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BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

天皇陛下が左翼であらせられるという現実を直視しよう

2018-04-22 | 皇室問題

 

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天皇陛下が、GHQ押し付けのいわゆる平和憲法護持派でいらっしゃり、また必然的にアンチ安倍政権でいらっしゃることはこれまでにも、再三検証しつつ述べてきました。

しかし、現実を見たがらない人たちがまだ多いのです。
それは皇室の尊重ではなく、従来の皇室の伝統破壊に与することなのだという道理が視えない無知の一群。


天皇陛下に拠る、公共放送の個人的占拠で行われた「お気持ち表明」という皇族のクーデターにより、政府は対応を余儀なくされ、「特措法」で対処せざるを得なくなりましたが、無知の民の支持がなければ政府もこうした拙速な弥縫策に走らず、まずは皇室典範の改正への道を模索できたはずです。

しかし、天皇陛下は大変切迫した調子で、生前退位へのお気持ちを述べられ、その意図=半ば命令を受けて
政府が直ちに動いた、そのこと自体が憲法違反です。【天皇がその意志で内閣を動かした】事実に
変わりはありません。今の日本の現状下、政府に天皇の意志をはねかえしたり無視する選択肢はありません。

「有識者会議が国民に必要な情報提供を行った上での世論の動向が判断の根拠となるべき」と述べたのは、
古川隆久日大教授ですが、国民は摂政制度があることすら説明されぬまま「ご高齢でお気の毒」「長い間お疲れさまでした」という、心情論に拠るミスリードがなされました。

生前退位を認めるなら、まず皇室典範を改正の上、恒久化しないと皇室典範に従うべしとした憲法の
安定性さえ揺らぎます。

「特例法で対応するなら憲法違反に近い」と平川祐弘・東大名誉教授は学者なので「違反に近い」とマイルドに表現していますが、はっきり憲法違反です。

天皇擁護の人たちの中には、特措法を作った内閣が悪いので、天皇に非はない、従って天皇は憲法違反をしていない、という論法を用いるのがいますが詐術的論法です。
現状は、まずNHKという公共放送の乗っ取りでいきなり、天皇自ら狼煙が上げられ蚊帳の外であった内閣は右往左往。天皇という国民の大半を味方としてバックに背負った存在に対するには、是々非々ではしのげません。

天皇陛下のご意向を受け入れつつ、しかし陛下のご年齢を考えればその意を満足させるには、皇室典範をいじっている時間などありはしませんでした。

また天皇陛下の言い分そのものがおかしいのです。つまり、旅行を含めたご自分流を象徴天皇としての務めと自ら作られた枠組みを、代々の天皇も継がざるを得ないような形を望まれた、という意味で。

また摂政という制度を全く無視され、退位を言い張られた点。
天皇は役職ではありません。引退など、浮世のことです。
天皇の恒久性がこれで揺らぐと共に、上皇、上皇后、天皇、皇后と象徴とそれに伴う権力の
二分化は避けられません。

フランスのフィガロ紙が、天皇は安倍政権アンチの平和志向左翼である、と喝破しています。

「平和憲法の守護者」と讃えているのだから、天皇の批判記事ではありません。むしろ「ネトウヨ」政権
安倍貶めでしょう。

ここでまた考えて欲しいのです。

韓国と共産党が称える天皇って何ですか?

ルモンド紙が、天皇と安倍総理を対立構造に置く現実は解っていますか?

ネトウヨと僭称される保守で、安倍政権支持(積極的にせよ消極的支持であるにせよ)でない人は
いませんね?

憲法改正に反対する人はいませんよね? 憲法改正に務める安倍総理を否定する保守はいませんよね?

