日新 日々新

2009年12月25日 21時18分58秒 | 日記
夫からの、クリスマスカードに
  
『日新 日々新 』 とあった。

漢詩の好きな夫の事、そう来たか~と、思ったが、漢詩と言うよりは、禅語からきているらしい。

意味が分かりそうでわからない。   

聞くのも癪なので(そう言う所が素直じゃない私です)調べてみた。


殷の湯王(とうおう)という人は顔を洗う洗面器に、「苟(まこと) 日新、日々新、又日々新」と、はりつけていたと言うことで、

毎朝顔を洗うがごとく、心も毎日新しくいなくてはいけない。

「苟に日に新たに、日々に新たにして、また日に新たなり」。

毎日新しい心で、ということは何にも一物も持たない心で新しい世界に触れていくならば、この世界は新しい。

昨日の太陽が出ているが、厳密に言ったら、あれだけ熱量を発散したら 昨日の太陽と今日の太陽とは熱量が違うはずである。

庭の草木を見たって、毎日朝顔のつるが伸びている。

昨日咲いた花は今日は咲かない。水の流れは毎日違っている。自然の世界は毎日新しい。

人間の心だけが古いところにこだわっている。それが病気でというものだ。
 
自然だけじゃない、われわれの体でも新陳代謝して、昨日の細胞と今日の細胞とは違うはず。

すべてが新しくなっていくのだから、心も新しくして、昨日のことは忘れて、憎いことも嬉しかったこともすべて忘れて、

新しい心で今日を迎えていくということが、道というものである。

それが本当の人間の生き方であり、正しい生き方なのである。


   長~い文章を要約すると、こういうことなのだが余計分かったようでわからない。

全く私は仏の教えとは、はるか離れた所にいるせいか、禅語の奥の深い所は、さっぱりだ  

俗世界に ズッポリ、浸かっている私は修行がたりない。



   「日新、日々新、又日々新」。

元経団連会長・土光敏夫さんの口癖だそうだ。

毎日毎日が新しい人生であり、新しい挑戦、新しい壁にぶつかることであり 新しい前進だというのだ。

土光さんは、ファイトと努力の人であったそうだ。

  その信条は、

毎日が新しいということは、過去の悲しみや苦しみを引きずらないということ。

「昨日まで悲しんだ」

「昨日まで苦しんだ」

「昨日まで失敗した」

こうした心にかかるものを一切忘れて

朝が明けると同時に、 新しい挑戦をすることに、人生の醍醐味があるという。

昨日までは、失敗の連続だったかもしれない。

挫折と不運に見舞われつづけたかもしれない。

しかし、過去がどうであろうと 未来に予想される壁が何であろうと

とにかく

<今日からが始まりである>

という気持ちで積極的に生きることが大切なのである。

                           ということなのだそうだ。

 過去の悲しみや苦しみを引きずらないということは、見習いたいと思う。

  


     「日新、日々新、又日々新」。

胸にきざみたい、ことばだ。