平洋戦争において、日本と戦争をしなかった国は? (1)アメリカ (2)ドイツ (3)旧ソ連 (4)オーストラリア』
そうしたら、50人中実に13人がアメリカと答えた。次の週に、『僕の授業を聞いてるのに、君たち13人はふざけてるのかね?』と聞いたら、大真面目だと言う。しかもその一人が手を挙げてこう言った。
『で、どっちが勝ったんですか?』
こうやって話していると笑い話のように聞こえますが、決して笑い話じゃない。これから来る令和の時代って、きっとこういう時代なんですよ」
FRIDAY』2019年6月28日号より

・・・・・ここまで

自分が少年時代に酷い大権をしたから戦争反対、というのは心情ではあってもロジックではありません。まして、個人的心情をひくずっての先の大戦に日本に一方的な非があったという説は感情に走った暴論です。

「国際連盟」脱退に到る経緯にも触れぬまま「やってはいけなかったこと」と単純に総括。公正な視点を欠いたまま、日本が100%悪かったという結論ありきの自虐史観は雅子皇后の父、小和田恒氏の系譜でもあります。

皇室で愛国保守系学者は絶対に呼ばれず、ご進講は決して行われませんね。偏っていると言わざるを得ません。左翼学者の皇室への出入りと共に「戦犯国日本は、被害国に対してひざまずいてへりくだった外交をせねばならぬ」とした小和田恒氏が雅子妃の実父であり、新天皇の岳父です。皇室を取り巻く環境は、予断を許しません。

仮に、秋篠宮殿下から悠仁親王殿下と皇統が無事つながったとしても「平和憲法護持」をその念頭に置く「リベラルな」天皇を平成から令和そして次の代にも国民は戴きそうで、そこを少しでも食い止めるには、ご進講担当者がなぜ左翼ばかりなのか、国民が強く抗議の声を上げつつ、あの戦争の真の姿を語り続けるしかないのでしょう。

「A級戦犯」という言葉に、敏感に反発する保守ブロガーたちが、上皇后陛下の「A級戦犯」発言には黙り、皇室内で犯罪者認識されて行く流れが全く堰き止められないままである現状に対しても、何も言いません。

大本の皇室の自虐史観をまず何とかせねば、国民の認識もいつまでも変わらないのではないでしょうか。

 

 

時間がある時に、少しずつ手を入れて行くかもしれません。取り急ぎアップしておきます。

 

上皇・上皇后陛下へのご進講担当学者が保阪正康 半藤一利であり、二人共絵に描いたような自虐史観左翼だということは過去記事に書きました。

保守論壇が声を上げ始めた皇室内の闇

いかにして左翼天皇は作られたか 《転載ご自由に》

2019-04-23 17:20:52 | 皇室問題
 

上皇の憲法違反を直視出来ず、「退位」を「譲位」と言えという思考停止保守

2019-05-13 10:31:20 | 皇室問題

 コメ欄は承認制です。承認しない場合があります。 以上でよろしければ内容要約のタイトルを入れ、他とかぶる可能性のない固定HNでご投稿ください。無記名Unknownや「文章の一部」を安易なHNとすることは禁じます。

 