だったら、あなた方はアンチ天皇なんです、その思想においては、です。
天皇という存在否定ではありません。

天皇という存在を「生前退位」で否定なさったのは、天皇陛下自らでありまた九条の会と密着なさった皇后陛下の左のご思想でしょう。

 

2016年8月に今上天皇が生前退位の「おことば」を述べてから、1年が過ぎた。異例の会見に驚きはしたものの、国民はおおむねこの意向を支持。2017年6月には、約200年ぶりに天皇の生前退位を認める特例法が成立した。

だが、天皇はこれまでもその型破りな行動で常に国民を驚かせてきた。仏紙「フィガロ」は、その根底にある平和主義と民主主義、そしてこれまでの功績を賞賛。

だがその一方で、「天皇が退位した後の安倍政権下で、日本の民主主義は危機に瀕する」と警鐘を鳴らしている。

200年ぶりの生前退位


日本にはまだ、「強制労働」の犠牲者がいる。今上天皇である。

BB これが外国紙フィガロの感性。しかし肝心の天皇も。だからこそ「生前退位」という発想。

2017年6月、今上天皇の一代に限り退位を認める特例法が成立した。皇室典範では崩御にいたるまで役目を全うすると定められており、日本の天皇が生前退位をするのは実に200年ぶりのことだ。

伝統を重んじながらもリベラルで、高貴な存在でありながら民主的な考えを持つ今上天皇にとっても、生前退位を世に認めさせることは、並大抵のことではなかった。今上天皇が即位したときに敷かれたレールからは、大きくはずれた道だったからだ

BB 並大抵のことではなかった? いいえイージーにことは運びました。公共放送と、内閣には内緒で話をつけ、突然のお気持ち発表という鮮やかな計画のもと、無知な国民を90%も巻き込んで賛成多数。

皇太子時代 PHOTO: BETTMANN / GETTY IMAGES

 

忘れえぬ日光での疎開経験


明仁親王は1933年に生まれた。日本は当時、アジアに甚大な被害をもたらした植民地侵略を拡大しているところで、父親である昭和天皇は軍部を抑えることができずにいた。政治学者・丸山眞男の言葉を借りるなら、軍部は天皇の名のもとに「自国を占拠していた」のである。

BB ブサヨルーズベルトのOSS時代からの日本憎しから始まった、追い込み作戦で戦争に追いやられた日本、という一方からの視点を欠いていらっしゃること、天皇陛下はルモンド紙並の思考と考察の浅さです。

植民地支配は、当時の白人国だったのに!
第二次大戦は、それから白人の有色人種奴隷化からの開放をもたらしました。

ルモンド紙の史観は白人優位の思想から、まだ一歩も進化していません。



GHQは米国人作家のエリザベス・ヴァイニングを明仁親王の家庭教師にして、彼に民主主義の精神を教え込んだ。その結果、新生日本と明仁親王の相性はよく、彼は「時代の破壊者たる気性」をいかんなく発揮することになる。

BB ルモンド紙が称える皇太子像が、いかに本来のあらまほしき皇太子像からかけ離れ現在の今上へと連なっているか、解りませんか? ヴァイニングなどGHQが寄越した洗脳係ですよ。
また皇后陛下は、GHQと癒着したお家の出で、入内にあたって動いた人たちは例外なくといって
いいほど、クリスチャンです。神道のお家なのに。


たとえば明仁親王は、明治以降、庶民と結婚した初めての皇太子だった。また、天皇家では育児は専任の養育係に任せるのが慣例だったが、皇太子ご夫妻は自らの手で子育てをした。

BB その結果が、不出来の皇太子。その皇太子が選んだ、不出来と捏造キャリア、北朝鮮カルト創価の信徒である雅子妃。その出自も不透明。

平和主義を信奉する君主


今上天皇が何よりも大切にしている信条といえば、憲法が掲げる「平和主義」である。

BB そのとおり。そして、憲法が掲げる平和とやらが、いかに幻想であるか。

高名な憲法学者の樋口陽一は、70年代にまだ皇太子だった今上天皇が記者会見で話したことが忘れられないという。

「そのとき、天皇陛下はご自身にとって大切な日が4つあるとおっしゃいました。終戦の日の8月15日、長崎に原爆が投下された8月9日、広島に投下された8月6日、そして、沖縄戦が終結した6月23日です。

