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ベリー・オークリー

2024-02-12 15:50:59 | bass

ベリー・オークリー Raymond Berry Oakley Ⅲ

 【パート】
   ベース、ヴォーカル 

 【生没年月日】
   1948年4月4日~1972年11月11日(24歳没)

 【出生地】
   アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ

 【経歴】
   オールマン・ブラザーズ・バンド(1968~1972)


 ベリー・オークリーは、ベーシストであり、オールマン・ブラザーズのオリジナル・メンバーである。


 オークリーは、イリノイ州シカゴで生まれ、同州パークフォレスト郊外で育った。
 のちフロリダ州に移ったオークリーはディッキー・ベッツ(guitar)に出会い、彼のバンド「ブルース・メッセンジャーズ」(のち「セカンド・カミング」と改名)に加入する。
 その頃、ベッツとともに参加したセッションで、デュアン・オールマン(guitar)に出会う。
 その後デュアンとジェイモ(ジェイ・ジョハンソン drums)から連絡があり、3人でセッションを重ねたが、セカンド・カミングでの活動があったため、オークリーは間もなくバンドに戻った。
 ほどなくデュアンとジェイモはフロリダで新バンド結成のために動き始める。この時に呼び集められたのが、オークリーのほか、ディッキー・ベッツ(guitar)、グレッグ・オールマン(keyboard, vocal)、ブッチ・トラックス(drums, percussion)であった。こうして1968年3月にオールマン・ブラザーズ・バンドが結成され
た。


 1969年8月にニューヨークで制作を開始したファースト・アルバム『オールマン・ブラザーズ・バンド』は11月にリリースされた。翌70年9月にはセカンド・アルバム『アイドルワイルド・サウス』が順調にリリースされている。


 オークリーの愛器はフェンダー・ジャズ・ベースだが、これには彼のアイデアでギルドのピックアップが搭載されている。この愛器は「トラクター・ベース」の愛称で知られている。トラクターから繰り出されるどっしりしてメロディックなベース・ラインやフレーズはオークリーならではの個性的なものとして定評があり、「Bass Player」誌の「史上最も偉大なベーシスト100人」には46位にランクされている。


     


 バンドは1971年7月にライヴ・アルバム『フィルモア・イースト』を発表したが、これが全米アルバム・チャートで最高13位まで上昇するヒットを記録した。これによりオールマン・ブラザーズ・バンドは一躍アメリカを代表するバンドのひとつと見なされるようになったのである。
 ところが1971年10月29日、ジョージア州メイコンでバイクを運転中だったデュアン・オールマンが、急停車したトラックを避けようとして衝突し、24歳で死去。バンドが大ブレイクした矢先のアクシデントであった。
 しかし1972年に発表したアルバム『イート・ア・ピーチ』は全米4位の大ヒットを記録、オールマン・ブラザーズは蘇ったと思われた。ところが同年11月11日、今度はオークリーがバイク事故を起こす。
 ジョージア州メイコンを走行中だったオークリーは急な右カーブを走行中にセンター・ラインを越え、対向車線を走ってきたバスと衝突した。オークリーはバスの前部と衝突したあと後部にも衝突し、デュアンと同じようにバイクから投げ出されて頭を打った。にもかかわらずオークリーは治療を受けずに車で帰宅したが、約3時間後にせん妄症状と激しい頭痛が起こり、急遽病院に運ばれたが頭蓋骨骨折による脳浮腫のため死亡した。まだ24歳の若さであった。
 事故の場所は、デュアンの事故現場からわずか3ブロックしか離れておらず、また24歳での死亡もデュアンと同じである。担当医師は、「オークリーがたとえ事故現場から病院へ直行していたとしても、おそらく助からなかっただろう」と述べている。


 オークリーの死後、1973年に発表されたアルバム『ブラザーズ&シスターズ』は全米1位の大ヒットを記録。このアルバムには、オークリーのベースで録音された曲が2曲収められており、その中の1曲「ランブリン・マン」はシングルとしてリリースされ、全米2位の大ヒットを記録している。


 1995年、オークリーはオールマン・ブラザーズ・バンドのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした。
 1998年、ジョージア州議会はジョージア州メーコンのルート41に架かる橋を「レイモンド・ベリー・オークリーⅢ・ブリッジ」、そして橋から走る道路を「デュアン・オールマン・ブールバード」と名付けることを決定した。決議では、これらの名前は「オールマン・ブラザーズ・バンドの故創設メンバーに敬意を表し、追悼するために付けられた」と述べられている。


 なお息子のベリー・オークリー・ジュニアは、「オールマン・ベッツ・バンド」のベーシストとして活躍している。


     

  


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

<オールマン・ブラザーズ・バンド>

  1969年 オールマン・ブラザーズ・バンド/The Allman Brothers Band US188位
  1970年 アイドルワイルド・サウス/Idlewild South US38位
 ☆1971年 フィルモア・イースト・ライヴ/At Fillmore East US13位
  1972年 イート・ア・ピーチ/Eat A Peach US4位
  1973年 ブラザーズ&シスターズ/Brothers & Sisters US1位 UK42位
 ★1973年 Beginnings US25位
 ★1989年 Dreams US103位
 ★1991年 オールマン・ブラザーズ・バンド・コレクション/A Decade of Hits 1969~1979 US39位


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