最新の画像もっと見る

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (川嶋)
2019-06-21 22:21:17
秋篠夫婦の会見見て、この夫婦のバカさにはつくづく愛想が尽きた。民間人として生きていった方が国民の為だし、他の皇族方の為でもある。
返信する
それでも、新天皇夫妻より100倍マシ (散歩中)
2019-06-21 22:46:12
なさることはきちっと、なさっているし半島出自創価でもないし。
返信する
Unknown (花粉症)
2019-06-21 23:06:20
本題とは外れます。すみません。
今日、中2の社会科の授業の前半を参観をしました。
戦後、日本はアメリカに民主主義にしてもらった。
日本人は自分達で民主主義の憲法が作れなかったから、マッカーサーに憲法を作ってもらった。
天皇は大日本帝国憲法の時は独裁者だった。
と教えていました。
教科書、資料集を使って授業していましたので、教科書や資料集にそう書いてあるのでしょう。驚きました。
返信する
Unknown (きつね)
2019-06-22 00:37:56
悠仁さまの将来が心配です。眞子さまには悠仁さまを思いやる気持ちはないのでしょうか?とにかく、一刻も早く小室との結婚を破談にしてほしいです。
返信する
Unknown (graduate888)
2019-06-22 00:46:27
正しい日本を学ばれるなら、悠仁さま。
bb様のブログをお読みくださいませ。
返信する
皇室問題覚醒への道険しくとも。 (猫パンチで日本再生)
2019-06-22 01:55:47
BB様
>簡単に反駁出来るものはなるべくしておきたいと思っています。
いつもありがとうございますm(_ _)m
左翼誌への突っ込み・ぶった斬り、毎回楽しみにしております😃

>大本の皇室の自虐史観をまず何とかせねば、国民の認識もいつまでも変わらないのではないでしょうか。
そう思いますね…。

◉皇室に関する覚醒への3step
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/8cf7e10777b8b8df5362b1cb675a0ac9

悠仁様ナイフ事件に触れたブログ記事を何気なく見つけて、コメント者と主さんが「秋篠宮家は最近いろいろあってちょっと敬遠してる」「悠仁様は友達いないんだって」とやり取りしてたので、真実を伝えなければ!と思い、「秋篠宮家貶め報道に騙されないで、愛子天皇擁立は美智子さんと小和田家の悲願なんだよ」といった内容のコメントを(字数制限のため)3つ投稿すると、「上記2つのコメントは記事に関係ないため削除しました。これからはコメントしないでください」と返信がありました。

え〜〜(-。-; と思いましたが、日本と皇室が乗っ取り寸前、土俵際まで追い込まれているなど思いもしない人からすると、いきなりドーンと核心を突く投稿は「どエラい陰謀論をまき散らす怪しい人」にしか見えないかもですね💦

はぁ〜前途多難ですが、地道に伝え続けていくしかないですね😥


川嶋さんとやら、「沈む舟」「元」と同じニオイがするのは気のせい?
ブーメランがお得意な川嶋さん、同じ内容で次は「小和田」と名乗って投稿してね♪

お仲間がワンサカいるヤフコメで垂れ流してなさい💢
返信する
Unknown (KK)
2019-06-22 04:44:04
BB様
お疲れ様です。
いつも記事を拝見し、勉強させていただいております。

こういう自分の国の伝統と国体を貶めるようなカス輩どもは所詮ろくな逝き方しないでしょうね。
必ずや八百万の神々の天罰を受けることでしょう。

それにしても、秋篠宮殿下のお辛いであろう現在のご心中をお察しします。 どうかお健やかであられることを心からお祈り申し上げます。
返信する
Unknown (ri-ly)
2019-06-22 09:07:18
ひどいですね。
これはひどい。
日本の希望がなくなります。

つぶやきだけですみません。
本当にひどい話だ。
返信する
売国奴が語るな! (ジャスタウェイ)
2019-06-22 10:27:12
読んでて、非常に不愉快な文章。こんな老害に、歴史の講義など受けて欲しくはないし、ましてや昭和大帝を扱って欲しくない!!活字では無く、漫画という媒体で無知な国民を洗脳ですか。どこまで狡猾なのか。御聡明な御二人ですから、下手に感化はされないと信じたいのですが…。
返信する
歴史教育 (桜吹雪)
2019-06-22 10:55:41
編集者上がりの有識者(笑)でなく、幅広く深い見識を持った学者が、悠仁さまに歴史を教えることは出来ないのでしょうか?

歴史は様々な要因が複雑に絡まっています。一色ではありません。

確か上皇が理髪の時に読む本が、半藤一利氏の本だと、でしゃばり床屋の男が週刊誌で喋っていました。

この床屋の男の週刊誌での喋りも、御学友のコメントと同じく、上皇御夫妻の仕込みかな。




返信する