当時は左翼の知識人でさえ、沖縄戦を『国家の受難』だとは捉えていませんでした。このことからも、陛下が平和主義をいかに大切にされているかがわかります」

その一方で、今上天皇は魚類学というやや意外な研究分野にも情熱を傾けている。そのため、「影の薄い目立たぬ存在」だと評価する向きもあるが、そうではない。

彼は、積極的な平和主義者なのである。

・・・・・・・・・・・・・抜粋転載ここまで

 

【討論】属国からの脱出はありうるか?[桜H30/4/21]

 

02:19:24~

02:23:20~

 

天皇陛下の左翼ぶりが語られ、つい最近まで盲目的天皇崇拝者であった水島氏が抗議もせず
うなずいているさま、周囲も同じく、やっとここまで来たか・・・という思いがします。

しかし、まだまだ道のりは遠く、左翼陛下と左翼皇后の思いのままに、生前退位のその時は
近づいてきました。

それでも、東宮夫妻のあの体たらくはもう多くの国民の知るところとなりましたが、これとて
当初は批判しただけで、大変だったのです。

時代はゆるやかにながら、真実を知り始めています。

「女性自身」「週刊女性」「女性セブン」という、インテリは読みませんが普通以下レベルの
女子(多い。生前退位に賛成の90%愚民を構成)、それなりに影響力があるこれら3紙は、皇后陛下雅子妃賛美、秋篠宮家貶めの急先鋒であると共に明瞭に、アンチ安倍政権でありしじゅうこれみよがしの批判記事を
載せています。

左翼紙が皇后と皇太子妃を褒め称え、秋篠宮殿下妃殿下を貶めるその意味を考えましょう。
ここしばらく、眞子さまのお相手小室圭氏を選んだ秋篠宮家ってなによ、ふう貶めが
続いていましたが、ここへ来てあんな男を選ばせるように育てた紀子様って、なによ、と
皇后陛下が怒っていらっしゃるふう記事に芸風が変わって来ています。

「美智子さまの決定的不信に紀子さま震える」と露骨な記事は「女性セブン」

「女性自身」は愛子さまが東大に進むはずだったが、真子さまの例があり云々、いかに
秋篠宮家の学習院離れが悪いかを述べ、学習院では外国語に中国語を選択させられたり、
講師に在日がいたり、学長が日の丸に礼をしないことなどは、スルー。

そのかたわら「妻への放任愛」として、お馬鹿な昭恵夫人放任の安倍総理叩き。(こちらは、
拙ブログが数年前からやってきたことだけど、動機は安倍総理と自民党のため。今、逆風にある時
左翼誌の記事は、DISりのためのDISりでしかありません。

「週刊女性」は、秋篠宮家は2年間でほとぼりが冷めるのを待ち、眞子さまと小室圭氏を
結婚させるお考え、としてあたかも国民非難の声を無視して秋篠宮殿下が眞子さまの
結婚を推進しているというdisり記事です。

繰り返します。

左翼と韓国、共産党は天皇皇后の思想を絶賛、
アンチ安倍の3大女性誌、同様。

これが何を意味するか・・・・・。韓国やブサヨにとって、天皇皇后が都合がいいのです。
自虐史観に従わない秋篠宮殿下とそのご家族が、うざったい。

・・・・とはいえ、眞子さまのことは早く決着をつけてくださらないと。
月額700万円の警備費をあと2年間も、税金から払わせられるのですよ?
2億円を越します。

 

 

 

「何か」あってはいけないから、とデートは秋篠宮邸の中、とこれは女性誌のみならず
報道されています。

それと、眞子さまはもちろん、小室圭氏もまだ結婚は諦めていない、というのも共通の内容です。
この点においては秋篠宮家は早くきっぱりとしたご決断を、と望みます。

  

祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え 

  無記名Unknown は読まぬままハネます。

 内容要約のタイトルを入れ他とかぶる可能性のないHNを記名の上、ご参加ください。 

文章の一部をHNに代用すること禁止。

 「匿名」「通りすがり」など
極力受け付けません。

  

 異論反論歓迎、しかし一定の知的レベルに満たないコメントは、最初は極力公開しますが、
それ以降はハネます。

  


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15 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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追放と幽閉 (伊藤知昭)
2018-04-23 02:01:35
BB様、皆様

救国のブログ、有り難う御座います。

ローマのコインとキリストを連想。
美智子皇后と明仁天皇からはフランス革命。

売国奴は追放が普通。

それならニューヨークのユナイテッドネーションズプラザアパートメントに幽閉。
それにはエリザベス女王所有の隣室等が適当。

[  エリザベス女王の隣人になれる ! ?  NY のアパートメント  ‐  ( ELLE ONLINE )  -  Yahoo ! ニュース  ]  2018年04月22日(日) 21時50分 配信  ELLE ONLINE
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180422-00010004-elleonline-ent

戦勝国に御返しするのが筋。
なおかつ、いずれ米国を併合等支配する時代への伏線。


日本大事、天皇大事、万世一系の秋篠宮御一家による宮中祭祀が大事。

ただし、このままでは眞子内親王を除く。

文仁親王と悠仁親王の御代を目指して。

御多忙中、大変失礼致しました。
返信する
同じ気持ちだ! (会社員)
2018-04-23 04:59:27
 古森記者が、皇后に関して的確な表現をした時、やはり海外に長く居ると、見えてくるのかと、少し見直した。

小堀教授は、憲法違反の言葉をのちに、憲法を超越した存在の天皇と、変えてしまったが、心の中では、忸怩たる想いでいると思う。
水島氏は、苦悩しないで、コロッとスパッと 変わればいいのだが。

 この1,2年の間に、天の采配が下ることを願ってしまう。
俺には周知しかないので、ともかく一歩ずつだ。



 
返信する
女系天皇への道 (大阪市民)
2018-04-23 06:24:44
更新ありがとうございます。
NHKの放送を借りて、内閣の認証も得ずに、いきなり生前退位のお気持ちを表明されたのは、天皇陛下という立場上、許される事ではなかったと思います。(元首なのだから許されるというのは青山繁晴氏などは言うでしょうが)、退位したいとお気持ちを内閣に図ったら、間違いなく
摂政の宮に国事行為を代行させる事を進言されるのを見過ごしての、陛下のNHKを使っての退位宣言だったと今更ながら想います。 この背景には、NHKを使っていきなり退位宣言する事を平成天皇に入れ知恵された方がおられるのです。それが何方なのか敢えて申し上げませんが、まずは浩宮さまを天皇に即位させ、それから愛子さまを天皇へと、神武天皇とは血筋の違う女系天皇への道を開く為だったというのは、私の邪推でしょうか。
お分かりだと思いますが、愛子天皇が
何処の馬とも知れない男性(帰化朝鮮人だけとは限らない)と結婚して生まれたお子さんが皇太子になったら、それで、神武天皇から続いてきた男系(父系)の血筋は絶える事になります。これで日本の国体は終わりになります。男系の血筋であられる悠仁親王殿下のご存在は、天の(皇祖)ご意志です。 これに反逆して日本国家も日本国民も生きられません。
返信する
左翼天皇 (夕立)
2018-04-23 09:00:57
天皇陛下が旧皇族の皇籍復帰の意向を示せば
政治は旧皇族の復帰に向けて動いたはず。
天皇陛下は男系男子 または皇室がいつまでも続くことなど無関心なのでは?
天皇陛下の行為は
国法に従いと言う教育勅語の文言にもまた教育勅語の精神にも反しています。
返信する
戦後は終わっていない (窮余迷彩)
2018-04-23 12:49:20
ご指摘のとおり、「摂政」という、伝統でもあり合法でもある存在が、周知されず議論もされないことは日本国の中枢の違法状態です。

これを共産党や韓国が歓迎するのは、彼ららしい「皇室利用の日本破壊、用日」の意図の表れですね。同調するゴシップ誌も仲間だということです。

紹介の動画を見ました。
古森氏の主張の語り口の頑迷で強硬さに困惑させられます。戦後史観がベースにあることが見て取れます。
小堀氏を、歴史修正主義者とばかりになじる口調でしたね。研究者が既存の歴史観に修正を加えるのは当然の使命です。まして、謀略された「歴史」なのだから、修正して当然です。

古森氏の正史にないことは議論の前提として認めない、議会で承認されていなければ考慮しない、という態度はもっともらしいですが、それは歴史の一部を切り取りして固定する歴史固定主義者の手法であって、もろに「左傾した側の保守」です。
こういう人は、文化防衛や精神文化を矮小化して、歯牙にかけないのでしょう。サヨクは物質主義のみを合理主義と思ってますから。

ただ、明治の帝国憲法も外国勢力と対等に張り合うには近代的な憲法を用意しなければならなかったので、天皇皇室の位置付けには微妙な法的な位置なり言語表現を用いるしかなかったので、整合性を取るのが難しいのだとは思います。

明治初期、天皇の近代的な枠組みで位置づけしてを文章化するのは大変な作業だったと思います。
それは、同時に「国民」の権利や位置付けや都市計画や軍事強化と連動しなければならないのですから。
どこかしら以前との整合性をつけにくい点があるに違いないのです。
小堀先生が歯切れが悪くなるのは、そうした複雑な事情があるからだろうと推測します。

まして、世界大戦後の押しつけ憲法においては。さらに、洗脳要員に取り巻かれていたのでは。さながら、シナで捕虜となった日本兵が、脳内洗浄されて帰国された事実とダブります。

こうした状況を解くのには甚大な作業が必要になると思います。
上手く書けません。とまれ、現在の天皇、ご皇室の在り方は、日本国の将来を象徴しています。憂国心を募らせるのは正常な感覚です。勉強します。周知してまいりましょう。
返信する
日の恵み(1) (風鈴)
2018-04-24 00:01:22

子供の頃育った家は東向きの斜面に建っていた。正面はなだらかに下って川につき当たり、その向こうはだんだんと高くなって遠くに山並みが見えた。太陽はその山並みの向こう側から昇った。
祖母はよく朝日が昇る直前に玄関から出て、東に向かってパンパンと二拍して礼をした。私もまねして手を叩き礼をした。すぐに朝靄を通して光がみなぎり頬が暖かくなった。毎朝お日さまと交歓できた。
祖母はまた天岩戸や因幡の白兎、桃太郎などのおとぎばなしをしてくれた。いつも話を聞くあいだに眠りに入った。いまも人並みに古の物語を知っている理由で、ありがたさが時を経て身に沁みる。
もし祖母が、’毎日お天道様を拝んで素直に働いたら、60年後にはきっと幸せになれる。’と言ってくれていたら。子供の心に60年の時間軸が芽生えていただろう。それは立派な人生観になっただろうに。

人生を語るのは宗教だ。生きる上でのガイドラインを示せないなら宗教としての存在理由はない。しかし深遠な大思想も調べてみれば、ソ連帝国のような虚構だったという例が多すぎる。
宗教といえばわれわれには、熱心、敬虔、奇特、熱狂、聖心などのイメージが浮かぶ。そして敬神が嵩じて狂信になることは珍しくない。自己の信仰が正義で他は誤りと断定できるようになる。出発点は自分が良くなりたい、周りをよくしたいはずなのに、かえって自分も他者も滅ぼしかねない。

ほんとうの宗教(最も大切な教え)とは、無理なく日常生活で実践できる教えであるはずだ。朝、お日さまを拝んで清々しい気持ちになる。清新な気持ちで一日を送り、一月、一年、十年と経つ。
一般的なイメージとは逆に、ほんとうの宗教心とは正信、正直、誠実だろう。熱狂ではなく、冷静澄清が神の道だろう。
’生かされている’だけなら、何か借りがある。それはお日さまや、両親兄弟や社会からの恵みだ。借りは返済しなければ気に掛かる。
日本人としての返済の仕方の一つは、伊勢神宮を心を込めて参拝することだ。初穂料が高めに設定されてあるのは達成感との兼ね合いだろう。自覚や思想にとどまることなく、社会と国家に貢献する日本人である事実を確認する。

幸せな晩年を迎えることは宗教の理想である。60歳代で幸せを感じる日本女性の感性は、世界宗教の真髄を実現している。


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日の恵み(2) (風鈴)
2018-04-24 00:03:15

古事記には神話が書いてある。それで太古の書物のように思われるが、出来上がったのは西暦712年である。天武天皇の発願によるものだった。
十七条憲法は西暦604年に公布された。古事記より108年早い。国家の形が合理的理性的に表明される方が先だった。

推古天皇の時代、天皇は権威で政治的責任を負わない形をとられた。代わりに聖徳太子が摂政として実務を執り行われた。権威と権力の分離は成功し、太子は十七条憲法以外にも三教義蔬の製作や法隆寺の建立など数々の業績をあげられた。
それまでは普及しなかった漢字を積極的に取り入れられたのは、仏教文明の深さを見抜かれたからであろう。仏教は経典に書いてある、経典は漢字で書いてある。漢字を習得しなければ仏教を理解できない。あえて物部氏等の反対を押し切って、蘇我氏と組んで仏教奨励にくみされたのは、優れた外来文明を摂取消化するのが大和民族の生きる道だという認識があったからに違いない。

大海人皇子から見れば、聖徳太子は偉大な先逹であった。太子の事績を手本として、100年の変化に合わせて国づくりを行おうとされた。
最も大きな変化は漢字が万葉仮名として使えるよになったこと。柿本人麻呂らの努力で従来の和歌が長歌になった。それなら短い感懐だけではなく物語が書けるのではないか。最先端の文字文化を駆使して書かれたのが古事記ではなかったか。古事記の神話には創作文学という側面が否定できない。

中大兄皇子は摂政として政治の矢面に立たれて活躍された。晩年には天智天皇として即位されたが、行きがかり上政治権力を行使された。権威と権力の一体化である。それは聖徳太子が示された原則に反する。
壬申の乱を起こして権力を勝ち取った天武天皇は、批判した天智天皇と同じく、権威と権力を合わせた最高位に居る。帝を導く者はいない。

誰にとっても自分を見守るものは両親と先祖である。天皇は皇祖神を尊崇し頭を下げる。天武帝は目に見える形で国家を統一したため、一族の祖神が国家の祖神となった。天照大神は最高権威となり、天皇は祖神のまねをする二番手になった。推古天皇と聖徳太子の関係を、皇祖神と天皇の関係に置き換えられた。
天皇が新嘗祭を行うのも田植えをするのも皇祖神が行われたことのマネである。皇祖神を前面に押し出して天武天皇は親政を行った。権威である天照大神は不死だから天皇の御代も永く続くであろう。


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Unknown (眠り猫)
2018-04-24 00:04:42
古森さん、真珠湾の下りは残念ですが、皇室に関してはズバッと言ってくれましたね!
皇室批判を含めて、言論の自由は民主主義の根幹だとかなんとか、アキ天が言ったことがあると思います。
究極の公人なのだから、批判は甘んじて受けるべきです。

それと、ミテ子発の意地悪記事・・・
グロテスクな性格だとわかっていても、戦慄せずにはいられないです。

紀子様の教育に問題があるかのように書かれていますが、眞子さんの相手は「恋愛結婚だあー」と皇室に押し入ったミテ子のコピーです。
眞子さん本人も、”自由恋愛”と”本人が決める”という、ミテ子の洗脳にやられてしまっています。

昭和の結婚は、清宮さんは徳川侍従が、三笠宮甯子さんは秩父高松宮妃が進めていたそうです。
お年頃の眞子さんにふさわしいお相手を引き合わせることもせず、知らんぷりしていた時点で、馬の骨にひっかかることを期待していたとしか思えません。

明治維新で落ちぶれた、昔だったらお姫様という武家の女性が、家柄が格下の相手と結婚したいと父親に頼むと、相応しい形ならよいと言われたという話を読んで、勢津子様の逆を想像しました。
kkとの結婚を紀子様は反対されていて、ミテ子が進めたいと思っています。
アテクシは上流のしきたりはわかりませんが、もし眞子さんがこの結婚を強行するのなら、まずは正田家の養女にでもなって、皇室からではなく正田眞子として嫁に行けば、まだ国民も納得するような気がします。
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日の恵み(3) (風鈴)
2018-04-24 00:05:17

田中英道先生の ’高天原は関東にあった’ は出色の論文集だった。書名はとんでも本みたいだが、中身は記紀と考古学を地道に研究し融合されている。学術論文の見本のようで、赤線で埋め尽くされた。
高天原は記紀に出てくる地で、天岩戸に天照大神が隠れ、八百万の神々が天安川原に集まって相談するおとぎ話の舞台だ。

古代日本には最も格式が高い神宮が三つあった。神社でなく神宮なのは、皇室に関係があるから。それは鹿島神宮、香取神宮、そして伊勢神宮だった。鹿島神宮の祭神は建御雷神、香取神宮は建布津神であるが、両者とも古事記に出てくる武の神だった。大国主命に国譲りさせるとき主導的な役割を演じたのが建御雷神で、両神宮は守護する神を祀っている。
伊勢神宮には天照大神が祀られているが、この神様は守護される方である。伊勢神宮の説明では土着神ではなく、もともと瓊瓊杵尊以来天皇の住まいに祀られていた。歴代天皇は住居を転々とされたから天照大神の在所も変わりずくめだった。11代垂仁天皇の頃、五十鈴川のほとりが良いと希望されて、倭姫命が現在地に宮を建てて鎮座されたという。

天武天皇は皇祖神にふさわしく伊勢神宮を拡張整備されただけでなく、式年遷宮を定めて20年ごとに原点回帰する機会を子孫と国民に与えられた。
伊勢神宮にお参りするたび、’なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる’の西行の歌を実感する。直線を基調にした建物は誰がデザインしたのだろうか。
唐風壮麗な仏教寺院が出来たとき、神道の神々に社屋はなかった。改めて神社の形が検討されたであろう。寺よりも美しく心に響く神社建築を伊勢神宮を通して求められたと思われる。

三神宮の一つということは、伊勢神宮は三分の一の日本しか代表しないとも考えられる。鹿島神宮や香取神宮がわれわれから隠されているように見えるのは、何らかの意図があってのことかも知れない。
皇祖神は守護神のイメージではおかしい。中心に居ます守護される神であるべきだ。天武帝の意向に沿って物語の一部は作られたかもしれない。
だから空想だ、権力に都合よい歪曲だと云っているのではない。逆に、お日さまの恵みを知らしめる努力の一つと受け止めている。
終わり

返信する
象徴とは (コモンロー)
2018-04-26 00:00:37
天皇陛下の退位について述べさせていただきます。まずあの会見は国事行為でも私的行為にもあたりません。公的行為にあたると考えますがこれには異論はないでしょう。公的行為に関しては通説、政府見解では内閣の直接間接の補佐が必要でありその責任も内閣が負うとされてます。違憲となると法律論では政府の責任になるというのは憲法を学んだ方ならお分かりになるかと思います。
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